カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
『澪つくし料理帖』第5巻「小夜しぐれ」を大事に読もうと思い、その前にと購入したのが平松洋子著『おとなの味』(新潮文庫)。著者はフードジャーナリストでありエッセイスト。
これまでも名前をお聞きしたことはありましたが、著作としてまとめて読むのは初めてです。
これが、エッセイのタイプは全く違いますが、“女小泉武夫”(世に知られたのはどちらが先かは存じませんが、個人的には小泉センセの方が先なので)とでも言いたくなるような食に関するなかなかの名文家で、まさに味わい深いエッセイでした。
性別に関係なく、食に関するエッセイを書かれる方は、その驚くべき食(或いは食材)に対する好奇心がどうやら共通項。
ただ、平松女史は、(当然ながら)小泉センセとはタイプは全く異なり、“小泉ワールド”とも言うべきピロピロ、ピュルピュル、ジュルルといった類の擬音は勿論皆無。文章が色彩的でいかにも女性らしく、また品があってオシャレですが、飽くなき探究心(要するに食いしん坊)には感心します。
全62話のエッセイの中でも、特にナルホド!と思ったのは、「水の味」。
「煮る、さらす、浸す、茹でるといった水を中心とした調理法で、微妙な味わいで素材を引き立たせる日本料理は、京都の軟水だからこそ進化した」という件(くだり)でした。
その逆で、フランス料理は硬水だからこそソースがミネラルと結合することでしっかりと主張し、切れが出るのだとか。シチューのようにコトコトと煮込む欧州の料理も硬水だからこそ、なのだそうです。
また、我国でも関西の軟水と江戸の硬水の違いにより、お米の炊き具合が全く違うのだとか。その結果、硬水で炊くために米が“粒立つ”江戸では、一粒一粒がくっ付かず、空気を含めてフワっとなるからこそ握り寿司が発達し、一方の軟水の関西では米粒が融合し交じり合うことから棒寿司(箱寿司/押寿司)が発達したのだという解説は、まさに目からウロコでした。
そう言えば、シンガポール赴任時代、カリフォルニア米(ジャポニカ種)が、炊きたては美味しいのですが、オニギリだとパサパサになるのはお米の違いだとばかり思っていましたが、現地の水が硬水だったからなんですね。
また、家内は握りがフワっと柔らかくない板前さんはダメと良く言いますが、これもナルホドと納得しました(食通でもない私メは「あっそう?」と左程気になりませんが)。
料理について、その土地土地の食材の違いのみならず、水との関係を深く認識させられました。まさに水は食文化なんですね。