カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
善光寺に隣接する城山公園に佇む、唯一の県立である長野県信濃美術館。ここで、飯田市出身である菱田春草の没後100年を記念する特別展が開かれていて、今回の長野行のお目当てです。
今回は、岡倉天心を中心に春草が横山大観や下村観山等と共に新しい日本画を追い求め、「朦朧体」と呼ばれる輪郭に線描を用いない画法を確立する過程に焦点を当てた展覧会です(片や、彼等と共に四天王の一人として将来を嘱望されながら中央画壇から失踪してしまった、松本出身の西郷孤月を想います)。
東京美術学校(現東京芸大)入学後の作品から始まり、天心や大観等と行動を共にした茨城県の五浦(いづら)、病静養のため東京に一人戻った晩年(あの「落葉」は静養中に自宅周辺の雑木林を描いたものとか)まで、僅か36歳で夭逝した春草の足跡が見られます。
展示も、所蔵品のみならず、東京国立博物館や、地元長野の水野美術館(キノコのホクトの創業家の収集品を展示)、同時に春草展を開催中の飯田市立美術博物館、茨城近代美術館など、全国の美術館や所蔵家からも協力を得て今回のために集められた120点にも及ぶ作品が、3つの展示室に分かれて展示されていました。朦朧体への彼等の挑戦が、天心の「何とか空気を描けないか」という問い掛けがキッカケだったという解説が、時系列に並べられた作品を見て行くと何となく実感できます。
その後、もう一つ見たかった併設の東山魁夷館へ。
画伯本人から長野県に生前に寄贈された取材スケッチ等を含む960点もの作品の中から、期間ごとにテーマを変えて展示されていますが、この時は「ドイツ・心の旅路」と題して、ドイツに取材した作品70点余りが展示されていました。
見たかった「晩鐘」と名付けられた、フライブルクの大聖堂の尖塔と紅に染まる街の夕暮れを描いた作品。
展示は習作とのことですが、オリジナル(諏訪市北澤美術館所蔵)よりも全体に紫がかった紅色で、個人的にはむしろ習作の方に惹かれます。見ていると、薄紫に染まる街に響き渡る鐘の音が、絵からも聴こえてきそうな気がします。
そして、ローテンベルクやハイデルベルクなど、30年近くも前ですが、新婚旅行で行ったロマンティック街道の懐かしい風景など。
山種美術館で見た「京洛の四季」とはまた違う、敬虔な祈りの風景がそこにありました。
因みに入館の際に、両館とも観覧可能なチケット(1500円)を購入するとお得です。ただ、せめて展示作品のリストくらいは、手作りでも良いので配って欲しかったですね。
双方とも、都会に比べればそれ程混雑しておらず、じっくりと間近に作品を鑑賞することができました。しかし、2時間近くの立ちっ放し。いやぁ、美術館や博物館の鑑賞って、思いの外足が疲れます。
でも、初秋の一日、東京まで行かずとも、信州縁(ゆかり)の画伯の作品を思う存分に堪能することができました。
その後善光寺を後にして、門前らしく宿坊や仏具店に土産物屋さんなどが軒を連ねる仲見世のお店を覗いたり・・・。また途中には、七味唐辛子で有名な八幡屋磯五郎本店や、北野文芸座があり、落語や文楽のポスターが貼られていています。長野はイイですね、定期的に古典芸能が見られて。一度、寄席で生の落語を聴いてみたいものです。
ゆっくりぶらぶらと門前町の風情を楽しみながら、仲見世から大門通りを歩いて県町の「ふくや」に向かいました。
しかし、参拝客の賑わいも仲見世から大門までの参道のみ。一歩脇道に入ると、シャッターを降ろした商店が目立ち、人通りも余り無くその対比が際立ちます。
善光寺に着いた時は、ちょうど朝のお勤めが終わったのか、坊に戻られるお坊さんがたくさん歩いておられ、会釈しながらのすれ違いに、街に自然に溶け込んだような仏都らしい落ち着いた情緒が感じられたのですが・・・。
新幹線開業の逆効果で日帰り客が増えて宿泊客が減少し、駅周辺でもホテルが廃業したりと、三連休の観光シーズンなのに善光寺界隈を除いて街に余り活気が感じられませんでした。勿体無いなぁ。お坊さんとの触れ合いとか、せっかくの門前町(の持つソフト)をもっと活かすことはできないのでしょうか。そんなことを感じながら長野を後にしました。
帰路も特急しなのに乗って、4時に松本到着。
三連休の最終日で、指定席は全て発売済みとのこと。自由席も混んでいました。往復の車中では遠方からの旅行客に囲まれて、そして善光寺さんにお参りし、念願の美術館とラーメンも食べて・・・。プチとは言え、旅行気分に浸った一日でした。
「さぁ、また明日から頑張りますかぁ!」。