カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 昨年、朝日新聞の『記者有論』に、夏の甲子園大会に合わせて西村編集委員が書かれていた記事(第333話参照)。
2002年の夏の決勝を一緒に観戦した長嶋名誉監督の「この壮大なトーナメントの意義は、ただ一校の優勝チーム以外の全ての球児に、(地区予選の一回戦も甲子園の決勝でも平等に)ただ一度の敗戦が配られることにある。」というコメントを引用されて、「敗者に注目して観戦するのもいい。」

 「ただ1校を除く4013校の敗者云々」という、今年も同じトーンの記事がありました。同じ朝日なので問題はないと思いますが、それは8月17日のスポーツ欄の小さなコラム『アルプス席』。そして、その中で印象に残った件(くだり)。
曰く、『敗者について考えたい。(中略)恋焦がれてきた甲子園に別れを告げる瞬間、振り返ったとき、悔いが残らないような去り方をしたい。
開星の野々村監督は引き上げる際、グラウンドのゴミをすっと拾ってポケットに入れた。勝利校の校歌に手拍子を送った新湊の大応援団も印象的だった。(後略)』

 昨年春の選抜で、21世紀枠の高校に初戦敗退した際の「腹切り発言」で物議を醸し、辞任した島根開星高校の野々村監督。今年復帰して見事県代表となり、大会組み合わせ抽選会に「これが自分の正装だから」と羽織袴で望み話題となりました。

 そうした“派手”な言動ではなく、今回は見落しがちな本当に些細な行動ですが、野々村監督最後の夏の甲子園を去る時の一挙手を良くぞ見ていたもの。記者の見事な、そして温かな観察眼です。
野々村監督は、思い入れの“聖地”甲子園が僅かでも汚れているのが我慢できなかったのでしょう。多少の物議は醸しても、「立つ鳥跡を濁さず」と、野々村監督も或る意味不器用で誤解され易く、古風一徹なサムライだったのかもしれません。
【追記】
 今年の甲子園は、結局優勝候補だった日大三高の優勝で幕を閉じました。
決勝まで殆ど一人で投げ抜いた日大三高エのース吉永投手。新聞で読んだ、準々決勝後のコメントが印象的でした。疲れていたでしょうに、「憧れの甲子園で投げられることが、自分のスタミナです。」
 そして、今年の大会で私が一番印象に残ったこと。
地元校も平日で応援出来ず、休日も農作業のため昼休みくらいしかTV観戦できませんでしたが、たまたま見た習志野高校。それは、選手やプレーではないのですが・・・。いやぁ、応援のブラスバンドの上手いこと。団員も優に三桁以上のようですし、リズム、切れ、音程、音量・・・他校とはレベルが違いますね。習志野の攻撃が待ち遠しくなる程の、まさに惚れ惚れする演奏でした。