カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
暑さ寒さも彼岸まで。猛暑で少雨だった今年の夏も、さすがにお彼岸を過ぎると急に涼しくなりました。
そして我が家のお墓参りも、今年は22日だった秋分の日に無事終了。
お彼岸と言えば、最近、父の名代で親戚などの法事に出席することが多くなりました。
子供の頃は、お葬式や法事などで聞くお坊さんのお経は退屈で、イヤで、イヤで堪りませんでした。因みに我が家は「南無阿弥陀仏」の浄土宗で、総本山は京都智恩院。お盆やお彼岸など、祖母が私を隣に座らせて一緒に仏壇に向かって「ナンマイダブ」と言わされたものです。
ところが、学生時代合唱をやってからは、不謹慎といえばそれまでですが、お経を音として捉えると、これがなかなか味わい深く感ずるようになりました。すると、歌詞としての経文そのものにも興味が出てくるから不思議です。
良く聞くと、お経も決して棒読みではなく強弱と抑揚があり、お葬式などでの“三仏”などで6人くらいのお坊さんがお経を詠む時など、合唱で言えば斉唱であるにも拘らず、高い低いという声質によりオクターブずれていたりして、倍音のような効果を生む時があります。これが男声合唱のようでなかなか味わい深いのです。もし尼さんがその中におられると、2オクターブの効果が生まれることになります。
シンガポール赴任時代に、近くて手軽で、また人工的なシンガポールには無い歴史文化に触れ、そして山と水田が見たくて(日本人て、田んぼを見ると不思議と落ち着くんですね、これが)家族旅行で5回ほど行った“神々の島”バリ。片や独特のバリ・ヒンドゥーではありますが、そのケチャにも通ずるものがあります。数十人で行うケチャは、地声での荘厳な男声合唱の様にも聴こえます(その昔一世を風靡した「芸能山城組」のような)。
もし、法事などの際に、退屈で「早く終わらないかなぁ・・・」と思われたら、耳を澄ませて合唱音楽としてお経を聴かれてみては如何でしょうか?何か、新しい“音”の発見があるかもしれません。