カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
(このところ松本ネタが続きましたが、今回はこれにて打ち止めです)
前話のお客様とお会いするまでに少し時間があったので、ブログ用の写真撮影のために、久し振りに深志高校に立ち寄りつつ、松本城に歩いて行ってみました(家内が所用で足が無かったこともありますし、路線バスも休日はなぜか運休・・・)。
今回の工事は、国宝の遺構を傷付けぬように配慮して、水を抜かずに上部のヘドロをポンプで吸い上げて脱水した後、セメント材料として再生する工法を採用しているのだとか。また浚渫範囲は内堀全体ではなく南西部のみで、今回の効果が良ければ残りの部分も今後検討する前提なのだそうです。
お城は松本のシンボルですので、「市民としては、その様子をちゃんと見ておかねば」と思った次第。
今回の浚渫工事は9月6日までとか。鯉や白鳥たちのためだけではなく、早くキレイになって、北アの峰々を水面にクッキリと映してもらいたいものです。
ところで、太田和彦さんが「ふらり旅」(第776話)の番組の中で、「松本城が平城であり、いつでも市民が自由にその周囲の公園に毎日の通勤通学時など立ち入ることが出来るが故に、日常的に市民の視線や目線の中に松本城がある。」と言われていましたが、ナルホド、正にその通りだと思います。
その意味では、北アルプスや美ヶ原などの東山も同様でしょう。他に何も無いからと言われればそれまでですが、お城も山も常に生活している視界の中にあって、無意識に「松本」という心象風景として市民の心の中に根付いているのだと考えさせられました。だから、松本は「城と山の街」。
欧州にお住まいのお客様が、松本に10日間程滞在されるというので、半日市内観光にお供しました。
午後のご予定まで3時間ほどだったので、今回は遠出を諦めて中町などの街並み観光をしてから、一度お連れしようと思っていた女鳥羽川沿いの喫茶店『珈琲まるも』にご案内しました。老舗旅館「まるも」が私と同じ1956年に併設した喫茶店です。
今風のカフェに比べれば些か薄暗い店内で、板張りの床と使い込まれた松本民芸家具の椅子とテーブル。
客層は、今では観光で来られた方が中心ですが、30年前の独身時代、鶴林堂や遠兵で買って来た本を読みながら、好きなクラシック曲(当事は勿論LPレコードで、その時に流されている曲のジャケットがカウンターに立掛けられていました)をリクエストして、珈琲1杯で(嫌な顔もされずに)半日聴いていたあの頃と店内の雰囲気は全く変わっていません(さすがに、カウンターの中でいつもパイプを燻らせていたマスターはもうおられません・・・)。
そう言えば、高校時代の友人の多くが都会で就職した中で、農家の長男としてUターン就職した独身時代。田舎に戻った自分を卑下しながら、たまたまここで偶然手にした紀行エッセイの松本紹介に、『休日に「まるも」でゆったりと珈琲を飲み、毎日山を仰ぎ見ながら暮らせる松本の人たちは幸せだ。』というような主旨の文章があり、何だかその時の自分に直接云われている気がして、卑屈な心を洗い流してくれるかのように、すーっと胸に沁みていったことを今でも鮮明に憶えています。
私にとって、「ヨシ、この街で頑張ろう!」と前を向かせてくれた喫茶店でもありました。
お客さまも、チーズケーキとモカ系の酸味の効いた濃い目の珈琲を、欧州在住のためか「美味しい」と褒めて下さり、「そうでしょう!」と我が意を得たり。
「こんな喫茶店もあって、松本ってイイ街ですね」
「そうでしょう!・・・山とお城が無ければただの田舎町ですけど、ネ」
店を出ると、女鳥羽川越しに望む北アルプスは、残念ながら夏山らしく雲が掛かっていました。
「本当は、あの方角に常念が見えるんですけど、ネ」
居酒屋に関する我がバイブルとも言える、『ニッポン居酒屋放浪記』(第505話他参照)の著者は、松本市出身の居酒屋評論家(本業はグラフィックデザイナー)の太田和彦氏。高校の大先輩でもあります。
その太田さんが出演されている『ふらり旅~いい酒、いい肴~』(第742話参照)という番組が、この4月からBS11で放送されています。
初回が倉敷、2回目が尾道と、瀬戸内地方から始まり、その後小田原、鎌倉、松山、高知、会津若松などが放送され、第10回目となる8月13日に松本が登場しました。 “塩イカに望郷つのり”と題して故郷松本を取り上げた「居酒屋放浪記 立志編」での「まさか塩イカじゃなぁ・・・」などと思いつつ、当日楽しみに放送を拝見しました。
「昔は、理屈っぽいだけの故郷信州がイヤでイヤでしょうが無かったんですが・・・」と、前置きで言われた大田さんの気持ちも、この年になると良く分かる気もします(多分勝手に想像するに、若者の真っすぐな意見をすぐに屁理屈で否定したがる、という意味ではないかと思います)。
また、「SKFや串田和美さん、平成中村座のお陰で松本が魅力的な街になった」とも仰っておられましたが、そこの私自身の見解は些か趣を異にします(これも、理屈っぽいと言われればそれまでですが・・・)。
嘗て、井伏鱒二が『信州では、山の中の馬子でも、馬を曳きながら中央公論を読んでいる』と揶揄したように多少理屈っぽくも、(公権力ではなく、住民からの寄付を集めて)市民が建てた開智学校や市民が守った天守閣など、昔から進取の精神のある松本だからこそ、民芸運動も、旧制高校も、スズキメソードもこの地に根付き育まれ、その結果文化的な香りがする田舎町が醸成されたのではないでしょうか。そして、その下地があったからこその、ボランティアに支えられるSKFや一般市民も参加した平成中村座であろうと思います。
しかし、外から故郷松本を見ると、しかもデザイナーという芸術家(謂わばプロデューサー)である太田さんの視点(仕掛け人の重要性)からはそう見えるのかもしれませんが・・・。
太田さんが、嘗て「松本には塩イカしかない」と口では卑下しながらも、行間に見え隠れする「好きでたまらない」と想えた「居酒屋放浪記」での記述同様に、番組でも「故郷松本の良さをどう伝えようかと、いつも以上に緊張しますね」と照れくさそうにぼそっと言われていたのが、「あぁ、やっぱりこの人も、結局は松本が大好きな信州人なんだなぁ・・・」と、地元民ならではの感想(というよりも感慨?)を持ちました。
今回のUCCの缶コーヒーBlack無糖“The Deep”の期間限定キャンペーンは、『最強の陸自コレクション』(ただ個人的には、子供の頃のプラモデル製作でも、戦車よりもジェット戦闘機の方が好きでした。また、スケール表示が見当たりませんが、全長も60~70mmと前回のジェット戦闘機と比べるとやや小振り)。
この間、毎日2本購入した結果、結局もう3セット揃ってしまいました。小さな部品にもバリも無く、迷彩色のカラーリングも含めて、細部に至るまで感心するほど精巧に良く出来ています。
シリーズは(以下番号順)、61式戦車、74式戦車、90式戦車、10式戦車プロトタイプ、87式自走高射機関砲、軽装甲機動車、87式偵察警戒車、10式戦車プロダクションモデルの全8機種。
手許には、全モデルが揃った3セット以外に、余った61式戦車(1ケ)、74式戦車(3ケ)、10式戦車プロトタイプ(2ケ)、87式自走高射機関砲(3ケ)、10式戦車プロダクションモデル(1ケ)がそれぞれあります。いずれも購入時の袋に入ったままで未開封。
もし「全部まとめて欲しい!」というご希望の方がおられましたら、3人の方だけですが、宅配便の着払いにて送料のみご負担いただければ、無料にてセットでお分けいたします。また、余った機種の個別のご希望にも対応可能です。
ご希望がございましたら、このH/Pの当果樹園のメールアドレス宛にその旨お報せください(本ブログのコメント欄からの送信は公開されてしまいますので、果樹園のメールアドレス宛にご連絡ください)。
小さな扱いでしたが、ガソリンスタンドで給油中にスポーツ紙を見ていたら、西部の相内誠投手が二軍戦でプロ初登板を果たしたとの記事が掲載されていました。
彼は、千葉国際高時代に“房総のダルビッシュ”と呼ばれ、昨年のドラフト2位で西武に指名されながら、卒業前に無免許(仮免中)でのスピード違反で検挙され、一時入団も危ぶまれた選手です。
また、ドラフト指名時に児童養護施設育ちであることが報道され、話題となった選手でもありました。
その後謹慎の上何とか契約されて入団し、8月7日の二軍戦で僅か1イニングですがプロでの公式戦初登板を果たしたそうです。
本家のダルビッシュ投手自身、素行が問題視される中、日ハムが指名し、入団後に喫煙が問題になったこともありましたが、その後の活躍は周知の通りですし、巨人の坂本選手も中学時代に、地元関西では素質は誰もが認めてはいても進学先ではどこからも手が上がらず、先輩の口利きで青森の光星学院に進んだのだそうです。高校時代も本人曰く「やんちゃ」で遊びたくて、一時野球から離れた時期もあったのだとか(監督が中学時代の友人たちに手を回して、彼らに付き合ってもらえず、結局青森に戻ったそうです)。
「ちょいワル」を賛美するつもりは毛頭ありませんし、彼の素行が誉められたことでないのは勿論ですが、児童養護施設育ちという辛かったであろう少年期があればこそ、何とかプロとして大成して欲しいと陰ながら応援しています。
NTV系列の“のどじまん ザ・ワールド”。
不定期のスペシャル番組として、年に2回くらい放送されているのでしょうか。次女が好きなので、自然と我々も見るようになりました(同様にハモネプも)。
J-Popを外国人の人が歌うのですが、歌唱力は、パワーなど日本人以上であることは別に驚きませんが、アジア系の人たちのように同じ骨格(特に頭蓋骨の響きが同じ)ならともかく、そうではない筈の欧米人の方たちの日本語の発音の良さにいつも驚かされます。それに加えてのパワフルな歌唱力があれば、旨いのも当然か・・・
そうした中で、次女に拠れば、元々番組出場前からYou Tubeで評判だったそうですが、番組での優勝者が日本でCDデビューをしたのだとか。
先日ツタヤがDVDの準新作や旧作レンタル100円というので、家内がDVDを探している間に、私メは特に借りたいDVDが無かった(対象外の新作扱い)ので、May Jのカバーアルバムを借りたかったのですが、生憎全てレンタル中。そう言えば、娘がダビングして欲しいと言っていたと聞いたのを思い出し、そのCDを借りることにしました。
後で、CDが高かったとブツブツ言うので、「だって、借りて欲しいって言ってたジャン!?」と家内に言うと、「これじゃないけど・・・」。「えェー!?」と絶句。聞けば、ここでCDデビューしたもう一人の優勝者であるNicholas Edwardsとか・・・。(トホホ)
一応、ダビングしてもらうことにしました。
すると、ダビングしたCD-Rを、家内がポータブルオーディオではなく、わざわざリビングのオーディオシステムで、珍しくも自分でセットして聴いています。
「へぇ~、珍しいジャン!」
「やっぱり、イイ音するわヨねぇ~」
「そりゃ、当然でしょ!」
「家族になろうよ」(福山雅治)、「たしかなこと」(小田和正)、「僕が一番欲しかったもの」(槇原敬之)、「旅立つ日」(JULUPS)、「奇跡を望むなら」(JUJU)、「未来へ」(Kiroro)、「さくら」(森山直太郎)など全13曲。オリジナルに捕らわれず、どれもちゃんと自身のものにしていることに感心させられます。
彼は、元々音楽一家に育ったアメリカ西海岸出身のソウル・シンガーだそうですが、ケーブルTVで聴いたJ-Popの虜になり、最終的には日本に移住までしてしまったのだとか。
さすがに鍛え上げた黒人特有のソウルフルな歌唱の中にも、柔らかで優しいハイトーンの歌声に、選曲の良さとも相俟って何とも心温まるアルバムで、まさにハートフル。家内が、「これ(借りて)良かったネ!」と言いながら、毎日のように聴いているのも頷ける気がします。
先ずは、怪我の功名ということで・・・。ヤレヤレ。
【追記】
・・・と、後日、娘に聞くと「えっ?クリス・ハートでイイんだってば!」とのこと。「なぁんだ、合ってるんじゃん!」
但し、既に本人はYou Tubeからダウンロードしてあるのだとか(あっ、そ)。
奥さまが娘の所に上京して不在になると、休日はともかく、平日は一人でぜ~んぶ対応しないといけないので、朝7時に出社するためには、これが結構大変です(新聞を読み、コーヒーを楽しむ時間確保も含めて、分刻みの作業スケジュールとなります)。
普段は、この時期だと5時半頃に犬の散歩に出るのですが、一人の日は、とにかく明るくなったら出かけ、戻ってケージの掃除とエサやりと、母の一日の食事とお茶の準備と、日によってはゴミ出しをしてからの出社となります。
そのため朝は4時起きですが、6月末の夏至を過ぎて、この時期ですと30分ほど明るくなるのが遅くなっていて、出来れば4時半に出たくてもまだ薄暗いので、5時頃になって“漸く”チロルとナナを連れて散歩に出掛けることになります。
ご存知の通り、太陽を回る惑星地球の公転の軌道と自転の軸の傾きにより、日照時間の最長最短は、夏至と冬至の6月下旬と12月下旬。本来であれば、太陽光の照射する単位面積あたりの熱量は時間に比例するので、その夏至と冬至が最大最小の筈ですが、気温の最高最低は、調べた訳ではありませんが、体感的にもこれとズレて8月と2月頃という感覚です。
これは、太陽光により暖められた空気や地面や海水に次第に熱が蓄えられ、或いは放熱され、その結果気流なども季節的に変化していくために、こうした日照時間と気温の上昇下降のズレが起こるのでしょうが、何となく頭では分かっていても、朝の散歩や、日の出日の入りまでが作業時間というお百姓さん的(私メは週末だけですが)には、何とも感覚的に気になってしょうがありません(もしかしたら、単に年を取って暗い内から起きているせい?)。まぁ、どうでも良いことではありますが、温暖化のせいなのか、ゲリラ豪雨があったり、猛暑日が続いたりと、日本列島は今年もうだるような暑さです。
私も、数年前のお盆休みに果樹園の草刈をしていてフラフラになったことがありましたので、その後はこまめに水分補給をするなど、熱中症対策には気を付けています。
その立秋の頃でしたが、夜の庭で初めて「スィーッチョン」というウマオイの鳴き声が聞こえました。そして、今ではコウロギも盛んに鳴いています。猛暑の中で、季節は間違いなく秋に向かっているようです(写真は道端に咲いていた月見草。マツヨイグサですが、何となく秋の風情を感じます)。
まだまだうだるような暑い日が続いています。
麺好きにとって夏の中華麺の定番と言えば、何と言っても冷やし中華でしょうか。個人的には、しゃぶしゃぶでもそうですが、ゴマだれよりは甘酢醤油の方が好み。
昔は、夏以外に食べたくても店頭にはなく、その意味では山下洋輔さんや確か岡林信康さんらが作った「全日本冷やし中華愛好会」に大いに賛同し、私メも「ざる蕎麦は年中あるのに、ナンデ冷やし中華は夏しかないんだぁ!一年中冷やし中華が食べたぁい!」と常々思っていました。
そんな先達のご尽力か、最近ではスーパーに年中並んでいるような気がします。また、最近は韓国料理店も増え、韓国冷麺や盛岡風冷麺などの袋入りの生麺も店頭にあるので、本格的な冷麺も手軽に食べられるようになりました。
河原町の飲食店が集まっていた「味ビル」とか、もう無いのでしょうか?(そう言えば、最近丸善京都店が復活との記事を新聞で読みましたが、閉店していたんですね)。そう言えば、京都ではもうじき五山の送り火ですね。
さて、冷やし中華とラーメンの一番の違い。
それは、ラーメンは、具やスープなど、やっぱり専門店で食べるものと家庭では大違い(プロには適わない)なのに対し、一方の冷やし中華は、載せる定番の具が、キュウリやトマト、錦糸卵(炒り卵でも可)、ハムや叉焼などをただ切るだけなので、家庭で作ってもあまり大差が無い、ということではないでしょうか(店によっては、クラゲなどの高級食材をトッピングしたものもありますが。また冷たい「つけ麺」はあっても、冷やし中華がメニューに無い有名ラーメン店も結構あります)。
でも、「あまり変わらないかも・・・」と思っても、そして「やっぱり変わらなかった・・・」と後でガッカリするにしても、何となく専門店の(プロの作る)冷やし中華も一度は食べてみたい気がします。
【追記】
・・・ということで、3店ほどで冷やし中華を食べてみました。
所謂専門店には最近流行りの「つけ麺」はあっても冷やし中華はメニューに無く(「冷やしラーメン」があったので、頼んだら冷たいスープの中華そばでした)、昔ながらの中華料理のチェーン店(長野県ではお馴染みの「ラーメン大学」、諏訪中心に根強い人気を持つ「テンホウ」、「幸楽苑」)でオーダー。
でも、私的結論は「やっぱり、あんまり変わらないなぁ・・・!」という溜息で終わりました。
290円のラーメンが売りの全国チェーン店も含め、冷やし中華はどこも620円~650円という価格設定。味は甘酢の醤油ダレで、トッピングも1店舗だけがくらげが乗っていましたが、あとは特別な食材は無く、キュウリやトマト、ワカメやチャーシュー(或いはハム)の細切りに、店によっては錦糸卵と紅ショウガといたって普通。値段も決して安くもなく、もう外食はこれっきりにして自宅で食べようと思いました(と分かっただけでも、まぁイイか!)。
写真の冷やし中華はお店のもの(珍しく春雨がトッピングされています)と定番の東洋水産のマルちゃん「冷やし生ラーメン」(なぜか、関西の冷麺を意識してか、「冷やし中華」じゃないんですよね)。
4月21日の季節外れの雪とその後の低温被害(霜害)に見舞われた松本地方。野菜や果樹にも、場所によって大きな被害が出ましたが、果たして今年のスイカの出来はどうでしょうか?
一度目は、親戚へ贈るのと、自宅用の購入。贈るのは、一番大きな5Lサイズ(2800円)。自宅用は、まだ市場に出回っていないという、少し楕円形の「紅まくら」を薦められて購入。確かに、その名の通りやや細長くて枕のようです。何でも、新種で普通のスイカよりも、シャキシャキとしたシャリ感(スイカではなぜかこう言います)も甘さも(多少値段も)上だとのこと。
たまたま、テントで働いていた農家の方の中に、4年前に定年退職された会社のOBの方がいて、お互いビックリ。何でも、一年間の収穫が集中するこの時期、親戚に頼まれて朝5時の収穫開始からアルバイト的に手伝っているのだとか。
今年は冒頭の低温被害で、霜に弱い瓜科のスイカもやられて、植え付けたばかりの苗が全滅に近いほど枯れてしまい、その農家は植替え用に採ってあった苗を急遽改めて植え付けたのだとか。10日ずれると、消毒も全部ズレてしまうので、管理が大変だったそうです。
早速帰宅後、新種の「紅まくら」を切って冷やしましたが、包丁の刃を入れた途端にピシっと割れ目が入ったのには驚きました。それだけ、内側に果肉が詰まっているということでしょう。もしかしたら、楕円形の球体なので、刃が入ったことで、中の圧力のバランスが崩れたのかもしれません。
夕食後の試食・・・う~ん、イマイチです。
熟れ過ぎなのか、期待ほどシャリ感も無く、皮に近い部分には粉コナしている部分(熟れ過ぎるとこうなります)もあり、甘さも格別という感じはしませんでした。期待が大きかっただけに、チョッピリ残念。
一週間後、帰ってきた長女夫婦と再訪。この日は県外車も含め大賑わいでした。先週は、2人ともそれぞれ海外出張で受け取れないとのことで遅れなかった、彼ら用のスイカの購入と、彼ら自身もどこかにお礼で送りたいとのことで、2個贈答用の発送を依頼。その間、何もすることのない私メは、今度は会社の後輩が奥様と来られていて、スーパーで時々会うミニチュアダックスも一緒だったので、ご夫婦と話をしながらワンコに遊んでもらいました。アリガトネ!
そして我が家の自宅用に、今回は普通のスイカを購入。自家用の出物があまり無く、やや小さ目の3Lサイズ(2000円)を購入。
その日の夜。前回の「紅まくら」よりもシャリ感はありました。甘さもあります。でも、下原に代表されるこの地域のスイカ特有の、折れるほどのシャキシャキ感と甘さも、例年に比べるともう一つのような気がします。勿論、ここで買うようになる前の、スーパーで購入したものに比べれば鮮度も値段も直売所の方がはるかに良いのは勿論なのですが・・・。
まだ2つしか食べていないので、新種も含めて、たまたまの個体差なのかもしれません。でも、ちょっぴり残念。贈答用でお送りしたのが美味しければ、それで良いのですが。
出来れば、お客さんでテンヤワンでない時間帯に、販売されている生産者の方に(その場で購入し持ち帰るスイカは)選んでもらうのが良いと思います。その道のプロですので、色艶形は勿論ですが、叩いただけで瞬時に判断して、並んでいる中から一番美味しいのをちゃんと選んでくれますから。
いずれにしても、果樹や野菜など、お天道さま相手の農産物は、その年の天候次第で出来が異なりますので、なかなか人間の思い通りにはいきません。
お盆明けにはスイカの旬も過ぎ、今年の直売所での販売も終わるでしょうから、もう一回くらい自宅用を買いに行こうかと思います。何しろ、(この時期は)“スイカが主食”とのたまう御仁が居られます故。
NHKの大河ドラマ「八重の桜」を結構見ています(と言いながら、昨晩は食事準備の後、奥さまのご帰宅を待ちつつ、うたた寝をしてました・・・)。
「じぇじぇ」同様(テーマ曲は素晴らしい!特に東北地方の高校は、甲子園の応援歌にも使えそうですね)、NHKが東北復興支援として企画制作されたものとか。
辛口コメンテイターの奥様も「綾瀬はるかって、やっぱり上手いね~」と感心をされています。天然部分もあるのか、硬軟両刀使いとお見受けします。また、原発事故で苦しむ地元福島出身の西田敏行さん演じる西郷頼母の 「何としても会津を守る」という“想い”も、時空を越えて鬼気迫るものを感じました。
その「八重の桜」。日本中で好評の中で、唯一山口、鹿児島県では視聴率が低いと聞きましたが、ストーリー上悪役扱いにならざるを得ないので、しょうがないでしょうね、やっぱり。
今も会津に息づくという「ならぬことはならぬものです」に形容される「什の掟」を通じ、その辛抱強さ、我慢強さに、また有名な「なよ竹」の辞世の句を知ってはいても、ドラマの中で映像として見ると改めて共感と涙を誘います(西軍藩士の中にも、西郷家婦女子自刃の場に遭遇し、死に切れずに苦しむ長女細布を味方と偽って介錯した者や、囚われた婦女隊の一員神保雪に自刃のための脇差を渡した者など心ある武士もいましたが)。特に、薙刀だけで戦った婦女隊で、銃弾に打ち抜かれた中野竹子が辱めを受けぬようにと、その場で介錯し首級を持ち帰る母と妹の実話は、何とも辛いものがありました。
薩長から朝敵と看做されての戊辰戦争に敗れ、戦死者は埋葬も許されずに野晒しにされ続けた上、会庄同盟として一緒に戦った庄内藩への寛大な措置(感謝した地元は、南州神社を建てて奉っています)とは対照的な厳しい処分により、極寒不毛の下北半島に追いやられ、その後も辛酸を舐める会津藩。
シンガポール駐在中に親しくさせていただいた金融会社の支店長さんが鹿児島県のご出身で、以前福島県内の支店(会津若松?)で支店長をされていた時に、鹿児島出身であることを隠して営業をされていたと真顔で仰っていました。
また、今から20年以上前だったでしょうか、山口県の萩市が会津若松市への姉妹都市提携の申し入れをした際に、「ご先祖に申し訳が立たぬ」と会津若松から拒絶されたと報道されました。
その時は、100年以上も経って「何を今更・・・」と正直思わないでも無かったですが、知識としてではなく(演技であっても)実際に映像でこうして見ると、「やっぱり、そうだよなぁ・・・」と感慨深く、東北人ではなくとも何となく理解出来るような気がします。
「ならぬことはならぬものです」という頑とした一徹さも、ある意味、今の日本社会全体に必要なことなのかもしれません。
街中のアスファルトの割れ目の僅かな隙間から生えた植物。巷では“ど根性××”と呼ばれ、以前は新聞報道等で話題になりましたが、最近では余り目にしないので、もうそれ程珍しくないのかもしれません。
この時期は5時半頃に家を出ますが、我が家近くのお宅の道路脇。そこは、アスファルトを敷いた駐車スペースです。そのアスファルトがひび割れた隙間から、6月中旬頃にヒマワリが芽を出し、その後の梅雨のお湿り(東信地区の東御市などでは水不足が報じられましたが、松本地方は平年よりも降水量が多かったとか)、早めの梅雨明け後の暑さも手伝ってか、日毎にグングン伸びてきました。
そして、この7月25日。すぐ近くに生えている兄弟(姉妹?)たちにも負けない大きな花を太陽に向かって咲かせました。見掛けるのがいつも朝ということもあって、その名の通り東に向かって咲いています。(写真は七夕の7月7日と咲いた後の31日の様子です)
ヒマワリと言えば、いつ見たのか覚えていませんが、画面一杯の旧ソ連のヒマワリ畑と、立ち去るソフィアローレンの顔を思い出します。それもその筈で、Wikipediaに拠れば、ロシアではロシア正教会の或る儀式(斎)の期間は油脂食品の食用が禁止されるのだそうですが、原産地の新大陸からスペインに運ばれ、フランス経由でロシアにも伝わっていたヒマワリは、その頃(17世紀)まだ教会の禁止リストに無く、そのため堂々と食用が認められた結果、民衆にも拡がり常食化したとのこと。旧ソ連邦である、ロシア、ウクライナがヒマワリ生産の世界1・2位で、食用油採取用に栽培され、ロシアの国花にも制定されているそうです。
またその種子は、シンガポールの中華レストランでの料理の前のつまみとしても良くテーブルに置かれていました。中国系の人たちの大好物で、彼らは手を使わずに口の中で器用に種皮を剥いて食べていました(皮はペッとテーブルに吐き出しますが、中華料理では汚すのは美味しかった証とマナー違反にはなりません)。食べ方(舌を使った種皮の剥き方)を教えてもらいましたが、“年季”の違いか真似は出来ませんでした。
真夏のヒマワリ。向日葵という名が相応しい夏の花。“ど根性”と呼ぶにはおこがましい程、いたって“普通に”元気です(写真の最後はお盆の様子。さらに太くなってアスファルトを盛り上げています)。