カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
先週の日曜日の午後。長野県松本文化会館(略称“県文”)で、県下の男声合唱団ばかりが集う「第5回長野県男声合唱フェスティバル」が開かれました。今年は松本での開催のため、義弟の合唱団が事務局とのことから(聴衆確保の要請で)聴きに行きました。
私自身も学生時代は混声合唱団に在籍し、卒業後は男声合唱がやりたいと思い、当時同様の合唱祭に聴きに行きましたが、好みの男声合唱団(多田武彦ばかりを歌う-あるべくもありませんが)が無く、諦めた記憶があります。
その後、シンガポール赴任中にシンガポール交響楽団の事務局長の方と知り合い、SSOコーラス(交響楽団附属の混声合唱団-日本人赴任者で参加されている方も数人おられ、メサイア全曲を年末恒例で演奏していました)に入れてもらおうかと思いましたが忙しく、帰任後もまた忙しさにかまけ、唯一高校時代の音楽部OB会の定期演奏会に、たまたま当時長女が現役部員だったので、親子で同じステージに立ったのが卒業後唯一の合唱経験。その後もOB会で興味深い曲目(確か戴冠ミサだったかモツレクか、そして今年は「島よ」)もありましたが、“歌を忘れたナントカ”(バスゆえ、カナリアの様な高音ではなく、さしずめカラスでしょうか)で、今では週末の農作業で練習参加もままならず。
義弟は、SKFの公募合唱で目覚めたのでしょう。その後、地元の男声合唱団に入団し、今や貴重なトップテナーの戦力です。自営業なので、人脈作りや付き合いなどでも有益なのだろうと思います。しかも今年は初めてソロを務めるとか。これは聴きに行ってあげねばと、妹が母を連れて行くというので、朝から農作業をした後、家内と出掛けました。
チケットのお礼にと、家内が近くの花屋さんで用意した花束。
「ちょっと、リサイタルじゃないんだからさぁ、これ大き過ぎでしょ。」
「あら、そうお?」
県下の男声合唱団7団体が出演。
「いざ立て戦さ人よ」の合同演奏に始まり、各団の歌う、多田武彦の名曲「雨」と「富士山」、そして早グリ(編曲)の愛唱歌「見上げてごらん夜の星を」などなど。最後の合同演奏では、「柳川」、「月光とピエロ」などの男声合唱の古典的?定番ともいえる懐かしい曲が続きました。脳裏にバスの旋律が流れます。そして聴衆の拍手に応えて、これまたクロージングへのアンコール曲の定番「遥かな友に」で演奏会は終了。
参加者の中には、既に引退された会社の先輩が岡谷の合唱団で歌われていたり、やはり最後母校の校長を務められた先生は塩尻の合唱団で歌われていたり。皆さん、お元気そうです。
義弟の合唱団は指導者が替わり、昔に比べて団員も増え、演奏水準もかなり上がっています。彼は、これまた名曲の清水修編曲「最上川舟歌」のテナーソロ。なかなかお見事でした。
これなら大きな花束で、ちょうど良かったかも。
演奏後のロビーには、高校の音楽部の先輩も奥様と聴きに来られていて、娘たちが中学で同級だったことから暫し夫婦同志で歓談。
学生時代は100人以上が当たり前だった、大学の名門グリークラブも団員集めに苦労しているとか。
確かに今や一般合唱団も若い人は見当たらず、中高年の方々が中心です。合唱団によっては、せっかくの人数がいながら声量がなかったり、地声で喉を絞め過ぎていたり。ボイストレーニングをキチンとやればもっと良くなるのにと惜しまれましたが、コンクールに出るのでなければ、歌うことは腹式呼吸で健康にも良いので、演奏の質云々より楽しんで歌えば良いのでしょうね。
「♪ 降りそそぐ 翠藍(すいらん)ガラスの 大驟雨(だいしゅうう)」(草野心平詩・多田武彦作曲「富士山」より終曲の「作品第弐拾壱」)
口ずさみながら県文を後にしました。帰ったら、CDとハモろうかな。
(写真は「富士山」もカップリングされている多田武彦作曲の男声合唱曲集のCD『雪明りの路』)
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