カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 茅野に住む義父は、手先が器用でまたマメな性格。
引退後の今は、余暇の時間を使って小さく切って折った三角形の紙を使って、色々な紙細工を作っています。大作だと何万ピースにもなるという、それこそ根気の要る作業です。

何でも、作品を見た方が感心して、地区のサークルでの講師をお願いしたいと依頼されたほどの腕前とか。(「小中学校はオール5だモ~ン!」と威張る家内ですが、きっと図画工作や裁縫などの宿題は、絶対にお義父さんにやってもらったに違いない!と踏んでいます。しかし、そのDNAがどうして義父の娘に遺伝しなかったのだろうかとホント不思議ですが、ま、それはさて置き・・・。ん?当時の小学校の通知表って、5段階じゃなくて単位毎に◎○△評価じゃなかったっけ・・・?)
 運転免許を返納して以降は、時々動物の眼にするのに使うボタンなどが茅野には無いからと松本にある大規模100円ショップなどでの購入を家内が頼まれるのだそうですが、我が家からは些か離れているので、代わりに時間潰しになるようにディアゴスティーニなどに代表されるパートワーク(分冊百科)の模型でも取り寄せてあげたいとのこと。だったら、途中でギブアップしてもいけないので、先ずは何か模型を買って試してみたらと、先日小学生以来でしょうか、市内の模型屋さんへ事前チェックに行ってみました。
 そこはお城近くにある「アサヒ堂」という松本では老舗の模型屋さん。
小学生の頃、そんなに高価なモノは買えませんでしたが、お年玉や貯めたお小遣いを持ってプラモデルを買うのに何度も訪れたものです。ですから、今回はそれこそ東京やメキシコオリンピックの頃以来、40数年振りになります。今でも熱烈なマニアの方はおられるにしても、良くぞ続いているものだと感心します。
当時のまま(現在はラジコンも扱われていました)に、片端の外堀沿いの間口が狭くウナギの寝床の様な店内は、天井までぎっしりと模型の箱が積み上げられています。「いやぁ、懐かしいなぁ!」と目的も忘れ見入ること暫し。タミヤって今でも頑張っているんですね。当時はハセガワとか今井もありましたが、健在でしょうか。イメージでは、戦車と言えば田宮で飛行機は長谷川だったような・・・。そう言えば、後年は兵器を卒業して夢殿やお城、変わったところではドラムスセットも作りましたっけ。
訪問の経緯をお話しすると、親切なご主人が店内に飾られている完成模型で説明してくださった上に木製キットのカタログを何枚か頂戴し、後日家内を連れての再訪をお約束してきました。

 そして、先日家内と一緒に行って購入したのは、若い頃家業を手伝う前の義父が国鉄の機関士だったこともあるとのことから、当時運転していた蒸気機関車のプラモデルにしました。先ずはD‐51から(必需品の接着剤とニッパーも同時に購入)。このデゴイチも1/50スケールでパーツ数も多そうで結構大物ですので何ヶ月か掛かって楽しんで貰えれば良いのですが・・・。
家内の話では、義父は実際に実物を運転していたので細部まで分かるから良いが、そうでなければかなり手強そうだとのこと。ただ手先が器用で凝り性の義父ゆえ、もしあっと言う間に作ってしまうようであれば、いずれはプラモデルではなくて、お城や五重塔、或いは帆船などのパーツ数がもっと多く自身での加工が必要な木製模型にしてあげようかと思います。
因みに“King of hobby”とも呼ばれる帆船模型は、日本丸などは日本製だそうですが、カティーサークなど殆どはヨーロッパ製とのこと。ただディアゴスティーニなどは中国製とか。パートワークでなく一括購入も可能で、その場合はパートワークの半値なのだそうです。

 お義父さんのお陰で、小学生時代にタイムスリップしたかのような懐かしいひと時でした。

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