カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 史上初めてのメダリストによる銀座パレードも終わり、日本中が感動で盛り上がったオリンピック熱も漸く落ち着いて来たのでしょうか。煽りを食ったのは、甲子園とプロ野球・・・4年に一度はしょうがないですね。
 今日からパラリンピックも始まります。彼らもまた紛れもなく正真正銘のアスリートです。

 さて、今回のオリンピック報道で、これまでと異なり特徴的だったと個人的に思うのは、唐突ですが“夫婦愛”だったのではないでしょうか。
これまでも谷亮子など皆無ではありませんが、そうしたトップアスリート同士の結婚ではなく、今回は、なでしこジャパンの大儀見(旧姓永里)選手、女子レスリングの小原選手、そしてボクシング男子の村田選手。それぞれの旦那様や奥様もこぞって取り上げられ、その支え合い、夫婦愛が話題となりました(バレーの竹下選手が広島カープの江草投手と結婚していたというオマケの話題までありました)。
例えば、別居してまでフィジカルで勝負するドイツのプロリーグに渡った大儀見選手に代表されるように、夫婦間の何かを犠牲にしてまで、選手である相手を理解し支え合う思いやりがありました。ベターハーフと言う言葉では軽過ぎ程の、お互いの理解と信頼を感じさせられました。そして、女子選手を旦那さまが支えるというのが今までには無く、科学的管理による選手寿命の長期化と共に、結婚してからも競技を続けようという環境が漸く日本にも生まれて来たのかもしれません。

 また、男性を奥様がじっと耐えて支えるというこれまでの図式ではなく、村田選手にしても、奥様が旦那さまを励ましながら明るく支えるという、今風の微笑ましいほどの夫婦愛であり、だからこそ、あれだけ話題にもなったのではないでしょうか。
大儀見夫妻や小原夫妻同様、イイ夫婦だなぁ・・・と今回のオリンピックでは、競技でのメダル取得だけではなく、今回はその余韻にも大いに感動させてもらった次第。

 茅野に住む義父は、手先が器用でまたマメな性格。
引退後の今は、余暇の時間を使って小さく切って折った三角形の紙を使って、色々な紙細工を作っています。大作だと何万ピースにもなるという、それこそ根気の要る作業です。

何でも、作品を見た方が感心して、地区のサークルでの講師をお願いしたいと依頼されたほどの腕前とか。(「小中学校はオール5だモ~ン!」と威張る家内ですが、きっと図画工作や裁縫などの宿題は、絶対にお義父さんにやってもらったに違いない!と踏んでいます。しかし、そのDNAがどうして義父の娘に遺伝しなかったのだろうかとホント不思議ですが、ま、それはさて置き・・・。ん?当時の小学校の通知表って、5段階じゃなくて単位毎に◎○△評価じゃなかったっけ・・・?)
 運転免許を返納して以降は、時々動物の眼にするのに使うボタンなどが茅野には無いからと松本にある大規模100円ショップなどでの購入を家内が頼まれるのだそうですが、我が家からは些か離れているので、代わりに時間潰しになるようにディアゴスティーニなどに代表されるパートワーク(分冊百科)の模型でも取り寄せてあげたいとのこと。だったら、途中でギブアップしてもいけないので、先ずは何か模型を買って試してみたらと、先日小学生以来でしょうか、市内の模型屋さんへ事前チェックに行ってみました。
 そこはお城近くにある「アサヒ堂」という松本では老舗の模型屋さん。
小学生の頃、そんなに高価なモノは買えませんでしたが、お年玉や貯めたお小遣いを持ってプラモデルを買うのに何度も訪れたものです。ですから、今回はそれこそ東京やメキシコオリンピックの頃以来、40数年振りになります。今でも熱烈なマニアの方はおられるにしても、良くぞ続いているものだと感心します。
当時のまま(現在はラジコンも扱われていました)に、片端の外堀沿いの間口が狭くウナギの寝床の様な店内は、天井までぎっしりと模型の箱が積み上げられています。「いやぁ、懐かしいなぁ!」と目的も忘れ見入ること暫し。タミヤって今でも頑張っているんですね。当時はハセガワとか今井もありましたが、健在でしょうか。イメージでは、戦車と言えば田宮で飛行機は長谷川だったような・・・。そう言えば、後年は兵器を卒業して夢殿やお城、変わったところではドラムスセットも作りましたっけ。
訪問の経緯をお話しすると、親切なご主人が店内に飾られている完成模型で説明してくださった上に木製キットのカタログを何枚か頂戴し、後日家内を連れての再訪をお約束してきました。

 そして、先日家内と一緒に行って購入したのは、若い頃家業を手伝う前の義父が国鉄の機関士だったこともあるとのことから、当時運転していた蒸気機関車のプラモデルにしました。先ずはD‐51から(必需品の接着剤とニッパーも同時に購入)。このデゴイチも1/50スケールでパーツ数も多そうで結構大物ですので何ヶ月か掛かって楽しんで貰えれば良いのですが・・・。
家内の話では、義父は実際に実物を運転していたので細部まで分かるから良いが、そうでなければかなり手強そうだとのこと。ただ手先が器用で凝り性の義父ゆえ、もしあっと言う間に作ってしまうようであれば、いずれはプラモデルではなくて、お城や五重塔、或いは帆船などのパーツ数がもっと多く自身での加工が必要な木製模型にしてあげようかと思います。
因みに“King of hobby”とも呼ばれる帆船模型は、日本丸などは日本製だそうですが、カティーサークなど殆どはヨーロッパ製とのこと。ただディアゴスティーニなどは中国製とか。パートワークでなく一括購入も可能で、その場合はパートワークの半値なのだそうです。

 お義父さんのお陰で、小学生時代にタイムスリップしたかのような懐かしいひと時でした。

 お盆前の週末に同級会出席のために一泊で慌しく帰省してきた長女。外資ゆえお盆休みは無いのだとか。
翌日、昼過ぎの電車で帰京する前に、珍しく今回も「そば処 井川城」でお蕎麦を食べて帰りたいとの仰せに、リクエストにお応えして今回は母も連れて4人で出掛けました。

 「井川城」では、最初に夏でも熱い蕎麦茶を出してくださいます。「夏は冷茶でイイのにぃ・・・」と思いきや、然に非ず。
ご主人に拠れば、“もり”や“ざる”などの冷たい蕎麦を食べる前に、熱いお茶を飲んで体(喉と胃袋?)を温めてから食べ、のど越しなど、蕎麦をより冷たく感じてもらうためなどだとか。なるほどなぁ!と、一人納得した次第(他の方々はあまり興味を抱かれなかったご様子)。

 娘は、前回同様(第649話参照。今回は写真を撮りました)夏の特製メニューである“冷やしかけそばのなすそば”(温玉トッピングは+100円です)。母は天婦羅が無いと蕎麦が食べられぬ信州人のお年寄りですが、「井川城」には天ざるはありませんので今回は同じにしてもらいました。
奥様はいつもの「三種もり」(「大名そば」と呼ぶ吟醸そばと、「とわり」と呼ぶ十割に二八)。私は十割と二八の二種で、今回は十割を二枚(一人前)にしていただきました。サービスのそば大福はいつも通り奥様へ。私は蕎麦湯で満腹に(写真は十割)。
惜しむらくは、薬味の、特にワサビの量が(私メはつゆに溶かずにそばに載せて食べるので)もう少し多いと嬉しいのですが、「井川城」では卸立ての生ワサビを使っていますので、ちょっと無理かな・・・。
「ふぅ~、美味しかったぁ!」とは娘。ハイ、戻ってお仕事また頑張ってくださいナ!
「ごちそうさまでした!」と松本駅に直行しました。

 開智小学校のすぐ近く。住宅街の中にある、サンドイッチの専門店「プチグルメ」(「グルメサンド」だとずっと思っていたら、正しい店名はサンドイッチハウス「プチグルメ」でした)。

 松本でも珍しい、何十年と続くサンドイッチのみの持ち帰り専門店です。
娘たちが信大の附属小・中学校へ通っていた時は、給食施設が無く、また市立ではないので市の学校給食センターも利用出来ず、毎日お弁当持参。
朝、何かの都合でお弁当が作れない時は、時々ここのサンドイッチを買って、昼前に下駄箱に奥様が届けていたようです。
余談ですが、昼前の時間帯は、子供たちにお弁当を届けるそうしたお母様方で、附属の学校前はちょっとしたラッシュになるのだとか。(高校を含めると、12年間お弁当作りとなるお母さん方は本当にご苦労様だと思います)

 また、前回(第609話)もそうですが、ちょっとしたホームパーティーの時など、お願いするとミックスサンドの大皿を作っていただけるので、大変重宝しています。
小さくて狭いお店で、ご夫婦で作ってらっしゃいますが、おそらく先代から何十年と変わらずに続いているのは、近隣に幾つもの学校や中央図書館がある文教地区で、且つ住宅街でもあるので、昔からの固定客が多いのだろうとは思います。それにしてもサンドイッチ一本で大したものだと感心させられます。
開智店は持ち帰り専門ですが、姉妹店が縄手通りの東端にあって、こちらは確かカフェになっているので、その場でゆっくりと食べることが出来ます。
サンドイッチハウス「プチグルメ」。松本でも、知る人ぞ知る手作りサンドイッチの隠れた名店です。

 ここで、この秋のクラシックシーズンのコンサートチケットを幾つか購入しました。
先ず、7月末に音文のハーモニーメイト向けに先行発売されたカメラータ・ザルツブルグの11月9日県文でのオール・モーツァルトプログラムの演奏会。そして、9月9日のサイトウキネンの20周年記念特別演奏会。最後に東京芸術劇場リニューアル記念の読売日響のチャイコフスキーの後期三大交響曲の特別演奏会。

 カメラータ・ザルツブルグは、音文の大ホールが改修中で、今回は県文大ホール(長野県松本文化会館は、ネーミングライツで先月から名称が「キッセイ文化ホール」に変更)でのコンサートです。メイト価格でS席6000円が5000円。家族会員の年会費が確か3000円なので、家内と2回演奏会に行けば元が取れてしまうほどお得なのですが、それ以上に音文主催のコンサートはメイト向けに先行発売されるので、枚数の少ないプレイガイドよりも良い席が確保出来るのが何よりの魅力です。
今回は、長女が帰省して来て、高校の音楽部(合唱班と室内楽班)OB会の定演に向けたモツレク(オケも自前)の合同練習(娘からは一緒に歌おう!と言われているのですが、週末農作業で練習に出られそうもないので、泣く泣く諦め)に練習会場の音文まで送って行った日がちょうど発売開始日だったので、事務所に寄って早速購入。お陰で良い席が取れました。

 サイトウキネンフェスティバルは、生来のヘソマガリ故、周囲のミーハー振りに反発して普段は行かないのですが(10数年前に唯一ミッシェル・ベロフのオール・ドビュッシーでの復活リサイタルに行ったのみ)、今回は特別。ナント、あの十束尚宏さん(第312&587話参照)が振るのです(ただしSKOではなく小澤音楽塾オーケストラとか)。いやぁ、本当に久し振り。シンガポール(SSOに客演)でお会いしてからもう20年でしょうか?偶然見たプログラムに久し振りに十束さんのお名前を拝見し、これは何を置いても聴き(指揮振りを拝見し)に行かねばと決断した次第。
 そして、読売日響は、二日目が私の好きなチャイコの5番でしかもマチネだからと、娘が誕生日のプレゼントとしてチケットを購入してくれました。指揮は懐かしいロシアの名匠ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー。勿論マエストロの指揮を生で聴くのは初めてです。

 音文が改修中で、今年は半ば諦めていましたが、秋に向けて楽しみなコンサートが幾つか出来ました(あとは、どうしても聴きたい12月のバッハ無伴奏チェロ組曲の二夜連続全曲演奏会。それと年明けにあるアンジェラ・アキの松本公演をどうしようかと迷っています)。望外の喜びですが、それを楽しみに頑張らなくっちゃ!

 熱戦の続いた2012ロンドンオリンピックも終わりました。
冬も夏も、4年に一度だけのオリンピックだからこそ、選手の皆さんには、“お国のため”ではなく是非自分自身のために精一杯戦ってほしいと思い、そして結果としてメダルが取れようが取れまいが、自己満足でもいいから燃焼し尽くして帰って来て欲しいと願って応援していました。見ている我々は、その頑張りに十分感動をもらいました。そして、その結果、日本全体が元気になればと思います。
今回も、幾つもの感動がありました。女子重量挙げ、女子アーチェリーや卓球女子、なでしこジャパンに代表される史上初。ボクシングや男子サッカー、男子レスリングなどの何十年振り。そして史上最多の競泳陣(とびうおジャパンとか)。メダルの色はともかく、総じて日本選手団としては頑張った大会だったのではないでしょうか。

 その前に、オリンピック直前に行われた女子ソフトボールの世界選手権。日本チームは宇津木麗華監督の下、見事7連覇中の米国を破って実に42年振りという優勝を飾りました。ところが、期間中の新聞(朝日)の報道は優勝を報じる記事を含め一枚の写真も無く、無論TV中継もなし。いくら日本人がオリンピック好きの国民とはいえ、オリンピック種目から外れただけで、そのあまりの扱いの小ささに驚きました。宇津木監督の優勝談話も、「日本の皆さんにソフトボールは健在だとお伝えしたい」。もっとストレートに文句を言っても当然でしょうに・・・。

 そしてオリンピック。開会式前から男女サッカーチームが勝って、勢いを付けたスタートとなりました。ただ、全てメダルが取れるようなマスコミの煽動が嫌(負ければ掌を反したようなバッシング)で、男女サッカーと競泳の男女メドレーリレー以外は殆ど生では見ませんでした。

 その中で、先ずほっとしたのは女子重量挙げの三宅宏美選手。
前回北京でメダルが取れず、心配するお母さんと選手村の金網越しにお互い涙ながらに無言で手を握り合う姿を覚えているだけに、日本新での銀メダルに喜んでいるお母さんを想い、本当に良かったと思いました。
そして、“泣き虫愛ちゃん”と寺川選手の嬉し涙と上田選手の天真爛漫な明るさが何とも良かった!(インタビューアーの「いやぁ、ハラハラドキドキしましたが・・・?」という問いに、「私もドキドキしました!」)

 メダルこそ逃しましたが、一次リーグを1位突破し見事ベスト4進出の男子サッカー。GKの権田さんが、1位突破後のインタビューで「ここに集まった記者の皆さんの中に、オリンピック前に1位を予想した人は誰も居ないと思いますが・・・」。イイなぁ、こちらまでスカッとしました。
そして、なでしこの耐えに耐えての準決勝での勝利。滅私奉公とでも言うべき“けな気”さは、正にヒマワリではなく撫子の花。しかし、ここまでハラハラドキドキさせなくても良いのに、と思うほど。最後は不運な銀メダルでしたが、感動をありがとう。

 一方、戦前から予想できたのに、惨敗を受けて掌を返したように早速マスコミの犯人探しが始まった柔道や女子マラソ筆頭の陸上。本家本元意識と片や嘗ての二連覇に酔い、それぞれ国際化、或いは高速化の波に乗り遅れてきた結果であり、ある意味戦前から予想できたこと。何を今更・・・。例えば長距離では、高校駅伝で勝つために手っ取り早くケニア人選手を連れてくる現状は、時に意地のある選手が育つことがあっても、全体のレベルアップには程遠いと思います。
片や下馬評通りに順調に金メダルを積み重ねた女子レスリング。同じように世界選手権優勝者を抱えていた女子柔道とは一体何が違うのでしょうか。フィジカル、メンタル(闘争心)、チームとしての組織力・・・?

 さて、今回のTVを見ていて一番感心したこと。それは、男女サッカーでの宮本恒靖さんの解説と、新聞(朝日)での解説記事。日本代表時代のキャプテンシーだけでなく、彼の分析能力と論理性の高さに感心しました。今年FIFAの指導者養成コース(FIFAマスター)に日本人として初めて合格したと報じられましたが、それも納得でした。

 キャプテンシーと言えば、なでしこジャパンの宮間選手。
W杯の米国戦の後、敗戦に打ちひしがれた米国チームに一人歩み寄り労っていた姿と、それに対し、ワンバック選手かソロ選手か忘れましたが、彼女に「今は自分のチームに行って喜んでイイんだから」と感謝しつつも戻るように言ったという報道に感動しましたが、今回も仏戦の後、ピッチに座り込んだ仏チームに一人歩み寄って健闘を称えていた姿が印象的でした。
決勝は運が無く、残念ながら銀メダルでしたが、史上初のメダルです。試合終了後、号泣していた宮間選手でしたが、表彰式での笑顔に救われました。
どの選手も、どの競技も、メダルがあろうが無かろうが皆さん胸を張って帰って来てください。感動をありがとう!

 今年も猛暑が続く中、7月中旬から8月のお盆までの正味一ヶ月間が、波田の下原(しもっぱら)地区に代表される松本平のスイカの旬の時期。結構短いんです。

 波田までは遠いので、隣接する和田の“スイカ村”へ、今年も贈答用で贈るものと、空洞果などを自宅用に購入するために3度ほど出掛けました。
この一帯は特産の長芋で有名な山形村も含め、排水性の良い砂地であることがスイカ栽培にも好適なのだとか(その分、春先の土埃には閉口します)。
地場のスーパーなどにも地物のスイカが並びますが、鮮度や大きさ、値段も含め、昨年初めて(父はいつも買いに行っていましたが、自身で)買って食べてみて、やはり直売所には適わないかなと納得した次第。それに、その場で贈答用の手続きも出来るのもメリットです。

 数年前、JAハイランド(松本広域組織)が、どの産地であっても全て「JA松本ハイランドすいか」にブランドを統一したのですが、一部農家が離脱して、JAを通さず従来の「下原すいか」ブランドで販売をしています。
波田までわざわざ買いに行った会社の元先輩によれば、同じスイカに「下原」とステッカーを付けただけで、値段は1000円高くなるのだとか。但し、生産農家曰く「味は全く変わらない」のだそうです。
 この日も、和田のJA直売所にはたくさんのお客さん。テントの後ろには、取れ立ての大きなスイカが所狭しと並べられていました。
生産者の方によるとスイカは大きいモノほど美味しいのだそうで、奥様は贈答用も自宅用も4Lの一番大きなサイズをご購入。自宅用(今回は空洞果ではなく、形がいびつなのだとか)は1800円という安さでした。

 味は、天候のせいか分かりませんが、シャキシャキ感(良いモノは、中心部分がパリッと折れるほど)と甘さは昨年と比べて今一つかな?と思います(でも十分美味しいですけど・・・)。

 前回わざわざ蕎麦が食べたいと早起きして成田から昼前に帰省して来た次女を連れて行った、木曽開田高原入口の『時香忘』(第642話参照)。
今度は、先月末に高校音楽部OB会の演奏会の練習参加のために帰省してきた長女も一度は食べさせてあげようと思ったら、朝織り込みチラシを見てパルコに行きたいとのこと。
「そんなの、渋谷へ行けばイイじゃん!」
「だって、東京はもうバーゲン品なんて売り切れて買えないのに、まだ松本は残っているなんて信じられないんだから!」
「はぁ、さよか・・・。」
ということで、その日の午後の電車で帰京するため、木曽まで行く時間は取れず、ま、次女(注記)に比べてそれほど蕎麦に執着がないのでしょう。でもバサラのランチではなく蕎麦で(が?)イイとのこと(そうは言っても、さすがは信州人!)に、じゃあ松本だったらと、迷うことなくいつもの『そば処 井川城』へ行くことにしました。

 県外車を含め何台か駐車していましたが、幸い1卓空いていて待つことなく座ることが出来ました。
家内は三種盛り、私は十割と二八の二種盛りで、今回は十割を大盛り(一人前の二枚)にしてもらいました。娘は、夏期限定メニューの“冷やしかけそばのなすそば”とやら(カメラを忘れたため写真がありません)。焼きナスを冷やして、トマトと一緒にトッピングされていて美味しいとのこと。蕎麦も結構な量です。

 こちらは、いつもの「もりそば」ですが、相変わらず十割も二八も腰があり美味。「やっぱ、旨いなぁ!」
途中、今回は、いつもの煮付けではなく夏のスタミナスープとのことでしたがサービスしていただき、最後にはお馴染みのそばだいふく(これまたいつも通りに奥様へ)。店に貼ってあるチラシによれば、今回は抹茶餡だそうです。手書きで、「お土産用はもっと大きいです。」との書き込みがされていましたが、サービスいただいた大きさかと勘違いされないためにも、それ正解です。

 先に食べ終えられて出て行かれた小学生と思しきお子様連れのご家族は埼玉から来られたとか。そうか、学校は夏休みなんだ。そう言えば、松本城の駐車場も観光客の車で満杯でした。ありがたいことです。
どうぞ、涼を求めて(但し、昼間は結構暑いですが、朝晩は涼しいので)信州へお越しください。
【注記】
小学校低学年の時の「ゆとり教育」で、蕎麦好きの先生が担任だった彼女のクラスは、一年間ずっと何故か蕎麦打ちをやっていて漸く終わったと思ったら、二年目は先生から「今度はそばつゆ!」と聞いたお母様方が猛反対して中止したほど。いくら信州だからとは言え、そんな教育目的も良く分からぬ「ゆとり教育」が無くなったのも父兄(母親ほどではないにしても父親も)としては“むべ”(宜)なるかな・・・でありました。

 会社の住所は、上田市下之郷(シモノゴウ)。
ここは塩田平の東端になりますが、この下之郷に延喜式にも登場する『生島足島神社』があります。しかも古いだけはなく、その延喜式での位置付けは諏訪大社に継ぎ、格式は同格である大社に位置付けられる、信濃国でも別格の神社であったと言います。しかも本殿の御神体は大地そのものという古代宗教との関連を伺わせます。

 この地方は嘗て信濃国の国府(その後松本に移設)と国分寺が上田に置かれたように古くから開けた場所で、この塩田平には塩田荘が置かれ、別名“信州の鎌倉”と呼ばれるように鎌倉時代には北条氏一門が治めて鎌倉仏教が花開き、今でも安楽寺を初めとする古刹が点在しています。

 この生島足島神社は、国家創建にも繋がるという生島大神(生みの神)と足島大神(足る=満たす神)の二神を祭神とし、諏訪大社の建御名方命(タケミナカタノミコト)が出雲から諏訪に下る際に立ち寄った折に、生島足島の二神に建御名方命が米粥を奉献したという言い伝えがあり、この生島足島神社でも7年に一度御柱祭が行われているとのこと。
偶然にも諏訪との繋がりを知り、上諏訪からこの地へ異動してきた身には何とも不思議な気がしました。きっと“諏訪大明神”が見守っていてくださるのかもしれません。
 ただ、タケミナカタノミコトが国譲りで敗れて出雲から敗走する際には、襲撃を避けるべく、陸路よりも安全で早い海路で日本海沿いに北上し、おそらく母である“翡翠の女神”ヌナカワヒメ(注記)縁の糸魚川から構造線(フォッサマグナ)に沿って姫川を遡って、越の国から科の国の諏訪に至ったであろうと一般的には考えられますので、ここに立ち寄ったかどうかの真偽の程は不明ですが、生島足島神社が延喜式で式内大社に位置付けられているように、古代にも繋がる由緒ある神社であることは間違いないようです。
また、この神社は北条氏以降武士たちの信仰も厚く、武田信玄の川中島合戦前の戦勝祈願の直筆の請願文や、武田家臣団の忠誠を誓う起請文が現存し、国の重文指定を受けています。

 朝夕の通勤時に神社の前を通るので、会社の帰りに初めて立ち寄ってみましたが、それほど広い境内ではありませんが、その規模以上に厳かな霊気が辺り一帯に満ちているような不思議な感じ(今流行のパワースポット?)がしました。
お参りの際には、諏訪からこの地へ参ったことをご報告しご加護をお祈りしたのは言うまでもありません。
【注記】
諏訪平でも、茅野市の蓼科と白樺湖に行く道路が分かれる所に、どぶろく祭でも知られる御座石神社がありますが、ここの祭神はそのヌナカワヒメを祀っていて、タケミナカタとは親子とはいえ、諏訪と越の国の繋がりが伺えます。

 週末ツルヤでの食料品買出しついでに、時々奥様が隣のツタヤでDVDを借りる際、「今日は5本で1000円だから、見たいのがあれば借りてもイイわよ!」との仰せ。然らば・・・と、都度1本、2本と借りる中で、最近観た幾つかの作品。(本当は、「星守る犬」を借りたいのですが、動物が可哀想なのは絶対イヤだと家内は反対しますし、確かに悲し過ぎるかなぁ・・・と躊躇しています)

 先ず「プリンセス・トヨトミ」。ストーリーの発想としては面白い。検査官の松平の祖先が徳川方で、大阪夏の陣で秀頼の子、国松を逃がしたのだろうと最後に想わせる辺りは凝っていますし、実際、真田幸村が秀頼と大阪城を脱出して薩摩の国に下ったという英雄伝説もあります。ただ、奥様が言っていましたが、富士山の裾野の十字架の意味が分かりません。「過去、“大阪国”の軍門に下った検査官の墓標じゃないの?」と言ったら、「じゃ、何で(綾瀬はるか扮する)鳥居も子供の頃見た訳!?」と言下に否定されましたが・・・。

 続いて「蝉しぐれ」。藤沢文学を代表する長編小説に登場する題材を、たった2時間の映像にまとめるのはやっぱり難しいのでしょうね。例えば、蔑む冷たい視線の中を、切腹した父親の遺骸を独り文四郎が大八車に乗せて帰る時に、途中後ろから押すのを手伝ってくれた文四郎を慕う道場の後輩(杉内道蔵)がいたからこそ、ふくは涙を零しながら文四郎と並んで黙々と大八車を曳いた(二人が無言で想いを通わせる重要な場面だと思います)のですが、映画では道蔵は登場せず、ふくは大八車の後ろから押します。そうした映像で観た後よりも、活字の方が読み終えた後の満足感は遥かに高かったように思いますし、映像として心に残る残像(心象風景)も映画よりも鮮やかだったと想います。      
一方、以前借りた同じく藤沢文学の短編を映画化した「たそがれ清兵衛」は、山田洋次監督作品らしく、庄内の海坂藩は斯くもあらんと、時代考証を基にしたセットや映像美は見事でした。しかし、内容は「たそがれ清兵衛」とは題名のみ(あとは時間になるとすぐ帰るところくらい)で、むしろストーリーは同じ短編の「祝い人助八」そのもの。また時代設定も映画では幕末においています。おそらく藤沢周平ファンからすると少々違和感があったのではないかと思いましたが、まだ短編作品の方が原作以上に膨らませられる分だけ映画化はし易いのではないでしょうか。

 そして、「カルテット」。浦安市の市制30周年を記念し、大震災での被災から市民一丸となって撮影を支えた感動の人間ドラマ・・・という触れ込みでしたが、背景はともかく、誇大広告でストーリーに深みが無く、音楽的にも無理があり全くの期待外れ。少なくとも「のだめ」の方が、TV版ですら演奏場面も含めてしっかり作ってありましたが、こちらは役者が演奏する場面は全くの素人で、拡大して実際に演奏する指先は全くの別人と素人目にもすぐに分かってしまいます。また、モチーフとなる家族の崩壊状況も小市民的というかスケールが小さ過ぎて深刻さが全く感じられず、音楽をそれぞれ断念してきた理由も良く分かりません。演奏会のPRのために路上でチェロを演奏(バッハの無伴奏組曲第1番前奏曲)し、ビラ配りをする母親。音大時代の出来ちゃった婚くらいで音楽を諦める必要ないのにと思わせる演奏(実際に弾いているのは勿論プロですが)。しかもすぐ近くに実の両親も健在であれば尚更・・・。また、最後のクライマックス場面で、中学生である主人公が抜擢された(らしい)音大オケの演奏会(第一バイオリンの一員)に出ずに家族との演奏会を選ぶ(勿論そちらは成功して、聴衆はスタンディングオベーション)と、どうして演奏家としての一生を(まだ中学生が)棒に振ることになるのでしょうか?唯一、剛力彩芽の目力だけが印象に残りました。

 些かがっかりした映画が多かった中で、原作も読んだという次女から薦められて然程期待せずに借りた『阪急電車』。いやぁ、これは良かったですね。決して大作ではありませんが、ほのぼのとして、ほっこり温かで。

 学生時代、京都から大阪へ行く時は、四条河原町から阪急電車を専ら利用していましたし、関西学生混声合唱団連盟(通称「関混連」)の合同練習か何かで関学へ行った時に西宮から実際に乗ったでしょうし、阪急電車そのものに学生時代の郷愁を感じることも、その背景にはあったのかもしれませんが・・・。また、自身最近までの電車通勤で、読むモノが無くなると車内での人間観察が趣味だっただけに、エピソードも意外とあるかも・・・と納得し易かったのかもしれません。

 物語は、西宮北口と宝塚を結ぶ僅か15分足らずという阪急今津線を利用する見ず知らずの沿線住民のそれぞれのエピソードが、縦糸と横糸でやがて織り成すように、同じ電車に偶然乗り合わせて、最後には少しずつ絡み合い、そして助けられながら、それぞれが抱える葛藤を乗り越えて行く物語。
実際にはあり得ないかもしれませんが、それぞれの小さな日常が、たった15分という短い路線ならあり得るかもしれないと、納得させてくれます。
配役も、宮本信子が凛として実にイイ味を出しています。宮本信子扮するお節介な老婦人に諭され励まされて新たな一歩を踏み出す中谷美紀、戸田恵梨香が、今度はまた乗り合わせた別の乗客を助ける。
中谷扮するアラサーOLが、イジメに合って一人悩む小学生を小林駅のホームで勇気付ける場面も、凛としてとてもイイ。
      
 確かに、実際にはあり得ないかもしれませんが、あの3.11の時は、お節介にも似た赤の他人への小さな優しさと思いやりがこの国には溢れていただけに、観る側にもデジャブのような既視感があるのかもしれません。