カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 今年のサイトウキネンフェスティバルで、「青少年のためのオペラコンサート」と「20周年記念スペシャルコンサート」を指揮するために松本に来られた指揮者の十束尚宏さん。

 20年前のシンガポール駐在時に、赴任先の現地法人が地域貢献として地元のシンガポール交響楽団(SSO。これが侮ること無かれで、最近の卓球同様、当時から欧米や中国から受け入れた団員が殆どで、日本の中堅プロオケ並の水準でした)を初めてスポンサードし、その際SSOから日本から指揮者とソリストを呼びたいとの希望があり、当時日本の音楽事務所を通じていただいたリストの中からSSOの音楽監督が人選したのが指揮者では十束さんでした(82年の民音指揮者コンクールで、大野和士、山下一史、広上淳一の各氏を押さえての第1位)。
滞在中はSSOの女性マネージャーから頼まれて、地元紙の取材時の通訳や現地アテンド等のお世話させていただきました(その役得で、ゲネプロなどのリハーサルも見させていただけました)。接しさせていただいて、その誠実で謙虚過ぎる程の人柄と音楽への真摯な情熱に魅了され、以来十束さんの(隠れ)ファンになりました。

 松本へ帰任後、当時はNHKの「名曲アルバム」の演奏などでも時折振られていたように記憶していますが、残念ながら信州の田舎では十束さんの生の指揮に触れる機会はなく、その後演奏会でのお名前を拝見する機会が減り心配していたのですが、ネットで調べると2002年からウィーン国立歌劇場でオペラの研鑽をされていると知り安心しました。
しかし、その後10年を過ぎ既に帰国をされている筈なのに、国内のオケの音楽監督や常任にお名前をお見掛けせず、また心配していました。

 ところが、音文に別の演奏会チケットを買いに行った時に、今年のサイトウキネンのポスターに偶然十束さんのお名前を拝見し、生来のヘソマガリでSKOばかりを有難がる地元のミーハー的風潮に敢えて反発し(SKO以外の日本のオケも聴きましょう!友好都市の縁で毎年音文に来演してくれていたOEKなんて最高です)普段はSKFには行かないのですが、今回ばかりは喜び勇んでチケットを購入した次第。
そして、念願叶って20年振りに松本で十束さんに再会することが出来ました。
      
 当日は、今回の青少年のためのオペラコンサート(一般客は入場不可。県下の中学一年生が対象で、二日間で4公演とのこと。今の子供たちは幸せです)でフンパーディンク作曲の「ヘンゼルとグレーテル」を指揮されたことから、そのオケである小澤音楽塾オーケストラと序曲を演奏されました。
今回ばかりは響きよりも指揮振りが良く見えるようにと、前から3列目で第一バイオリン側の指揮台すぐ横の席を確保。
若い音楽家の皆さんで構成する小澤音楽塾オーケストラの、響きも正に若々しい演奏と、残念ながらたった1曲ではありましたが、指揮台に上がった十束さんの普段の謙虚な人柄とはまるで別人のような情熱的な指揮振りを拝見し、20年前のシンガポールでの演奏会で、ブラボー!の声が幾つも掛かったローゼン・カバリエ(組曲)での若々しい指揮振りを思い出しました。
「いやぁ、良かった!懐かしかった!」
隠れファンとしては涙が出るほど感動し、また安心をしました。

 特別演奏会の他の曲では、初めて生で聴いたプロコフィエフの第1番の古典交響曲(ルドウィック・モルロー指揮。やっぱりSKOは上手いですね)とスズキ・メソードの子供たちが良かった。
合同演奏(群奏とか)とはいえ、下は小学2年生からの30人ほどの子供たちが、一糸乱れずにメンデルスゾーンのバイオリンコンチェルト(終楽章から)の独奏パートを見事に弾くのですから大したもの。因みに当日演奏された三曲の最初と最後でアンサンブルを合わせたのは、江藤俊哉氏と共に初期の才能教育で育ち、その後ベルリン放送交響楽団(現ベルリンドイツSO)のコンマス等を務められ、今は才能教育研究会芸術監督という豊田耕児氏。

 さて、当日のパンフレットのプロフィール紹介によると、十束さんは現在でもウィーンでオペラの勉強を続けられておられるようですが、来年には新国立劇場でオペラ(新国立劇場委嘱作品「夜叉ヶ池」初演)も振られるとのこと。
時々は帰国されて、また情熱的な指揮振りを是非拝見したいもの。そして、十束さんご自身も桐朋出身ですので、いつかの日かSKOを振る姿を松本で見られることを信じて待っています。どうぞ、頑張ってください。