カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 「ネェ、久し振りにお寿司でも食べに、成田へ日帰りで行ってみない!?」という急な問い掛けに、「行く、行くぅ~!」と即答。

 その日は、日曜日の早朝6時の高速バスで上京しました。
そのために、朝4時半からチロルとナナの散歩をし、母の一日分の食事の支度など慌しく準備を済ませ、松本ICの駐車場(高速バス利用者は一日300円)に車を停め、新宿行きの高速バスに乗り込みました。   
 途中双葉のSAで休憩し、渋滞も無く予定通りの9時半に新宿駅西口到着。
まだ早かったので、久し振りに東口の「ベルク」で朝食です。この夏で23周年とか。この日も朝から結構込んでいました。初めての奥様は物珍し気(そうか、東京での学生時代には、まだベルクは無かったんだ)。

日暮里から京成で成田へ。昼食には少し早かったので、二人で先ずは成田山へ参拝。途中、「川豊」(本館)には、土用の丑も近かったせいか11時半にして既に行列が・・・。但し周辺の鰻屋さんは、必ずしもそうでもありません。如何にも老舗然とした風格ある木造の3階建てですが、それにしても大したものです。家内によると、ここのウナギは蒸し方やタレに特徴があるのか、割りとアッサリしていて、むしろ下諏訪の「小林」の方が彼女は好みだそうですが、こればっかりは食べてみないと評価は出来ません。
元々地元印旛沼の鰻が江戸時代から成田山への参拝客に人気だったことから、今でもこの参道沿いだけで、旅館やお蕎麦屋さんなども含めれば60軒近くも鰻を供する店があるそうです。但し、今ではさすがに印旛沼産ではなく、浜名湖産の国産(養殖)鰻を売りにしているお店が多いとか。因みに、土用の丑を前に“鰻祭り”実施中とのことで、“成田はウナギの街”だそうです。
成田山表参道、風情ある町並みが続きます。途中、松本で言う本瓜(白ウリ)の塩漬けの漬物があり、昔懐かしくて自宅へのお土産に購入しました。成田で有名な古漬けの「鉄砲漬け」にする前の、緑色をした浅漬けです。芯に鉄砲漬け同様にシソが詰まっています。大きなものは一本400円でしたが、やや小ぶりの二本で500円を購入。
 成田山新勝寺へお参りを済ませ、帰りは和菓子の「なごみの米屋(よねや)」総本店の茶房で少し涼んでから、娘と一緒に久し振りに「江戸ッ子寿司」へ(今回は、食後の移動を考えて駅に近い支店の方にしました)。
昼のセットメニュー二人前と、お好みでの握りをオーダー(勿論生ビールも)。
私は、念願のイワシ、コハダ、シメサバと光物中心に(セットの中には鯵も入っています)。特にイワシは、魚偏に弱と書くように直ぐに鮮度が落ちてしまうので、信州だと寿司ネタではなかなか食べられません。夏からがイワシの旬の時期だそうですが、以前(2年前?)に比べるとプリプリ感はもうひとつだったでしょうか?でも新鮮ゆえあっさりと酢で締めたコハダが絶品!で、シメサバも脂が乗って甘く、どれも美味しくて満足しました。今度いつ来られるか(食べられるか)分からないので、意地で食べ(過ぎ)て満腹に。
ここの寿司は、新鮮さもさることながら、少なくとも松本で食べる寿司屋の倍以上もある(回転寿司なら3倍?)大きなネタ(シャリはふわっと握られ、ご飯は少な目)が特徴。圧倒されます。
それにしても、イクラとかサーモンなど“お子ちゃまネタ”しか(松本では?)食べられなかった筈の娘が(家内と何度か来た結果、今では)、キンメ(炙りで!とご注文)、ヒラメ、同エンガワ、追加で「岩ガキも頼んでイイ?」とオーダーしたのにはビックリ。
「いやぁ、炙りですか、通ですなぁ・・・」。締めにかんぴょうとのこと(ナルホドなぁ)。食わず嫌いも、やっぱり本物を食べると違うんでしょうね。イイことです。地元であっても、一人ではいつ食べられるか分からないでしょうから・・・。娘も満足したようで、遅番の業務へと先に空港へ出勤して行きました。
「じゃあ、会社行くねー」
「うん、頑張れヨー!」

 帰路は、五反田で長女夫婦と待ち合わせて、早めの夕食を一緒にしてもらい、我々は高速バスで松本へ。彼らは封切られたばかりの「風立ちぬ」を見に行くそうです。
「しかし、何で堀辰雄と堀越二郎が一緒になっちゃう訳!?
「それに、出会ったのは軽井沢でも、サナトリウムは富士見の高原病院(注記)でしょうがぁ!」
「ダメだ、もう酔ってるぅ!」と無視されてしまいましたが、でもなぁ・・・。
「じゃあ、次、手取川いってみるぅ~?」
「もう、だめって言ったら、ダメー!!」
と、女性二人から即座にダメ出しが・・・。

 日帰りで慌しかったのですが、(私メは)久し振りに娘たちにも会え、美味しいものも(私メも)食べられたので、身も心も(私メは)満腹になり、帰りのバスでは熟年、いえ熟睡夫婦で、あっという間の松本ICでありました。
【注記】
現厚生連富士見高原病院。富士見の事業所勤務時代、産業医派遣等でお世話になりました。
老朽化に伴う新病棟建設時に、「風立ちぬ」の舞台ともなった旧結核病棟(サナトリウム)を何とか保存したいという記事が、昨年でしたか、地元紙にも掲載されていましたが、果たしてどうなったのでしょうか?
「風立ちぬ」の後に続くのは、「いざ、生きめやも」・・・だったでしょうか。
『♪ さまざまな人生を抱いたサナトリウムは やわらかな陽溜りと かなしい静けさの中 』
なぜか、さだまさしの「療養所(サナトリウム)」を思い出します。