カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 最近の新聞の中で、“生きる”という文字や内容に惹かれました。

 英文学者にして演劇評論家でもある東京大学名誉教授の小田島雄志さんが、日経の名物コラム「私の履歴書」に執筆されていて、その第一回。
「人生の幸せとは、金とか名誉ではなく、おれはこんなに笑ったり泣いたりしたぞ、という喜怒哀楽の情の総量である。」・・・なるほどと思い、心に残った名言でした。
その小田島さんが、終戦直後満州から引き上げて旧制中学へ編入し、職の見つからない父親を助けてバイトに明け暮れ、進学する意欲を失い中卒で働こうかと思った時、それを伝え聞いた担任の先生が、休み時間に急にクラスに飛び込んで来て、全員を前に「この中に勉強するのが嫌になった奴がいるそうだ。だが、人間生きている限り毎日が勉強なんだ。だから勉強が嫌な奴は生きている意味がないから俺が殺す。悔しかったら化けて出て来い!」と「血を吐くような声で叫び、涙をボロボロ流した」のだそうです。それを聞いて顔を上げられなかった小田島少年は、先生の“涙の渇”で吹っ切れたと書かれていました。そして、その日付までハッキリと記録されておられると。

 何もかも失った焼け野原で、多分子供たちだけが将来のこの国の希望だと確信し、それこそどの教師も命がけで子供たちと向き合っていたのでしょう。
そう言えば、誰だったか、終戦直後の日本で、黙々と働く勤勉な大人たちと子供たちの目の輝きを見て、「大丈夫。この国は間違いなく復興する!」と確信したという外国人(ジャーナリスト?)がいたそうです。

 そして、朝日新聞。「日記」と題された被災地からの毎日の小さなコラム記事での、ある日の報告。
避難所となった南三陸町の高台のホテルで、500人近い避難者や復旧工事関係者(記者の方もホテルの一室が臨時の仕事場)たちにいつも笑顔で接するホテルウーマンの遠藤さんに、記者が笑顔の理由を尋ねたその答え。真顔になり「娘に子供が生まれるんです。」
お嬢さんが結婚し、石巻市役所に婚姻届を出した当日に大震災が起こり、新郎は祖父母や妹を避難させるために助けに向かい、一緒に津波に呑まれて流されてしまいます。遺体で見つかった新郎を前に泣き崩れる義母に向かい、「私をこのままお嫁さんにしてくれますか?」と、お嬢さんはその場で申し出たといいます。お腹に新しい命を宿しながら。そして津波被害にあった市役所に再度婚姻届を提出し、市は3月11日付けで婚姻届を遡及受理したのだそうです。
そんな娘さんに、遠藤さんは「強く生きなさい。あたなは母親なのよ!」と語ったのだとか。だから自分も強く生きるのだということなのでしょう。

 悲しみや苦しみ、全てを失った絶望の中で、若者や新たに生まれ来る命に希望を託す。或る意味、それは自分の命を次の世代へ託す“命のバトン”なのかもしれません。そうすることでまた生きてゆける。人間には、そんな強さもあるのでしょうか。