カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
既にJリーグへの加盟資格を認められているJFL松本山雅が、最後の粘りで4位となって昇格条件の4位以内が確定し、JFL所属2年目で見事J2昇格条件を満たし、本日12日のJリーグの理事会にて正式に承認される予定です。
思えば8月の松田直樹選手の突然の訃報以降、彼の想いに何が何でも応えようと驚異的な追い上げで掴んだ悲願の昇格でした。しかも、昇格を決めた試合当日は、松田選手の月命日だったとか。
私の周囲にも県外まで応援に駆けつけるという熱狂的なサポーターもいますが、松本には、田舎には勿体無いほどの2万人収容のサッカー専用競技場アルウィンがあるだけに、看板チームがJリーグに昇格し何よりです。
それほど山雅フリークではない私メでもその戦績に一喜一憂していましたので、念願の昇格が決まり松本市民としてほっとしました。これも天国の松田選手が見守ってくれたからなのだろうと思わざるを得ない戦い振りでした。
リーグ戦ではありませんが、NHKのBS-1で中継してくれた新潟アルビレックスとの天皇杯3回戦での、雨の中最後まで必死にボールを追いかける選手たちの気迫は鬼気迫るほどで、凄みすら感じました。
会社の同期に拠れば、松本山雅は、松本駅前にあった喫茶店「山雅」に良く集まっていた、松本県ヶ丘高校のサッカー部OBなどの常連客が中心となって1965年に発足させたサッカークラブが母体とのこと。
県ヶ丘高校(通称県陵)は元々サッカーが盛んで、同期の彼自身もサッカー部OBでインターハイ出場選手。彼自身は所属していなかったそうですが、その母体クラブの設立メンバーは彼の大先輩たちなのだそうです。
今は「山雅」という名前が残るのみで、当時のメンバーは無関係だそうですが、最初名前を目にした時は、京都(パープル)サンガもあっただけに、てっきり「さんが」と読むのだとばかり思ったのですが、考えてみれば「山雅」という名称も“岳都”松本らしくて良い名前だと思います。
アルウィンという国際大会を開けるほどの器があり、2002年W杯のパラグアイのキャンプを誘致(今でも「チラベルト杯」という地域少年サッカー大会にその成果を残します)したことをキッカケに、地元のJCなどが中心になって「松本にもJリーグチームを誕生させよう!」というNPOが発足しました。その時の候補チーム名が「松本ラズーソ」。何となくラテン系言語的な名前の雰囲気はありますが、ラズーソは松本方言の「そ~ずら」をただ逆から読んだだけとか。当時その由来を知って、「座布団一枚!」と独りニヤっとしたネーミングでしたが、山雅が強くなった結果「ラズーソ」はいつしか消滅し、「山雅をJに!」が地元の合言葉になりました。
嘗てはサッカー不毛の長野県出身の現役唯一のJリーガー(現在はJ2を含めると数人とか)で、しかも地元松本出身(これが同じ中学なんです)で長らく横浜マリノスで活躍し、現在名古屋グランパスに所属する俊足右サイドバックの田中隼麿選手に、出来れば近い将来松本に戻ってきて欲しいものですね。
7日には、練習後に選手とスタッフがバスで群馬県へ向かい、松田選手の墓前にJ昇格の報告をしたそうです。
そして、12月17日。その松田選手が所属した2つのチームである横浜マリノスと松本山雅が天皇杯4回戦で当たります。万感の想いでピッチを見つめる人たちも多かろうと思います。来期からのJリーグを前に、ガンバレ!松本山雅。
【追記】
写真は、J2昇格を祝って、松本駅の自由通路に先週16日頃から飾られているパネルから。
思えば8月の松田直樹選手の突然の訃報以降、彼の想いに何が何でも応えようと驚異的な追い上げで掴んだ悲願の昇格でした。しかも、昇格を決めた試合当日は、松田選手の月命日だったとか。
私の周囲にも県外まで応援に駆けつけるという熱狂的なサポーターもいますが、松本には、田舎には勿体無いほどの2万人収容のサッカー専用競技場アルウィンがあるだけに、看板チームがJリーグに昇格し何よりです。
それほど山雅フリークではない私メでもその戦績に一喜一憂していましたので、念願の昇格が決まり松本市民としてほっとしました。これも天国の松田選手が見守ってくれたからなのだろうと思わざるを得ない戦い振りでした。
リーグ戦ではありませんが、NHKのBS-1で中継してくれた新潟アルビレックスとの天皇杯3回戦での、雨の中最後まで必死にボールを追いかける選手たちの気迫は鬼気迫るほどで、凄みすら感じました。
会社の同期に拠れば、松本山雅は、松本駅前にあった喫茶店「山雅」に良く集まっていた、松本県ヶ丘高校のサッカー部OBなどの常連客が中心となって1965年に発足させたサッカークラブが母体とのこと。
県ヶ丘高校(通称県陵)は元々サッカーが盛んで、同期の彼自身もサッカー部OBでインターハイ出場選手。彼自身は所属していなかったそうですが、その母体クラブの設立メンバーは彼の大先輩たちなのだそうです。
今は「山雅」という名前が残るのみで、当時のメンバーは無関係だそうですが、最初名前を目にした時は、京都(パープル)サンガもあっただけに、てっきり「さんが」と読むのだとばかり思ったのですが、考えてみれば「山雅」という名称も“岳都”松本らしくて良い名前だと思います。
アルウィンという国際大会を開けるほどの器があり、2002年W杯のパラグアイのキャンプを誘致(今でも「チラベルト杯」という地域少年サッカー大会にその成果を残します)したことをキッカケに、地元のJCなどが中心になって「松本にもJリーグチームを誕生させよう!」というNPOが発足しました。その時の候補チーム名が「松本ラズーソ」。何となくラテン系言語的な名前の雰囲気はありますが、ラズーソは松本方言の「そ~ずら」をただ逆から読んだだけとか。当時その由来を知って、「座布団一枚!」と独りニヤっとしたネーミングでしたが、山雅が強くなった結果「ラズーソ」はいつしか消滅し、「山雅をJに!」が地元の合言葉になりました。
嘗てはサッカー不毛の長野県出身の現役唯一のJリーガー(現在はJ2を含めると数人とか)で、しかも地元松本出身(これが同じ中学なんです)で長らく横浜マリノスで活躍し、現在名古屋グランパスに所属する俊足右サイドバックの田中隼麿選手に、出来れば近い将来松本に戻ってきて欲しいものですね。
7日には、練習後に選手とスタッフがバスで群馬県へ向かい、松田選手の墓前にJ昇格の報告をしたそうです。
そして、12月17日。その松田選手が所属した2つのチームである横浜マリノスと松本山雅が天皇杯4回戦で当たります。万感の想いでピッチを見つめる人たちも多かろうと思います。来期からのJリーグを前に、ガンバレ!松本山雅。
【追記】
写真は、J2昇格を祝って、松本駅の自由通路に先週16日頃から飾られているパネルから。