カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
震災直後、原発事故を受けて多くの在留外国人が次々と離日していく中で、ドナルド・キーンさんが89歳にして「日本国籍を取得し永住する」と発表し、打ちひしがれて自信を失いかけていた我々日本人の心に、一筋の灯りをともしてくれたように感じた方も多かったのではないでしょうか。
先日、帰宅してたまたまTVを付けたら、NHKの「クローズアップ現代」でドナルド・キーンさんとのインタビューが放送されていて、興味深く拝見しました。
60年にも及ぶ日本滞在の中で、極右的に国を挙げて戦争へ突き進んで行った日本人と、それとは対極のように思いやり溢れる日本人を見て、日本人の本質が理解出来ずに、それを探求することが目的だったと語る、穏やかな目が印象的でした。
そして、その本質を探るべく30人にも亘る作家の戦前・戦中・戦後の日記を比較考量する中で、何となく近づけたと思ったのは高見順の一文を見つけた時だったそうです。
戦時中空襲で焼け野原になった東京を逃れるべく、母親を疎開させるため人で溢れる上野駅まで送って行った時のことを書いたというその日記。
(うろ覚えながら)
『・・・権力もなく、財力もなく、何も持たない人たちが家を焼け出され、全てを失っているのに黙々と列を作って並んでいる。
この国を愛し、信じて、ただ我慢する人たち。
自分は、この人たちとともに生きたい、この人たちとともに死にたいと思った。』
それは、今回の東北の人たちの震災後の姿にも見事に重なります。
愛すべき日本人の本質に近づき、今また未曾有の困難に立ち向かわなくてはならないこの国と結婚して、永住しようと決心したと言います。
おそらくキーンさん自身も、日本を愛するが故に「この人たちと共に生き、この人たちと共に死のう」と判断されたのでしょう。
そして、「これまでの日本人との触れ合いの中で、一番印象に残っていることは何ですか?」との国谷キャスターの問いにキーンさんが答えます。
“たくさんありすぎて思いだせません。でも今浮かんできたのは、本当に何気ないことなのですが・・・”と前置きをされて曰く、
「以前、室生寺を訪れた時にもの凄い雨に合い、お寺で雨宿りをしていると、見知らぬご婦人が傘を差し出してくれたのです。私が“多分お借りしてもお返しできません”と言うと、そのご婦人は微笑んで“構いませんよ”と言われたのです。」
国籍を取得したら、日本文学研究者として「死ぬまで文士でいたい」というキーンさん。
既に鬼怒鳴門(キーンドナルド)という漢字名まで考えられているとか。
我々以上に日本を、そして日本人を理解され、むしろ我々の方がこの国について教えられることが多いように思います。
文士-まさに“サムライ”ですね。どうぞ幸せな結婚生活を送られて、長生きしてください。