カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
このところ、信州は最低気温が連日10℃を下まわるようになって、木々もその色付きを日毎に増しています。
標高1000m位の所がちょうど見頃を迎えているようです。コナラやクヌギなどが多いのか、紅葉というよりも黄葉の方が目立つように思いますが、松などの緑の下地に黄色や所々に赤も混じって、まさに錦秋と言った趣。一方、峠の向こうの上田側の峠道はカラマツ林が多いので、黄金色に染まる落葉松の黄葉を楽しめるのはむしろこれからです。北原白秋は『寂しかりけり』と軽井沢で詠いましたが、これからの時期の落葉松はむしろ輝いているようにさえ感じます。 気忙しい朝の峠道ですが、色付いた里山を眺めながらの通勤が暫く続きます。
【注記】
写真は、この一週間内に、三才山トンネルの駐車帯、および補修工事の片側通行での停車中に撮影したもの。いずれも松本側です。もっと見事な紅葉を臨める場所もありますが、残念ながら停車する場所がなく、雰囲気だけでも感じていただけたら幸いです。
b前回(第673話)の丸善書店で、探していた本が漸く見つかりました。
それは、加治将一著「幕末維新の暗号(上・下)」(祥伝社文庫)。
ある時、たまたま聞こえてきた本の話題で、「明治天皇の写真」、「二人の帝(みかど)」、「明治維新での混乱」という三つの単語しか手掛かりが無く、その時は、題名は勿論、著者も出版社も分からず仕舞い。
丸善松本店は3フロアを使った県下最大規模という大型店なので、結構広い文庫本スペースがあり、久し振りに読む文庫本を探して決めた後、何気なくそのまま見て行ったところ、「幕末維新の暗号」という表題が目に飛び込んできて、何となく閃いて「もしや・・・?」と思い手にとって見たところ、正しく!でありました。
それは、幕末に長崎で撮影されたという、薩長土肥の若き志士たちなどが写る通称「フルベッキ写真」の謎に迫るというストーリー。そして、そこには大久保利通、高杉晋作、江藤新平、坂本竜馬、西郷隆盛、勝海舟という維新の英傑達が長崎で一同に会して写っているという“俗説”。そんなことが、果たして物理的にありえたのか?写真が無いと言われる西郷隆盛は本物なのか?そして、やがてストーリーの中核となる、写真の中央に写る正体不明の一人の若者・・・?。
そこで検証として挙げられる数々は、ナルホドと思わせるものもありますので、もし事実と著者が信じられるのであればノンフィクションで書けば良いのにと思いますが、一方で人物特定の判断がいくら小説とはいえ早すぎて、もっと科学的な検証が必要ではないかと思える部分もまた少なくありません。その意味で、これは小説の形式を取ったのではないかと勘繰ってしまいます。しかし小説仕立てとはいえ、脅迫する架空の秘密結社や、明治維新の黒幕としてフリーメーソンが登場するとなると、個人的には些か胡散臭い気がどうしても拭いきれません(著者のあとがきによると、出版にあたって少なからぬ妨害や“脅し”があったとのことですが・・・)。
ただ、史実を題材にしたフィクションとして見れば、大変興味深く、あっという間に読み終えてしまいました。
「しかし、良く出版できたなぁ!」というのが、仮にフィクションにせよ、読み終えての一番の感想でした。
10月上旬の水曜日。前任者の先輩の定年の激励会が上田の駅前であり、当日松本へは帰れないことから駅前のビジネスホテルに宿泊しました。
前回泊まった時は、自分の車での移動でしたが、せっかくの機会ですので、今回は乗せて来てもらって翌朝上田電鉄の別所線の電車に乗って出勤することにしました。
朝7時半前に行ったのですが、ローカルな私鉄ですので当然とはいえ、通勤通学時間帯でも1時簡に2本くらいしかなく、ちょうど電車が行ったばかりで30分待ち。でもホームには既に電車が入線していたので、初めてですし、物珍しげに車中でキョロキョロしながら待つことにしました。残念ながら丸窓ではなく、昔の東急電鉄のようなアルミの車体に横に赤いラインが入った車両です。
上田駅を出てすぐ千曲川を鉄橋で越えて上田の市街地を抜け、電車は郊外へと走ります。大学前駅(長野大学、上田女子短大。少し離れて長野県工科短大も)で結構たくさんの学生さんが降車。私は次の下之郷という駅で下車。ここまで所要時間は20分弱。今度は、別所温泉まで乗って行って“信州の鎌倉”を散策したいものです。
さて、この「下之郷」駅は、今は廃線となった丸子線との分岐点だった(今でも始発の上田からは、終点の別所温泉行きと途中の下之郷止まりの二系統があります)ので、他よりも広めの駅で、カラーリングも含めてその昔別所線のシンボルだった「丸窓」電車を模した、その名も“マルマドリーム号”がちょうど停車していました。また、この駅は生島足島神社の最寄り駅(駅のすぐ横)となるため、駅舎は神殿を模した朱色のデコレーションが施されています。
三人ほど降りられたお客さんに混じって私メも下車し、そこから徒歩で会社までは20分弱。途中、塩田平のシンボル独鈷山越しの別所方面や生島足島神社参道の大鳥居(あまり参道らしくないので、突然田んぼの中に現れた感じで目立ちます)を見ながら、コンバインの順番待ちなのか、その頃はまだ稲刈前の田んぼの残っていた道をノンビリと歩いて出社しました。
“天高く”空も澄んだ秋の色。イイなぁ、田舎は・・・。
掲載した写真は、下之郷駅で撮った別所電鉄の電車の幾つかと、由来不明ながらホームの階段に置かれた猫の置物。そして独鈷山と塩田平の遠景(右端に大鳥居が写っています)。
10月初旬の三連休は、松本城での恒例の「そばまつり」。また、開田高原と共に御岳の裾野での蕎麦栽培で有名な、合併して今は松本市となった旧奈川村も、ちょうど同じ頃に「新そば祭り」とか。
前回『井川城』に伺った時にお聞きしたら、新そば祭りが終わって初めて奈川産の秋そばの実が村外へ出荷されるとのこと。また玄蕎麦入荷後、1週間程度冷蔵庫で熟成させてから打つとのお話だったので、「そろそろイイかも・・・」と、週末の買い物がてら先ずは「井川城」へ。
お店に近付くと、案の定「新そば」の幟が立てられていました。
『井川城』は4卓ほどの小さな店で、既に1時半を過ぎているのに未だ満席状態でしたが、隅の二人掛けのテーブルに運よく座ることが出来ました。ヤレヤレ。
奥さまはいつもの三種もり。私メは今回は新そばの香りを楽しむべく、十割を二枚(一人前)と二八を一枚の組み合わせ(ざる3枚で大盛りの量になります)。
味見をさせてもらった大名そば(吟醸)を含めて、どれも蕎麦の香りがして「旨いなぁ!」。とりわけ、この日はいつもより太打ち気味だったニ八の腰の強さにはビックリでした(写真は十割です)。もう一枚、ニ八を食べたいところでしたが、そこは我慢、我慢。
お客様の中には、無料のレンタサイクル(注記)でわざわざ来られた観光客の皆さんもおられたようですが、皆さん新そばに堪能されたようでした。
「地元客でも、ここは場所が分かりづらいのに、みんなエライなぁ・・・」
いつものように、家内はサービスの蕎麦大福を二つ、私は蕎麦湯をいただいて満腹になりました。
「ごちそうさまでした、美味しかったですぅ。また来まーす!」
【注記】
松本市内には、放置自転車を再利用した無料のレンタサイクルを借りられる拠点が、駅前や松本城など何ヶ所もあり、そこであれば借りたところでなくとも返却可能。子供用もあるそうです。松本の旧市街は、城下町ゆえの狭い一方通行や車の通れない路地なども多いので、観光で来られた際は便利です。
【追記】
美味しかったので。この週末また伺ったところ、行列が・・・。しかも駐車場は、地元ナンバーの車で一杯。「おかしいなぁ・・・?」いつもと様子が違います。
何でも、先週ローカルTVで紹介されたのだとか。大変な込み具合でしたが、何でも3度目で「暫くすればまた元に戻りますから。」とのことでした。
先週末に終日塩尻へ外出し、夕刻松本駅で家内と待ち合わせ。少し時間があったので、開店後初めて丸善へ行ってみました。
勤務地が変わり、電車から車通勤となったので、通勤途中に本を読めなくなったことから久し振りの本屋さんです。しかも、電車通勤の時も駅ビル内に書店があったので、駅から少し離れた(と言っても徒歩数分ですが)丸善に入るのは恥ずかしながら開店後初めてです。
以前地元デパートの別館だったビルに入る丸善書店の松本店は、3フロアを使った県下最大規模という大型書店なので、文庫本だけでも結構広いスペースがあり、そこでまとめて3冊文庫本を購入しました。
レジで、いつものようにブックカバーを付けてもらいました。そのブックカバーを見て思わず、
「おぉ、懐かしいなぁ!」
京都での学生時代、本を買うと言えば、河原町三条から四条に掛けての駸々堂か丸善でした。
一応法学部でしたので、法律の専門書はどちらかと言うと丸善で購入する方が多かったように記憶しています。さすれば文庫本などは駸々堂だったでしょうか?(レコードは専ら駸々堂の新京極店だった筈)。
松本は“学都”とか文化都市と言いながら、その名が泣くかのように、老舗の書店が幾つも閉店してしまいましたが、“学生の街”である京都なら、きっとそんなことは無いでしょうね。家に帰って暫し思い出にふけりながら、その懐かしい丸善のブックカバーをしげしげと眺めてみると、京都店もちゃんと載っていましたから(でも松本店の記載が無いので、最新では無く、デザインを変えていないのかも・・・)。
単なるブックカバー・・・と言ってしまえばそれまでですが、そんな一枚のブックカバーにも、思いがけず、忘れていた“昔”を思い出させてくれる“パワー”がありました。
10月初旬の三連休。奥様は娘のところに上京し不在。
そこで、彼岸以降は気温も下がり多少雨も降ったので、そろそろイイかも?と、いつもの近所の里山に「キノコ狩り」の“偵察”へ出掛けました(例年なら彼岸頃には顔を出すのに、今年は遅れていて一週間前は影も形も見えませんでした)。
いつもの赤松林。「まだ駄目か・・・」と思った瞬間、ポツンと小さな帽子のような影が・・・。初茸(ハツタケ)でした。その名の通り、雑キノコ中でも最初の頃に出るキノコです。そこで注意してみると、リコボウ(ヌメリイグチなどのイグチ系の地元での総称。諏訪ではジコボウ)も顔を出していました。
僅か30分程度ですが、今年の初物です。写真上部がハツタケ、下部がリコボウです。なお左上部の一本は、緑青のような変色が見られなかったことから、ハツタケでは無さそうなので食べるのは止めることにしました(自信が無いキノコは保健所などで必ず鑑定してもらうか、或いは食べない!がキノコの鉄則です)。
リコボウも結構採れましたが、母と二人では食べきれないことから、半分は妹夫婦へお裾分け。
夕刻、ハツタケはバター炒めに。リコボウは茹でて、定番の大根おろしの三杯酢で頂きました。今年の里山の“秋の恵み”です。冷酒が進みます・・・ムフ。
10月7日、リニューアルなったという池袋の東京芸術劇場での、読売日本交響楽団による後期3大交響曲でのチャイコフスキー・チクルス。
当日のプログラムは、幻想序曲「ロメオとジュリエット」に始まり、イタリア奇想曲と交響曲。大好きな5番を生で聴くのは、昨秋の佐渡裕指揮ベルリンドイツSO(第549話)以来2度目です。
読響名誉指揮者のゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(通称ロジェヴェン)は、“ロシア最後の巨匠”と云われ、旧ソ連時代に亡命を危惧した政府が、彼を国内に繋ぎ止めるために国立のオーケストラを結成したと言います(背景は異なりますが、ワルターの録音のためだけに結成されたコロンビアSOを思い起こします)。しかしそのロジェヴェンさんも、もう御歳80歳くらいの筈ですが、十八番(おはこ)のロシアものだけに期待が高まります。長女夫婦も今回は一緒に聴きに行くので、事前に勉強したいというリクエスト(近くのレンタルショップに無かったとのこと)に応えて5番の手持ちのCDを送ってあげました。
当日は新宿行きの高速バスに乗って、先に次女のところに行っていた家内と長女夫婦と池袋で待ち合わせて20分前に会場へ。いつもながら、ロビーからホールに入って行く時の、演奏前の喧騒に心惹かれます。
先ず驚いたこと。それは、ホールロビーで手渡された分厚い演奏会のチラシの束。袋に入って2㎝以上の厚さ。“都会はスゴイなぁ・・・”と、変なところで感心です。都下だけで8つ?のフルオーケストラを抱え、海外からの来日公演もひっきりなし。以前、“東京は世界一の音楽マーケット”という論評を見た記憶がありますが、日本経済がやや失速気味とはいえ、チラシの多さでそれを実感します。しかし、サロネン指揮ニューフィルハーモニア管でのマーラーの1番“巨人”や準・メルクル指揮N響のサンサーンスの3番“オルガン付き”(どうも年を取ると元気になれそうな曲に憧れます)。更にヤンソンス指揮バイエルン放送響のベートーベン・チクルスや、N響ではなくバンベルク響を振るブロムシュテット。また懐かしいところではラフマニノフの「晩祷」全曲演奏会(東京トロイカ合唱団)など。東京に居たら聴きたいコンサートばかりで破産しそうですね。やっぱり松本で良かった・・・と、変な納得。
さて、娘が取ってくれた席は前から4列目の左側。
跳んだり跳ねたり大袈裟な身振り手振りで、汗だくで振る指揮者も決して少なくない中で、“映像”としては初めて見るロジェストヴェンスキーは、少し長めの指揮棒を使って思いの外動作は小さめで、独特のバトンテクニック。近くから指揮振りを見ていると、2曲目までの明るい曲調もありますが、マエストロは時々団員にニコニコ笑いながら、お孫さんと戯れるのが楽しくてたまらないお爺ちゃま、といった雰囲気。
最初のロメオとジュリエットが終わると、「ハイ、おしまい!」とでも言ったのか、何事かつぶやきながらクルリと客先に振り向きました。
最初で暖まっていないのか、ホルンの出だしで乱れた部分があったものの、ロシアの雰囲気が感じられる演奏でした。でも客席は、残念ながら所々に空席がありました。ロジェヴェンのロシアものを以ってしても満席にはならないのでしょうか・・・。
休憩を挟んだメインの5番。クラリネットの奏でるお馴染みの「運命の動機」に始まり、これまで聴き慣れた中でも、かなりゆったりとしたテンポですが決して重たくならず、堂々とドライブしていきます。オケもマエストロの棒に熱演で応えます。演奏中に、今回は次席に座ったコンマスの小森谷さんの弓の毛が4本くらい切れたでしょうか。邪魔になるのか、弾かない時に手でちぎっていましたが、プチンという音が聞こえて来たのはステージ前の席だからこそ。弦の擦れる音や打楽器群などが、ホールの反響版の効果もあるのか、音圧となって体を包み込む感じは初めての体感でした。これまで、コンサートでは音響的に好ましい中段の真ん中の席を出来るだけ確保してきましたが、前列の席もなかなか面白くて病み付きになりそうです。
第4楽章も熱演で、分厚いストリングスと金管の咆哮で圧倒的なコーダで締めくくると、客席からは「ブラボー」の声が飛び交いました。こうやって聴き比べてみると、個人的にもしっかりとロシアの大地の香りがして(と言っても、 その昔出張でモスクワに一度行ったことがあるだけですが)、1年前に初めて生で聴いた佐渡裕指揮のベルリンドイツSOよりも好かった!感動しました。熱演した時の日本のオケも、やるじゃない!と大拍手です。
翌日の最終日を控えてか、満場の拍手に応えて3回目のカーテンコールの時に、マエストロは袖口の時計を見やるような仕草で、コンマス達に「もうイイかなぁ・・・」と困ったような様子。鳴り止まぬ拍手に、もう一度満足そうにカーテンコールに応えてからオケを下がらせました。
何となく、魔法使いのお爺さんか、或いはお年を召した“お茶の水博士”のような風貌と相俟って、そんなお茶目な仕草や指揮振りでのマエストロの笑顔が、何ともチャーミング。いつまでもお元気で振って欲しいものです。
帰られるどのお客さんも皆満足そうな笑顔です。そんな想いと、演奏会後の幸福感に包まれて我々も会場を後にしました。
娘からの、最高のバースデイ・プレゼントでした。
数年前、下の娘が「これ、イイ曲だよネ!」と言って“食い入るように”聴いていた坂本冬実の「また君に恋してる」。それに影響されて、カバー曲集のCD「Love Songs」を借りて聴いて思ったこと。
「あぁ、ふきのとうの“春雷”もカバーしてくれないかなぁ・・・」
70年代後半の学生時代、フォークブームの中で、特にアコースティックサウンドが好きで、LPを買って聴いたフォークグループ。
かぐやひめ、赤い鳥、アリス、人数を増やしてロック色を強める前のオフコースや初期の頃のチューリップ・・・。
そんな中でも、とりわけ好きだったのが、山本康世・細坪基佳によるフォークデュオ「ふきのとう」でした。
先日、数ヶ月ぶりに東京へ出張した帰り、“あずさ”で夜広丘駅を通過する前、何気なく外を見ていたら、ライトアップされた「風待茶房」という店?の看板がさっと目に飛び込んできました。
「ん?風待茶房って・・・!」
ふきのとうの3枚目だったでしょうか、「風街茶房」と名付けられたLPは、ネーミングの良さと収録されている曲も良くて、それこそ擦り切れるほど聴いたものです(結婚後は、奥様の趣味に合わず、奥様も好きだったオフコース主体になり、シンガポールから帰任してみると、ふきのとうは解散していました)。
細坪さんの透明なリードボーカルと山本さんとの二人の優しいハーモニーとアコースティックサウンド。
「白い冬」や「春雷」、「やさしさとして想い出として」とか、山本さんの曲を中心に、それなりにヒットした曲もありましたが、大ヒットではなく、フォークブームの中でも云わば“知る人ぞ知る”的な、しかもその「知る」人もそれ程多くはない、でも個人的には本当に大好きなグループでした。
他にも好きだった「風の船(海よりも深く・・・)」や「初恋」など、当時若く揺れる心に静かに染み入るような曲がたくさんありました。特にメロディーラインが素晴らしい。個人的には、「白い冬」のような短調よりも、「やさしさとして想い出として」のように長調の曲の方が、仮に失恋などの切なさを歌った曲であっても、暗くなりすぎず、また女々しくなり過ぎずに良かった気がします。一人下宿で落ち込んでいる時など、いじらしいほどの優しさに惹かれたものでした。
だからこそ、色の合うであろう坂本冬実さんに(「Love SongsⅡ」では「白い冬」をカバーしましたが、「春雷」も)是非カバーして、「ふきととう」の存在を改めて世の中に知らしめて欲しいのですが。そして出来れば、たった一度であれ再結成して・・・。無理かなぁ・・・。
【追記】
この記事を書くために、レコードプレーヤーの調子が悪くLPが聴けないので、ベスト版のCDを借りてきました。しかし、レンタルショップに、ふきのとうのCDは、それ1枚しか無かった・・・トホホ。
久し振りに聴いていると、奥様が「懐かしい・・・。昔良く聴いた(聴かされた?)よねー!」とのこと。そうでしたっけ?でもその内に、「やっぱり、冗長!軟弱!」となって消された次第。
上田市荻窪地区から平井寺トンネルを抜けて、県道65号線を暫く下って来ると、別所方面への県道82号線に折れる地点を過ぎてすぐ、東塩田小学校の横に「古安曽」と書かれた信号機(注記)があり、その辺りの地名であることが分かります。
そのエリアには前山寺などの古刹があり鎌倉道も通っていたようですし、またその近くには安曽神社というお宮もあるそうです。「あそ」、つまり阿蘇と同じ音。謂わば「古い阿蘇」でしょうか。
それもその筈。言い伝えによれば、古代ヤマト王朝の命を受けて、九州の阿蘇の民(阿蘇氏)がこの科野(信濃)の地に来て土地を開き、その後最初の国造(クニノミヤツコ)に任命されたのだとか。従って、正しく安曽は阿蘇に通じています。そして、その阿蘇の人々が最初に開いた地がこの古安曽地区なのだとか。また律令制度(国・郡・郷)では、この地は小県郡安宗郷(チイサガタゴウリアソノゴウ)とも呼ばれていたのだそうです。
山国信州のこの塩田平に、遠く離れた九州の痕跡がありました。
【注記】
この信号機。どうやら押しボタン式らしく、道路を横断する歩行者がいないと赤に変わりません。異動して3ヶ月。殆ど青信号のまま通過・・・。
写真は、この日の朝、小学校へ登校する子供たちが道路を横断するために初めて赤信号になり、ちょうど先頭で停車したので、慌てて携帯を取り出して撮影したもの。大人は、車が来ないと赤でも横断してしまうので、ラッキー!と車中から思わず子供たちに、「ありがとう!」
(拡大しましたが、何とか読めるようです)
12月中旬にハーモニーホール(松本市音楽文化ホール。通称“音文”)で行われる、『バッハの無伴奏チェロ組曲』全曲演奏会。私自身にとって、今年の“芸術の秋”を締め括る演奏会です。
発売開始から早2週間。なかなか行く時間が取れず、先日島内の親戚へ行く用事があったので、途中立ち寄って漸くチケットを購入することが出来ました。ヤレヤレ・・・。
一昨年6月の局地地震で損傷した大ホールの天井が、来年3月一杯まで改修工事中のため、今回は僅か190席しかない小ホールでの開催というナントモ贅沢なコンサートです。全席自由ですが、当然のことながら席数しか販売しないので売り切れを心配していましたが、二日間とも130番前後の番号で購入することが出来ました。
「まだ、そんなに余ってるんですか、勿体ないなぁ・・・」と独り言。
すると、それを聞きつけた音文の事務所の方(所長さん?)と、暫し音楽談義です。曰く・・・、
「チェロがお好きなんですか?」
「いえ、どちらかというとオーケストラですけど、このバッハの無伴奏組曲は大好きなので・・・。」
「誰の演奏がお好きですか?」
「持っているCDはマイスキーです。あとビルスマも・・・。でも生で、しかも全曲演奏会なんて滅多に無いチャンスだし・・・。」
「そうですね。ケラスも、こんな小さなホールで演奏するのは初めてだって言ってました。」
「そうでしょうね。贅沢ですよね。」
「マイスキーも、92年にここで演奏したんですよ。」
「えっ、残念!その時は海外赴任していて松本には居なかったので・・・。」
「そうでしたか。ところで、オーケストラではどこが好きですか?」
「海外オケはともかく、日本のオケでこの音文だったら、OEK(オーケストラアンサンブル金沢)が最高だと思います。」
「それ、私も全く同感です!OEK、イイですよね。」
「ええ、2年前の金聖響さんのベト7は涙が出るほど感動しました。去年(井上道義指揮でベートーベン・ブラームスの、トリプル・ダブル協奏曲という珍しいプログラム)も楽しみにしてたんですけど・・・」
「改修後、OEKをまた呼びますヨ。地震で去年中止になったプログラムは出来るだけ実施しますので、楽しみにしていてください!」
「そうですか。じゃあ、楽しみにしています!」
改修工事も順調に進んでいて、予定通り来年4月には大ホールでまたコンサートが開催出来るそうです。
昼休みに、先輩が連れて行ってくれた上田市本町のお蕎麦屋さん『刀屋』。
先輩(高校の先輩でもあり、同じく松本から車で通われています)が上田を良く知る人から「上田で蕎麦を食べるならココ!」と薦められたお蕎麦屋さんとのことで、二人とも初めての訪問です。
上田でも老舗の「信州そば」の店らしく、食通としても知られた池波正太郎氏が「真田太平記」の取材で何度も上田を訪れた際に通い愛した店とも言います。
店の対面の駐車場に停めて行くと、平日でしたが店は満員で、待つこと二組目とのこと。待つ間にも、ご近所のオフィスにお勤めの方と思しきビジネスマンが次から次へと訪れますが、そこは江戸時代のファーストフードの真骨頂!。店の方々のテキパキした客裁きの良さも手伝って、相席ですがあっという間に座ることが出来ました。店構えも店内も昭和のレトロ風で、如何にも「そば屋」という雰囲気。小上がりと4卓ほどのテーブル席の店内は思いの外狭く、20~30人も座れるかどうか。
メニューを見て、もりそばの「大盛り」(850円)を注文したら、「もし初めてでしたら、普通盛りでも量は十分ですので、先ずは普通盛りにされて、まだ食べられるようだったら同じ料金で良いので、後で大盛りを追加してみてください。」とのこと。
その後も、大盛りを注文される方には同じアドバイスが繰り返され、店を出るまで、終ぞ大盛りが供されるのを見ることはありませんでした。
値段の高い注文を受けた方が売上げは増えるのにと思いますが、せっかくの蕎麦を食べきれずに残さないように、或いは平日の短時間でもこれだけの来客数ですので、売り切れまでに一人でも多くのお客さんに食べてもらおうと思えば、店としては当然の対応なのかもしれません。
唖然とするほどに、昔ながらの丸「せいろ」一枚に山盛りで、優に他の店の大盛り或いはざる3枚程の量がありました(おそらく3枚にするよりも省力化で、且つ山盛りにした方が同じ量でも圧倒的ボリューム感あり)。これでナント650円。その下の2枚分らしき「中」が600円。女性向けか、「小」(1枚分?)は550円という驚きの安さ(小から見れば、一人前が50円刻み?!)です。
薬味はネギとたっぷりの大根おろしに粉ワサビですが、この値段で生ワサビを期待するのは失礼と言うもの。蕎麦は手切りらしく不揃いで、しかも田舎系の太めの麺。そばつゆは信州にしては結構辛め。注ぎ足し用に蕎麦徳利も出てきますが、これなら江戸前風にちょこんと蕎麦の先をつゆにつけて、次から次へとズズーッと山盛りの蕎麦と格闘することも可能です。
しっかりと腰のある太麺(茹で方もあるのか、かなりコワい)ですが、二八としては「井川城」や「翁」に比べると、蕎麦の旨さという点では正直負けますし、蕎麦の香りも少ない気がします。しかし、昔地元の方に薦められて行った長野市の地下にあった地元の某有名店(量と安さが評判とかで、同様に「大盛り」を止めさせられました。上田にも姉妹店があるようです)の七三なのか六四なのか、蕎麦の香りなど皆無で、蕎麦と言うより小麦粉の味しかせず、うどんとしか思えなかった(二度と食べたくない!)“得体の知れぬ麺類”に比べれば、これは“ちゃんとした蕎麦”であり、全てにおいて数段上。
一方で、蕎麦の実の芯だけを使った吟醸なのかどうか知りませんが、「されど!」と言われても、「たかが!」と言い返したくなるほどに、申し訳程度の量の一枚で1000円以上も取るような蕎麦屋を有難がる風潮もある中で、この店は雰囲気や信じられないほどの値段も含め、「これぞ蕎麦!」、「これこそ蕎麦屋!」と拍手喝采を贈りたくなるほどに、地元で愛され続けてきた信州そばの名店としての心意気と気風の良さが感じられて、お腹だけでなく心も満腹になって、店の外で並ばれている皆さんに席を譲るべく、早々に席を立ちました。
いやぁ、アッパレ!お見事です。
これぞ、信州そば!とでも言うべき、地元で愛され続ける上田市の『刀屋』でした。
う~む、池波正太郎縁(ゆかり)とはいえ、真田十勇士に代表される上田の里は、なかなか奥が深そうです。
【追記】
二度目の訪問で漸く写真を撮ることができました。
もりの「普通盛り」と、海苔が載っているのは、ナメコを添えた大根おろしと味噌ダレを鰹の出汁汁で溶く、この店独特の「真田そば」。
さすがに二度目になると、“感動度”は初回ほどではありません。しかし、大盛りって一体どれ程の量になるのでしょうか?4枚分ってこと?「せいろ」一枚に山盛りにされてくるのでしょうか?伸びないのかなぁ?・・・と、興味津々です。話(ブログ?)のネタに今度頼んでみようかしらん・・・。
今回は4人で伺ったら、1階は満席で、2階の座敷(相席ですが、幾つか小部屋があるようです)に上がらせていただきました(さすが、2階の廊下には池波正太郎直筆の色紙が飾られていました)。