カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
野菜工場の恩恵か、最近スーパーに色んな種類のスプラウトが並ぶようになりました。スプラウトという言葉が流通する前から、もやしやカイワレ大根は昔からの定番ですし、元は確か南米の牧草というアルファルファも最近売場で見ませんが、一時はブームになりました。
その中に「豆芽」と書かれたスプラウトを最近見掛けます。中国語で「トウミャオ」と発音し、中華料理では定番野菜で、その名の通りエンドウの芽(一瞬大豆かと思いましたが、考えてみれば片や暗室栽培ですが、大豆はもやし)。
シンガポールでは、カンコンと呼ぶ空芯菜(歯ざわりや茎の形状から芹の仲間かと思ったら、サツマイモの仲間なのだそうです)のチリソース炒めか、トウミャオのオイスターソース炒め、もしくはカイランと呼ぶブロッコリーの仲間の柔らかな茎(もしくは現地でベビーカイランと呼ぶ若芽)の醤油炒めが、魚や海鮮、肉料理の中に混じって中華のコース料理に入れる野菜料理の定番メニューでした。
赴任してすぐ、マレーシアのジョホールに行った時に道端の汚い屋台で流れる汗を拭き吹き食べた“ぶっかけ飯”でのチリカンコンの美味しさは、いまだ忘れ得ぬ我がローカルフードの原点です。
今から15年前くらいでしょうか。シンガポールから帰国し、現地の味が懐かしく、でも田舎では日本流に味付けされた中華料理しか見つからず、そんな時に地場のスーパーでトウミャオ(豆芽)を売っているのを見つけたのが、だったら自分で料理してみようと思ったキッカケでした。ただ、家庭のガスなどでは火力が弱いので、強火でさっと炒める中華料理はなかなか難しいのですが、炒め過ぎてグチャっとなるよりも、生っぽい方がシャキシャキ感があってまだマシです。
出来れば、刻んだニンニクを多めに入れて一緒にさっと炒めると、より現地の味に近い感じがします。
大型店が郊外に進出し客足が落ちていた松本駅前も、エスパ改装後のアリオや丸善の大型書店が出来て、駅前も人通りが少し戻ったような気がします。
4月だったでしょうか、開業110周年に合せて、2年近くを掛けた松本駅のお城口(東口)の駅前広場の改装工事が終了し、オープニングセレモニーが行なわれたとの新聞記事がありました。そして、この6月には篠ノ井線松本駅開業110周年の記念式典も行なわれたとか。
片や左側(北半分)は、それまで国鉄時代の“一駅一名物”として作られた槍ヶ岳開山者である播隆上人像を囲んで小さな欅の公園があったのですが、当時2万羽とも言われたムクドリのねぐらになってしまい、その糞害と鳴き声が凄くて入れないほどで、街中の公園も人間様ではなくムクドリの憩いの場でした。
今回の整備では播隆上人像を設置しただけの“ただの広場”になったように見え、毎日通勤で使っていた松本駅ですが、正直シンプル過ぎて味気なく、また松本らしさも感じられず、松本市民の一人としては正直あまり感心しませんでした。唯一の“らしさ”は、井戸を掘って地下から汲み上げている湧き水「深志の湧水」でしょうか。
ところがある雨の日、帰りに飲み会があって東口に降りて見ると、どこからか芳香が漂って来ます。それはヒノキの香りのようでした。
訝って、香りのする方向を探して見ると、広場の中の直径20mくらいはありそうな円形部分が、周りの石畳とは異なり、薄茶色の木の板がタイルカーペットのように敷き詰められていて、晴れの日には気が付かなかったのですが、どうやら雨に打たれてヒノキ(多分)の香りがそこから広場に漂っていたのです。
森林浴のような森のアロマが周囲に立ち込めていて、松本らしいかどうかは別として(ヒノキと言えばやはり赤沢美林に代表される木曽でしょう)、如何にも信州らしい感じがしました。
目や耳だけではなく、鼻で“見せる”、感じさせる見せ方(作り方)もあるのかと感心して、ビル街に漂う木の香を暫し楽しんだのでした。
もし意図的であるとすれば、それなりに工夫されているとは思うものの、何年も持つのかどうか、香りの持続性は分りませんが、梅雨に入りましたので、もし雨の日に松本駅に降り立ったら、駅前広場でヒノキの香りを探してみてください。
私の勤務する会社では、いつまでも上がつかえ(閊え)ないように56才で役職定年となり、後進に道を譲ることになっています。
私もこの7月で56才を迎えますが、ここで関係会社に出向することになりました。個人的には“青天の霹靂”でした。年を取ると保守的になり、変わることに億劫になりがちですが、ここは環境を変えて、まだ若い会社ですので、若い方々の少しでもお役に立てるように、定年までの4年間を“最後のご奉公”と体に(心に?)一鞭入れることにしました。
ただ会社の場所が上田市郊外のため、上諏訪の時のように電車での通勤は無理で、止む無く三才山峠(みさやま:注記)越えの車通勤となります。また本を読めなくなるのが辛い・・・。
仕事とは関係ありませんが、塩田平は別所温泉に代表される古くから開けた場所で、塩田北条氏一族が治め、鎌倉仏教が花開いた別名“信州の鎌倉”。
別所にある安楽寺八角三重塔や、古道東山道沿を行き交う旅人がその美しさに振り返ったことから“見返りの塔”と呼ばれる青木村の大宝寺三重塔。この二つの三重塔は、松本城や善光寺ではなく、戦前の長野県最初の国宝指定とか。そうしたお寺に代表される古刹・名刹は、他にも常楽寺や前山寺、北向観音、また生島足島神社(こちらは通勤路沿い)などが塩田平には点在しています。
三才山峠までは、中学校の校歌にも謳った女鳥羽川の源流沿いに、冬の雪道だけは心配ですが、この季節は新緑の、秋は紅葉を愛でながらの通勤路です。
“信州の鎌倉”には、会社の行き帰りに立ち寄れるわけではありませんが、同じ塩田平ですので、“信州の鎌倉”の話題について、またこのブログでご紹介できることもあるかもしれません。
では、明日から“いざ信州の鎌倉へ”と馳せ参じます。
【注記】
三才山(みさやま)というのは何とも奇妙な名前ですが、これは御射山(みさやま)に通じ、諏訪信仰である諏訪神社の狩猟場に由来していて、更には「ミサ」という音は土着の古代原始宗教でもあるミシャクジ(或いはミシャグジ)信仰にも繋がっていると云われています。
諏訪の平には、諏訪大社の小宮(末社)として、その名も御射宮司(神)社と呼ばれる社(やしろ)が各地に存在しており、その数は優に100を超えるとか・・・。
本来のテーマとは無関係につき日を改めて紹介させていただくとして、本日はこの辺で。
少なくとも30年以上の愛読者ではありますが、最近のビッグコミックオリジナル(小学館)は内容が充実し、なかなか読み応えがあります。
また、社会的にも担当医の減少が問題となっている小児科病院を描く『真夜中のこじか』も考えさせられますし、「玄米先生の弁当箱」に続く魚戸おさむの連載『ひよっこ料理人』も食に対して暖かい。また『深夜食堂』も短編ながら実に味わい深い。キー局の深夜枠でドラマ化されましたが、BS-TBSで再放送してくれないかなぁ・・・。
映画化で松本でもロケがされた『岳-みんなの山』や、浅草の老舗和菓子店を舞台に描く『あんどうなっつ』も好調です。弘兼憲史の『黄昏流星群』。そう言えば、同氏の『人間交差点』がオリジナルを定期購読するキッカケでした。他にもお馴染みの『釣りバカ日誌』や『三丁目の夕日』など。こうして見るとキラ星の如く秀作が並びます。と思ったら、残念ながら『岳』はNo.12号を以って最終回。北アルプスの山岳救助を描いた異色作でしたが、時々松本を舞台にしていただいてありがとうございました。
一方、些か現実離れしてきた「風の大地」と偉大なるマンネリ「あぶさん」は、最近では読み飛ばし気味。そろそろキレイな散り際を考えないと、これまでに泥を塗りかねないと思います。そこへ行くと『浮浪雲』はさすがです。
コミックに限らず、連載記事もなかなか読み応えがあります。そう言えば、20年続いた名物コラム『こだわりの店』の代わりに連載が始まった「缶短クッキング」は、いつの間にか気が付かない内に消えてしまいました。ま、そうでしょうね。「缶短クッキング」は初回読んだだけで、料理好きでもその後読む気は起こりませんでしたから。
何が違うのか?強いて言えば、読み手に伝わる“熱意と愛情”と言う名のスパイスでしょうか。
先月下旬、新聞にクラシック音楽界の訃報記事が相次いで掲載されました。
名バリトンのフィシャー・ディスカウ、声楽家の畑中良輔、音楽評論家の吉田秀和の各氏。当然のことながら面識は全くありませんが、学生時代から何度も名前を眼にしたり、レコードやFMを通じて声を聴いたりした方々でした。訃報記事を読みながら、私にとって青春時代にもつながる“一つの時代”が終わったような気がしました。
シューベルトの「冬の旅」などのドイツ・リートに代表されるデートリッヒ・フィシャー・ディスカウさんは、高校時代の音楽の時間に、ご自身声楽家でもあった音楽の先生が掛けてくれた「魔王」や「菩提樹」のレコードで初めて知りました。聴き手を温かでシルクのように優しく包み込む、艶やかでソフトな歌声でした。
畑中さんは、自分にとっては高名な声楽家と言うよりも、慶應のワグネルの指揮者として、また「日本の合唱曲」シリーズの指揮者としてむしろ馴染みがありました。混声合唱団にいながら同声合唱に憧れて、学生時代に大阪だったか、京都だったか、東西4大学(早グリ、ワグネル、関グリ、同グリ)のグリークラブの定期演奏会を聴きに行きました。思えば男声合唱全盛期だったのかもしれません。
そして、音楽評論家の吉田秀和さんは、当時「世界の至宝」とまで言われチケットが即日完売だった1983年ホロビッツ80歳での初来日公演で、「さすがホロビッツ!」と有り難がる風潮の中、「ひびの入った骨董品」と率直に論評して、当時の音楽界のみならず社会的にも大きな話題になりました(3年後にホロビッツ自身が希望して再来日した時の名誉挽回の演奏に、氏は称賛を贈ったと言います)。
そんな音楽界の重鎮で文化勲章受賞者でもあった吉田さんですが、個人的にはNHK-FMのクラシック番組『名曲のたのしみ』での解説の方がはるかに馴染みが深く、決して偉ぶらずに、素人のリスナーにも分り易く解説してくれました。
ややハイトーンの優しい語り口で、「僕はね、・・・」、「じゃあ、聞いて見ましょうか」というソフトボイスが今でも耳に残ります。
謹んでご冥福をお祈りいたします-合掌。
2012年6月3日、大安の日曜日。
新緑の緑が目にも鮮やかな軽井沢のホテル・ブレストンコートで、長女の結婚披露宴がありました。披露宴に先立ち、内村鑑三ゆかりの軽井沢高原教会(星野遊学堂)での挙式。
教会内でのハープの生演奏と優しさ溢れる牧師さま(Pastor:家内に拠れば、高原教会はプロテスタントだからとのこと。因みに神父さま=Priestと呼ぶのはカソリックで、妻帯は認められないのだそうです。ナルホド、さすが文学部)のお説教がとても心に染みました。それにしても、ハイバリトンの聞き惚れるほどの美声でした。
式の後、木立に囲まれた中庭に出て、アプローチの両側に列席者が並んで「二人に実り多かれ」とライスシャワーで新郎新婦を祝ってから、ガゼボでのシャンパントーストのセレモニー。
その後、ホテルのレストラン「ゲイブルハウス」での披露宴。
二人の親しい友人の皆さんと両家の身内だけだからと指名されての乾杯の挨拶(締めは両家を代表し新郎の御父上)。直前まで、娘に恥を掻かせてはならじと暗記した挨拶の復唱です。開宴前に並べられた、見た目も美味しそうな色とりどりのオードブルなど食指も動かず、緊張を抑えようとウェルカムドリンクを三杯お代わり。
『・・・(前略)二人は、既に三年前に入籍をしておりましたが、夢を叶えるまで披露宴はいしないと頑張ってまいりまして、漸くここにこの席を設けさせていただくことができました。
さて、娘も合唱をやっていましたが、混声合唱組曲「心の四季」や「夕焼け」などで知られる詩人吉野弘の、「二人が睦まじくいるためには 愚かでいるほうがいい」で始まる、混声合唱曲にもなっている詩「祝婚歌」の結びにこんな一節があります。
“健康で 風に吹かれながら 生きていることのなつかしさに ふと胸が熱くなる そんな日があってもいい。 そして なぜ胸が熱くなるのか 黙っていても 二人にはわかるのであってほしい。”
娘は確か、大学のサークルの自己紹介の中で、将来の夢として「可愛いオバアチャンになりたい」と書いていたように記憶しています。
今日の二人の披露宴の佳き日を祝い、そして何十年かの夫婦生活の後、二人が仲睦まじく、風に吹かれながら、可愛いオジイチャンとオバアチャンになっているだろうことを願って、乾杯を致したいと存じます。
皆さま、どうぞ声高らかにご唱和ください。・・・(後略)』
手作りの、和やかでほのぼのとした良い披露宴でした。
幼い頃からの写真のスライドショーをバックに、高校の音楽部の親友の皆さんとのアカペラでの「♪故郷」とピアノ弾き語りでの「♪たしかなこと」の合唱も感動的でした。
実は、娘が生まれた時に「結婚式の日は、トイレに閉じ篭って式には絶対出ない!」と宣言していたのですが、母や実家の両親などをアッシークンで軽井沢まで乗せて行かねばならず、「何、バカなこと言ってるの!」、「ちょっと、忙しいんだからぁ!」で敢え無く撤回。
二人は既に三年前に入籍をしていたので、今回は“花嫁の父”的な悔し涙や、寂しさなどの感傷はありませんでした。でも、セレモニーでの新婦の涙と、隣にいた“花嫁の母”の嗚咽に、また参列いただいたご友人の皆さんのスピーチの中での涙につられて、こちらも胸が一杯になり、ついもらい泣きをしてしまいましたが、幸い、あまり“花嫁の父”的なみっともないところを見せずに、無事終了することが出来ました。
幸せそうな娘を見て、こちらも幸せだった“花嫁の父”でした。
「お嬢さん、お綺麗ですね。」「はい、母親似ですから!」
「聡明なお嬢さんですね。」「はい、母親似ですから!」
「あっ、でも父親の私に似て短気です!」「・・・・」
それにしても、一日付きっきりで介添え役を務めてくださったホテルの女性スタッフや、優しさ溢れる牧師さん始め正に聖職という名が相応しく感じられた高原教会の方々、カメラマン、司会の方、また披露宴会場となったレストランの女性支配人やスタッフの方々など、皆さんの目配り、気配り、心配りが大変素晴らしく、またそのプロ意識の高さに感動すら覚えました。
当日の天気予報は式の始まる午後は雨だったのに、娘の作った“照る照る坊主”のご利益か、奇跡的に薄曇。しかも、この日は梅雨入り前の“ジューンブライド”でしかも大安の日曜日だったので、石の教会と合わせてブレストンでの挙式が一日10組とか。予約を取るのが難しいほど若いカップルに人気だというのも、その日担当いただいたスタッフの皆さんを想えば“むべ(宜)なるかな”でありました。
昨年は諦めかけた7月になってスーパーで“発見”(第494話参照)したネマガリダケ(チシマザサのタケノコ)ですが、今年は早々と5月末にスーパーに並びました。そこで、早速2パックを購入して(1パック5本入りで250円前後)、ルンルン気分で帰ります(美味しさは奥様も理解しているので大丈夫)。
信州でも日本海に近い栂池や北部の志賀高原などで採れるそうですが、冬は雪深いような深山に生え採取困難なために大変希少価値で、地元のスーパーでも長野県産を見掛けることはなく(昨年乗鞍に行く途中に稲核の道の駅で売られていましたが)、3年前は青森産、一昨年は終ぞ見掛けず、昨年同様今年も東北地方の山形県産でした。
山形県でも庄内地方の月山には「月山筍」と呼ばれる根元が赤いネマガリダケが生えていて、“赤いダイヤ”として珍重されているそうで、毎年崖から転落したり遭難したりという事故もあるほど、それこそ目の色を変えて採りに行くのだと地元の方に伺ったことがあります(因みに、海にも近く海産物も豊富な庄内地方で、唯一採取する山菜だそうです)。今回は同じ山形県産でも、それほど赤くはないので月山筍ではなさそうですが、それでも大変貴重な“深山の恵み”には違いありません。
ここはシンプルに皮付きのまま焼いて、味噌を付けて食べるのが一番!(・・・だと思います)。ネマガリダケは灰汁が無いので、そのまま焼いても大丈夫です。因みに北信地方(長野県北部)では、ネマガリダケに限らず、タケノコと鯖缶を入れてお味噌汁(タケノコ汁)にするのが定番だとか。しかし、どうして鮭缶ではなく鯖缶なのでしょうか?・・・。
今年は豊作なのかスーパーに時々並んでいるので、週末の食料品の買出しの折に何度か買って食卓に上っています。
今年はただでさえリンゴの花芽が多く、また家内が骨折で立ち仕事はキツイための工数不足も手伝って、週末は殆どリンゴの摘果作業に追われているので、ガーデニングには全く時間が避けません。
一方、せいぜい2㎡ほどの小さなハーブガーデンは、週末の摘果作業で苗を買いに行く時間も無いことから、園芸店にお願いして必要なハーブ苗を一緒に持ってきていただいて、平日の早朝明るくなり始めた4時半頃から犬たちの散歩に出掛ける5時半くらいまでの小一時間に耕作から植え付けまでして、プランターも含めて漸く終了することが出来ました。今年は少し川砂を入れて水はけを良くしました。
今年も、昨年同様、ルッコラを8株、プランターも含めバジルを3株、同じくパセリを2株植えました。パセリは2年草ですが、二年目は花芽が伸びて葉があまり繁らなくなるので新しく植え替えました。ただ奥様用のコリアンダーは今年入荷が無いとのこと。持って来ていただいたルッコラは、今年はあまり良い苗ではないようですが、大丈夫かなぁ・・・?しばらく様子を見てみます。
クレソンは今年もスーパーで売っているサラダ用を購入して、先ずは水を入れた壜に刺して発根させてから、水耕栽培のプランターに移植しました。
クレソンは生命力旺盛ですので、これで十分発根してきます。今では各地に野生化している外来種であるクレソンも、もともとは料理に使ったクレソンの切れ端が川に流れ込んだモノだと言います。因みに、初めて日本での野生化が確認されたのは、明治時代に上野の精養軒から流れ出た不忍池だったとか。こんなところにも名前が出てくるとは、さすが精養軒ですね。
さて、今年もルッコラサラダがたっぷり食べられますように・・・。
【注記】
如雨露(じょうろ)。「雨露の如し」なんて粋な名前ではありませんか。と思いきや、Wikipediaによればポルトガル語で「水の噴出」を意味する“Jorro”が由来とか。しかし、江戸時代?の命名者は何とも粋な当て字をしたものですね。
3月上旬だったと思いますが、日経の土曜版の別刷り「何でもランキング」で、“お弁当男子にお薦めの簡単レシピ”が掲載されていました。
その中で、第3位にあった「鶏肉のマヨポン酢炒め」。
鶏モモ肉を油の代わりにマヨネーズで炒め、味付けにポン酢を絡めて出来上がりという、お弁当男子向けとある通り男性でも手軽に作れる超簡単レシピ。
ランキングの中で食指が動いたこのレシピなら、時間も掛からす調理出来るので、平日帰宅後の料理当番の日に作ってみることにしました。
唐揚げ用に切って売っていた鶏モモ肉を1パック買ってきて、この時期の春キャベツは柔らかで甘いので、事前に付け合せ用に千切りにしてお皿に並べておきます。
マヨネーズをフライパンで熱して、香り付けに適当にスライスしたニンニクを先ず炒め、そこにモモ肉を並べて焼き色が付くように両面炒めます。中まで火が通った頃を見計らい、ポン酢を掛けて全体に絡めるようにすれば出来上がり。千切りキャベツを添えていただきます。
レシピでは青ネギのスライスを一緒に炒めるようになっていましたが、今回は鶏肉だけにしました。
マヨネーズとポン酢の酸味が利くのか、思いの外肉が柔らかで、マヨネーズとポン酢が絡み合ってコクがありながら、爽やかでまろやかな味に仕上がっていました。うん、簡単レシピにしてはなかなか美味。奥様にも好評で、久方振りにお褒めの言葉をいただきました。
少し余ったのは、レシピのお薦め通りお弁当用なので冷めても美味しいとのことから、翌日奥様がお弁当に入れて持って行かれました。どうも痛み入ります。
簡単美味ゆえ、その後何度か食卓に上っています。
(今回はポン酢を少々掛け過ぎてしまいました。煮たようにならぬよう、量は味が付く程度の方が良いようです)
ある日の朝。いつもの通勤電車でのこと。
突然、車内に木村カエラの『Butterfly』のメロディーが流れました。誰かの携帯の着歌です。目の前に若い女性の方がいたので、てっきり彼女かと思いきや、然(さ)に非ず。
その着歌の主は、会社勤めであれば60歳前だとは思いますが、白髪で大分おでこも広くなられた中年の男性でした。
失礼ながら、私も含めくたびれかけた中年オヤジにはどう見ても(考えても)似つかわしくないその選択に、一瞬「ん?」。
この木村カエラの『Butterfly』。
二・三年前のリンゴ園での農作業中に、FMの彼女自身がパーソナリティーをしていた番組で初めて聴いて、シンプルなメロディーラインで覚え易く、「イイ曲だなぁ、結婚式のBGM向きの曲だなぁ・・・」と思ったのも当然で、彼女自身が親友の結婚式のために書き下ろした曲だとの説明に納得。
私の頃は、「てんとう虫のサンバ」からそろそろ「乾杯」に切り替わる時代でしたが、そう言えば、まだ世間で「乾杯」が大ヒットする前に気に入ってLPを購入し、結婚式のBGMとして流してもらいましたっけ。
今ではこの木村カエラの「Butterfly」が、若いカップルの結婚式での定番ソングなのでしょうか。
“♪どんな君より美しい 白い羽ではばたいてく 幸せと共に”
親友の幸せを想う温かな良い詩です。ここで言う「蝶」は、蛹(さなぎ)から脱皮して美しく変身する姿に、純白のウェディングドレスを纏った花嫁を例えているのでしょう。
ただ、お節介ながら、英語のButterflyには、正しく花から花へと飛び回る蝶に例えて「移り気(浮気っぽい)」という意味もあるので、勘違いされぬようにせめてアルファベット表記ではない方が良いのではないか、などと勝手に心配しています。
考えるに、あの中年の男性は、お嬢さんの結婚式に流れたこの曲を、嫁がれた娘さんの思い出と共に心に留めるべく着歌として選ばれたのかなぁ、と勝手に想像してしまいました。
斯く言う私メも、この6月にバージンロードをエスコートする予定です。