カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
9月13日。巨匠ブルーノ=レオナルド・ゲルバーによるピアノ・リサイタルとして、ベートーベンの『熱情』、『悲愴』、『月光』の3大ソナタに『ワルトシュタイン』を加えた“4大ピアノソナタ”を一夜に演奏するという、初秋を飾る何とも贅沢なコンサートが開かれ、家内と二人で聴きに行って来ました。
10月のDSOやOEKに行くため、6月のタリス・スコラーズは我慢したので、久し振りの演奏会です(後述の地震による改修で結局OEKは中止)。
今回は、ハーモニーメイト創立25周年の記念演奏会の一環なのですが、ハーモニーホール(音文)の地震損傷に伴う改修工事で、中止を余儀なくされた記念演奏会(アンサンブル Of トウキョウ)もある中で、幸いにも長野県松本文化会館(県文)に会場を変更して実施されました。
当日まで同じ市営の市民芸術館とばかり思い込んでいたら、妹から「今日は県文だよ!」とメールで言われ、調べてみると確かに・・・。
「えっ、うっそー!一体何を見てそう思っていたんだろう?」
お陰で遅れずに聴くことができました。しかし、県文は2000席を超える大ホール。片や音文は800席。市民芸術館(1800席)でも大きいのに、客足は大丈夫でしょうか。
夕刻6時半の開場時刻前に着くと、既に1階ロビーは2階の客席入り口まで続く長蛇の列。あぁ良かった、ヤレヤレです。結局、開演までに6割方は埋まったようです。音文の指定席から全席自由への変更で、我々はガラガラの2階席(4階建てのホール構造上は3階)の最前列へ。ここなら運指も良く見えます。7時開演(写真は開場直後の2階席から)。
先ず月光のお馴染みのメロディーが紡ぎ出されます。ワルトシュタインの骨太の構成力。悲愴の有名な第2楽章のアダージョ。美しく甘いメロディーに心が洗われていくようです。そして、熱情の圧倒的なコーダへ。あっと言う間の2時間でした。
正直言えば、時折ミスタッチや、特に前半は音が濁っている部分もあったように思います。でも、若い頃のように重箱の隅を突いて鬼の首を取ったような粗探しは止めて、音を聞くのではなくもっと大局的に音楽を聴くようにしてからは、小さなミスを余り気にせずに全体の演奏を楽しめるようになりました(そうじゃないと、聴いたことはありませんが、自ら公言されているフジコ・ヘミングなんて聴けないでしょう)。勿論演奏全体の質が悪ければ、「何をか言わんや」ですが・・・。
ただ、2階席だったせいか、時々金属音のような共鳴音が聞こえたような気がしましたが、気(耳?)のせいだったのでしょうか?演奏前と休憩中には、ちゃんと調律をしていたのですが・・・?
やっぱり、器楽ソロは箱の小さなハーモニーホールの方が向いているのかもしれません。
ベルガーさんは、ご本人が「許されるならベートーベンだけを弾いていたい!」と言う通りに、“ベートーベン弾き”としてつとに有名ですが、確かもう70歳の筈。しかし、弱音を含めた音のみずみずしさと低音部を中心とした圧倒的なスケール感。
開演前にパンフレットを見ながら、「ねぇ、この人、何だかマイケル・ジャクソンに似てない?」とブツブツ言っていた家内が、休憩中に隣で「すごく淡々と弾くんだね・・・。」
お体のこともあるのかもしれませんが、確かに、感情移入にせよ、バイオリンを含めた最近の演奏者のように大袈裟なほど上体を動かしたり、揺らせたりという仕草は全く無く、淡々と弾いている(ように見える)のに、その指先からは正に紡ぐ様に音楽が溢れ出て来ます。イイなぁ。
満席にはなりませんでしたが聴衆からの大きな拍手に、ステージへの入退場同様に補助者に支えられながら、小児麻痺での不自由な体を舞台袖まで再度運ばれて顔を出され、カーテンコールに応えてくれました。
カーテンコールでさえそうですから、勿論アンコール曲は無し。家内が残念そうに「アンコール、やらないんだね。」
「イイじゃ、ありませんか!松本まで来てくれて、あの体で、あの歳で、一度に4曲もソナタを弾いてくれたんだから・・・。」
月光ソナタを聴いた今宵は、中秋の名月の翌日。夜9時を過ぎて会場を出ると、群雲(むらくも)の中を十六夜の月が東山から昇っていました。
心も“まあるく”なって、幸せな気分で会場を後にします。
♪音楽会のあとは 誰ともおしゃべりしたくない・・・(大中恩作曲 女声合唱組曲『愛の風船』)
・・・そんな余韻を打ち消すように、
「お腹すいたネー、ナニか食べて行こうかぁ?」
どうやら、幸せになると人間お腹が空くようです。
「ウン、じゃあ早く行こ!」