カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
早いもので、明日は大晦日。
娘が二人とも就職したため年末年始は誰も帰省出来ず、今年は家内と二人だけで明日一杯かけて大掃除。チロルとナナの手も借りたいくらいですが、お正月に向けてもう一頑張りです。
4年目を迎えたこのブログをご愛読賜り、誠にありがとうございました。
昨年の同時期のブログを確認してみたところ、昨年は1.8日で更新し、年間アクセスが9万件を超えたという記載がありました。
2011年の今年は、この第576話で年間171話ですので、計算すると2.1日の更新でした。そして、アクセスはナント10万件どころか155,000件を数えました。
月によってバラツキはありますが、毎月コンスタントに1万件を数え、8月には過去最高の15000件を超えるアクセスがありましたので、1日500件という計算になります。真夏で、特段リンゴの注文時期でもありませんでしたので、リンゴとは関係なくお読みいただいている方もおられるかと思います。誠にありがとうございました。
ただ、さすがに2日毎の更新は些か疲れますので、来年はもう少し間を空けようかと思っています。正直、ネタが尽きかけております。ご容赦くださいますよう。
今年は、ナンと言っても3.11でしょうか。また、6月30日には、ここ松本でも直下型の震度5強の地震がありました。
大震災をふまえ、日本人一人ひとりがそれぞれの立場で、自分には何が出来るか向き合った年でもありました。そして、自分たちが日本人であることのアイデンティティーを少なからず感じさせてくれた稀有の年でもありました。そして、日本全体が失いかけた自信をなでしこジャパンが与えてくれた年でもありました。
また一方で、勿論今年も色々荒んだ事件はありましたが、「世の中まだまだ捨てたもんじゃない」と、日本全体が他人を思いやるちょっぴり優しい年でもあったように思います。
大晦日の雪の京都を描いた画伯の代表作の一つ。しんしんとした街並みに、行く年を告げる除夜の音が聞こえてきそうです。
来年こそは、日本全体が良い年になって欲しいものですね。
一年間誠にありがとうございました。皆さま、どうぞ良いお年をお迎えください。
カネヤマ果樹園一同(+チロル&ナナ)
恒例の師走の都大路を駆け抜ける全国高校駅伝も日曜日に終了し、もうすぐお正月。駅伝シーズンのハイライト、箱根駅伝の季節でもあります。既にエントリーも発表されましたが、今年はどんなドラマが待っているか。柏原に挑む村沢の5区山登りに(個人的には大)注目です。
箱根と言えば、昨年の山下りで転倒しながらも逆転し、見事優勝の立役者となった早大4年生の高野選手。卒業後、この春から社会人となって故郷信州へ戻ってきました。
もう地元紙にも何度か書かれていたので記事にしても構わないと思いますが、高野さんはJR東日本に就職されて、上諏訪駅に配属されています。
初夏だったでしょうか、駅で制服姿の駅員さんを見て、一瞬「えっ!?」。でも、どう見ても涼やかでイケメンのあの顔でした。
駅勤務なので、早番、遅番があるのでしょう。
その後、通勤途中に(多分寮から出勤する彼と)道ですれ違ったり、あるいは夜駅で勤務していたりする制服姿りりしい高野さんを何度も見掛けるようになりました。でも駅伝ファンとしては、彼の走る姿もまた見たいもの。他の社員の方もおられるので、迷惑になってはと思い素知らぬ振りをしていましたが、ある日通勤用の信州特急回数券を買おうと窓口に行くと、ちょうどチケット売り場の担当が高野さんでした。
発券してもらい、最後に「もう走らないのですか?」と突然お聞きすると、一瞬「えっ?」そして、「今度の諏訪湖マラソンに出る予定です。」と、ニコっと微笑んで答えてくれました。
「そうですか、そりゃ良かった。是非がんばってください!」
「はい、ありがとうございます」
笑顔がとても爽やかでした。
その後、11月19・20日に行なわれた伝統の長野県縦断駅伝に、優勝した「全諏訪」チームの選手として出場するという新聞記事が地元紙に掲載されました。結果は、初日の区間を走り、区間9位だったとのこと。
記事によると、一人諏訪湖畔を走っていて、チーム関係者に誘われたのがキッカケだったとか。ただ社会人になって殆ど練習が出来ず、本格的な練習は10月になってからだったそうです。
彼は、確か小布施の出身だったと思いますが、学生時代まで地元(須坂上高井)チームで何度も縦断駅伝には出場しており、上諏訪駅にいる間は、諏訪地区から出場したいとのこと。そして、「出来れば、今度は転ばないように、白樺湖からの山下りを走ってみたい」とのコメントで締め括られていました。
県内勤務ということは会社の実業団チーム所属前提ではなく通常の新卒採用だと思いますので、勤務の傍ら個人で練習するのは大変だと思いますが、どうぞこれからも頑張って走り続けてください。陰ながら応援しています。
さて、25日に行なわれた今年の高校駅伝では、その高野さんや村沢選手の母校である佐久長聖高校は、初陣となる高見澤新監督の下、エースを故障で欠き、結局過去最低の21位と沈みましたが、最初から上手くはいかないもの。これを糧に是非頑張ってください。一方、女子の県立長野東は遂に悲願の8位入賞を果たしました。しかも上位7校は全て私立校です。
ただ、今年は男女ともまたケニアからの留学生のいるチームの圧勝に逆戻り。彼等だけで勝ったとは言いませんが、しかしなぁ・・・(と溜息)。
お正月の箱根では、東海大監督として初陣を飾る佐久長聖前任の両角さんの手腕に期待です。そして、その後は都道府県対抗。今年の長野県の男子チームは、高校生が弱いとちょっとキツイかなぁ。むしろ、女子に期待でしょうか、ね?
この22日。松本駅に近い、旧野口ビルに新たに書店がオープンしました。
このビルは、井上の別館や飲食店などのテナントが入っていたのですが、井上の本館集約に伴う撤退で、全館閉鎖を余儀なくされていたものです。寂れ往く地方都市の駅前周辺を象徴するかのようでした。
そこに、名古屋に拠点を置くジュンク堂が進出すると報じられ、結局傘下の丸善の名前でオープンしました。
本屋というのは、その町の文化度を表すと言っても過言ではないと思います。
“信濃では馬子も中央公論を読んでいる”と揶揄された理屈っぽさに加え、松本には戦前旧制高校が置かれていたこともあり、地方都市にしては書店数がかなり多いと昔は言われていましたが、最近の子供たちや若者が本を読まなくなったためか、松本でも数年前に老舗の鶴林堂が倒産し、続いて結構広かった駅前のロクサンも閉店してしまいました。
家内などは欲しい本があるとアマゾンで注文して近くのコンビニで受け取っていますし、更に最近の電子ブックなどの登場で、減少に拍車が掛かっているのかもしれません。私も、以前欲しいビジネス書を松本市内で探しても見つからず、新宿の紀伊国屋に行ったら山積みされているのを見て、(松本の本屋さんに)ガッカリしたことがありました。
そんな中での県下最大級という書店の誕生に、松本市民としては大歓迎です。でも数年後に撤退というようなことにならぬように、今度本を買う時は、できるだけ丸善で買うようにしたいと思います。
今日はクリスマスイブ。しかも土曜日となったため、天皇誕生日からの三連休。この日ばかりは、家族でというご家庭も多いのでしょう。
街角にもイルミネーションやデコレーションが飾られて、クリスマス一色といった様相です。
11月頃から、地元や東京に行った時など、歩きながら見掛けた中で、今年一番素敵だったクリスマスのデコレーションがこれ。
BoyzⅡMen の東京公演に行った時に泊まったホテルのロビーに飾られていたクリスマスツリーです。
これ、何で出来ていると思われますか?
写真では分り辛いかもしれませんが、全てポインセチアなんです。
ポインセチアそのものも、その赤と緑の色合いからキリストの血に例えられ、原産地とされるメキシコでは『聖夜(ノーチェ・ブエナ)』と呼ばれるそうですが、我国でもクリスマスシーズンにお馴染みとなった観葉植物です。
このツリーは、円錐状の台座にポインセチアが一鉢ずつはめ込んで飾られていますが、その数もあって、全体が見事なクリスマスツリーに出来上がっていました。
「凄いなぁ・・・」と、暫し感心して見とれていました。
夕刻、娘が用事があるという三鷹で食事とのこと。私も立川からあずさに乗車することにして合流しました。
杜の都仙台の欅並木のイルミネーションも見事だとか。しかも、地震で破損し使えなくなったため、各地から善意のLEDが以前と遜色がないほど集まったといいます。
お盆の灯篭流しのように鎮魂のともし火ではありますが、明かりを見ていると、生きている者には希望の光を心にもともしてくれるのでしょうか。神戸のルミナリエ然り。その意味で、節電意識も大切ですが、この時期くらいは今年は特に大目に見てもイイんじゃないかなぁ・・・。
そんなことまで考えながら、光の街並みの中を彼女たちに置いていかれそうになりながら歩いていました。
「ちょっと、待ってよーってば」
BoyzⅡMenの東京公演の時に、夕方到着後用事のある家内と分かれ、一人で向かった山種美術館。
都会の美術館なのでもう少し遅いかと思ったら、残念ながら夕方5時閉館で4時半が最終入場とのこと。その時は諦めざるをえませんでした。
山種では、この時期『ザ・ベスト・オブ・山種コレクション』と題して、創立45周年を記念した特別展が開催されていて、この25日までが前半の部。その前半の目玉は速水御舟の「名樹散椿」と竹内栖鳳「斑猫」。いずれも重要文化財。
どうしても見たくて、農作業も終了し暫し休憩の時期でもあり、この17日に別件で娘と会いに泊まりで上京する家内と一緒に、私は日帰りで同行することにしました。
前回に比べ、大層込んでいました。展示80点とこじんまりですが、2時間近く掛けてゆっくり鑑賞。山種は近代の日本画中心のコレクションですが、前半だけで重要文化財が4点あるというのも凄いなぁ・・・。
その中に、松本出身で橋本雅芳門下の四天王の一人と嘱望されながら、やがて失踪し台湾を放浪したという西郷孤月の「台湾風景」も展示されていました。
また、村上華岳の「裸婦図」には、昭和50年代の新聞記事の拡大コピーが添えられていました。薄幸な女性が自殺を決意し、たまたま偶然入ったデパートで開かれていた絵の展覧会で、この絵の女性に天国の母の姿を見て、まるでお母さんから励まされたようで死ぬのを思い留まったと、その後感謝の手紙がデパートに届けられたという内容でした。
絵には癒しだけではなく、元気を与えてくれる効果もあります。特に今年は、色んな芸術から元気や生きる勇気をもらった、という方も多いのではないでしょうか。こんな時こそ、音楽や絵画などの出番だと思います。
近代日本画としては初の重文指定という、速水御舟の「名樹散椿」はさすがに見事でした。また、「斑猫」は栖鳳の住んでいた近くの八百屋の女将さんの愛猫とか。今にも動き出しそうな、そして柔らかなネコの毛の描写が見事です。
もう一つの目玉、同じ御舟の「炎舞」は年明けからの後半展示です。東山魁夷の「年暮る」(第503話参照)も後半展示とか(年明けよりも年末の方が気分的に合いそうなのですが)。
じっくり堪能した後、喫茶コーナーの和菓子も見事でしたが、一人では食指も動かず、美術館を後に黄色の絨毯を踏みしめながら余韻を楽しみつつ坂道を下って行きました。
(掲載した絵画の写真は、美術館で購入したポストカードから)
最後に残った12月10日の期日指定の出荷分と、地元の親戚への配達を以って、2011年のリンゴ作業は全て終了しました。
12月4日には、5キロ箱が多かったものの、一日66箱という新記録?の出荷。早朝から作業を開始し、宅配便トラックも一日3回に分けて集荷に来てくれて、何とか夕刻の最終便に間に合わせることができました。
平日帰宅後の深夜作業では、今年もマーラーの巨人とピアノジャズトリオに加えて、今年はドボルザークの8番(今年何度か聴く機会のあった「新世界」よりも好きなので)と娘からのBoyzⅡMenのCDが元気を出させてくれました。
今年もお叱りは皆無ではなかったものの、励ましのメールやお手紙も幾つも頂戴し、疲れた体には大変励みになりました。誠にありがとうございました。
H/P開設以来、毎年サンふじと今年はシナノスイートもご注文をいただいたお得意さまからは、
『今年もふじが届きました。2歳半になる娘がリンゴが大好きで、必ず大きく切ってある方からかぶりつきます。今日も保育所から帰ったら大喜びすると思います。私達カネヤマ・ファンクラブの為にも頑張ってください。』という心温まるお葉書を頂戴しました。
今年もお礼肥料として撒くために、JAに注文した有機堆肥が既にリンゴ園には運び込まれています。
収穫発送終了も束の間、もう来年の秋に向けた作業が始まり、早い園ではこの年内から、当園でも年明け早々からリンゴの木の剪定作業が始まります。
お天道さま次第ではありますが、せめて人間が可能な世話だけは出来るだけ手間隙掛けてやっていこうと思います。
今年もご愛顧賜り誠にありがとうございました。
季節は足早に実りの秋から初冬へと移ろいつつありますが、皆さまの今年の成果は如何だったのでしょうか。きっと実り多かったものと拝察申し上げます。ここ信州松本もサンふじリンゴの収穫期となりました。
さて、覚えておられるか、当方のブログをご覧いただき、2月にあろうことか、長野県池田町出身の部員の方に託された『私たちの時代』のDVDをいただいた者です。その節は誠にありがとうございました。
その際、お礼状はお送りしたものの、何分真冬では何もお返しするものもありませんでしたが、ここで漸く信州も実り秋を迎え、当園(リンゴ園)も主力のサンふじリンゴを収穫いたしましたので、ほんの気持ちばかりではありますが、いただいたDVDのお礼として謹んでお送りさせていただきますのでご査収ください。
番組中で、町の漁師のおじいさんが「こんなことしか出来んから」と、皆さんの合宿所に朝漁に出て採ったばかりのサザエを届けられていたのと、私も全く同じ気持ちです。
私にはこんなことしか出来ませんし、隣県である石川県ですので、リンゴは決して珍しくもないかもしれませんが、ちょうどDVDをお持ちいただいた2月の厳冬の中でのリンゴの剪定から始まり、5月の花摘み、6~7月の摘果、炎天下での下草刈りと一年中の作業を経て、漸くこの秋に収穫できたリンゴです。どうかご笑納くださいますよう。
今年は、昨年の猛暑の影響とのことですが、一部の木の花着きが極端に悪かったために、当園でも全体の収穫量が例年よりも少なめでした。また、毎年ご注文いただくお客様もおられるため、特大や大玉・中玉は既に終了してしまい、残った小玉りんごになります。育ち盛りの皆さまには物足りぬかもしれませんが、数に免じてどうかご容赦ください。
3月には信じられないような大震災が起こりました。
偶然とは言え、震災前に放送されたことが何となく運命的であったような気さえ致しました。そして結果として、局所的とはいえ能登地震を乗り越えていく門前高校の皆さんの頑張りが、その後の大震災を乗り越える一つの指針ともなったようにさえ思います。
災害にもめげず、悩みながらも前を向く若い皆さんの目の輝きに、そして皆さんのことを「町の宝やな」という町民の皆さんに、「こんなことで負けてたまるか!」とノックをされる道先生に、そしてそれを見つめる室谷先生の温かな眼差しに・・・。
同じ様に若い人たちにこの国の未来を、そして夢を託すべく日々自分の出来ることを黙々と頑張っている被災地の方々が数多くおられるだろうと信じています。そして、それに応え前を向く若者たちにエールを送りたいと思います。
「世の中、まだまだ捨てたもんじゃない!」
「大きかろうが小さかろうが、人生頑張れば、結構面白い!」
古来「リンゴ一個で医者要らず」と申します。
お若い皆さんではありますが、これから寒さに向かってまいります。怪我などせぬよう、風邪などひかぬよう、真冬の剪定作業が秋のリンゴを決めるように、皆様もどうぞオフシーズンもしっかり鍛えられて、また来シーズンの実りの季節を迎えられますよう、そして学校生活の中で、それぞれ皆さんご自身の「生きる指針」が定まりますよう、信州松本より祈念申し上げております。どうぞ良いお年をお迎えください。 敬具
2011年12月吉日
カネヤマ果樹園より
先月末のことですが、月曜日でしたが娘たちのところへ上京して戻られた奥様を、夜お迎えに行くと、もう疲れたので外食にしようとの有り難い仰せ。
シメシメと、久し振りに寿司の『王滝総本店』へ。いやぁ、久し振りの外食だぁ!
早くも忘年会シーズンか、月曜日だというのに個室では宴会のようで、結構混んでいました。ただ、カウンターは空いていたので、家内は早速お目当てのオジイチャン板さんの前に座ります(第497話参照ください)。
お寿司を握っていただきながら、家内と板さんとの会話です。
「オイシイですぅ!硬く握られるとガッカリするんですけど、こういう風にふわっと握っていただけるとホント嬉しくて・・・」
「ありがとうございます。でも、これでも昔より少し固めに握ってるんですよ。」
「えっ!そうなんですか?」
「最近は殆どのお客さまがお寿司を箸で食べられるので、箸で掴んだ時に崩れないくらいの固さで握っていますが、昔指で摘んで食べていただいていた時は、もっと柔らかく握っていたんですよ。」
「あっ、そうなんですね!」
驚きました。充分にふわっと握ってあると思ったのですが、昔はもっと柔らかく握っていたなんて・・・。
指でお寿司を握って食べれば、本来もっと握りは柔らかなんだ。いやぁ、知らなかったなぁ・・・(と、私は全く気にもなりませんでしたが)。
もしかしたら、ちゃんとしたお寿司屋さんのカウンターに座って、指で摘んで食べていれば、板さんがそのお客さんに合わせて更にふわっと柔らかく握ってくれるのかもしれませんね。なるほどなぁ、握り一つ、奥が深いですね。
思えば8月の松田直樹選手の突然の訃報以降、彼の想いに何が何でも応えようと驚異的な追い上げで掴んだ悲願の昇格でした。しかも、昇格を決めた試合当日は、松田選手の月命日だったとか。
私の周囲にも県外まで応援に駆けつけるという熱狂的なサポーターもいますが、松本には、田舎には勿体無いほどの2万人収容のサッカー専用競技場アルウィンがあるだけに、看板チームがJリーグに昇格し何よりです。
それほど山雅フリークではない私メでもその戦績に一喜一憂していましたので、念願の昇格が決まり松本市民としてほっとしました。これも天国の松田選手が見守ってくれたからなのだろうと思わざるを得ない戦い振りでした。
リーグ戦ではありませんが、NHKのBS-1で中継してくれた新潟アルビレックスとの天皇杯3回戦での、雨の中最後まで必死にボールを追いかける選手たちの気迫は鬼気迫るほどで、凄みすら感じました。
会社の同期に拠れば、松本山雅は、松本駅前にあった喫茶店「山雅」に良く集まっていた、松本県ヶ丘高校のサッカー部OBなどの常連客が中心となって1965年に発足させたサッカークラブが母体とのこと。
県ヶ丘高校(通称県陵)は元々サッカーが盛んで、同期の彼自身もサッカー部OBでインターハイ出場選手。彼自身は所属していなかったそうですが、その母体クラブの設立メンバーは彼の大先輩たちなのだそうです。
今は「山雅」という名前が残るのみで、当時のメンバーは無関係だそうですが、最初名前を目にした時は、京都(パープル)サンガもあっただけに、てっきり「さんが」と読むのだとばかり思ったのですが、考えてみれば「山雅」という名称も“岳都”松本らしくて良い名前だと思います。
アルウィンという国際大会を開けるほどの器があり、2002年W杯のパラグアイのキャンプを誘致(今でも「チラベルト杯」という地域少年サッカー大会にその成果を残します)したことをキッカケに、地元のJCなどが中心になって「松本にもJリーグチームを誕生させよう!」というNPOが発足しました。その時の候補チーム名が「松本ラズーソ」。何となくラテン系言語的な名前の雰囲気はありますが、ラズーソは松本方言の「そ~ずら」をただ逆から読んだだけとか。当時その由来を知って、「座布団一枚!」と独りニヤっとしたネーミングでしたが、山雅が強くなった結果「ラズーソ」はいつしか消滅し、「山雅をJに!」が地元の合言葉になりました。
嘗てはサッカー不毛の長野県出身の現役唯一のJリーガー(現在はJ2を含めると数人とか)で、しかも地元松本出身(これが同じ中学なんです)で長らく横浜マリノスで活躍し、現在名古屋グランパスに所属する俊足右サイドバックの田中隼麿選手に、出来れば近い将来松本に戻ってきて欲しいものですね。
7日には、練習後に選手とスタッフがバスで群馬県へ向かい、松田選手の墓前にJ昇格の報告をしたそうです。
そして、12月17日。その松田選手が所属した2つのチームである横浜マリノスと松本山雅が天皇杯4回戦で当たります。万感の想いでピッチを見つめる人たちも多かろうと思います。来期からのJリーグを前に、ガンバレ!松本山雅。
【追記】
写真は、J2昇格を祝って、松本駅の自由通路に先週16日頃から飾られているパネルから。
毎週土曜日の朝刊に別刷りで配達される『Be』。
その中の連載の一つが「歌の旅人」という題で、毎回1曲を取り上げてその背景を探る記事。好評のようで、既にまとめられて単行本としても出版されているようです。日本の曲に留まらず、海外の曲も取り上げられて現地取材がされて、有名な曲であっても知られていない誕生エピソードなどが書かれています。
最近の記事で印象深かったのは「翼をください」。
言わずと知れたフォークグループ「赤い鳥」の代表曲で、若い世代には教科書でも採り上げられてお馴染みの曲。
学生時代、「赤い鳥」も好きで、ベストアルバムのLPも購入してありました。
記事の内容はともかく、最後の結びのヒネリが印象的でした。
解散後、紙風船とハイファイセットが同じステージに立ったことはないのだそうです。そして、それぞれが被災地での鎮魂歌やW杯での応援歌として、この歌の魅力を“再発見”してきたのだとも。
その結果、赤い鳥時代の歌をずっと避けてきたというハイファイセットのリードボーカル山本さんは、最近「翼をください」を再録音し、ステージでもその封印を解いたのだそうです。
そして、それを受けて記事はこう結びます。
『ならばと、記者は思ってしまう。今、私の願いごとがかなうならば・・・この歌を赤い鳥の完璧なコーラスで聴きたい。』と。
そうか、赤い鳥解散後一度も再結成されていないんだと改めて認識しました。(写真は、紙風船の「冬が来る前に」のシングルレコード)
「日本のPPMを目指す」という主張が、お互い相容れなくなったかもしれませんが、勿体無いなぁ。もう皆さんそれなりのお年になられたのですから、確かに記事の結びにあるように、もし(願いが)叶うならば“恩讐を超えて”もう一度「赤い鳥」としての歌を是非聴いてみたいものです。
ところで、日本のコーラスグループで、“日本のABBA”だと勝手に私が思っていたのが「サーカス」です。
1978年にミリオンセラーとなった「Mr.サマータイム」よりも、その後の「アメリカン・フィーリング」が好きでした。確か、JAL(パック?)のTVCMにも使われました(・・・と言いながら出てきたのは「Mr.サマータイム」のシングル)。
ABBAと同じ様に、兄弟姉妹と従姉の男女4人グループで、同じDNAの成せる業か(が本来ですが、ここは「技」と呼びたいくらい)、声質が同質でハーモニーが綺麗で、何よりも声に華がありました。こんな、洗練されたグループが日本にもいるんだと思ったものです。
「歌の旅人」で(歌はどの曲でも良いので)是非取り上げてもらいたいグループです。
文科省の要請を受けてとのことですが、長野県でも群馬県境の大気中のセシウム濃度をふまえて、今年は落葉での「たき火」を自粛するように呼びかけたというニュースが流れました。
昔、子供たちの通っていた頃。信大附属小の道路沿いに大きな欅の木が何本かあり、道路側にも大量に葉が落ちるので、秋になると子供たちが定期的に道路清掃をして落葉を集めて、お母さん方も集まってクラスで焼き芋大会をして楽しんだそうです(その時に教えていただいたノウハウが、薪ストーブでの奥様の焼き芋作りに活かされています)。
落ち葉拾いと、たき火と焼き芋。今年は、少々晩秋の風景も違ったのかもしれません。
霜の降りるこの時期に凛として咲く花を見ていると、気高さを感じます。
サザンカ(山茶花)はツバキ科の常緑樹。ツバキが英語でカメリア(camellia)に対し、サザンカは(camellia) sasanquaとそのままです。
中国などのアジアにも自生しているようなので、日本固有種ではないにしても、英語名からすると日本から広まった品種のようです。因みに寒椿はツバキとサザンカを高配して作られた園芸種とか。
もう一枚の写真は、梅の木に巻いた蔦。ドウダンツツジやハナミズキなど、他の庭木は既に葉が落ちた中で、つい最近まで晩秋の紅葉が鮮やかでした。
信州では、里山近くまで降雪の境界が降りてきて、晩秋から初冬へと足早にその歩を早めています。
何度か紹介した「たけしや」のヤキソバ(最近では第425話参照)。
極太麺と独特の甘めのソース。ヤキソバ一本で勝負して40年。これぞ、B級!(個人店ゆえ、山賊焼きのような地域興しにはなりませんが、松本B級と言えば、個人的にはたけしやとヤマナミが代表格)。
家内の好みではないため(確かに昔は運動部系男子高校生御用達)、なかなか食べられないのですが、一年近く前にスーパーで売られていたマルちゃんの東洋水産のカップ麺「焼きそばバゴーン」の「凄太」。これが、たけしやのヤキソバに何となく似ていて結構気に入って、家内が不在で農作業等での時間節約の際の昼食に時々食べていました。
そのため3回目は、説明書きを無視して4分間で試してみました。
パスタではありませんが、アルデンテ好みの方には、断然4分がお奨めです。
ソースも甘めで、麺もキャッチフレーズのように極太で、「たけしや」のヤキソバが食べられない時(+週末の農作業中でのお昼の時間節約)に重宝しました。お好みですが、家にある青海苔と七味を振り掛けていただきます。
勿論「焼きそばバゴーン」ですので、凄太もインスタントのワカメスープ付き。
ただ太麺ゆえ、個人的にはちょっと麺の量が少なく感じるので、出来れば大盛りも発売していただけると助かるなぁ・・・。
ところが、一時期売り場から消えてしまいました(普通のバゴーンは並んでいます)。評判が良くて売り切れたのか、或いは小麦粉が不足(原料高騰)し減産しているのか、東北地方に工場があったのか、はたまた人気が無くて製造中止か・・・、気になるところでありましたが、その後また復活しました。あぁ良かったー!・・・と、家に買い置きがあるのですが、気を良くして2個も買ってしまいました。
そして、また店頭から消えました・・・。地域限定の試験販売だったのでしょうか?それとも、評判が余り良くなかったのでしょうか?美味しかったのに・・・、グスン。
すると今度は、日清からも「太麺堂々」シリーズのヤキソバが発売されました。これは、魚粉を使った粉ソースが売り。これも蒸らし5分ですが、5分だとやっぱり麺が柔らか過ぎ。また、特徴を出そうとしたのでしょうが、魚粉が効き過ぎてしまい、焼きうどんなら合うかもしれませんが、個人的にはやっぱりソースヤキソバの方が好みです(またしても2個買ってしまったので、二度目は魚粉無しの4分でいただきました)。
そうこうする内に、これまでのテスト・マーケティング(だったのか?)の成果でしょうか。ここでマルちゃんから「スゴブト大盛り」が店頭に並びました。
おぉ、やったぁー! やっぱりなぁ・・・、早速買わなくっちゃ。
と、早速買ってみました。
前回の「バゴーン」ではなく、「スゴブト」という独立したブランドになっています。しかも、新たに「一平ちゃん」と同じ様な辛子マヨネーズも付いていました。代わりに「バゴーン」ではないので粉末スープは無し。今回も、表示された蒸らし5分ではなく4分で試食。
うーん、ソースがかなり甘めなので、マヨネーズをかけると(年寄りには?)少々くどくなってしまいます。「一平ちゃん」のような辛目のソースなら良いかもしれませんが、「スゴブト」の甘めのソースには、個人的にはマヨネーズ不要と判断しました。ただ、大盛りになって量も増えて(勿論値段もですが)、食べ応えはアップ!良いと思います。我家の常備品になりそうです。
しかし、元々熱湯を注ぐだけのチキンラーメンもあったので、スープ麺は発想できるとは思いますが、カップ麺のヤキソバを開発した人は凄いなぁ。良く考えたものだと感心します。茹でることは熱湯で出来ても、本来炒める過程を熱湯を注ぐだけで代替させるには、麺やソースにかなり苦労と工夫があったんでしょうね。おかげで、リンゴ採りや選別作業で時間の無い時など大変助かっています。
11月25日の金曜日。
長女が、23日の結婚記念日と今年のお歳暮や我々の誕生日など “ぜ~んぶまとめて”ということで、BoyzⅡMen のライブコンサートのチケットをプレゼントしてくれました。
リンゴ収穫作業の最盛期ではありましたが、せっかくの好意に甘え、束の間の骨休みに出掛けることにしました。この類のコンサートは、四半世紀前に行ったスタイリスティックス以来でしょうか。そう言えば、あの時はちょうど長女が家内のお腹の中にいましたっけ・・・。
BoyzⅡMenは、シンガポール赴任中に何故か聴き始めて、デビューアルバムから2枚だけでしたがCDを買って、帰国後も良く聴いていましたので、彼女の記憶の中にもあったのでしょうし、彼女自身米国にホームステイもしたので、私以上に馴染みなのかもしれません。
初期の頃のアカペラの“It’s hard to say goodbye”や、ヒット曲の“End of the road”や“I’ll make love to you”など、合唱好きをも虜にするハーモニーの素晴らしさ。
当日、午前中リンゴの選別作業と当日発送分の荷造りを何とか済ませて、昼頃の高速バスで新宿に向かいました。渋滞も無く予定時間前に到着。私は、一人恵比寿の山種美術館へ。創立45周年の特別展が開催中でしたが、残念ながら最終入場時間に間に合わず断念し、有楽町で皆と待ち合わせ。初めての東京国際フォーラムです。確か、ラ・フォル・ジュルネや東京ジャズフェスティバルもここで開催されている筈。イイなぁ、都会は。今回は、メインのホールA。
6時の会場時間以降、続々と聴衆がやって来ます。5千人の収容という大ホールですが、凄いなぁ。開演時間には満席になりました。
コンサートは1時間半のぶっ通し。正にBoysから大人のMenになった彼等の成熟したハーモニーがそこにありました。黒人らしい乗りの良さとパワフルな歌声は相変わらず。CDでしか知らなかったので、そろそろ中年になった彼等のお年を感じさせないダンスパフォーマンスに唖然。しかも、1曲目のデビューシングル“Motownphilly”から早くも会場総立ちに、我々お年寄り夫婦は戸惑うばかりです。
クラシックのような途中休憩も無く、ノンストップの1時間半。
娘曰く、高校時代の仲良し4人組からメンバーの一人が脊椎を痛め引退し、その後は3人のままとか。その彼が低音部のハーモニーを担当していたので、聴きたかったアカペラの“It’s hard to say goodbye”は歌わなかったのだろうとのこと。
アイドルグループではないので、聴衆は30代を中心にシックな大人のカップルが中心でしょうか。やっぱり、田舎のコンサートとは雰囲気、客層が違います。通訳を待たず、大震災への復興支援の言葉などに観客の半分近くがすぐに反応しているのを見ると、日本も(少なくとも東京は)国際的になったなぁ、と変なところに感心しました。
娘に促されて奥様も渋々立ち上がったアップテンポの曲ばかりでなく、メロディアスなバラードのラブソング(さすがにこの時は皆着席です)まで、本当に楽しめました。いやぁ、良かった!たまにはクラシックじゃない、こういうコンサートもイイなぁと娘に感謝しつつ、彼等のハーモニーの余韻に浸りながら会場を後にしました。
その後、環境の落差を一切気にせず、作業場で娘からプレゼントされたBoyzⅡMenの CDを流しながら毎夜リンゴの発送作業に勤しんでいます。