カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 長女夫婦からのプレゼントで出掛けた川崎でのチェコ・フィル演奏会。
せっかくの上京ですので、今回も翌日は上野の森へ。話題の「興福寺仏頭展」が、東京藝大美術館で開かれています。
中学時代の修学旅行に始まり、京都での学生時代など、多分5回近くは興福寺国宝館で阿修羅像などと共に拝観している筈ですが、最後に奈良に行ったのは恐らく20年位前。今回は東金堂ゆかりの国宝25点とのことですが、何でも国宝指定の仏像の15%を所蔵するという興福寺は、正に国宝の寺。

「洛中洛外図屏風展」や「ターナー展」など、芸術の秋真っ盛りの上野の森ですが、個人的にはどうしても山田廃寺(昔の教科書では、興福寺ではなく山田寺或いは山田廃寺と紹介されていたように思います)の仏頭にまたお会いしたくなりました。この日は三連休の最終日。午前10時開館に合わせて上野駅へ。
11月2日で10万人突破という記事が日経に載っていましたので、昨今の仏像ブームもあるのか人気のようです。上野駅のコンコースに美術館などの総合窓口があり、ここで各チケットが買えるようで、多少の行列でしたが、まだ10時前でしたので、美術館に行って並ぶよりはと駅で事前に買って行くことにしました。
    (上の写真は、美術館2階休憩ロビーからの芸大美術学部方面)
 東京藝大美術館は、大学併設の美術館とは思えないほど立派な建物。
前身の東京美術学校の教授陣や卒業生たちの重文指定の作品(教科書でお馴染みの、狩野芳崖の「悲母観音」、浅井忠「収穫」や高橋由一「鮭」はここにあったんですね)を始め、これまで我国の近代美術界をリードしてきた卒業生を中心に28000点余という膨大な作品を収蔵する美術館でした。
今回の「仏頭展」の展示室は地階と3階に分かれていて、途中階にはショップやホテルオークラが運営するカフェテリアなども備えていました。展示では、地階に興福寺の宗派である法相宗に関する経本などが展示。3階に十二神将やお目当ての仏頭が展示されていました。
 仏頭は元々飛鳥の山田寺のご本尊を、1187年の戦乱で本尊を消失した興福寺の僧兵たちが、その代わりにと強奪してきたものだとか。
白鳳時代の685年に鋳造(開眼)されたという記録が残る薬師如来で、興福寺の東金堂の本尊として安置されていました。その後、1411年の火災で首だけを残して焼け落ち、新たに造られた本尊の台座の中に(本尊と同じ方向にお顔を向けて)格納されていつしか寺でも忘れ去られていたのが、昭和12年の東金堂の解体修理中に500年振りに発見されたという数奇な運命を辿った仏さまです。頭だけの仏さまで唯一の国宝指定(しかも発見の翌年という、異例のスピード指定だったとか)。
その第一発見者である、当時奈良県の若き技官だった黒田昇義さん(フィリピンで戦死)の98歳になられる奥様さまの手記が、10月中旬の日経文化欄に掲載されていて大変興味深く読みました。因みに発見は10月30日夕刻だったため、発見者の黒田さんはその夜一人で寝ずの番をし、差し入れの一升瓶のお酒を飲んでも、興奮して体の震えが止まらなかったそうです。
今回の特別展では、焼け落ちるまで東金堂のご本尊として、その周囲で守護神としてお護りをしていた国宝の木造十二神将立像(鎌倉時代)も600年振りに再会し、主従が一堂に展示されています。また我が国の浮彫り(レリーフ)の最高傑作という国宝板彫十二神将(平安時代)も併せて展示されています。なお、同じ白鳳仏として、深大寺(そばと植物園しか思い浮かばなかったのですが)の重文釈迦如来倚像(弥勒菩薩の半跏思惟像のように足を組まずに、椅子に腰掛け両足を付けたお姿)も参考出展されていました。
 本来、仏像は安置されているそのお寺でこそ拝観すべきものだと思いますが、こうした美術展では周囲360度から見ることが出来るので、(美術工芸品として鑑賞するには)その点は非常にありがたいと思います。
今回も、“白鳳の貴公子”と呼ばれるというその涼やかで若々しいお顔立ちを、360度からぐるりと拝観することが出来ました。我々だけではなく、その尊いお姿に無意識に手を併せながら見ている方が何人もおられます。“美男におわす”と鎌倉の大仏さまを讃えたのは与謝野晶子ですが、この“白鳳の貴公子”も大層美男におわします。
 11月24日まで開催されている「創建1300年記念興福寺仏頭展」。
常設の興福寺国宝館で拝観するのとは違った今回の展示での個人的な発見と一番のお薦め。それは、十二神将を左右両脇に配置し奥の正面に安置されている仏頭を、奥行きが25mほどもある展示室に入って直ぐの中央正面から、一番奥の仏頭まで(一通り見終わった最後に)25m程離れて正対し拝観すること。
池越しに丸窓からのお顔を拝むことが出来る平等院鳳凰堂のご本尊(阿弥陀如来座像)同様に、一丈六尺(4.8m)あったという立像のお顔の視線がちょうど正面に感じられるポイント。あたかも幻の元のお姿がそこにあるようで、思わず合掌・・・。何だか御仏に温かく見守られているような気がしました。