カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
明日から9月。信州はもう朝晩は涼しくて秋の気配が漂い、コオロギでしょうか、虫の声も聞こえますが、昼間はまだ残暑も残り、夏空に入道雲とセミの声。そこで行く夏を惜しんで、真夏の夜の出来事から。
弱い犬ほど・・・と言いますが、まさにチロルはその典型。
良く吼える(道路を通る人は勿論、庭に来る鳥やネコ、はたまた氏神様のお祭りの注連飾りにまで)ので、番犬としては及第点なのですが・・・。
この夏は、松本でも何度か夕立がありました。
8月中旬頃だったでしょうか。夕刻7時くらいに急に大粒の雨が降ってきて、近くで稲妻が走ったかと思うと、すぐに大きな雷鳴が轟いて土砂降りに。果樹や庭木にとっては恵みの雨です。
すると、帰宅後二階のクローゼットで着替えていたら、音も立てずにチロルが上がってきました。
「チロルぅ、ハウスに戻れってば!」
抜ける毛を部屋に“撒き散らす”ので、二階に上がるのを家内から厳禁されているチロルは、いつもは見つかるとバツが悪そうにすぐ階段を降りていくのに、この日は動こうともしません。
私が一階に下りていくと、チロルも一緒に降りてきて、今度は私の傍に纏わり付いて離れようとしません。
「あっ、そうかぁ・・・オマエ、雷が怖いんだ!」
上目使いに尻尾を垂れて、私の傍にくっ付いています。
片やナナは大丈夫かと見ると、涼しいのでしょう、フローリングの床にベタっと我関せずと、うつ伏せになって大の字で寝そべっています。
「はぁ、こりゃナナの方が大モノだワ・・・」
「はぁ、情けナ・・・」
(写真は雷とは別の日の週末の朝ですが、散歩から戻り早速「番」をするチロルと、片や散歩疲れか?朝から大の字のナナです)
今年は植え替え当初から昨年作った防虫網を被せたので、毎年悩まされた青虫クンの虫害も無くて順調に育ち、これまで何度かサラダ用に収穫していた水耕栽培のクレソン(第473話参照)。
ここ松本でも、35℃前後の猛暑日が何日か続いた7月中旬。
朝のチロルとナナの散歩から戻って見ると、無残に全て茶色く枯れています。
「ガーン、ショック!」
調べてみると、恐らく虫ではなく、多分プランターの周囲に張った水が直射日光で熱湯のように温まって、耐え切れずに枯れてしまったのはないかと思われます。やはり、絶えず流れている清流の川縁(べり)のようにはいきません。どうやら、夏場はもう少しこまめに水を替えてあげないといけないようです。
溜息混じりに「あぁ、今年もダメだったかぁ・・・」と、週末に止む無く枯れた茎を全て刈り取りました。
すると、プランターの砂の表面にハコベのような細かなクレソンの芽が幾つも幾つも生えています。
まだ根は生きていて、元の茎のところからしっかりと新しい芽を出してくれていました。ヤッター!これなら再生可能です。また収穫出来るかも。
このところ例年になく涼しい日が続きましたが、ここで残暑がまた戻ってきそうですので、今度はもっとこまめに水を替えてあげようと思います。
週末の昼時、何となく蕎麦が食べたくなり、松本市内では最近の我が家イチオシの『そば処 井川城』に行ってみると、行列で30分待ちとのこと。
「おぉ、今日は混んでるなぁ!」店内には4卓しかありませんが、3回目にして初めて座れませんでした。
駐車場に一杯の車の半分は県外車。人気店の筈なのに今までは混んでいなくて、逆に「大丈夫かな?」と、お節介ながら要らぬ心配をしましたが、繁盛で何よりです。
どんなに美味しくても毎回蕎麦という訳にもいきませんので、蕎麦に限りませんが、自分のイチオシの店がいつまでも続くようにずっと繁盛していて欲しいもの。
そこで、残念ながら「井川城」は諦めて、昼食後の食料品の買出しもあり、向かった先は渚のスーパーマーケットにも程近い上高地線の奈良井川近くにある『野麦路』。
初めてですが、ここは“蕎麦のしゃぶしゃぶ”と言って良い「とうじ蕎麦」(今は松本市となった野麦峠ふもとの旧奈川村の名物)が有名です(「とうじ」は漢字では「投汁」と書きます。この「投汁そば」は奈川の某旅館の登録商標になってしまっていて、「本場奈川の町興しで使いたくても某旅館以外は使えない」と奈川在住の会社の先輩が嘆いていましたが、ちょっと酷いなぁ。いくら先願主義とは言え、奈川の郷土食であってその旅館のオリジナルじゃない筈なので、地域で取消訴訟を起こせばイイのに・・・と勝手に憤慨しています)。
「野麦路」の民芸調にあしらわれた結構広い店内は、昼時で半分以上埋まっています。さすがに夏だと「とうじ蕎麦」には食指が動かず、「ざる」と「とろろ」を注文。あっと言う間に出てきました。専門店にしては珍しく「もり」でなく本当に「ざるそば」で、刻み海苔が載っていました(普通は「ざるそば」でも、蕎麦の香りを海苔が消さぬように「もり」にしている店が多く、出す場合も客の好みに任せて薬味として小分けしている店もあります)。
うーん、可もなく不可もなく・・・。不味くはないのですが、(海苔のせいばかりではなく)蕎麦の香りも無く、ちょっとなぁ・・・言うなれば感動がありません。二八の「翁」や「井川城」とまでは望まずとも、難しいですね。たかが蕎麦、されど・・・。冬の「とうじ蕎麦」に期待します。
さて、家からすぐ近く(1km程でしょうか)に出来た新しいお蕎麦屋さん。
長年の蕎麦打ち好きが嵩じて、ご主人が齢(よわい)70にして自宅横に小屋を建て、一年ほど前に開業したという『手打ち庵 なかじま』。
そのお蕎麦屋さんは、保育園から中学卒表まで11年間通った通学路の途中、下岡田の田んぼの中にぽつんとあります。
しかし、「こんな辺鄙な所で、お客さんが来るんだろうか?」と、横を通る度にヒト事ながら要らぬ心配です。
我が家から車で5分とかかりませんし、今なら待つこともないでしょうし、それ程期待せずに普通に食べられたら、時間が無い時(こちらは夜も営業しているとか)に近くてイイかも、という次第。それに、もし「予想に反して」美味しければ(失礼ながら)“めっけモノ!”です。
聞けば、何と同じ町内にお住まいで、お子さんの敷地にお店を建てられて、ご夫婦が通いで営業をされているのだとか。高台のここからは、東山々系を始め松本の市街地が一望できます(写真は庭に植えられていた蕎麦とベランダ越しの松本市街地の遠景)。
注文は、ざる(大盛り)と辛味そば。いただいた自家製のお漬物をお茶受けに待ちながら、市内のご親戚が作られるという辛味大根をその場で卸してくださいました。夏の土用を過ぎると蕎麦の風味が無くなると言いますが、ちゃんと蕎麦の香りがしました。濃い目のソバツユもしっかりしています。「今日は少し細打ちにし過ぎちゃって」と仰っていましたが、惜しむらくは細打ち故の茹で過ぎか、腰が弱く少々柔らかだったこと。でも、二八の蕎麦としては十分合格。天婦羅もあったので、これなら母も連れて来れそうです(信州の年寄りは、蕎麦には天婦羅が付き物だと信じていますから)。何より、我が家から車で二三分というのがイイ。もう一枚追加しようとしたら、凡その客数に合わせて昼用に打ったそばが終了とのこと。事前に電話をして営業中を確認して行ったので、二人分だけは取っておいていただいたようです。
昼の営業時間の最後だったせいもありますが、他にお客さんも無く、お話好きのご主人がずっと傍で説明をしてくださいました。
ご馳走さまでした。また来ます。9月末には新蕎麦になるそうです。
昨年、朝日新聞の『記者有論』に、夏の甲子園大会に合わせて西村編集委員が書かれていた記事(第333話参照)。
2002年の夏の決勝を一緒に観戦した長嶋名誉監督の「この壮大なトーナメントの意義は、ただ一校の優勝チーム以外の全ての球児に、(地区予選の一回戦も甲子園の決勝でも平等に)ただ一度の敗戦が配られることにある。」というコメントを引用されて、「敗者に注目して観戦するのもいい。」
「ただ1校を除く4013校の敗者云々」という、今年も同じトーンの記事がありました。同じ朝日なので問題はないと思いますが、それは8月17日のスポーツ欄の小さなコラム『アルプス席』。そして、その中で印象に残った件(くだり)。
曰く、『敗者について考えたい。(中略)恋焦がれてきた甲子園に別れを告げる瞬間、振り返ったとき、悔いが残らないような去り方をしたい。
開星の野々村監督は引き上げる際、グラウンドのゴミをすっと拾ってポケットに入れた。勝利校の校歌に手拍子を送った新湊の大応援団も印象的だった。(後略)』
昨年春の選抜で、21世紀枠の高校に初戦敗退した際の「腹切り発言」で物議を醸し、辞任した島根開星高校の野々村監督。今年復帰して見事県代表となり、大会組み合わせ抽選会に「これが自分の正装だから」と羽織袴で望み話題となりました。
そうした“派手”な言動ではなく、今回は見落しがちな本当に些細な行動ですが、野々村監督最後の夏の甲子園を去る時の一挙手を良くぞ見ていたもの。記者の見事な、そして温かな観察眼です。
野々村監督は、思い入れの“聖地”甲子園が僅かでも汚れているのが我慢できなかったのでしょう。多少の物議は醸しても、「立つ鳥跡を濁さず」と、野々村監督も或る意味不器用で誤解され易く、古風一徹なサムライだったのかもしれません。
【追記】
今年の甲子園は、結局優勝候補だった日大三高の優勝で幕を閉じました。
決勝まで殆ど一人で投げ抜いた日大三高エのース吉永投手。新聞で読んだ、準々決勝後のコメントが印象的でした。疲れていたでしょうに、「憧れの甲子園で投げられることが、自分のスタミナです。」
そして、今年の大会で私が一番印象に残ったこと。
地元校も平日で応援出来ず、休日も農作業のため昼休みくらいしかTV観戦できませんでしたが、たまたま見た習志野高校。それは、選手やプレーではないのですが・・・。いやぁ、応援のブラスバンドの上手いこと。団員も優に三桁以上のようですし、リズム、切れ、音程、音量・・・他校とはレベルが違いますね。習志野の攻撃が待ち遠しくなる程の、まさに惚れ惚れする演奏でした。
皆様、どこかでこの人形をご覧になられたことはありませんか?
昔の信州の(おそらく日本全国共通の)農村の日常風景が切り取られたかのような、ほのぼのとして愛らしくも何故か懐かしい、そんな人形達。
作者は高橋まゆみという方で、長野市に生まれ奥信濃と呼ばれる飯山に嫁がれて、JA(農協)職員の傍ら、趣味で人形制作を続けられていたとか。
飯山と言えば、高野辰之の「故郷」や「朧月夜」などの舞台。日本の原風景にも似た懐かしさを感ずるのも当然なのでしょうか?
また、私自身が“ジジババっ子”で、幼い頃は毎朝連れられてリンゴ園に一緒に出掛けて、暗くなるまで独り遊びで走り回っていたので、「昔は確かにこうだったよなぁ」と余計親近感を感ずるのかもしれません。
私が初めてこの人形を見たのは、5年ほど前のJA(農協)の営業用のチラシの写真だったような気がします。
『三丁目の夕日』と同じように、昭和を懐かしむ風潮なのか、この高橋まゆみさんの人形も今や大変な人気だそうで、全国各地で巡回展が開かれ、そして地元飯山に2010年4月『高橋まゆみ人形館』が開館。
そこで、お盆休みの最終日。家内への罪滅ぼしで、一日だけ農作業をお休みにして、母とナナも連れてドライブがてら行ってみることにしました。
豊田飯山インターで降りて国道117号線を経由し、途中から飯山市街地に入り、商店街を抜ける一本道。松本の自宅からちょうど100km。近付くと案内板もあって分かり易く、飯山城址と反対側に目指す人形館がありました。
「朧月夜」に合わせた千曲川の河川敷の「菜の花まつり」(アブラナではなく野沢菜です)は大変な人出だそうですし、また飯山地方は豪雪地帯で野沢温泉始め有名なスキー場が点在しています。
その時期以外の飯山は、喧騒のないしっとりと落ち着いた寺の町。ただ有名なお寺は無いので、風情を楽しむ以外には観光的に他に見るべきところが無いのか、『高橋まゆみ人形館』は団体客も押しかけて想像以上の賑わいでした。
家内と母が先に見ている間、私とナナは人形館の「縁側」に座って待ちながら、同じくシュナウザーを連れられたご婦人と暫し犬談義です。
京都伏見から来られて、同じくご主人とお母様が先にご覧になられているそうです。暑い京都を離れ、この時期は毎年信州に来られるのだとか。信州にはペットと一緒に泊まれるホテルや旅館が少なくて、と嘆いておられました。
「うーん、ペンションだと結構あると思いますが?この辺だと斑尾とか・・・」
「でも、ペンションだと皆で集まって歌うたりせんといかんでしょう。若い人はエエかもしれんけど、私ら億劫やし・・・」
「あぁ、それって昔のユースホステルですね。ペンションはプチホテルみたいな感じですけど・・・」
ご主人とお母様が戻られました。
「オトウサン、歌うんはユースホステルやて。ペンションちゃうて・・・」
「あっ、そやったな・・・。」
何でも、数年前に京都高島屋に来た巡回展の時の方が、人形展示は多かったそうです。でもお母様は、館内で放映していた人形の製作過程がとても興味深かったと感激されていました。
こちらも戻った家内と交替し、人形館に入ると意外とこぢんまりとしていて、展示室が2部屋と視聴コーナーで人形の製作過程等を放映していました。見入っている中には母の姿も。こちらも当分動きそうにはありません。
展示は50体ほど(館内撮影禁止)でしょうか、確かに思いの外数が少なかったのですが、ジオラマで再現された昔の風景の中に置かれた、ほのぼのした人形たちに心和みます。デフォルメされた表情が何ともイイ。孫とお小昼を畑で食べるオジイチャンとオバアチャン。遊び疲れた孫を負ぶって夕方畑から帰るオジイチャン。半世紀前の祖父母と自分がまるでそこにいるかのようです。
見ている皆誰もが、おそらく人形の向こうに昭和30年代の自分を、そして自分の家族を投影しているかのような気がします。そして、見ている誰もが皆笑顔です。
見終わってからの昼食。飯山は「オヤマボクチ」というキク科のヤマゴボウに似た葉を繋ぎに使うという富倉集落の蕎麦が有名ですが、残念ながらペット同伴可のお店は無さそうです。
人形館を出た所で、「これじゃナナが暑くて可哀想だから、コンビニ弁当でイイから車で食べヨ!」と家内が言う傍らで、たまたまレストランのチラシを配っていた方が、「ウチにはテラス席もありますので、宜しければ・・・」とのことから、渡りに船とばかりに直ぐ近くの飯山城址入り口にあるというそのお店へ行ってみました(写真は城門の残る飯山城址公園。春は桜の名所とか)。
自家製の野菜を使ったという農家レストラン『心幸食(シンコキュウ・・・命名の苦心が偲ばれますが、チト苦しいか。末尾に送り仮名で「う」を付けた方が読めるかも)』。
日の遮られたテラス席で、自家製のパウンドケーキとカボチャのポタージュスープ、サラダも付いたランチプレート(980円。斑尾高原の湧き水で入れたというコーヒーなどの飲み物付きで1080円)をいただきました。ナナもおやつを食べ、喉が渇いたのでしょう、水を飲み、タオルを敷いて一緒にテラス席でお休みです。
どうやらご家族皆さんでやってらっしゃるようで、結構手間をかけた何品かの料理は素朴ながらも味付けも優しくて、店名に込められた想い通り、確かに食を通じて心が温かくなるような、そんな感じのするお店でした。
車で出る時に、「飯山を是非楽しんでいってください!」と言われながら、(乗っている人間は背で見えないでしょうに)奥様が深々とお辞儀をして私たちを見送っていただいていたのが、バックミラー越しに大変印象的でした。見えないでしょうが、思わずこちらも自然と車の中でバックミラーに向かってお辞儀を返していました。
車の中で母が「良かったネェ」と独り言・・・そう、人形だけではなく、垣間見た飯山は良かった・・・「さてと、帰りますかぁ!」
ほのぼのした人形と共に、奥信濃の人々の優しさも頂いて、心温まって帰宅の途につきました。
高校時代の同級生のお見舞いを兼ねて、長女が一日だけお盆に帰省して来ました。前日最終のあずさで深夜に松本に到着。
翌朝、長女が寝ている間にと、奥様は早朝から庭の手入れ。私メには芝刈りを厳命。今シーズン3回目でしょうか、気にはなっていたのですが、じゃあ、やるとしますかぁ・・・。
洋芝は見た目には綺麗で、日本向きの寒冷地用もあり冬場でも青々としていますが、要するに牧草なので伸びるのが早く、毎週のように芝刈りをしないといけないので、個人的には日本の姫高麗芝の方がお薦め。
日本の芝の秋の“紅葉”や、春の芽吹きもむしろ風情があります。但し、高麗芝も夏場の生育期(7月から8月)は本来隔週くらいの芝刈りが望ましいのですが、休日は農作業で時間が取れず4週間振りでしょうか。そのため、今回は少々伸びていたので3時間掛かって漸く終了しました。
そして電動の芝刈り機では刈れないエッジも、今回は芝刈り用のハサミを使ってしっかりと刈り込みました。因みに芝刈り機は、家を建てた時に自分で張った芝生用に買った松下電工製で、もう15年近くも使っていますが、刈刃を替えるくらいで今でも快調に動いています。
うん、綺麗になりました。芝刈りの後の若草の匂いが、何とも爽やかです。家内の担当した花壇も、咲き終わった花芽の切り取り等も終わって、庭がスッキリしました。炎天下の作業で汗だくでしたが、ヤレヤレです。
(写真は、芝刈りの途中と刈った後。左側の緑の濃い部分は刈る前で、右側の白っぽく見えるのが刈った後です)
実家に用事があって家内が平日茅野まで来るので、夕刻会社でピックアップしてもらい、今まで何度行っても休業だった諏訪の湖明館通にある蕎麦の「河内屋」か、今回もまたダメなら島崎の「麺屋さくら」で食べて行くことにしました。
そこで今回は事前に「河内屋」に電話をしてみると、叔父さんが出られ、今まで店をずっと閉めていたが、8月中旬くらいから別の人が店を引き継ぐとのこと。以前から腱鞘炎やら体調を崩して、とは伺っていましたが残念です。どうぞお大事に。
叔父さんの「手打ち、機械切り、極細麺で茹で数秒!」(記憶違いで無ければ、確か7秒とか)という腰のあった独特の蕎麦を、結局家内は一度も食べずに終わってしまいました。
当時来店した色んな有名人の写真(壁には所狭しと貼られた色紙)を見せてくれて、「CCガールズがこの前食べにきてねぇ・・・」と賑やかだった叔母さんは、今もお元気でしょうか?食べている途中で、一言でも美味しいと言うと、アルバムを持って来ての解説が始まり食べていられなくなるので、食べ終わってから誉める、或いは聞くのがコツでした。
ただ、どうかなぁ?店名は同じでも、打ち手が替われば多分同じ蕎麦にはならないだろうなぁ・・・。もし同じ味にならなかったら、同じ店舗ではあっても、新しい方は少なくとも店名を変えるのが良心的だと思います。そして、その新しい味で堂々と勝負すればイイ。
そこで、今回も『麺屋さくら』へ。
松本でも、流行りの豚骨系のラーメン店は一風堂始め最近多いのですが、こってりだ、ギョってりだ、と奇を衒わずに、オーソドックスな醤油系ラーメンが食べたい私にとっては、上諏訪駅横にあった「桜亭」の頃からの看板メニューの屋台ラーメンか、最近は行く機会の無い長野市県町「ふくや」の中華そば(夜泣きそば)がイチオシ。特に「ふくや」は最初食べた時は然程とも思わないのに、何故かまた食べたくなって、その内“病み付き”になる不思議なスープです(従って、二三度食べてから好みかどうかを判断すべきでしょうね)。
昔は、松本にも駅前に「亀の家」という背脂系の美味しいラーメン店(塩焼きホルモンも絶品でした!)があったのですが、その後店名は何故かそのままでオーナーが変わり、似ても似付かぬ味(但し売りは味噌味だそうな)になってしまいました。
「これって詐欺ジャン!」と、以来二度と行っていません(イケナイ、思い出したらまた腹立ってきた。だから、“新”河内屋も改名した方が良いと思います)。
こってり系やつけ麺など、他にも幾つか工夫された今風のメニューもありますが、今回も私は“背脂チャッチャ系”の屋台ラーメンの大盛り(平日は大盛り無料サービス!です)に味玉をトッピング。家内は同系のチャーシューメン。そして餃子を二人前注文。すると家内が、
「これ、やっぱり絶対にテンホウの餃子だよ!」(と、また今日も言っています)
「そうかなぁ・・・?」、「だって、シーズニングがそっくりだもの!」
「もしそうでも、イイじゃありませぬか、美味しければ。自家製麺作りで餃子まで手が回らないんでしょ、きっと」
移転する前は業者から取り寄せた縮れ麺でしたが、食べる人の安心安全のために、ご主人は自家製麺(ストレート麺)にはおそらくカンスイを使っていないのでしょうね。早目に食べないと麺がノビてしまいますが、今回は茹で時間を短めにしたのか、以前より麺に腰がありました。
大きなバラチャーシューがとろとろで、トリガラ系のあっさり醤油スープが相変わらず美味。郊外に移転した今は叶いませんが(且つ年を取ったら食べられなくなりましたし)、優しいスープが飲んだ後の〆には最高でした。
この日は、麺だけではなく、ドリンクも大盛り無料の張り紙が。こちらは車のためオーダー叶いませんが、大盛りの飲み物って・・・ナニ?もしや、中ジョッキが大ジョッキ?・・・気になりますね。
本日も、いただきました!(信州弁で「ごちそうさま」)。美味しかったです。
一時期は、登山や部活のワンゲルも下火とかで、山は中高年の登山客ばかりと言われましたが、ここ数年、夏になると、松本駅では、大学生諸君でしょうか、昔のような大きなリュックサックを背負った若者達の姿をまた見かけるようになりました。
この夏山シーズンになって、「自由通路」と呼ばれる松本駅のコンコースにも、以前のように大きなリュックサックが幾つも並べられているのを良く見掛けるようになりました。昔に比べるとカラフルですね。
中には、“山ガール”なのかどうかは分かりませんが、チラホラと若い女性の姿も。
いや、イイですね。若者が増えて活気があります。
槍や穂高を目指すのでしょうか?それとも白馬方面でしょうか?
どうか、気を付けてアタックしてきてください。また無事に松本駅に戻って、「松本駅の看板」に触れられますように(・・・って、最近はそういう光景をあまり見掛けなくなりました。第1&218話を参照ください)。
松本平の中学は、北アルプスの“表銀座”燕岳が定番だった筈なのに、地元紙によると今年は僅か9校とか(娘たちの出身中学は、まだ燕岳のようです)。
ただ他の学校も必ずしも止めた訳ではなく、登山経験のある先生が減ったりして、もう少し登り易い八ヶ岳や白馬方面の山に変えたらしいのですが、確かに燕(つばくろ)は標高2763mとは言え、中房からの登山道は合戦小屋までは結構急な登りでした(登山では下りの方がキツイと思いますが)。
でも、花崗岩に覆われて、岩が白いモニュメントの様に立ち並ぶ優美な山容の燕は、本当に美しい山でした。
漸く燕山荘に到着し、皆で荷を解いて頂上を目指そうとした時、霧がぱぁっと晴れて燕岳がその姿を目の前に現したのです。40年前の光景ですが、未だにハッキリと脳裏に蘇るほど鮮烈な印象でした。
途中可憐なコマクサを眺め、頂上に立ち、燕山荘に泊まって翌朝ご来光を仰ぐ一泊二日の集団登山。天空の夜は、まさに降るような星空・・・。
他県からは珍しがられようと、どの山でも良いので出来るだけ集団登山は続けるべきだと思います。
上り下りですれ違う人たちが必ず「コンニチワ」と挨拶しあう光景は、山の良さを教えてくれて、子供心にも「イイなぁ!」と感激したものです。
また山ブームになれば、登山経験のある若い先生もいずれ増えていくかもしれませんね。
奥様のウン回目の誕生日。
子供たちからは、それぞれプレゼントが届きましたが、ここは日頃の罪滅ぼしと点数稼ぎ?で、何かプレゼントを贈ることにしました。何年振りでしょうか。えっ?十年振り?うっそー!
平日の会社帰りだと、田舎のデパートは早い時は夕方6時で閉まってしまいます(但しこの時期は7時まで営業とのこと)。そこで、週末家内が上京して不在の日曜日。ナナをトリミングへ連れて行ったついでに、地場のデパートに立ち寄り、以前から目星を付けていたプリザーブドフラワーを購入することに。生花の花束も良いのですが当然枯れてしまうので、これなら長持ちします。
値段も大きなモノは数万円までありますが、ポケットマネーではそこまでは出せないので、5千円のグラスに入った真っ赤なバラを選びました。埃が入らぬように上部もガラスで蓋がされています。
軽井沢に行った時に、家内が私へもブランドモノのネクタイを買おうと言うので、何十本もありますし、あと数年もすればリタイアして使わなくなるので勿体無いから、その分はバサラでの食事に替えてと遠慮しておきました(貧乏性だなぁ・・・)。
でも先輩方の話を聞くと、定年後に実際一番邪魔で不要なものは、背広とネクタイだとか。確かにそうかもしれませんね。毎日スーツ着用が基本の営業マンや都会のビジネスマンの方なら尚更でしょう。
さて、リボンを付けていただいたプレゼント。家内の誕生日は翌日の月曜日なので、家のクローゼットに「隠して」おきました。
それではと、当日のサプライズ!・・・感謝はされど、
「じゃあ、早速乾杯しよう!」と、休肝日を無しにしようとしたら、
「イイ訳、無いっしょ!」とダメ出しが。
ムム、敵もサルモノ。効果の程は・・・?
週末休みになるからと、帰省する次女と新宿駅で待ち合わせです。
私がたまたま出張していて、娘はその日ちょうど早番でしたが、成田からの移動のため、夕刻6時のあずさに間に合わず7時になるとのこと。
そのため少々時間が空いたので、久し振りに新宿駅東口のルミネの地階にある『ベルク』へ行ってみることに。6時近くでしたので、皆さん会社帰りか相変わらず混んでいます。
以前ルミネからの立ち退き問題で話題になりました(第74話参照)が、幸いそのまま契約が継続できたようです。良かったなぁ。
ここは、コーヒー豆やハム・ソーセージ、野菜、パンなど使う食材にも拘っていますし、喫煙コーナーもあり、電車の待ち時間などにとても重宝します。また店内の壁はちょっとしたギャラリーとして貸し出され、時折絵や写真などを展示しています。都会のビジネスマン(特急あずさ利用者の我々も)にとってのちょっとした“新宿駅のアオシス”といった感じで、狭いのを承知でお客さん同志が皆融通し合っています。
ベルクは、どちらかと言うと個人客が目立ちます。そして皆何とか自分のスペースを確保して静かに一息入れると、次のお客さんのために“長居は無用”と心得ているかのように自分で食器を片付けてさっと立ち去って行きます。
『ベルク』の狭さ故の譲り合いが、見知らぬ同志の連帯感や優しさをチョッピリ醸し出しているようで、もし広かったら絶対にこうはならないだろうと思われるような、或る意味不思議で素敵な、たった3坪(?)の心優しき狭小空間です。
(写真は、立ち飲み用の喫煙カウンターの一角。野の花と、壁に貼られた壁新聞「ベルク通信」。因みに赤いバケツは灰皿です)
次女が週末帰ってきた時がちょうど私の誕生日で、1週間後が奥様の誕生日(年齢は、私はどうでもイイのですが、女性に敬意を表し非公開とさせていただきます)。同い年ですが、この1週間だけは私が年上です。
「エーイ、頭が高い。控えおろう!」・・・「フン!」・・・ありっ?
そこで、(我々の誕生祝と娘の慰労も兼ねて)久し振りに『食蔵バサラ』へ行くことにしました。遠出した後でしたので、到着が少々遅くなりました。
満席でした。偶然、家内の知り合いの方もお友達と来られていて、ご挨拶。
因みに、この日は「良い毛蟹が入ったのでお薦めですよ!」とのことでしたが、我が家ではカニは味噌も含めてさほど好物ではないので、皆パスとのこと。特に小さなカニは食べるのが面倒くさいというのもあるようです(シンガポール駐在時代、チリクラブやペッパークラブは好物でしたが、皆目の色が変わる上海ガニは、そのシーズンになっても誰も欲しがらないので、お財布的には助かりました)。
さて、我が家のこの日の「本日のメニュー」からのチョイスは、
・カニとアボガドの有機野菜サラダ
・金目鯛のしゃぶしゃぶ仕立て
・ハーブ鳥のスパイシーソースグリル
・岩牡蠣
・タコとアンチョビのトマトソース冷製パスタ
この内、グリルチキンは本来鴨肉だったのですが、品切れだったため、代わりに鶏肉で作ってくださいました。また、せっかくの大振りの岩牡蠣も、本来は生ガキなのを、家内が無理をお願いして、カキフライにしていただきました(家内は生ガキを食べませんし、次女はカキフライが大好き)。うーん、どうせなら焼き牡蠣でもイイのになぁ・・・(しかし、酢牡蠣が好きな人からは、トンデモナイと怒られそうですね)。
カキも大振りで旨い!冬のマガキの3倍近くありそうで、一口では到底無理。カキフライの下に自家製のタルタルソースが敷かれ、上には中濃?ソースが載っていて、カキそのものにも甘味があります。
金目鯛は家内がパスとのことでしたので、ハーフポーションで。とても優しい味付けです。
因みに最初に出てくるこの日のお通しは、自家製の鶏のテリーヌ。イイ味しています。家内も娘も、食指が動いたのか、今度自分でも作ってみるとのこと。
そのテリーヌに添えられていた見馴れぬ野菜。
お聞きすると(「えーと、何だっけな?」、「もう、混んでるんだから忙しいのに」と二人からは非難の嵐!でも後で親切に教えていただき)アイスプラントと言うのだとか。ナントモ不思議な、初めての食感でした。何でも塩耐性植物だとか。確かに微かに塩味がしました。最近、津波の塩害対策植物としても注目されているそうです。
家内はパスタも食べられないほど満腹とのことで、結局この日のデザートは無し。
この日、居合わせたグループ客の方々がお酒の勢いもあってか、少々賑やかでしたが、バサラは雰囲気も良く、じっくりと食事を楽しみたいもの。ここは特にソースが絶品です。やっぱり旨いなぁ・・・。
今回も満足して、奥様に見送られてバサラを後にしました。
「ごちそうさまでした。また来まーす!」
(今回は、料理の写真よりも、店内にさり気なく置かれた花瓶などを掲載しました。少しでもバサラの“品格”を感じていただければ幸いです)
次女が珍しく土日に休みが取れて帰省して来るというので、奥様が「ナナも連れて軽井沢に行こう!」とのこと。「はぁ、またアウトレットですかぁ・・・」
そのため、週末を家族サービスへ当てるべく、前週までに当面必要な農作業を何とか終わらせました。
次女は金曜日が早番だったので、その日に成田から移動し、たまたま出張していた私メと夕刻新宿で落ち合って一緒に松本へ。
翌朝は早めに散歩を済ませ、家の掃除をしてからいざ出発。
途中のナナの休憩も含め、また高速を降りてから市街地の渋滞も予想されることから、余裕を見て9時前に家を出発しました。
松本インターから更埴ジャンクション経由で碓井軽井沢ICまで116kmのナビ表示。凡そ1時間半のドライブでしょうか。途中、東部湯の丸SAで休憩し、軽井沢ICを降りてからの渋滞を避けるべく、山道の和美峠越えで(ヘアピンの連続にナナが酔わぬようにゆっくりと走らされ)10時半にアウトレットに到着。高速道の割引が終了したせいか、或いは同様の施設が他にも出来たためか、駐車場は思いの外空いていました。これならバイパスも渋滞していなかったかもしれません。
さて、ショッピングに夢中の女性陣とは別に、私メはナナを連れて先ずは芝生広場で散歩です。ところが、時折小雨がぱらつく生憎の天気。止む無くスタバのテラス席でナナと休んでいると、昼食のお誘い。事前にチェックして、ペット同伴可のテラス席のあるレストランは雨で椅子が濡れていたので、大きなテントが張ってある芝生広場の地場グルメの移動コーナーへ。
次女は最近佐久のご当地ラーメンとして力を入れている味噌味の「安養寺ラーメン」(安養寺ゆかりの僧覚心が、室町時代に留学先の中国から味噌作りを伝えたのが信州味噌のルーツとか)、家内が長野市の助屋と佐久のイタリアンのコラボという「冷しらうめん」、そして私は信州牛を使った「信州バーガー」とノンアルコールビール。信州牛のハンバーガー、なかなか美味でした。
この他には、旧三笠ホテルの復刻カレーや信州ポークのステーキ丼が出店していました。
その後も雨が降ったり止んだりだったので居場所も無いことから、やむなくショッピングのお付き合い。ショップの外に長椅子が置いてあるので、そこにナナと座って忍の一字です(抱いていれば店内へのペット同伴可のショップも結構あります)。
犬好きだと思われる何人かの方が、「お行儀がイイですね」とか「大人しいですね」と誉めてくださいました。良かったね、ナナ。(写真は我が家のベランダで、いつものように私の膝の上で伏せているナナです)
ナナと言うよりも、シーズーは本当に大人しくて吼えないので、多分犬種のせいだと思います。メスは尚更です。
ここは犬連れの方も多いのですが、チワワやトイプードルは見知らぬ犬に結構吼えたりしていますから。却って柴やレトリバーの方が静かにしています。
二人とも両手にブランドのロゴ入りの袋を提げて、漸くそれぞれの買い物が終わったようです・・・ヤレヤレ、と思ったら、その内の一つは次女が私の誕生日プレゼントに買ってくれたのだとか。有名ブランドの出張用の化粧品ポーチでした。
結婚前から30年近くも気にせずそのまま使っているポーチが、大分剥げたりしてかなりくたびれているのを知っていたようで、カタジケナイ・・・ウルウル。
帰路は、歩き回ってお疲れのようで皆車の中で寝ています。ナナもグッスリと・・・。ハイ、皆さまお疲れさま!・・・でした。
松本市の波田から和田にかけてが、全国的にもスイカの名産地。
特に波田の下原(しもっぱら)はスイカの高級ブランドとして知られています。
この辺りは、隣の山形村の長芋同様に、水はけの良い砂地だから良いのでしょう(その代わり、冬から春先にかけては“黄砂”と見紛うほどに砂が舞い上がって大変ですが)。
JA松本ハイランドが、全て『松本ハイランドすいか』のブランドで統一して出荷するようになりましたが、『下原すいか』だけは一部の地区農家が離脱し、JAを通さずに独自ブランドとして出荷しています(従って「ハイランドすいか」でも、そんなに品質や味は変わらないと思います)。
このスイカの特徴は、松本地方の降水量の少なさに加えて水はけの良い砂地で育ったため、身が締まっていてシャキシャキ感が全く違います。扇型に切ったスイカの先(玉の中心部分)がパリッと“折れるような”という表現がピッタリです。
そのため、スイカ大好き人間の家内も、熊本産や千葉産と地場のスーパーにスイカが出回っても、地元のスイカが並ぶまでは、じっと我慢、我慢。
家内が大好き(冷蔵庫にあれば、この時期彼女の主食です)なこともありますし、娘たちも欲しいとのことから、今年は特売所まで出掛けて直接購入し、子供たちにも送ってあげることにしました。
7月下旬の日曜日の朝、上高地線を西へ。途中、新村で「さかたのおやき」に立ち寄り、子供たちへお焼きも送るのだとか。それにしても混んでますな、観光客と思しき方々で一杯です。
その後スイカの共選所へ。波田までは遠いので、和田の「すいか村」へ。次女は要らないとのこと。同じウリ科のメロンには目がないのに、不思議です。直売所には何軒かの下原などのスイカ農家とJAがテントを張って、大きなスイカが所狭しと並んでいます。軽トラの荷台に山積みしたスイカが次々と運ばれて来ます。
スイカ農家の方によると、スイカは大きいほど甘いのだとか。そこで、長女に送る4Lの下原すいかと、自家用に空洞果の4Lの大玉を購入。値段は、4Lで2800円、空洞果が2000円。
早速その日の夕刻、母と三人でスイカをいただきました。家内が「出来るだけ空洞の少ないのを!」と無理をお願いして(叩いて)選んでもらったそうですが、確かにホンの僅かしか“す(鬆)”が入っておらず、また特徴のシャキシャキ感もあり、7月中旬以降の天候のせいか、例年よりは多少糖度が低い気もしますが、十分甘くて美味。さすがは下原スイカです。
これで2000円はお買い得(リンゴも、ちょっとでも表面に傷があれば贈答用からは撥ねて自家用に回しますから、一緒かも)。これなら、多少足を伸ばしても、直売所へ行く価値は大いにあり!と納得した次第。
スイカの旬は1ヶ月と短くて、「すいか村」もお盆明けまでとか。
「もう一度行こ!」っと。
夏の甲子園が、明日からいよいよ始まります。
今年は震災を乗り越えて、被災地からも各代表校が参加するだけに、駒大苫小牧の優勝で一挙に津軽海峡は飛び越えたものの、深紅の優勝旗がまだ越えていない白河の関を今年は是非越えて、なでしこに次ぐ元気を東北に与えてあげて欲しいものですね。
地元代表が負けた後は(最後の決勝まで地元を、と最初から期待していないのが情けないですが)、これまでは沖縄県勢を応援していましたが、昨年興南が見事初優勝したので、今年は東北各県の代表を応援します。
サッカーの神様に続いて(どうやら水泳の神様は、寺川綾選手の時にチョッピリ微笑んだくらいだったので)、野球の神様の描かれる筋書きに期待したいと思います。
さて、長野県からは東京都市大学塩尻高校が堅守で勝ち抜き、決勝では松商学園を延長で下して、春夏を通じ初めて甲子園へ出場します。
決勝戦は、逆転、逆転、また逆転という好試合だったようです。
松商も、昨年に続き惜しくも決勝で涙を飲んだものの、甲子園常連校らしく今年はノーシードから勝ち上がりました。
敗れた松商は、ここで小尾監督が退任し、嘗て選手としても大学・社会人で活躍し、その後監督としてもプリンスホテルを率いて社会人野球で全国優勝も経験したOBの足立新監督に交替するとのこと。エースや4番などの主力に1・2年生が多いだけに、足立監督率いる新生松商学園に期待です。
都市大塩尻は、武蔵工業大学附属第二高校から、母体の名称変更に伴い校名が変更になっていますが、創立から長らく校名は信州工業高校でした(因みにタレントの滝澤沙織さんも同校OG。彼女が“ムサコウ”に通学していた頃は、朝の電車で時々見かけましたが、彼女は確か父子家庭で、家業のお弁当屋さんを毎日手伝ったという頑張り屋さんです)。
武蔵工は、既に引退された名将大輪監督が率いて、あと一歩のところまで行きながらも、これまで出場は叶いませんでしたが、県内では有力校ではあっても一度も甲子園に出たことがなかった高校に、大輪監督の指導を慕って県外からも入学してくる選手も多く、これまでも近鉄のエースだった小池秀郎投手や、一昨年ソフトバンクに入団した下平(現姓中原)恵司選手など、大輪さんの母校の亜細亜大学経由で何人かがプロ入りしています。
大輪監督引退後を引き継いだ新井監督の下、堅守が持ち味のキビキビとした好チームですので、甲子園に信州からの涼風を吹かせて、一試合でも、一日でも長く、初めての夏を大いに楽しんできてもらいたいと思います。
さて、昨年は松工が大会初日で大敗するという最短の夏でしたが、今年の信州の夏も短いか?
・・・と、都市大塩尻の初戦は、抽選の結果、最近の長野県勢としては珍しく二回戦からの登場で、しかも初戦の最終日となる第7日目の第2試合。ナント、今年は一番遅い(おぉ、確かに長い!)。相手は大分県代表の明豊高校。確か、昔の別府大附属で阪神城島捕手がOBでしたっけ。しかし、九州勢はどこも強そうですが。
【追記:快挙】
インターハイ男子バレーで、名将壬生監督率いる松本市の創造学園附属高校が、見事初優勝を飾りました。
壬生監督は、県立の岡谷工高時代、公立高校としては嘗てのバスケの能代工高に匹敵するような脅威の全国大会三連覇という偉業を成し遂げた(春高でしたっけ?)名将です。教え子に全日本の越谷・松本選手などがいます。
残念ながら部員の事故で岡工を辞め、私立の創造学園に移り創部7年目での初優勝。凄いですね。きっと“壬生バレー”のお家芸とも言える、三人ブロック(高校までのバレー部経験者として言わせていただければ、正直信じられない心身のスタミナです)で勝ち抜いたのでしょう。「練習量日本一」とサラリと言うのも素直に納得できます。
さすが、“名将の行くところに栄冠あり”でしょうか。信州球児も続けーっ!
【追記:哀悼】
松本山雅の元日本代表松田選手が、残念ながら練習中に倒れたまま、関係者の祈り届かず遂に帰らぬ人となりました。まだ34歳の若さでした。
J1マリノスを退団し、他の上位チームから誘いがあったにも関わらず、格下のJFLの山雅を選んでくれた男気に打たれたファンも多かったのに、大変残念です。謹んでご冥福をお祈りいたします。 -合掌
(昨年の巨人の木村コーチといい、何とも辛くて、やり切れませんね)
家内が知り合いの方から頂いた柚子塩。
長崎県の「壱岐の蔵酒造」(多分麦焼酎の醸造会社だと思われます)という会社の、商品名『しっとり ゆずしお』。
壱岐の海水を煮詰めた自然塩に、九州・四国産(宮崎・大分・土佐)の柚子を効かせた逸品。小さな壜(80g)に入っていて、見るからに高級そうです。
柚子の天然果汁と海水を、薪を使い平釜でじっくりと炊いて作ったというだけあって、これが柚子の香が効いていて、また塩そのものも自然塩ですのでミネラル分が豊富なのでしょう、実に味わい深い。
成分表によると、ナトリウム以外に、マグネシウム、カルシウム、カリウムも豊富に含まれているそうで、実際の味も何ともまろやかです。
何にでも合いそうですが、例えば冷奴。
いつもよりちょっぴり高級なお豆腐に、塩を少しずつ振っていただきます。大豆そのものの味と柚子の香りが口の中にぱぁっと拡がって、旨いなぁ。
家内が、柚子塩で漬けたキュウリの浅漬け。
炒りゴマを散らして。あっさりですが、これも柚子が良く利いています。
うーん、これで炭火焼鳥に付けて食べたら、きっと旨いだろうなぁ・・・!
そこで、ブランド鳥の正肉を買って来て、串に指さず、蒸し焼き器(パン)で焼いて、柚子塩を付けていただきました。これで食べる砂肝やレバーなんかも最高かもしれません。そして、同時にブランド豚の冷シャブにも。イイ味してますなぁ。
また別の日は、天然の真鯛の刺身をワサビと柚子塩で食べてみました。
「あっ、鯛って甘いんだ!」
濃口醤油では負けてしまう微妙な味も、これだと分かります。平目などの白身魚には良く合いそうです。
とにかく旨い!
シンプルなだけに誤魔化しが効かず、素材本来の味がシビアに試されます。従って良い物ほど、柚子塩がその素材の良さを一層引き立てるんでしょうね。
そして、余談ながら、これに合うのは雑味の無い辛口の純米酒。
そんな魔法のような調味料-「壱岐の蔵酒造」の『しっとり ゆずしお』。手間隙を掛けた逸品です。要冷蔵とのことなので冷蔵庫に保管して、大事に、大事にいただきます。
信州の片田舎では店頭で売っていそうもありませんが、通販での“お取り寄せ”も可能なようですので、終わったらネットで子供たちの分も注文しようっと・・・。どうやら、我が家には欠かせぬ調味料になりそうです。
じっくり、大事に、三度繰り返して読んだ高田郁著『みをつくし料理帖』(ハルキ文庫)の第5巻「小夜しぐれ」。
相変わらずで、読む度に心地よい余韻に浸りました。ストーリー展開も良く練られています。
物語はさておき、舞台となる料理屋「つる屋」がある九段坂下。長屋のある神田から通いの途中の飯田川にかかる飯田橋と俎(まないた)橋。そして今回は、武家屋敷のある神楽坂方面が描かれていました。
次女が3月に大学を無事卒業して神楽坂から引っ越してしまい、楽しみだった神楽坂界隈に行く機会がなくなりましたが、江戸時代の描写を読みながら、あっ、あそこだと懐かしく思い出しています。
今度出張の折にでも、一人で「みをつくし」に掲載されている当時の地図を見ながら歩いてみようかな・・・。江戸が坂の町であることを実感しながら。
しかしいつもながら、「みをつくし」を読むと、赤の他人同士なのにどうしてこうも他人を思いやれるのだろうと思いますね。
所詮物語の世界だから・・・。いえいえ、被災地の様子を知るたびに、今回はそうした他人への思いやりが、実際のエピソードとして幾つも幾つも新聞などで綴られてきました。
そう言えば、米国でラテンアメリカからの貧困層の移民の人たちの送金を支援するマイクロファイナンス事業を立ち上げた杤迫篤昌氏が、多くの日本人が小口ながらも出資に応じてくれたことを紹介する中で「この国の人たちには他人を思いやる気持ちがある。それが同じ日本人としての私の誇りです。」と言われていたことを思い出しました(第160話参照)。
【追記】
盛夏。我が家の定番の酒の肴も、娘が連れて行ってくれた神楽坂の焼鳥屋さん(「鳥焼き金太郎」)で知ったクリームチーズの味噌漬け(第225・238話)から、自家菜園のキュウリも順調に収穫出来ていますので、「みをつくし料理帖」に登場する「忍び瓜」(第304・366話)に既に選手交替しています。
(これまで「澪つくし」と記載していましたが、良く見ると「みをつくし」でした。謹んで訂正いたします)