カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 朝の上田までの車通勤で、三才山方面へ抜けるのに岡田(神沢から東区)を抜けるルートを使っています。追分から国道143号線を行くルートもありますが、距離は同じくらいでもこちらの方が信号が少ない(合流点まで一つも無い!)のがメリット。
そして、この道は、保育園入園から中学卒業までの11年間自身が毎日通った通学路でもありました。

 田んぼの中を通る田舎道でしたので、今でも街中と比べて歩いている子供たちも多くはなく、途中5組ほどでしょうか。下級生と手を繋いで歩いている小学生などを気に掛けながら、また避けながらゆっくりと車を走らせます。

 中には、道端の草をむしったり、虫でもいるのか立ち止まって何かを眺めている子供たちがいたり・・・。「ほら、遅刻するゾ!」
そんな子供たちを見ていると、半世紀も前の自分の子供の頃を思い出して懐かしくなります。

 さすがに、朝ではなく学校からの帰り道でしたが、友人たちと道草をしながら歩いたものです。
例えば、道に沿って流れる小川が今のようにコンクリートで川底が固められていなくて自然の流れだったので、友達と道に落ちているアイスクリームの棒などを浮かべて、二人の帰り道が分かれる地点をゴールに1km近くも競争したり、時には川に入ってハヤやフナを捕まえたり、夏はトンボを追いかけたり(シオカラトンボやギンヤンマ、オニヤンマなどを見掛けるとワクワクしたものです)、またその季節にはオオバコの花芽の茎で引っ張り合ってどちらが切れないか、或いはタンポポの花でやはりどちらが切れないか(花の部分が落ちないか)を競い合ったり、急な夕立があるとお墓の横の大きなケヤキの下で雨宿りをしたり・・・。
今のようにゲーム機などは勿論無く、自分たちで工夫しながら自然の中から探して遊びを作っていたのですが、皆同じように貧しくて物質的には恵まれていなかったかもしれませんが、それを補ってくれる豊かな自然が身近にありました。そして一様に夏はみんな真っ黒に焼けていましたっけ。

 でも、朝の通勤途中で草をむしったりしている子供たちを見ると、少しは今の(田舎の)子供たちも自然と触れ合っているのかとちょっぴり嬉しくなりながら、また少し安心もしながら、自分の子供時代をダブらせつつ朝の車を走らせています。

 6月下旬から、異動(第634話)で上田の関連会社へ車で通勤しています。
松本からの電車だと、篠ノ井線、しなの鉄道、上田電鉄別所線と経由して、大回りで3時間近く掛かることから、必然的に峠越えの車通勤です。

 これまでの通算15年間の電車通勤の時は、2紙目の新聞を読み、終われば文庫本を読み、読むモノが無くなれば車中の人間観察(職種や勤務先を考える・・・これが結構面白い)をして、疲れた時は寝る・・・、と気ままだったのですが、自分での運転では当然ながらそうもいかず、坂とカーブの続く峠道を緊張しての運転が小一時間。この貴重な時間をどう使うか・・・?
若い時なら「じゃあ、スピードラーニングでも・・・」となるのかもしれませんが、今のところ朝は専らFM三昧。帰路は興味を引く番組が無く、好きなCD(先ずは今のところ徳永英明の『ヴォーカリスト』。飽きたら次はジャズピアノかな?)を聴いています。

 そんな朝のFM放送でのお気に入りは、月曜日の朝のNHK‐FM『気楽にクラシック(略称きらクラ)』(本放送は日曜午後で、月曜朝はその再放送)。以前は『きままにクラシック(同きまクラ)』で、番組構成は大体同じ傾向ですが、確か4月に司会者が交代。以前の笑福亭笑瓶さんと声楽家(コロラトゥーラソプラノ)の幸田浩子さん(さすが、アナウンサー顔負けの美声でした。確か大晦日のジルベスターコンサートの司会もされていたような)のコンビから、タレントのふかわりょう、チェリストの遠藤真理(東京芸大在学中に2003年日本音楽コンクール第1位に輝き、芸大、その後のモーツァルテウム音楽院共に首席で卒業したという実力者)のご両人へ。

 最初何気なく点けたところ、司会が誰か分からず、プロの音楽家と“育ちの良さそうなクラシック好きの知的な青年?”との会話がなかなか面白く、そのクラシックファンとしての知識の豊富さとセンスの良さに感心していたところ、「ふかわりょう」という名前を聞いて一瞬「・・・!?」。同一人物とは思えませんでしたが、考えてみればクイズ番組での回答ぶりを思うと、いつものイジラレ役とは違う、こうした一面を持っているのも不思議ではないのかもしれません。彼を起用した、局の担当の方の慧眼に敬服します。

 生まれた頃から、父親の好きだったクラシック音楽が流れる家庭で育ち、ご自身ピアノも習っていたそうですが、若い頃の反抗期にはクラシック好きの父親への反発もあって、一時はジャズに夢中になり、そのアドリブの中にも主題・変奏というクラシックとの共通性(例えば提示・展開・再現のソナタ形式)を理解して、またクラシックを聞くようになったと言います。小品から大曲まで、結構聴き込んでいるのが分かります。
チェリストの遠藤さんもプロとしてのうん蓄のみならず、ふかわさんの自由奔放なコメントに誘発されてか、堅苦しいイメージのクラシック音楽家とは一味違ったお茶目な一面も垣間見え、なかなかの名コンビ。あっという間の小一時間です(放送そのものは約2時間)。

 前話の翌週、今度は軽井沢のアウトレットに家庭用品の店が新しく出たので行きたいとの仰せ。天気も悪くなさそうで、「軽井沢なら!」という期待も込めて、今回もナナを連れて行くことにしました。(ところで、高速料金をふまえてもお徳なんでしょうか、ね?)

 7月三連休の初日でしたので、渋滞が予想されることから途中休憩を取らずに碓氷軽井沢ICから直接アウトレットへ。周辺道路は案の定渋滞していましたが、20分くらい掛かって漸く駐車場へ入れることが出来ました。
軽井沢駅前から旧軽方面には、ハルニレテラスに支店があるお蕎麦屋さん(川上庵)の本店始め、ペット同伴可能なレストランが幾つかありましたが、到着が遅れたことから、アウトレット内にある『軽井沢茶寮』のテラス席はペット同伴可能ですので、そこで何種類かあるセットランチで済ませることにしました。こちらは、次女が学生時代住んでいた神楽坂で、ナナの神楽坂デビューの時に彼女が連れて行ってくれた「神楽坂茶寮」の姉妹店です。

 食事の後、新規出店したヘンケルがすぐ近くにあったので、そちらを見て長年使って壊れたので代わりに新しい包丁を買いたいと品定めの後、今度はご自分の着るものを見たいとのことから、思う存分ショップを見て回れるように、私メとナナは芝生広場に行って時間を潰すことにしました。

 しかし、ここは犬連れのお客さんの多いこと。芝生広場の木陰などで、皆さん思い思いにくつろいでいます。
この広場には、芝生のドッグランもあって、トイプードルなどが楽しそうに走り回っていましたが、ナナは人間に興味があるのか、ドッグランに行っても走らずにすぐ寄って来てしまうので、今回も断念。
芝生を歩き回って疲れるのか、少し歩くと擦り寄ってきてはダッコをねだります。そこで、止む無く芝生広場に設けられたフードコートでコーヒーを買って、椅子に座って一休み。ナナも椅子の上で伏せをして、吠えもせずにじっとしています。シーズーという犬種の性格なのか、本当に大人しい犬です。ただ、ナナは歩くのは苦手な様子。変な犬だなぁ・・・。
 アウトレット(もしかしたら軽井沢?)の良いところは、かなり多くの店(勿論食べ物屋さんは除いて)がペット(抱いたり、ケースに入れたりしていれば)入店可のステッカーが貼られていること。犬連れも安心して買い物を楽しめます。ナナも一緒に、二人のポロシャツとお目当てのヘンケルの包丁を購入して帰途につきました。
助手席の奥様とナナは、歩き回ってお疲れのご様子で、すぐにスヤスヤとスリーピングモードへ突入。さてと、気を付けて松本まで帰るとしますか・・・。

 今年は花芽が多かったために遅れていたリンゴの仕上げ摘果が6月末で漸く終わった翌週、7月の第1土曜日。久し振りに、ナナも連れてドライブに出掛けました(チロルはお留守番です)。

 ナナも連れてとなると、ペット同伴可のレストランを事前にチェックしておかないといけません。軽井沢はいくら犬連れとはいえ“ワン”パターンですし、2年前に行った白馬は寂れていて、往時の活気も無く(第335話)・・・。
ということで事前にチェックしてみると、灯台下暗し。ありました、奥様の実家のある茅野市は蓼科高原。さすが高級別荘地を抱える有名リゾートです。いくつかペット同伴可能なお店があり、その中からターゲットを二つに絞っていざ出発。行き先は、以前も行った奥蓼科は横谷峡の近くです。松本からは中央高速経由で1時間半の行程。

 最初は、まだ昼前だったので、休憩を兼ねて奥蓼科手前(北山)にある『焼きたてパン&PIZZERIAの店 Epi 』へ。道沿いにあり、看板目当てに行けば分かり易い場所でした。
犬連れOKのテラス席で、コーヒーとラテをオーダーして暫し休憩。奥様はついでにパンを買って持ち帰り。
店の前には小さなドッグランも設けられていますが、生憎の雨模様でナナの足が汚れそうなので断念。こちらは、地元ではパンで有名なお店とか。テラスは屋根が掛けられているので、多少の雨でも大丈夫です。
 ランチは、バラクラ・イングリッシュガーデンの近くにあるという某レストランへ。大型犬はテラス席、小型犬は室内可とのネット紹介に、キチンとした店を想像。冬季間は休業のようですが、GWから営業とのこと。
ところが、それらしき場所に見当たらず、引き返して住所をナビ登録し再チャレンジすると、あろうことか先ほどと全く同じ場所。周囲が荒れ果てて、お休みというよりは、どうやら営業していないのではと思えました。
以前白馬に行った時もそうでしたが、ネット紹介される側もする側(それは、犬連れOKの専門ページでした)も休業や廃業するならするで、したならしたで責任持ってその旨書き添えてくれないと迷惑この上ありません。

 止む無く奥蓼科まで上がって、テラス席のあったホットドック屋さんで簡単に済ませてから、せっかくなのでナナも連れて散歩をして、横谷峡入り口の乙女の滝のマイナスイオンだけを一緒に浴びて早々に戻ることに。
犬連れの方も結構多いのに、奥蓼科もクローズしたホテルや店が目立ち活気が無く、県内では軽井沢辺りでないと満足するような犬も一緒に食べられる店は無いのでしょうか?
活気の無かった白馬よりは・・・と、別荘族が多い筈の蓼科には些か期待して来たのですが、正直がっかりしました。

 7月初旬、次女が週末と会社の休みが重なったからと、日曜日の午前中に久し振りに帰省して来ました。何でもお昼にお蕎麦が食べたいのだとか。「なるほど。お寿司と鰻は成田には敵わないけど、蕎麦ならね・・・!」。

 そこで、前日の土曜日は、家内が気にしていた芝生の草取りと私が気にしていたリンゴの仕上げ摘果作業を、二人で朝から夕刻まで掛かって漸く終わらせて、これで準備完了(家内が「そろそろやらないと!」と気にしている芝刈りまでは手が回らず先送り・・・)。

 明けて日曜日は、(週末農業的にはチト辛いのですが)お百姓さんとしては気分的に安寧の雨降り。
 早起きして成田を6時に出て10時半に松本駅にあずさで到着した次女を出迎え、今回はいつもの『井川城』ではなく、蕎麦好きの娘に一度食べさせようと思っていたお蕎麦屋さん、山菜のオヤマボクチ(葉脈を乾燥させて粉状にするのだとか。何キロもの葉からも僅かしか取れませんし、手間暇が掛かります)を繋ぎに使う(飯山の「富倉そば」が有名です)木曽開田高原入り口にある名店『時香忘』(じこぼう。アルファベットでは“ZCOBO”と表記)を一路目指します。我々も、妹夫婦に薦められて昨年の秋に初めて食べに行って以来です(第554話参照)。

 渋滞を避け、今回も脇道の奈良井川堤防道路から旧善光寺街道(北国西街道)を抜けて洗馬で国道19号に合流。緑が鮮やかな雨の木曽路を慎重に走って、松本から1時間半ほどで到着。12時を過ぎ、駐車場には既に県外車が何台も並んでいましたが、生憎の天候のせいか、今回は待つこと5分程で座ることができました。
 窓越しに見える、雨に濡れたホウノキ(朴の木)などの木立が目に鮮やかです。
注文は、三人ともオヤマボクチの大盛り。待つ間に、店内の壁掛けのTVに鳥が映っていましたが、アングルが変わらないので、次女が「あれ放送じゃなくて、ライブなんじゃない?」。確かに、雛鳥が何羽か映っているような気がします。
女将さん(と言うよりも上品な奥様ですが)にお聞きすると、ベランダ脇のホウノキの巣箱にシジュウカラが巣を掛けて8羽の雛が生まれ、それを壁のモニターにライブ中継をしているのだとか。もう間もなく巣立つそうです。
 そのベランダの向こうに流れる木曽川の支流、黒川の清流の川縁(べり)に自家栽培しているという生山葵を鮫皮のおろし金で摩り下ろして、熊笹を敷いたせいろの上にモンブランのように盛られたお蕎麦をいただきます。普通盛りが1260円で、大盛りはプラス315円。そばつゆは足りなければ追加しますからとのことでしたが、徳利もあり十分でした。
ワサビはつゆに溶かず、一箸毎に直接そばに載せて頂きます。新鮮な生山葵の風味がツンと心地よく抜けて行きます。粗引き故か、驚く程もっちりとした蕎麦。最後に、わざわざそば粉を溶いてドロドロした蕎麦湯をいただいて満腹です。次女も満足そうです。他では味わえない独特の蕎麦の旨さと環境を考えれば、ここまで来る価値はあろうというもの。

 ここは、周囲の環境もあり、木曽路をドライブがてら(途中、有名な妻籠などよりも、むしろ鄙びた風情の残る奈良井宿などを観光して)県外からのお客さまを案内して来るには最適なお蕎麦屋さんです。

 先月末、6月24日早朝のNHK-BSプレミアムの特選オーケストラ・ライブ。
犬の散歩から戻り、何気なくTVを点けたら、どこかで聞いたようなメロディー・・・。いつものN響ではありませんが、どこかで見たような指揮者とオーケストラ。

 聞き覚えのあるメロディーと見覚えのある指揮者と楽団員に、すぐに、
 「あっ、マーラーの“巨人”の第3楽章だ!」
 「あっ、ラトルとベルリン・フィルだ!」
また、ステージの後ろにも客席のあるホール(ヴィンヤード型)でしたが、日本人のような聴衆に、BPOの本拠フィルハーモニーではなくサントリーホール?
ところが、どう見ても日本人ではなく中国系の人たちのようです。
日本以外のアジアでBPOが公演するとすれば、カネにまかせて招聘できるであろう上海か・・?

 ファンファーレ華やかな第4楽章。サイモン・ラトルの棒に名人揃いの管楽器群と樫本大進率いる弦楽器も熱演で応えます。「巧いなぁ・・・」。聴いている内に、鳥肌が立ってきました。最後は、楽譜指定通りにホルンパート全員が立ち上がっての演奏。
 「いやぁ、名人芸!さすがだワ・・・」
(但し、個人的には以前放送されたノリントン指揮N響の1番の方が、ノン・ビヴラート奏法もさほど気にならず、むしろN響との相性も良さそうで、団員からの信頼感が感じられた熱演でとても感動的だったと記憶しています。しかし、そうは言ってもやっぱりBPOは上手い!)
最後の画面にテロップで流れたのは、“Esplanade Concert Hall”?・・・「それって、どこヨ?」。
そして“2010 BPO in Singapore”の文字。「げっ、シンガポールゥ??・・・」

 私がシンガポールに赴任していた頃のクラシックの演奏会といえば、趣きはありましたが些か古びたVictoria Concert Hallしかなく、ここを本拠としていたシンガポール交響楽団(SSO)が隔週ペースで演奏会を開いていて、しかもS席でも当時はS$15(約1000円!)くらいでしたし、オフィスからも歩いてすぐだったので、会社帰りに(欧米風に夜8時開演でしたので)一人で良く聴きに行きました。毎月のようにフルオーケストラの生演奏を聴いていたとは、今想えば私にとって何とも贅沢な時代でした。

 90年代前半までの6年間の赴任当事は、聴衆もシンガポールに居住する欧米や日本などの外国人が多く、地元の人は必ずしも多くはありませんでしたし、海外オーケストラの来星公演も、私の滞在中は故若杉弘さんが率いたチューリッヒ・トーンハレくらいしか記憶に無く、当時のシンガポールは音楽マーケットとしてさほど魅力的ではなかったのだろうと思います。
それが、天下のBPOが来日公演の途中に立ち寄ったにせよ(多分)、シンガポールで演奏会を開くなどとは、しかも画面に映った聴衆に若い中国系のシンガポーリアンが多いとは、まさに隔世の感がありました。

 今年のハーブの中で、農作業で時間が無くて、花壇の植栽変更時に一緒に持って来てもらったルッコラは、苗がヒョロヒョロし過ぎていて心配したのですが、案の定あまり葉が茂らず花芽ばかりが出てきてしまいます。今年は、期待出来そうもありません。やっぱり自分で選ばないといけないなと反省。

 一方、今年も食料品スーパーから買ってきて瓶で発根させてからプランターに移植して水耕栽培をしているクレソンは、定期的に水を交換する際に適量混ぜている液肥が効いているのか見事に茂り、移植してから一ヶ月足らずの内に三度摘んでサラダに載せて食卓に上りました。
 クレソンも、ある程度の頻度で摘まないと新芽が伸びてきて葉が入れ替わるので、古いものは枯れてきてしまいます。せっせと摘んでサラダにしようと思います。ただ、奥様曰く「今年のクレソンは、辛味が無くて味が薄い」のだとか。「そうかなぁ・・・?」。
購入したのは茎が緑で葉も軟らかだったので、恐らくハウス栽培でしょうから、自然の太陽を浴びている内に、だんだん茎も黒っぽくなり、野性味も出てくるのではないかと期待していますが、果たして・・・?。(写真は移植直後と3週間後の水耕栽培のプランターの様子です)

 祥伝社文庫から文庫本書き下ろしとして発刊された最近ブームの時代小説、野口卓著『軍鶏侍』と軍鶏侍シリーズ第二巻の『獺祭』(だっさい)。
著者の野口氏は、長年脚本家や雑誌の編集人を務めてきたのだとか。ここで、第三巻となる『飛翔』も発刊され、早速購入しました。

 最初“居住いの美しい日本語”という帯の謳い文句に惹かれつつも、多少訝りながら第一巻のみを購入しましたが、決して誇張ではなく、それに違わぬ爽快感ある文体で読み応えもある内容に、第二巻も購入し続けざまに読破。
ジャンルとしては“剣豪小説”なのでしょうが、むしろ登場する人物描写が実にイイ。また藤沢周平の北の海坂(うなさか)藩を彷彿とさせるような、南の園瀬藩という架空の藩の風景描写も素晴らしい。

 主人公の軍鶏侍こと岩倉源太夫もさることながら、後添となる「みつ」や、第一巻の第3話に登場する「多恵」など、武家の婦女子らしい胆力ある言動に惚れ惚れします(これも、例えば藤沢周平の『秘剣馬の骨』に登場する「杉江」のエピローグでの活躍が思い浮かびます)。また下男の権助が、何やら謎めいていますが、実に味わい深い人物です。

 藤沢周平の北の海坂藩(氏の出身地の庄内藩がモデルというのは良く知られたところ)に対し、同じく架空の園瀬藩は“江戸から150里離れた水と緑豊かな南国の小藩”という設定。
最初は和歌山辺りを想像したのですが、御三家近くに設定する筈もなく、江戸から源太夫を尋ねる旅の描写(第二巻第4話)に難波から海路との記述があり、「豊かな水と緑」という記述から、何となく徳島辺りを連想していましたが、それもその筈。読み終えてブックカバーを外したところ、著者は徳島出身とのことでした(実際に吉野川水系に園瀬川という河川がありました。但し、小説中に登場する藩内を流れる川は花房川と名付けられています)。

 その北国と南国の違いのせいかどうか、藤沢周平の小説は、名作「蝉しぐれ」に代表されるように北国の凛とした静謐感に溢れ、読後には人間の哀しみの中にも清々しさが漂いますが、一方野口卓氏の小説は、南国らしく人間への暖かさ、ほのぼのとしながらもある種の人間のペーソスも感じられます。

 披露宴(第631話参照)から2週間後、今年の父の日に長女から届いたプレゼント。

 これまでも娘たちは、泣けだしの少ないお給料やアルバイト代の中から、ぐい飲みや吟醸酒、はたまたトレーナーやDVDなど、心のこもったプレゼントを贈ってくれましたが、もらっても何だか使う(飲む)のが勿体無くて大切にしまっておいたら、彼らからは「せっかくあげたのにぃ!」と非難の嵐。でも、大事に取ってあるのにナ・・・。
今年は、「贈っても(使わなければ)しょうがないから、今度東京に来た時に一緒にご飯でも食べるからネ!」と言っていたのに、突然届いたプレゼント・・・?。

 飲まない、着ない、見ない・・・そんなこちらを見越して、今回のプレゼントは可愛らしい“Photo Book”でした。

 結婚披露宴での高校の音楽部の親友の皆さんとの、ピアノ弾き語りでの合唱“♪たしかなこと”のバックにスライドショーで流すために、帰省して来て二日間近く掛けて、生れた時からの何冊ものアルバムの中から選んでスキャンしていったたくさんの写真。思い出が一杯詰まった中から、私との写真を中心に、誕生後の幼き日から先日の披露宴までを、一枚ずつコメントを付けながら一冊のフォトブックに仕上げてくれたものです。

 下の娘がまだ生まれる前。幼い頃、家内お手製のお弁当を持って諏訪の社宅からお花見に行った高遠。「お花はどこなの?」と、時機を逸し散って葉桜ばかりになって誰も居ない城址公園で、親子3人で食べたお弁当。
同じく、初めてスキーでの泊りがけで行った白馬のホテル。ベッドで並んだ(当時はそっくりと言われた)父娘二人の写真。
生まれたばかりの次女も帯同し、家族4人で暮らしたシンガポール時代。
おしゃまなポーズでのシンガポール動物園や、ワラビーと一緒に写ったオーストラリアへの家族旅行。バリかプーケットの海岸での家族全員の写真。
そして6年間のシンガポール赴任を終えて、帰任後の満開の桜の下でのアルプス公園・・・。そして、先日の涙の軽井沢・・・。
「今まで27年間 本当にありがとう!」と記された最後のページには、“♪たしかなこと”から引用した言葉が添えられて・・・。
「忘れないで どんな時も・・・ きっとそばにいるから」

 写真に切り取られた一瞬から、当時が走馬灯のように思い出されて、何度も何度も手にして眺めています。家内もどうやら一緒の様子。
私たち夫婦の大切な、そしてどんな高価なモノにも替えがたい“僕の宝物”になりました。

 そう。たとえどこにいても 娘たちとは 「同じ風に吹かれて 同じ時を生きてるんだ」から・・・。

 NHKのBSプレミアムでスポット的に時々流れる、東日本大震災の復興支援ソング『花は咲く』。
お二人共に宮城県出身という映画監督の岩井俊二さんが作詞し、作曲家の菅野ゆう子さんが曲を書いたというシンプルで覚え易いメロディー。
宮城、福島、岩手の東北地方出身や縁の方30人以上が、ワンフレースごと一本のガーベラの花を手に持って、それぞれしっとりと心を込めて歌っています。歌手の方は当然としても、タレントやスポーツ関係者など、そうでない方もそれぞれ上手いこと。特にヤクルトの佐藤由規投手の素直な美声には驚くほどです。

『傷ついて 傷つけて 報われず 泣いたりして
 今はただ 愛おしい あの人を思い出す
 誰かの想いが見える 誰かと結ばれている
 誰かの未来が見える 悲しみの向こう側に
 花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
 花は 花は 花は咲く 私は何を残しただろう 』

 染み入るような詩と、染み入るようなメロディー。
NHKの復興支援のプロジェクトで生まれた曲だそうですので、民放では放送されないのが残念ですが、お笑い芸人の方も含めて、日頃画面で見るのとは異なるその真摯なまなざしに心打たれます。