カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
(前回に引き続き小布施の話題から)
小布施に来たら、どうしても行ってみたいところがありました。
それは、町立の『おぶせミュージアム・中島千波館』。小布施出身の日本画家、中島千波の作品を展示する美術館です。
1992年に町立美術館として開設された「おぶせミュージアム」の目玉として、画家本人から寄贈されたというデッサンなども含む1000点の作品が収蔵され、企画展で都度内容を変えながら常設展示されています。この日は、始めて訪れる私には好都合なことに、「中島千波の全貌~花鳥画、挿絵、版画から人物画まで」と題した特別展がちょうど開催されていました(10月11日より12月10日まで。入館料500円)。
シュールレアリスムなど洋画の技法なども意欲的に取り入れた、挑戦的な日本画家であるというプロフィールにあるような、人物を描いた抽象的な作品などもありましたが、やはり個人的に魅了されたのは、桜、牡丹、紅葉、花菖蒲などの花鳥画。とりわけ、画伯の代名詞でもある桜は、四曲一双の屏風から額に入った絵画など5点が展示されていました。
代表作と云われる「素桜神社の神代桜」、「樹霊淡墨桜」、「坪井の枝垂桜」などなど。また特別展のチラシを飾る「信濃の秋」は、地元紙信濃毎日新聞社創刊140周年記念の扉絵とか。それと、太い下仁田ネギのようでしたが、瑞々しさと力強さに溢れた「御葱」(写真は、ショップにあった桜の全作品。今回は「滝桜」の展示は無し)。
テーマ毎に部屋を分けた展示室には、そう言えば見たことがある「文芸春秋」やNHKの「きょうの料理」や「趣味の園芸」などの表紙絵の原画の数々も。
休日だというのに、鑑賞中館内には10人ほどでしょうか。お陰で、じっくり、ゆっくりと見られたものの、町の中心部からは少し歩くので、“北斎と栗の町”での観光バスの見学ルートには入っていないのか、或いは“知る人ぞ知る”なのか、何とも勿体無い気がしました。
見終わってから、何だか呼び戻されているようで、もう一度最初の展示室の桜の屏風の前へ。薄墨を流したようなバックに浮かび上がる名木「淡墨桜」(岐阜県根尾谷の樹齢1500年というエドヒガン。今回展示の無かった福島県三春の「滝桜」、山梨県武川の「山高神代桜」と共に、日本三大桜と云われる国の天然記念物)や、隣接する高山村(“シダレザクラの郷”として知られるそうです)にある老木「坪井の枝垂桜」(樹齢650年とか)。そして、長野市にあるという「素桜神社の神代桜」(同天然記念物。樹齢1200年というエドヒガンの古木)。
我々人間の小さな悩みなどあざ笑うかのような、まさに風雪に耐えた老木の太い幹の存在感。一方で、画面を覆う一面の桜花の中に、そっと見え隠れする鮮やかな緑の若葉。樹齢千年の老木の見せる若々しい生命感。人間の小さな煩悩など吹き飛ばしてくれるような、そんな圧倒的な存在感です。
執念ともいえる細緻な点描にも似た、一枚一枚丹念に描かれた数千にも及ぶ花びらが、姿形だけではなく神が宿るような生命感までをも描き取った気がして、動けずに暫し絵の前で独り佇んでいると、自然と涙が浮かんでくるのを禁じ得ませんでした。この感動、山種で見た東山魁夷「年暮る」(第503話)以来かもしれません。
美術館の方でしょうか、自然豊かな周囲の庭園の落葉を、我々が来た時からずっと掃除されていたご婦人に、「どうも、ありがとうございました」とご挨拶すると、「どうでしたか?」と問われ、自然と「はい、やっぱり桜の絵がとても良かったです。涙が出るほど感動しました!」。「あぁ、それは良かったです!」。
一見の価値あり。この絵を見ただけでも、小布施に来た甲斐がありました。
栗で全国的に有名となった、北信濃の小布施町。小布施堂、桜井甘精堂、竹風堂、栗庵風味堂など、栗菓子で知られる老舗が軒を連ねます。
そのお菓子。小布施堂の本店のみで売られる、「朱雀」という名のモンブランにも似た和菓子で、一個千円とか。しかも、それは持ち帰りも取り寄せも出来ず、その場で食すのみとのこと。新栗の時期の9月下旬から10月下旬までの僅か一ヶ月間だけの季節限定で、且つ一日数百個限定のため、それを求めて早朝から行列が出来るのだとか。何だか、聞いただけで(それを目指すとなると)溜息が出そうです。
週末も結構色々用事があり、「楽しみは来年に取っておけば・・・!?」という優しいアドバイスにも聴く耳持たずで、「絶対に行くぅ~っ!」とのことから、結局最終日の前日、10月19日の土曜日に行くことと相成りました。予測されうる結論だったとは言え、溜息しかでません(結果論ですが、翌日は終日雨だったので、この日で正解でした)。
その日は、まだ暗い4時に起きて、先に犬たちの世話(ケージの掃除や、フロアの掃除機掛け、食事の準備)をしてから奥さまを起こして、散歩。
戻り、用意しておいたエサをあげて、家内はデイサービスに行く母の準備をし、遅くとも8時までには並ばないとせっかく行っても食べられそうも無いことから、予定した6時半には何とか自宅を出発することが出来ました。小布施まで1時間10分程の行程。梓川PAのスマートICから長野道に乗り、途中休憩もせずノンストップで小布施PAのスマートICで降り、数分で小布施市街にある小布施堂本店に無事到着。
本店駐車場は既に満車だったので、奥さまを先に列に並ばせてから、少し離れた店の駐車場に停めて戻ると、7時45分位には本店前に着いたと思いますが、ざっと数えて100番目くらいでしょうか。思いの外少なくてほっとしました。一日限定400個と云いますので、どうやら食べるのは問題無さそうです。列の前後では「今年は少ないわね!これなら10時頃には食べられるんじゃない?」との会話も聞こえて来ます(えっ、毎年ですか・・・?)。することも無い私メは、またぞろ列に居たワンコ(黒柴のコロ)に遊んでもらいました・・・。
予定通り、8時頃から整理券の配布が始まりました。既に200人程の長蛇の列。せっかくだから一人ずつと思いましたが、奥さまは「絶対に、食べられっこ無い!」と言うので、一つを二人でシェアすることに。食べる場所が3ヶ所ある中で、本店裏にある本宅で10時との指示。朝の内の時間指定で、早めに来た甲斐がありました。
10時までにはまだ時間があったので、車内での休憩ご希望(何でも、並んだだけでお疲れとか・・・)の家内を残し、私メは散策して今日の見学場所の確認へ。すると、道路を遮断して両側にテントが張られ、イベントの準備中。何でも「六斎市」(小布施は江戸時代に千曲川の舟運で栄え、月に六回開かれたことから呼ばれていた「市」に因んだもの)として、地場農産物や、屋台、骨董市や、イベントなどが開催されるのだとか。
この上高井郡小布施町。人口1万人ちょっとで、面積も併せて、長野県内で一番小さな町で、人口密度は県内2番目だとか。しかし、そんな小さな町に、今や年間120万人もの観光客が訪れます。
小布施といえば栗で有名ですが、一説には室町時代に、この地に城を構えた荻野常倫という武将が、父祖の領地丹波から持って来た栗を植えたのが始まりで、江戸時代には将軍家への献上品にもなっていて、北斎を招いたことでも知られる小布施の豪商高井鴻山と交流のあった小林一茶の、『拾われぬ 栗の見事よ 大きさよ』の句は、禁制品で庶民が勝手に拾えない時期の栗を皮肉って詠んだのだとか(てっきり、小布施では見向きも去れずに落ちている栗でさえ、大きくて見事なものだ、という小布施栗讃美の句かと・・・)。
しかし、その後明治以降は養蚕の桑栽培や、戦後のりんご栽培等への転換で衰退したのが、近年また「栗」での町おこしで、ここまで有名になったのだそうです。北斎館にせよ、中島千波館にせよ、比較的新しい施設で、他にそれほど名所旧跡がある訳でもないのに、この集客力(例えば、栗の木を石畳風に敷いただけの狭い小路が、今や人気スポットですから)。
個人的には、官民あげての「栗」をメインにした分かり易さ(何をするにも“栗”!)と、小さいからこその街創りの一体感。明確なコンセプトとコンパクトさが魅力だと感じました(残る課題は、数時間で済んでしまう滞在を、宿泊を含めどう伸ばすかでしょうか?)。
指定時間近くになり、先ずは風情ある小布施堂本宅へ。
「枡一」で知られ、江戸時代からの造り酒屋でもある市村家が経営する酒造会社「市村酒造」、古い酒蔵や土蔵を改装した旅館「枡一客殿」、日本料理「蔵部(クラブ)」なども、小布施堂と同じ系列ですが、なかなか大したものです(地元では賛否両論ありそうなので、某女史話題はオミット。評価のポイントは、“創造的破壊者”か否か、共感はあったか否か、でしょうか)。
本宅は時間指定された方々が、中庭を望む座敷に並んだ座卓に相席で皆さん「朱雀」を食されています(先ずは、写真をご覧ください)。
大き目の茶碗で供されるほうじ茶と共に、スプーンと割り箸も。20cmほどの菓子皿に載せられた15cm近くもありそうなモンブランのような巨大な和菓子。これだけを目当てに全国からお客さんが行列を作るのですから、いやはや凄いですね。
この「朱雀」。蒸した新栗を裏漉しして素麺状に押し出し、ふんわりと芯の栗餡を包んでいます。モンブランの様な部分は何も加えず新栗のみで、栗の味しかしません。この量ですから、恐らく10個以上は使ってあるでしょうか。
個人的には、舌で味わうよりも、むしろ目で味わう見事な芸術品のようにも感じました。確かにこれでは崩れてしまうでしょうから、持ち帰りも送付も無理。こちらで食べるしかなさそうです(それも希少性としての付加価値を生んでいます)。
甘味の無い新栗は、まさに栗そのものの繊細な味。美味しいかどうかは人それぞれ。個人的には、同じ小布施の桜井甘精堂の、これまた季節限定の新栗のモンブランに興味を惹かれます・・・。
しかし、お客さま(殆どが女性。男性は私メ同様に付き添いか、ドライバー役とお見受けしました)は皆さん舐めたように綺麗に残さず完食。見事なものです。
「ふぅ~、終わったぁー!満足ゥー!」
「ちょっとぉ、もっとみんなキレイに食べてるヨ!」
「えっ、そうお?」(と注意した結果の写真です)
念願だった「朱雀」を食べてから、次話でご紹介する私メのお目当てである「中島千波美術館」へ。小布施ゆかりの「北斎館」などとの共通入場券もありましたが、ここでの北斎に興味は無いので、今回は“千波の桜”だけをじっくりと鑑賞したいと思います。
美術館鑑賞後、「六斎市」へ。地元農家の直売所で、奥様がいつも頂く知人の方々へのお土産用にと新栗などを購入。栗も大きさにより、5cm程もありそうな4Lサイズまであり、見事なモノです。更に、新婚旅行でのパリを想い出す「焼き栗」も、香ばしい匂いに釣られて買って(1カップ300円)の新栗三昧。加熱直後のためか、「朱雀」よりもむしろ甘味があります。私は、骨董市で農作業用の「前掛け」を1000円で購入(昔は手拭い同様に、造り酒屋などが店の宣伝としてタダで配られたモノ。今や見なくなりましたが、これ丈夫で便利なんです)。
そして、休憩した喫茶店で「近くに老舗のお蕎麦屋さんもありますが、今日だったらそれよりも・・・」と薦められた、農家の皆さんの「辛味大根生産者組合」の屋台での「辛味そば」(今回は温麺)で昼食。一杯300円也。お薦め通りで、蕎麦もなかなか美味しかったです。その後、「栗の木テラス」(桜井甘精堂直営)で、季節限定モンブランをと思いましたが、残念ながら「もう、栗はイイ。一年分食べたぁ!」との仰せ。
目的の、念願だった「朱雀」と「中島千波館」。何となく、小布施の良さも理解出来た気がするプチ旅でした。
夫婦間というのは、幾つになっても、何年経っても良く分からないというか、難しいもの(なのだろうと思います)。
それがどうした!?・・・ということで、最近ナルホドと感じたこと二題。
一つは、毎朝チロルとナナを散歩に連れて行くのですが、ナナが我が家にやって来るまではチロルだけだったので、毎朝自分一人で散歩に行っていました。二匹の散歩は、興味関心によっては、お互いあらぬ方へ行くこともあり大変なので、その後家内に頼んで二人で散歩に出掛けるようになりました。
ある時、ご近所の方と話をしていた時に、それを指して「仲が宜しくて羨ましいですね」と誉めていただきましたが、本人たちがどう思っているか、更にはその実態がどうかは兎も角として、人様からは「ふ~ん、そう見えるんだぁ・・・」。
でも、これがもしウォーキングだったら、歩く距離も早さもお互い違うので、恐らく個別に出掛けるのでしょうが、犬の散歩は二匹一緒じゃないと(連れて行けと片方が吼えますし)可哀想ですから。
私は通勤が峠越えなので、冬場のことも考えて10年落ちの古い4駆のSUV(購入当時は高級車。エンジン絶好調!頑張れ、もう3年)を使っているのですが、また上田への異動前も諏訪へは電車通勤で、松本駅までだけ4駆の軽自動車を使っていましたので、家にあるFFの普通車は奥さまが日頃使います。
この度、それを家内が「自分へのご褒美」と、十数年働いた会社の退職金を全てつぎ込んで別のコンパクトカーに買い替えることになりました。その際、殆ど使うのは奥さまですから、車種も家内が選び、名義も彼女にすることにしました。
「わぁーい、生まれて初めて自分名義の車だーっ!」
と喜ぶこと・・・。
「誰名義だって、実際使うのは自分だから関係無いジャン・・・」
(ふん、と鼻で笑って?)「全然違いますーっ!」
「ふ~ん、そんなモンでしょうかねぇ・・・???」
車選びから、カタログチェック、試乗・・・と、これまでとは違う熱心さと積極さ(これまでも、大蔵大臣としてのチェックや販売店との交渉は殆ど家内にお任せでしたが・・・)。
「そうか、そんなモンなんだ・・・!!」
別に毎日(名義人の記載された)車検証を見る訳でもありませんが、そんなに気持ちが違うものなんでしょうか。でも、良う分からんなぁ・・・。
後日納車の際、
「そんなの、届けてもらえばイイじゃん!」
「だって、納車記念の写真を撮るから来てくれって言うんだモン!」
とのことで、ま、せっかくだからとお連れしたところ、販売店で「オーナーの奥さまへ」と事前に用意された花束までいただきました。サプライズの奥さまは満面の笑み。
「ほーぉ、女性オーナーだと花束まで用意するんだ。う~ん、やるなぁ・・・」
と、隣で付き添う(従う?)手持ち無沙汰の私メは感心しきりでありました。
(これからは、シルバー世代と女性ユーザーが消費拡大の鍵ですね)
時々(と言っても多くて月一回ですが)、ハーモニーホール(音文)へコンサートやチケットを買いに行った時などに、必ず戴いて来るのが「ぶらあぼ」という冊子。
クラシック音楽の演奏会情報中心の、A5サイズで大体250頁前後の月刊誌。しかもこれ、何とフリーペーパーというかフリーマガジンというか、とにかく無料で、全国のチケットぴあ、CDショップや楽器店、コンサートホールなどに置かれているそうです(私メは専ら音文です)。
発行元は東京MDEとか。提携先として、クラシック音楽の国内演奏家を束ねる公益社団法人「日本演奏連盟」(Japan Federation of Musicians)がバックページに掲載されています。
確かに、オーケストラやリサイタル、練習用ホールや楽器販売、はたまた演奏会用ドレスの貸衣装などの広告が殆どなので(クラシックファンにとっては、その演奏会の広告そのものが情報なのですが)、その収入で賄えるだろうことから、無料となる理由がそこにあるのでしょうが、それだけの数の演奏会が首都圏(中心)にあるということ自体も凄いことだと思いますし、本来タダではない情報化社会の中で、無料で戴けるのもファンにとっては本当に有難いことだと思います(正に、ブラヴォー!と喝采を贈りたい気分です)。
特に、地方にいる我々にとっては、頻繁に都会の演奏会に足を運べる訳ではありませんが、田舎に居ながらにして、都会の演奏会の様子や、(クラシック音楽と雖も、楽曲や演奏家の)流行り廃れなどの雰囲気を知ることが出来ることから、見ていても飽きることがなく本当に感謝しています。
今回もトリフォニーホールで、10月号を頂いて来ました。
これからも無料で、末永く頑張って発行していただきたいと切に願っています。ブラヴォー!と喝采も贈りつつ、「頑張れ、ぶらあぼ!」。
以前食料品の買出しついでに、同じショッピングモール内の回転寿司(全国チェーン店)に昼食に行ってみました。そこはいつも(休日は)家族連れなどが列を作っていて、多少の期待もありました。
待つこと15分。
食べ終わってから、家内が小声で曰く「来なければ良かったネ・・・」。やっぱり、海辺や都会のようにはいきません。
私たちが高速バスを利用して娘の所に行った時など、時々利用する回転寿司が新宿駅にあります。先日も、日帰りで十束さんのコンサートを聴きに行った際に、帰りの高速バスまでに小一時間あったので、いつもの西口地下の回転寿司へ。まだ夕方5時を少し過ぎたばかりだというのに、既に順番待ちの行列です。成田には負けるかもしれませんが、この値段と、松本のどこよりも新鮮なネタに感動。若い頃ほど量が食べられなくなった我々とはいえ、ヒラメやトロなどの高級ネタを含めても一人2千円程度ですから・・・。
「イイなぁ、都会は・・・。」
そこは、新宿駅西口地下のショッピングモールにある『沼津港』という名前の回転寿司。日頃高速バスを利用する家内のお薦めの店。ちょうど京王のバスターミナルへの地階からの上り口にあります。一皿二貫(玉子とか一本穴子以外は)で100円から大トロ800円まで。いつ行っても店の外まで行列ができています。通常の回転寿司チェーンよりは少々高めですが、回転寿司とは思えぬそのネタの良さと値段に感激します。
中でも(個人的に)美味しいのは光りモノ。特に昆布〆にされたコハダと〆サバ。とりわけコハダが絶品で、ほんのり酢を利かせながら昆布の旨味と交じり合い甘くさえ感じられて、一人で何皿もお代わりしていまいました(私以外の我が家の面々は残念ながら光りモノが苦手。美味しいのに・・・)。季節ものだと思いますが、これまで食べた中では、生サバが脂が載っていてクリーミーで甘味もあり絶品でした。また、以前成田で食べた感涙もののマイワシには負けますが、この日のイワシも歯応えがあり新鮮でした。生ゲソも、なかなか松本ではお目に掛かりません。
いいなぁ、都会って・・・(と、また溜息)。
このお店が特別なのか、都会では他の回転寿司も同様なのか分かりませんが、山国信州でも昔とは比べモノにならないほど物流が改善され、今や信州でも水槽で泳ぐ「活きた」イカの刺身が食べられるなど、中には水揚げ漁港から独自の直送ルートを持つお店(奥さまは、松本の「王滝」のお爺ちゃん板さんのフワっとした握りと卵焼きの方が好きだそうです)も出てきたとは言え、お寿司で感動すること自体稀ですし、まして回転寿司レベルでは決してこうはいきません(但し、因みに支払い担当の家内によれば、お値段は全皿100円のような他のチェーン店に比べると決してお安くはないそうです)。
私たちの絶賛するのは、次女の住む成田表参道にある地元のお寿司屋さんですが、そこで食べた後は余計ガッカリするので、暫く(松本では)お寿司を食べないようにしています。家内によれば、成田のショッピングモール内にある地魚を売りにした回転寿司も、十分に美味しいのだとか。
そう言えば、以前札幌に赴任していた後輩が、回転寿司の食べ歩きをすると言っていましたが、漁港や魚市場に近くてネタが新鮮な所では回転寿司で(山国信州と比べれば)充分なんでしょうね。
奥さまが通販で購入された、交換用のソファーカバー。
因みに、今まで通販で購入された中には、蓋付きの両面パンや食器棚の上部空きスペース活用棚、或いは片手電動クリーナーなど、ナルホドと思えるモノも確かにありますが、購入後見向きもされぬ(と思われる)モノ(健康器具に多そうです)も少なからずあり、今回は果たして如何に???・・・。
カバーが毛だらけにならぬように、「チロルの毛が抜け替わったら・・・」と交換するのをずっと待っていたのですが、17歳という年のせいか、昔のようにガバッと抜けず、猛暑の夏も過ぎてもう秋だというのに、まだダラダラと抜けています。そのため、奥さまも痺れを切らして「もうイイや」と、先日遂に付け替えられました。
何でも、説明書にカバーがずれないようにする材料が写真付きで載っていたので、ホームセンターへ行って購入して来いとの仰せに、パブロフの犬の如く?に「へ~い!」と即応し、早速その説明書を手に向かいました。
説明書きには「高発泡ポリエチレンフォーム」なる言葉と、丸いチューブ型の白いスポンジのようなモノが写っていて、これを背もたれや肘掛との隙間にカバーの上から押し込んで、ずれないように固定するとのこと。
「そんなんで、ずれずにちゃんと固定出来るのかなぁ・・・?」と多少訝しがりつつも、ご命令とあらば・・・。
ホームセンターに到着後、インテリアのソファーカバーのあるコーナーを探しましたがそれらしきモノは見当たらず、隙間を埋めるカバー材に似ていたので「もしや・・・」と思い、住宅用資材売り場へ回ってみると、案の定ありました!
我が家のリビングは、3人掛けと2人掛けのレザーのソファーです(私メはとかく“安物買いの銭失い”でいつも怒られますが、家内はどちらかと言うと良い物を大事に長く使うタイプで、いつも感心させられます。これも家を建てた時に、わざわざ東京のカリモクのショールームまで見に行って買って来た家具の一つ。ダイニングテーブルや椅子も同様で、子供たちはいつもここで勉強もしていましたが、どれも頑丈で17年経った今でもガタ一つありません)。
スポンジのようなフォームは思案の上(短くするより、長い方が動きにくい筈なので)そのまま切らずに、コーナーを出来るだけ直角になるようにしっかりと奥まで押し込み、コの字にグルっと一回り。家内の指の圧力では押し込めず、男性が作業した方が良さそうです。3人掛けで1mくらい余ったでしょうか。1mでは2人掛けには少し足りないので、新しいモノを使います。直径10mmでは、やはり細くて簡単に飛び出して来てしまったかも知れず、20mmで正解でした(と思います)。
これ、なかなかのスグレモノです。
以前のカバーは、ただ掛けただけだったので、ゴロリと横になってTVを見た後など、すぐカバーがずれたり、押し込んでいた部分が飛び出してきたりして、ダラっとしてみっともなかったのですが(ソファーで寝るナナは、そのヨレや皺が気になるのか、前足で掘るような仕草でちゃんと平らに直してから寝る始末)、今回のカバーの伸縮性のある素材に拠るところも大きいのかもしれませんが、このスポンジのようなモノがストッパーの役目を果たし、押し込んだカバーの布地の部分が出て来ず、寝転んでも全くズレません(但し、小さなお子さんが跳んだり跳ねたりしたらどうかは分かりませんが、何も無いよりは効果はある筈)。
なお、ソファーの形状により、肘掛の先端部分まで押し込んで入れると、座った結果、スポンジの端の部分が押し出されて飛び出して来るので、肘掛部分は先頭を少し短めにした方が出て来ず、見た感じがキレイだと思います。
値段僅かに2つのソファー用(使った長さ)で500円足らずで、この効果。なかなか大したものです。シーリング用という本来の目的外使用で、ソファーメーカーの部材ではないのかもしれませんが、こんなに効果があるなら、(儲けとは関係なく)長さをソファーの固定サイズ用にするとか、提携するなどしてもっとPRすれば、カバーがずれて日頃イライラしている奥さまが多かろうと思いますので、大いに喜ばれると思うのですが・・・如何。
10月5日。すみだトリフォニーホールでの新日フィルの名曲シリーズ、「クラシックの扉」コンサート。今回は十束尚宏さんが振られるので、14時開演のマチネで日帰りも可能なことから、松本から聴きに行きました。安価で名曲を聴けるように、という趣旨だそうですが、今回は菊池洋子さんをソリストに迎えてのショパンの「ピアノ協奏曲第1番」と休憩を挟んでのチャイコフスキーの「交響曲第4番」というプログラム。
都内に近づくに連れて小雨模様になりました。ほぼ定刻通りに新宿駅西口に到着し、錦糸町に移動。すみだトリフォニーホールへは、駅ビル内などを通り、殆ど濡れずにアクセスできました。スカイツリー眺望で人気という東武ホテルが隣接。
窓口で予約してあったチケットを受け取り、入り口で都会の演奏会での(お上りさんの私メにとっては)楽しみでもある分厚い演奏会チラシ(信州まで持って帰ります!)を受け取り、一階席へ。席は、ステージ正面前寄りやや右手の通路側。ここからなら、十束さんの指揮振りも良く見られそうです(以上手配は全て奥さま)。
1800席の大ホールは、パイプオルガンを備えた3階席までのシューボックス型コンサートホール。内装に木が使われ、見た目にも響きが柔らかそうな印象。確か、ここは新日フィルと初めてのフランチャイズ契約で、以前話題になった記憶があります。そして、あの“3.11のマーラー”の舞台でもあります。
2・3階席は見えませんが、(勝手に)心配した入りも1階席は殆ど埋まっており(確か、前日は平日だったのにA席は完売とのこと)、所々空席が目立つ程度。6月でしたか、新国立劇場での新作オペラ「夜叉ヶ池」の指揮を除けば、定期ではなく名曲シリーズのような演奏会とはいえ、現在ウィーン在住のマエストロ十束さんの国内メジャー・オケの指揮は久し振りの筈ですので、期待するファンもきっと多いのでしょう。斯く言う私メは、昨年のSKFのガラ・コンサートで振られた序曲を除けば、生でお聴きするのはシンガポール赴任中に客演されたSSO(Singapore Symphony Orchestra)以来、実に20数年振り。
最初のショパン。この曲は、どうしても「のだめ」の楽壇デビューを思い出してしまいます(映画館で、上映開始まで第一楽章が流れていて、映画を見てその理由が分かりました)。
ソリストの菊池洋子さんは、腰まである長い髪と鮮やかな白のロングドレスが印象的。この細身の体のどこに?と思えるほどにパワーもあり、ショパンらしい旋律を紡いでいきます。確か彼女は、個性的なピアニストがその学校出身だと知り、高校卒業後の留学先に決めたというイタリアの片田舎に在るイモラ音楽院出身の筈(現在はドイツ在住)。僅か10歳で単身ドイツに渡った小菅さんといい、菊池さんといい、最近注目の日本の若手女性ピアニストたちの逞しさに敬服します。個人的には、オケ伴奏とソロリサイタルの違いはありますが、内省的な小菅さんの音の方が好み。この日はカーテンコールのみで、アンコールは無し。出来れば、生のピアノソロでのショパンも聴きたかったのですが、残念でした。ま、結構ショパンの1番は長いですし(特に第一楽章は或る意味冗長。この日は結構ミスタッチもあったし・・・。菊池さんを呼ぶならモーツアルトにすれば良かったのに)。
余談ですが、第一楽章が終わった後、十束さんがコンマスの方を何度か確認しながら、暫くしてコンマスからの合図で漸く第2楽章を振り始めました。「どうしたんだろう?」と、後で分かったこと。この日は、序曲などの演奏がなく、いきなりコンチェルト。しかもこの曲の第1楽章は長いので、終わってから遅刻された方々が入場し、席に着かれるのをコンマスが確認されていたようです(指揮者は客席に背を向けています。ナルホドと合点がいきました)。
休憩を挟んで、お待ち兼ねのチャイコフスキーの4番。
久し振りの十束さんの指揮振りに酔いしれた、幸せな40分間でした。素人目にも的確で見事なバトン・テクニックによる、引き締まった演奏と圧倒的なディナーミク。
冒頭のホルンパートにやや不安定な部分こそあったものの、金管のファンファーレの迫力と重厚さの第1楽章に始まり、ロシアの香りを感じさせる第2楽章の深い叙情性と、ピチカート奏法の第3楽章でのシャープなリズム感。そして何より、第3楽章から間髪入れずに突入し、疾風怒濤とでも形容したい程に圧倒的な迫力とテンポで颯爽と駆け抜けた熱狂の第4楽章。
タクトが降ろされるや否や、ブラヴォーというよりむしろ「ウォー!」という叫びにも似た歓声と拍手でホールが包まれました。私も、オーケストラ演奏では久し振りに第一楽章から視界が曇っていました。
何度かのカーテンコールの後、アンコールは熱くなった会場を冷ますかのような「G線上のアリア」。個人的には、アンコール無しで良いので、あの興奮のままずっとマエストロを称えるべく拍手していたかった気もします。暫しの静寂に包まれたアンコールの後も、鳴り止まぬ拍手にカーテンコールが繰り返され、最後はオケの皆さんがコンマス以下客席にお辞儀をされて、お互いを労ってのお開きとなりました(この日のコンマスは崔文洙さん)。
いやぁ、良かった。スカッとした!
やっぱり、イイなぁ!十束さんの指揮は・・・。
そりゃ確かに、オペラを振れなきゃ指揮者は一人前じゃないかも知れないけど、もっと日本で聴きたいヨなぁ!またどこかのメジャー・オケで十束さんを呼んでくれないかなぁ・・・。マーラーの1番振って欲しいなぁ!
5番を生で聴きたくて行った、2年前の佐渡裕指揮ベルリン・ドイツ交響楽団(第549話)のチャイコフスキーよりも、個人的には良かったと思います。
さすがにお若かった20数年前と比べれば、普段の謙虚な人柄とはまるで別人のようにオケを鳴らし歌わせる音楽への一途な情熱はそのままに、更にそこに深さや重みが加わったように思います。でも、まだ指揮者としては50代半ばという若さ。人生の深みが音として表されるのは、むしろこれからでしょう。
どうしてもその想いをマエストロに伝えたくて、無理やり楽屋へ押し掛けましたが、お知り合いの方々や他にもお客様が詰め掛けておられました。
地方から来るハンディを補って余りある感動に胸一杯で、二人黙って錦糸町を後にしました。途中、家内がボソッと、
「来て良かったね!」
「うん、・・・良かった・・・。」
日曜日の新聞には、朝日も日経も新刊書籍の書評欄が毎週掲載されていて、斜め読みですが興味のありそうな本があるかどうか探しています。
9月22日(日)の朝日新聞の朝刊。書評欄に並んで、全面で載っていたのが「みをつくし料理帖」の全面広告(キッコーマン)でした。
初夏だったか、一年振りに第8巻「残月」が発刊され読んだばかり(第765話)。そして、その8巻には巻末に付録として、ひょんなこと(確か、歩き疲れて埃まみれで倒れていたのを澪が助けた)から澪が絶賛し、料理に使ってくれている自家製の白味醂を広めようと全国行脚している相模屋店主の紋次郎が、澪の作ってくれた料理を料理屋を手伝う「りう」に渡され、また励まされながら元気を得て「つる屋」を後にするところで終わるという短編として掲載されていたのですが、今回の朝刊の全面広告も「富士日和」と題された書き下ろしの短編が掲載されていて、それがその8巻の付録の続編とも呼べる内容だったのです。
高田郁著の「みをつくし料理帖」(ハルキ文庫)は、時代小説として人気(女性に?)シリーズだと思いますが、ここまで企画されて仕掛けられていたとは思っていませんでした。
短編とはいえ、本編同様にちゃんとレシピも写真入で二つ添えられており手抜きはありませんし、愛読者として嬉しかったのは、周囲の暖かな思いやりに支えられ、一度はお互いの約束をしながらも、やはり料理の道を全うしたいという澪の決意を汲んで、自分を悪者にして別れた御膳奉行の小野寺数馬が、この番外編で本当に久し振りに再登場したこと。
「上手い企画だなぁ・・・!」。いやはや、恐れ入りました。
9月末の週末に、一泊だけでしたが娘たちが揃って帰省して来てくれました。成田からの次女が乗換え不要で便利なので、朝早く起きて千葉発のあずさに乗り、長女が新宿駅で合流。秋の行楽シーズンで、指定も自由席も満席だったとか。
昼食後、家内と次女は“蔵の街”中町へ。馴染みの呉服屋さんが「蔵シック館」で展示会をされているので、義理でも顔を出さないといけないのだとか。一方長女は、お友達がお城(中央公園)で開催中のクラフトフェアに出品しているので応援に行きたいとのことで、一旦双方の中間位置の大名町に駐車して、二手に分かれて、(着物を見てもしょうがない)私も松本城へ。
お城周辺の駐車場も県外車で混んでいましたが、菩提樹の仲間のシナノキ(科の木。信濃の古名は科野で、その昔この木がたくさん自生していたことに由来)が両側に街路樹として植えられて風情のある大名町も、お城までの人の波。アジアを含めて、外国の方も結構観光に来られていました。有難いことです。我が松本の「おもてなし」レベルは果たして如何に?
その後、お城から中町へ。「蔵シック館」へ長女を案内し、私はすることも無いので、独り中町を蔵造りの建物探訪です。
市の公共施設でイベントホールを兼ねる「蔵シック館」は、隣町の元造り酒屋だった母屋や土蔵(喫茶室に利用)などを街並み整備に併せて移築したものとかで、シンボルの杉玉が今も飾られています。
前広場の隅には井戸があり、次々と近くの喫茶店やレストランの方が、ポット片手に水を汲みに来ておられました。湧水で入れたコーヒー、さぞかし美味しいのでしょうね。
周囲を山に囲まれた複合扇状地の松本には、歴代藩主が保護し、江戸時代の「善光寺道名所図会」に“当国随一の名水”と謳われたという「源智の井戸」を筆頭に、「まつもと城下町湧水群」として環境省「平成の水百選」にも選ばれている30近い湧水や井戸が市内中心部に点在しており、最近は市内散策ルートでも推奨されています。この「蔵シック館」の井戸もその一つ。
この中町は、なまこ壁の続く“蔵の街”として最近市内観光でも街歩きで人気の通りですが、元々は明治21年の「松本大火」で焼け残った蔵(土蔵)に着目し、火事に強い蔵造りの建物が次々と建てられたのがきっかけ。
戦時中も空襲の無かった松本で、幸か不幸か戦後の近代化に取り残された街並みが近年逆に注目されて、新しい建物もなまこ壁の蔵造りで景観を揃え、電線も地中化するなどの整備がされました。今でも当時からの古い建物が漆器店や民芸店、老舗のカレー屋さんなどとして残っていて、白黒のモノトーンを基調にした街並みは懐かしさと落ち着きを感じさせてくれます。ただ、東西の幹線道路を繋ぐ一方通行の中町通りは、一方通行がやたら多い城下町を走る車利用者には便利なので止むを得ませんが、惜しむらくは歩行者専用ではないのが観光的には“玉に瑕”でしょうか。
用事が終わられて出てきた皆さまの「お茶でもして、ちょっと休みたい」との仰せに、幸いスタバも離れた中町でしたので、喫茶「珈琲まるも」へご案内。この日も観光客の方々中心に混んでいました。女性陣の会話に加われぬ私メは、独り言で「秋には、やっぱりブラームスでしょ!」と、好きな曲があればリクエストしようかと思い店内のCDを探しましたが、残念ながらお目当ての室内楽曲は見当たらず(その昔、今は亡きマスターが集められた膨大なLPはどうされたのでしょうか?)。
一時間ほどして、今度は対岸の縄手通りをぶらぶら歩いてから車で移動し、ちょっと早めの夕食は「食蔵バサラ」へ。
「しゃぶしゃぶでも、焼肉でも、お寿司でも、何にする?」
という奥さまからの問い掛けに、次女が、
「お寿司だけは、絶対にイヤ!」
「そうだよね。成田のお寿司に比べちゃあねぇ・・・。」
と、彼らは久し振りのバサラをご希望でしたので、事前に予約してありました。この日はアラカルトから。年を取ると、コースはもたれて全部食べられないので、好きなメニューを何品かオーダーした方が我々中高年には向いています(しかも人数の多い方が品数も多めで楽しめます)。それに、実は私メは前日にも会社のリタイアされた先輩や昔の同僚との定例会(3ヶ月毎にバサラで開催。その日は、若いお客さまには恐縮ながら、我々中高年向けに、毎回コースを「量より質で、和テイスト中心」の創作料理にしていただいています)で食べたばかり。二夜連続でしたが、後半は酔っていて、幸か不幸か料理の記憶も余り無く、どれも大変美味しくいただくことが出来ました。中でも、連夜の「タコと北あかりのブルーチーズ和え」(シェフの奥さま曰く、ブルーチーズは日本酒とも相性抜群とのこと)と、この日選んだバルサミコ・ソースが絶品の「キノコと炙り牛肉炒め」(以上料理名は不確かです)がとりわけ美味でした。
新そばを食べ、松本城に行って、中町を散策してから、喫茶まるもへ(夕食は郷土料理ではありませんが、松本らしい蔵造りのバサラへ)。ある意味、定番の松本市内半日観光でした。
秋分の日も過ぎて、冬至に向けて次第に夜が長くなっていきます。
この時期ですと、朝4時には中秋の名月から既に三日月になった月が昇り、空にはまだ満点の星がきらめいています。5時近くなって漸く東の空が白み始め、ちゃんと明るくなるのは5時半くらいでしょうか。
朝5時半少し前。刻々と色を変えていきますので、本当に鮮やかで燃えるような紅色での一瞬のタイミングを見極めるのは難しいのですが、チロルとナナの散歩に出掛ける前に、別名“東雲(しののめ)街道”と地元(の一部?)で呼ばれる東山(美ヶ原、鉢伏山)方面の朝焼けの空をベランダから撮影してみました。