カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 上京するため朝慌しくてiPodを忘れ、留守録音も出来ず、聴けなかった7月21日放送のNHK-FM「きらクラ」。
翌月曜朝の通勤時に、再放送を小一時間だけ車の中で聞くことができました。この日のお目当ては、ゲストのピアニスト小菅優さん。
内田光子以来日本人で二人目となるリサイタルを、2006年のザルツブルグ音楽祭の本番で行い、2010年同音楽祭ではヘレヴェッへ指揮カメラータ・ザルツブルグの演奏会に(それも、あのイーヴォ・ポゴレリチの)急遽代役として協演し現地で絶賛を浴びたという注目の若手ピアニスト。何年か前にはSKFへも出演している筈です。

 昨秋のカメラータ・ザルツブルグ日本公演でのソリスト(モーツァルトのピアノ協奏曲後半8曲を連続演奏)も務めたのですが、残念ながら松本公演には地元縁の演奏家登場で、彼女は同行しませんでした。

 ふかわさんと、ザルツブルグ留学時以来の友人という遠藤さんとのやり取りを聞きながら、一語一語択ぶように考えて話す小菅さんの誠実な人柄に惹かれつつ、最初に流れた彼女のCDからのベートーヴェンのピアノソナタ第14番「月光」第3楽章。
最初の、ジャ、ジャーンという和音に、まるで雷に打たれたような感じで、何故か涙が込み上げてきました。
その後も、何とも形容できない演奏に、視界が曇り、慌ててメガネを外して涙を拭いながら運転を続けました。
演奏が終わり、溜息をつきながら「これまで“月光”は色んな演奏家で聴いていますが、素人が偉そうな言い方で失礼ですが・・・」と前置きをされての「凄いです!」と言ったふかわさんの感想が、個人的にも、まさに正鵠を得ていたように思います。

 「一体何なんだろう?・・・。」
これまで、日本やシンガポールでも、ミッシェル・ベロフやダン・タイ・ソンを始め著名ピアニストの生演奏を、そしてLPやCDでもリヒテルやルビンシュタイン、ホロヴィッツ、バックハウス(古い人ばかりですが)、そしてグルダや内田光子、ペライア(3人共全てモーツアルトの20番)などの有名ピアニストの演奏も聴いている筈ですが、感動はしても、こんな感覚は、恐らくシンガポールで聴いたロシア人女流ピアニスト(お名前失念)のアンコール曲の演奏以来。

 上手く説明できないのですが、巨匠然とした訳でもなく、超絶技巧に感嘆した訳でもなく、でも痛い程の曲への彼女の一途な想いが込められた、その一音一音に魂が揺さぶられるほどに感動した、とでも表現すれば良いのでしょうか?・・・。

 僅か10歳の“女の子”が自らの意志でドイツに留学し、コンクール優勝暦という肩書きも無しに、現地での地道な演奏会活動を通じて日本よりも先ず欧州で認められ、まだ弱冠30歳という若さながら、何とも凄いピアニストがいるんだなぁ!・・・と、暫し感嘆符が頭の中から消えませんでした。機会があれば、生演奏をいつか絶対に聴いてみたい、そんなピアニストのお一人です(他に聞いてみたいのは、上原彩子・菊池洋子さん。このお三方、日本人の若手女流ピアニストの“三羽烏”でしょうか?後は、やはりドイツを拠点とする河村尚子さん、そしてもう一人、FMでリサイタルを聴いた小林愛美さんの将来に興味津々・・・。こうして見ると、女性が元気ですね)。
 ・・・ということで、全くの偶然ながら、何と来月(9月21日マチネー)、家内の実家のある茅野市の茅野市民館にリサイタルで小菅優さんが登場します。それも彼女が今一番惹かれているというベートーヴェンの、「悲愴」と「熱情」にシューマンの「幻想曲」というプログラム。“作曲家の心と出逢うピアノの調べ”と題されたリサイタルですが、「きらクラ」の放送を聴いて、まさにそんな気がしました。僅か300席のホールでという、何とも贅沢なコンサートを(家内の実家へも久し振りの挨拶がてら)聴きに行く予定です。

【追記】
“ムジカ・タテシナVol.6”と題された今回の小菅優リサイタル。
地域のプロモーター名か茅野市民館のコンサート企画名かどうか分かりませんが、これまでにも、僅か年1回?程度とはいえ、同じく若手実力派ピアニストの上原彩子(ピアノ分門での、女性初、且つ日本人初のチャイコフスキー・コンクール優勝者)、ギタリストの鈴木大介、(バロック)フルートの有田正広など、蓼科の別荘族を抱える茅野市ではありますが、ハーモニーホール(音文)とも共通するような結構唸らされる(≒玄人受けしそうな)コンサートを主催していました。たった300席のホールなのにと、感心しました。

 「ネェ、久し振りにお寿司でも食べに、成田へ日帰りで行ってみない!?」という急な問い掛けに、「行く、行くぅ~!」と即答。

 その日は、日曜日の早朝6時の高速バスで上京しました。
そのために、朝4時半からチロルとナナの散歩をし、母の一日分の食事の支度など慌しく準備を済ませ、松本ICの駐車場(高速バス利用者は一日300円)に車を停め、新宿行きの高速バスに乗り込みました。   
 途中双葉のSAで休憩し、渋滞も無く予定通りの9時半に新宿駅西口到着。
まだ早かったので、久し振りに東口の「ベルク」で朝食です。この夏で23周年とか。この日も朝から結構込んでいました。初めての奥様は物珍し気(そうか、東京での学生時代には、まだベルクは無かったんだ)。

日暮里から京成で成田へ。昼食には少し早かったので、二人で先ずは成田山へ参拝。途中、「川豊」(本館)には、土用の丑も近かったせいか11時半にして既に行列が・・・。但し周辺の鰻屋さんは、必ずしもそうでもありません。如何にも老舗然とした風格ある木造の3階建てですが、それにしても大したものです。家内によると、ここのウナギは蒸し方やタレに特徴があるのか、割りとアッサリしていて、むしろ下諏訪の「小林」の方が彼女は好みだそうですが、こればっかりは食べてみないと評価は出来ません。
元々地元印旛沼の鰻が江戸時代から成田山への参拝客に人気だったことから、今でもこの参道沿いだけで、旅館やお蕎麦屋さんなども含めれば60軒近くも鰻を供する店があるそうです。但し、今ではさすがに印旛沼産ではなく、浜名湖産の国産(養殖)鰻を売りにしているお店が多いとか。因みに、土用の丑を前に“鰻祭り”実施中とのことで、“成田はウナギの街”だそうです。
成田山表参道、風情ある町並みが続きます。途中、松本で言う本瓜(白ウリ)の塩漬けの漬物があり、昔懐かしくて自宅へのお土産に購入しました。成田で有名な古漬けの「鉄砲漬け」にする前の、緑色をした浅漬けです。芯に鉄砲漬け同様にシソが詰まっています。大きなものは一本400円でしたが、やや小ぶりの二本で500円を購入。
 成田山新勝寺へお参りを済ませ、帰りは和菓子の「なごみの米屋(よねや)」総本店の茶房で少し涼んでから、娘と一緒に久し振りに「江戸ッ子寿司」へ(今回は、食後の移動を考えて駅に近い支店の方にしました)。
昼のセットメニュー二人前と、お好みでの握りをオーダー(勿論生ビールも)。
私は、念願のイワシ、コハダ、シメサバと光物中心に(セットの中には鯵も入っています)。特にイワシは、魚偏に弱と書くように直ぐに鮮度が落ちてしまうので、信州だと寿司ネタではなかなか食べられません。夏からがイワシの旬の時期だそうですが、以前(2年前?)に比べるとプリプリ感はもうひとつだったでしょうか?でも新鮮ゆえあっさりと酢で締めたコハダが絶品!で、シメサバも脂が乗って甘く、どれも美味しくて満足しました。今度いつ来られるか(食べられるか)分からないので、意地で食べ(過ぎ)て満腹に。
ここの寿司は、新鮮さもさることながら、少なくとも松本で食べる寿司屋の倍以上もある(回転寿司なら3倍?)大きなネタ(シャリはふわっと握られ、ご飯は少な目)が特徴。圧倒されます。
それにしても、イクラとかサーモンなど“お子ちゃまネタ”しか(松本では?)食べられなかった筈の娘が(家内と何度か来た結果、今では)、キンメ(炙りで!とご注文)、ヒラメ、同エンガワ、追加で「岩ガキも頼んでイイ?」とオーダーしたのにはビックリ。
「いやぁ、炙りですか、通ですなぁ・・・」。締めにかんぴょうとのこと(ナルホドなぁ)。食わず嫌いも、やっぱり本物を食べると違うんでしょうね。イイことです。地元であっても、一人ではいつ食べられるか分からないでしょうから・・・。娘も満足したようで、遅番の業務へと先に空港へ出勤して行きました。
「じゃあ、会社行くねー」
「うん、頑張れヨー!」

 帰路は、五反田で長女夫婦と待ち合わせて、早めの夕食を一緒にしてもらい、我々は高速バスで松本へ。彼らは封切られたばかりの「風立ちぬ」を見に行くそうです。
「しかし、何で堀辰雄と堀越二郎が一緒になっちゃう訳!?
「それに、出会ったのは軽井沢でも、サナトリウムは富士見の高原病院(注記)でしょうがぁ!」
「ダメだ、もう酔ってるぅ!」と無視されてしまいましたが、でもなぁ・・・。
「じゃあ、次、手取川いってみるぅ~?」
「もう、だめって言ったら、ダメー!!」
と、女性二人から即座にダメ出しが・・・。

 日帰りで慌しかったのですが、(私メは)久し振りに娘たちにも会え、美味しいものも(私メも)食べられたので、身も心も(私メは)満腹になり、帰りのバスでは熟年、いえ熟睡夫婦で、あっという間の松本ICでありました。
【注記】
現厚生連富士見高原病院。富士見の事業所勤務時代、産業医派遣等でお世話になりました。
老朽化に伴う新病棟建設時に、「風立ちぬ」の舞台ともなった旧結核病棟(サナトリウム)を何とか保存したいという記事が、昨年でしたか、地元紙にも掲載されていましたが、果たしてどうなったのでしょうか?
「風立ちぬ」の後に続くのは、「いざ、生きめやも」・・・だったでしょうか。
『♪ さまざまな人生を抱いたサナトリウムは やわらかな陽溜りと かなしい静けさの中 』
なぜか、さだまさしの「療養所(サナトリウム)」を思い出します。

 「ブログネタが無い時は、グルメかペットの話題に限る」のだそうですが、前回登場からは時間も些か空いたと思いますので、ここで我が家の愛犬二匹の話題でご勘弁を。

 家を建てた年に玄関先に生まれたばかりで捨てられていたチロルも、今年で17歳になります。人間で言えば85歳!・・・でしょうか?
もうオバアチャンの老犬ですが、歳の割にはまだまだ元気。しかし、さすがに歳のせいで些かボケてきたのか、昔ほど反応が鋭くなくなり、寝てばかり。昔は、良くボールを口でくわえて持って来ては、投げてもらって部屋の中を走り回って追いかけてじゃれていました(家内からは一人と一匹に、いつもお小言を頂戴しました)が、ここ数年はとんとご無沙汰。時々ナナがじゃれているのにチョッカイを出す程度。

また、昔は庭に来る鳥にまで吼えていたのが、最近は猫が横切っても知らん顔。却ってナナの方が気付いて吠え出すと、チロルもやおら起き上がり・・・という感じです。
その意味では、昔より静かになり、ご近所迷惑の度合いも減ったのかもしれませんし、昔よりも警戒心が弱くなって来客にも慣れてきたので、それはそれで良いのですが、一方で歳のせいか、我慢が出来なくなりました。

 昔は、エサを作ってケージに置いても、「待て」をさせれば、こちらが「ヨシ」と言うまで何十分でも黙ってお座りをして待っていたのですが(時にはOKするのを忘れて、気が付いたら30分もそのまま食べずにいたことも)、最近はこらえ性が無くなり、準備の段階から吼えて催促をする始末。ウルサイ!と叱っても、暫くするとまた吠え出します。今でも「待て!」はしますが、果たして昔のように何十分でもそのままお座りして待っているかどうか・・・?
それだけなら未だしも、じっと大人しく待っていたナナでしたのに、最近のそんなチロルをいつも見ているせいか、近頃ではエサの準備中にナナも催促をするようになってしまいました。
こちらは吼えずに、エサを準備していると伸び上がって前足で早く、早く!と掻くような仕草。まぁ、見ようによっては可愛らしくも見えますが、躾的には困ったものです。そして、準備が終わり運ぶ際に、お互いのケージへダッシュするスピードも脱兎の如くで、今ではナナの方が早いかも・・・。ヤレヤレ。困ったもんだ!(最近の暑さで、ナナは“だれぱんだ”しています)

 一年振りでしょうか、それまで年2巻出版されていた「みをつくし料理帖」ですが、著者の取材中心の充電期間ということで間が置かれ、この6月末に漸く第8巻「残月」が時代小説文庫(ハルキ文庫)から出版されました。そのためか、今回の全4話は初夏から冬までと、ストーリーがほぼ一年近くになっています
新聞の新刊書広告で知り、直ぐに買い求めたものの、勿体無くて(時間が無く、その前に買った本もまだ読み切れず)暫くそのままになっていましたが、我慢ならずに手に取りました。でもやはり読み続けるのが勿体無くて、少しずつ、時間を置いてはまた少し、と余韻に浸りながらも遂に読み終えてしまいました(今回もじっくりと2回読み返し)。
今回で言えば、ご寮さんが漸く幸せになれそうで良かったです(ご寮さんの、例えば第1巻?での、大水で天涯孤独となって浮浪者のようにさ迷う澪を救う際にも見せた気風の良い啖呵のような、大店の女将さんとしての凛とした強さを持ちつつも、普段は関西弁が柔らかくて暖かで、これまで何とも癒されてきました)。
       
 驚天動地のドラマ性や、どんでん返しの意外性といったものではなく、ただ淡々と江戸の市井に暮らす、元々赤の他人だった人たちの日常の“事件”の中で、縁あっての触れ合いや肉親以上の暖かな思いやりが、じーんとそしてじわじわと暖かくなっていくような、何とも心暖まる小説だと想います。但し、ストリートしての“下拵え”は、澪の創る料理同様良く練れていて、例えば「剥き物」(細工包丁)をそのヒントに使うところや、進むべき道に迷い澪が初めて引いた御籤に書かれていた一文と一柳の庭で見せられた雪下の青い麦など、「巧いなぁ!」と唸らされます。

 昨年秋でしたか、スペシャル番組としてTVドラマ化もされましたが、主演の澪役(北川景子嬢)がキレイ過ぎて(あさひ太夫なら分かります)、文字から想像する自身の映像イメージが壊れそうで、敢えて見ませんでした。
今なら澪役は、うーん、硬軟自在の綾瀬はるか嬢か、(最近画面であまり見掛けませんが)上野樹里嬢でしょうか(それでも二人共「下がり眉」には程遠い)?。またご寮さんには、イメージ的に、昔だったら新珠三千代か藤村志保、今なら真野姉妹かな?。
但し、やはり愛読者(最初お互い知らずにいたので、二人共別々に買っていました)である次女によれば、TVドラマも良かったそうです。

 先に読み終わったので、この「残月」も次女に送ってあげることにします。

  もう3年以上も使ってきた、クレソンの水耕栽培用の水槽。
・・・と言っても、冷凍食品か何かの入っていた、ただの発砲スチロールの箱。保温効果もありそうで便利だったのですが、夏場はアオコが発生するので、水の交換の際に、毎回タワシやスポンジで磨いて清掃していましたが、最近ではゴシゴシ拭いてもなかなか緑色が落ちず、さすがにボロボロ欠けてきてしまいましたので、ここで交換することにしました。
発砲スチロールの箱は他に幾つもあるのですが、屋外ではやはりアオコの発生は避けられないので使うのは止めて、メダカや金魚飼育などに使う水槽を新たに購入することにしました。

 ただ、最初の箱の大きさに合わせて防虫網の木枠を自作してあるので、大きさが大体同じ容器がでないといけません。現状と同じ大きさ(W400×D300×H150)の容器をホームセンターで探してみると、ペットショップ売り場の金魚やメダカ飼育用の水槽には適当な物が無く、店内をあちこち回って見つかったのは、台所用品売り場にあった昔で言う「米びつ」。

透明なプラスチック容器(恐らく防虫用と思われる蓋付きですが、蓋は不要)で、角にRがついているものの、大きさはドンピシャ。
保温効果は期待できませんが、信州ではどっちみち凍ってしまうので構いませんし、プラスチックなのでアオコの掃除も簡単そうです。
そこで、早速入れ替えました。値段は(ポケットマネーで)1280円也。因みにスーパーで売っているクレソン(100円程度)の12束分?うーん、元が取れているのでしょうか?まぁ、プラスチック製なので何年も使えますが、それにしても・・・。
 でも、まだ新品ということもあるのでしょうが、アオコの発生も少ないようで、その後の水替え時の掃除の楽チンなこと!やっぱり、換えて正解でした。

 突然でしたが、7月10日の新聞に吉田(昌郎)所長の訃報が掲載されました。
知りませんでしたが、事故後食道癌で療養されていたとか。享年58歳。年齢も一歳ちょっとしか違わず、同世代の企業戦士の死でしょうか。

 勿論批判、非難もありましょう。また異論もありましょう。しかしながら、報道された情報しか持ちえませんが、現場を預かる者として大事故の責任は決して免れないにせよ、現場のリーダーとして、時に命令を無視してまで本社トップや時の無能な政権と対峙した様は、後方からの兵站も届かず、死を覚悟し一命を賭した戦時中の太平洋前線の指揮官を彷彿させるようであり、現場のリーダーとしての男の矜持を示したと言っても決して過言ではない、と同世代としてつくづく感心していました。
 大事故を引き起こした現場の責任者として、何十年後に事故の影響が消え去り、人が戻り、町が復興し元の姿になるのを見届ける義務をおそらくご自身に課していたであろうことを想像するに、その無念さは如何ばかりであったろうと拝察します。
安らかにと祈念しても、志半ばを思えば、おそらく 安らかには眠られず、氏の御霊は、原発のその後をきっと宙から見届けていかれることだろうと想います。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます-合掌

 この時期、五月の水田に植えられた早苗もすっかり成長し、草原のような青田になっています。もう間もなく、出穂を迎えることでしょう。

 少し高台などから一面の青田を眺めていると、この国の人工的な四季の美しさを感じます。まるで大きな湖面のようだった水を張られた田んぼは、今、稲が伸びて緑一面の大草原のようです。もうじき穂が出て頭を垂れ、やがて実りの秋になると黄金色に変わって行きます。そしてまた大地の色に変わる、という毎年繰り返されてきた、この国の「人と自然の営み」です。

 先日、会社の喫煙室から青々とした水田を見ていた時のこと。
その日は少し強めの風が吹いていて、水面(みなも)に波が立つ如く、風の通り道に沿って一面の青田に風が走って行きます。
それはまるで緑の水面に風が走り、波が立っているかのような錯覚を覚えます。歳時記では、この時期の青田に吹く風を「青田風」と呼び、立つ波を「青田波」と言うのだとか。何気ない日常の中での自分の小さな“発見”が、古来季語としてちゃんと認識されていたことを知り、ちょっぴり嬉しく感じた次第です。
こうして見ていると、大自然の営みではなく、人間の手の入った景観ですが、本当に美しいと思います。
恐らく、我々日本人がもっと誇っても良い景観でしょう。
シーボルトだったか、手入れの意行き届いた日本の田畑を見て、まるで庭のように整備されていることに感嘆したと言いますが、納得出来ますね。

 一陣の 風吹く水面や 青田波   (オソマツ)

 以前東京のお客様の所に伺った際、夜の会食でふぐ料理をご馳走になり、その時のふぐのヒレ酒に(勿論美味しかったのですが)、
「岩魚の骨酒も、このふぐのヒレ酒に決して負けていまっシェン!」
と大見得を切ってしまった(些か酔っていたので、もしかしたら岩魚の骨酒の方が旨い!などと豪語したかも・・・の)手前、そのお客様が6月末に信州へお越しになることになり、一緒に行ったメンバーからも「任せろ!って言ってたんですから、頼みましたヨ!」と念押しされる始末に、「えーっ!どうしよう・・・」。

 諏訪には、時々行った岩魚の骨酒を出してくれる割烹(第26話参照)もあったのですが、塩尻の事業所に来られてミーティングをし、その日は松本に泊まられるので諏訪までは行けません。そこでネットで探してみると・・・ありました!

 そのお店は、松本駅から北へ徒歩数分の中央1丁目の交差点近くにある居酒屋「一心」。以前何度か来たことがある店ですが、岩魚の骨酒を頼んだことはありませんでした。何でもご主人が渓流釣りの達人で、天然の岩魚(どの川も今では稚魚での放流だと思いますが)を釣って来て出してくれるのだとか。イヤハヤ“灯台下暗し”。
まだ一ヶ月も先だったのですが、早速“膳は急げ”とばかりに、一つしかない個室を予約し事情を説明すると、「大丈夫です!」との頼もしいお言葉。そこで気を良くして、ついでに、
「県外のお客様なので、出来るだけ“信州らしい”モノを中心にお願いしまっス!」
「その頃だと、ネマガリダケがあるかもしれないですね・・・」との仰せ。

 当日楽しみに行くと、山形村の長芋とメカブのサラダに始まり、馬刺し(霜降りと珍しい馬タン)、またご主人が釣って来られた岩魚の塩焼きと最近人気の信州サーモン(ニジマス×ブラウントラウト)のお刺身などの信州縁(ゆかり)の料理などに混じってネマガリダケも。やはり焼いただけで、マヨネーズと味噌を付けていただきます。柔らかくて甘味もあり、やはりシンプルに焼くのが一番。このネマガリダケも、栂池や小谷方面まで毎年ご夫婦で採りに行かれるのだそうです(今年は事情があり、知り合いに頼んで取り寄せたそうです)。
その間、生ビールは皆さん一杯だけで、早く骨酒を所望!とのこと。早速お願いすると、岩魚の形を模した片口の器に入った塩焼きの岩魚一尾に三合の熱燗が注がれています(三合1800円)。岩魚のエキスも出て、やや黄味を帯びて、香ばしくてまろやかで何とも美味。「旨いなぁ!」と皆さんも口々に。一匹の岩魚で3回までは注ぎ足し可能。足りずに追加を繰り返し、最後はご主人がサービスで一匹追加してくださり、合計三合×9回と相成りました。

 お聞きすると、骨酒用の岩魚の塩焼きは、遠赤外線で3時間近くじっくりと焼き上げた(炙る)のだとか。そうすることで余分な脂が飛んで、生臭さが消えるのだそうです。
だとすると、時々スーパーに並ぶ「養殖岩魚」を買って来て家で焼いても、こうは美味しく飲めないことになります。ナルホドなぁ、奥が深い・・・。
家庭でもじっくり焼く手立て(或いは自家製の燻製)があればですが、それ用の燻製(以前梓川SAの上り線側で売っていたのですが、最近では棚から消えてしまいました)を買って来た方が良いようです。
皆さん、飲み過ぎた(一人優に5合飲んだ計算!)と言いながらも、信州らしい料理と岩魚の骨酒に大いに満足いただけたようで、何よりでした。
【追記】
翌朝起きてみると、あれ程日本酒を飲んだにしては、頭の痛さも無く、実にスッキリとしていました。岩魚のエキスが効いたのか、或いは沸騰直前のチンチンの熱燗を注ぐので、多少アルコール分が飛んでいたのか・・・?
もし冷酒で同じ量だと、こうはならない(朝起きると頭がズキズキしている)ので、ビックリでした。
岩魚の骨酒って、体にイイかも~♪(って、そんな訳ないか・・・)。

 先日、我が家の庭先にもホタルがスーッと一匹、青白い光を点滅させながらやって来て、ハナミズキの葉に停まりました。
そこで、早速家内もベランダに呼んで、二人でホタル鑑賞です。「青白い」と形容しますが、実際は黄緑色っぽい光が光っては消えて行きます。何だか、そこだけ、時間が静かにゆっくりと流れて行くようです。

 家内によれば、田んぼなどでの農薬使用が減ったこともあるようで、最近あちこちでホタルが見られるようになり、松本市内でも市街地のショッピングモールに隣接した公園などでも見られるそうです。
恐らくそれに加えて、下水道整備で昔のように川に家庭の雑排水が流れ込まなくなり、また環境意識の高まりでビオトープ化など自然への配慮が各地で進められてきたことも、エサとなるカワニナの生息拡大と共に大きいのでしょう。
そう言えば、子供が小さい頃通っていた塾近くの女鳥羽川も昔からホタルが生息しており、帰国後、シンガポール育ちで見たことも無い子供たち(帰国子女の弱点は、社会と理科だと思います)を連れて皆でホタル鑑賞に行った記憶がありますし、最近では街中の中央図書館横を流れる川でもホタルが見られるそうです。
      
 家内に聞くと、英語でホタルはFirefly或いはLightning bugとか。
「それって、要は、ただのハエ(fly)とか“お邪魔虫”ってことジャン!」
夕涼みで、ホタルの淡い光を愛でて、その消え行く光に小さき命の儚さを想う・・・なんぞという風流な感覚は欧米には無いのでしょうか?
そう言えば、かの藤原正彦先生に拠れば、コオロギや鈴虫など「秋の虫の音」などは、欧米人にはただの雑音にしか聞こえないと言いますし、“古池や”の句で連想する蛙の水音は、ポトンと一匹ではなく、ドバドバと100匹近くなどだとか・・・(あれ程日本を愛し理解したであろう八雲でさえ、fogsと訳したのだとか)。
“光るハエ”や“点灯するbug”じゃあ、何だか直ぐに殺虫剤でも噴き掛けられそうです。
      
 でも、シンガポール駐在中に、家族で行ったニュージーランド旅行(来た島中心にレンタカーで廻ったのですが、まだ幼かった娘たちには「また羊しかいない・・・」と、甚く不人気でしたが)。
北島のワイトモ・ケーブだったかの土ボタル(ホタルとは別種)は、洞窟の暗闇の中で、天上がまるで星空のように煌く青白い幻想的な光で、人気の観光スポットにもなっていたのですが・・・。
そう言えば、ニューギニアだったか、無数のホタルが集まる「蛍の木」があるそうですね。

 朝の通勤時間帯は、当然のことながら子供たちの通学時間帯でもあります。
以前電車通勤の時は、松本駅までは(バスが無く)車で通っていました。
駅までの途中で市内の文教地区を通るため、小中高生が通学しています。
ドライバーとしては、横断歩道での停止と自転車に気を付けるのが、エチケットでしょうか。

 松本市内の小学生は、多分学校で指導されているのか、手を挙げて渡り終わるとくるっと振り向いて、横断歩道で停まってくれたドライバーへのお礼で90度近いお辞儀をしてくれます。それはそれで嬉しいのですが、以前お辞儀をした3年生くらいの男の子。ランドセルがロックされておらず、お辞儀と同時に中の教科書やノートなどが一緒に落ちてきたのにはビックリ。こちらはどうしようもなく、発進しながらただ後ろを心配するだけでしたが、微笑ましい思い出です。

 上田へは車通勤に変わり、片道36km程の道のり。
家から暫くの間と、三才山峠を下ってからの上田側の道路には通学の子供たちが歩いていて、特に会社近くには東塩田小学校も道沿いにあります。田舎道は歩道が無い箇所もあるので、スピードを落とし注意しながら横を通り過ぎます。特に自転車には気を付けて。

 そんなある日のこと。塩田の下之郷地区の田んぼの中を走る幹線道路の信号機の無い横断歩道で、脇道から自転車通学の中学生の男の子たちが3人、横断歩道の右側に立っていました。反対側車線では一台の車がハザードを点けて停車しました(使い方として正しいのかどうか分かりませんが、前後方の車に気付かせるためには効果がありそうです)が、こちらの車線は気付かないのか、前を走る2台は停まらずにそのまま通り過ぎて行きます(家内もそうですが、女性ドライバーは前方に集中し過ぎて視野が狭まるのか、とかく横断歩道に立っている人間には気付かないことが多いようです)。
「おい、おい、停まってやれよー・・・!」
こちらが横断歩道で停まると、ヘルメットを被った中学生たちは頭を下げて渡って行きました。
双方の車が発進してすれ違う時に、反対側の車を運転されていた60代と思しき男性が、ナント私に頭を下げて行かれるではありませんか。
思わずこちらも、「どういたしまして!」と会釈を返しました。      
おそらく地元の方なのでしょう。毎日通勤で生活道路を通らせていただいている「松本ナンバー」の我が身としては、こちらこそと恐縮するばかりです。

 城下町で道巾が狭く、片側一車線しかない道路の多い松本の市街地では、反対車線の右折車が道を塞いで後続車が進めずに詰まっている時に(例えば、先頭車両が右折車だと、青信号で一台も直進出来ない場合すらあるので)、道を譲ってあげると、右折車はともかく、直進する後続車のドライバーが(仮に形式的であれ気持ちの問題です!)感謝の気持ちを表してくれることはあります(バスやトラックなどの営業車両の場合が多いようです)が、横断歩道で、当事者である歩行者はともかく、反対車線のドライバーの方からのそれは初めてでした。

 何となく姿勢を正し、朝から清々しい気分になって会社へ向かいました。

 上田の会社でのお昼は、結構コストパフォーマンスの高い日替わりの仕出し弁当なのですが、諏訪にいた頃は会社の食堂で殆ど毎日麺類を食べていた“麺好き”の身としては、どうしても時々ラーメンが食べたくなります。

 そこで、会社から車で簡単に行ける範囲にあるラーメン屋さんや、塩尻や諏訪などへの外出時などに、時間が合えば多少時間をずらしてでも、お昼にラーメンを食べています。そんな、ラーメンの幾つか。

 先ず、時々お邪魔する上田市本郷の「夢の家」。本来は焼肉屋さんらしいのですが、ご主人の“好き(≒研究熱心)”が高じて、昼は大衆食堂(定食類も豊富)なのに殆どラーメン屋さんの様相(お客さんの注文も殆どラーメン類)。中には、カレーラーメンの下にご飯まで入った(スープカレー風?)“印度ラーメン”(多分私メも無理だと思いますが、中高年のお客さんの中には完食を諦める方も)や“透き通った”味噌ラーメンなど、この店オリジナルの変わりラーメンやつけ麺などもあるのですが、一切化学調味料や添加物を使わずに、地元中心に自然由来の食材を使う拘りで、スープにも「体に良い“磁化水”」使用とか。

好みの醤油系では、普通の中華そば(590円)は薄口醤油を使って、煮干と日高昆布で出汁を採り、支那そば(650円)には地元の特注の手作り濃口醤油を使っているそうです。個人的には鶏ガラ系が好みなので、最初の一口は、ちょっと魚介系の違和感が口の中に残るのですが、舌が慣れるとあっさり系で食が進みます。チャーシューもトロトロ。嬉しいのは、小盛のライス(浅漬けの小皿も)がお昼はサービス(ご飯はお替り自由)。でも一番気に入っているのは、女将さんの愛想の良さとテキパキしたサービス振り(と待ち時間潰しの「美味しんぼ」)。
他にも好きな店(ラーメン店では無い食堂で出る、ただ一種類のみの鶏ガラ系濃口醤油ラーメン)があるのですが、そこは真面目なご主人がカウンター越しの厨房で一生懸命(≒必死に)調理していて、それが逆に緊張感となってこちらにまで伝わって来てしまうので、些か足が遠のいています。なお、上田は松本よりもラーメンのレベルは上(松本には、長野「助屋」や上田「おおぼし」、塩尻「凌駕」や諏訪「ハルピン」などの有名店が出店しています。でもその逆はあまり聞きません。市内に支店や系列店を出している「寸八」や「ひづき」などの人気店が松本にもあるのですが、豊科に兄弟店のある老舗「とりでん」くらいでしょうか?)だと思いますが、人気店は上田駅周辺やR18沿いに多いようなので、残念ながら昼休みにそこまで足は伸ばせません。
以前朝から外出し、ちょうど昼ごろ戻るので、会社への通勤路上で気になっていた「青竹手打ちラーメン」なる店に入ったところ、スープの味は良いのにぬるくて、手打ちという太麺は茹で過ぎで、ラーメンと言うよりもまるでうどんに、正直ガッカリ。スープはガラ系でやや甘味があり良い味がしていたのに、惜しいなぁ・・・。
 また、これまでの数ヶ月間で、二度ほどの諏訪への外出の折、いつもの「麺や桜」の“屋台ラーメン”(550円)。平日のお昼は大盛が無料サービス。鶏ガラ主体のあっさり醤油に“背脂チャッチャ”系。ご主人不在で、何でも岡谷の国道端に新店舗を出したのだとか。繁盛で何よりです。
そして先日は、久し振りのハルピンラーメン(650円)。今回は、下諏訪店へ。ハルピン独特の“寝かせダレ”をベースに、諏訪の本店とは一味変えている(新味との表示)とのこと。昔、諏訪に住んでいた頃は、中洲に移転する前の並木通りにあった最初の店に、飲んだ後の締めに必ず行きました。その古い記憶からすると、スープがややコッテリ感が増して辛味も強いようですが、ハルピン独特の“寝かせダレ”ベースではありました。また、トロトロではありますが、醤油ダレで煮込んではいないチャーシュー(本来は、じっくり煮込んだモモ肉だと思いましたが、こちらはバラ肉)でした。因みにこちらも、お昼は小盛のご飯がサービス(好みとしては、昔の味に近い本店でしょうか)。着いたのは2時半近かったのですが、満車(座席数に比べ駐車スペースが少ない)で、駐車場の空くのを待ったほど。並柳に出来た松本店(こちらの味も下諏訪店同様の新味とか)は、時々横を通ってもそれ程の混雑ではないようですが・・・。

 今回の最後に、塩尻の事業所から徒歩で行ける「ラーメン専科しんちゃん」。
会社から行くならココ!と教えてもらった店。以前行った時は臨時休業で入れず、今回リベンジで1時頃行くと営業中でした。やったネ!
今風に小ジャレてもおらず、昔ながらのラーメン屋の雰囲気に期待も高まります。駅から歩いたので暑かったのですが、先ずはオーソドックスにラーメン(500円)を大盛(+100円)で。
待つこと暫し。スープは煮干しベースの醤油味。流行りの“魚ってり”でもなく、尖ってもおらず、まろやかでやや甘味のあるあっさりしたスープ。煮干しでもこれなら大丈夫。麺は細いちぢれ麺。チャーシューは薄めですが、500円の値段を考えると納得です。汗だくになりましたが、なかなか美味しかったです。