カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
3.11から早いもので、もう3ヶ月が経ちます。
大地震、大津波、原発事故という異常な“非日常”的な世界で、黙々と且つ懸命に続けられている支援活動の様子が、これまでも新聞を始め様々なメディアを通じて報じられてきました。
震災直後報じられた、津波に飲み込まれるまで半鐘を鳴らし続けた地区の消防団員。或いは地区放送で津波避難を最後まで呼び掛け続け犠牲となった役場の女性職員。そして家族に避難を促し自分は最後まで住民の避難誘導を続けた派出所の警察官。
こうした尊い犠牲となられた方々のみならず、未曾有の事態とは言え、「どうしてそこまで・・・?」とも思えるほどの、それぞれの崇高な使命感の数々。(以下、多少の記憶違いはご容赦ください)
“暴力装置”と時の政権から罵られたにも拘らず、懸命に復旧作業や不明者捜索を続けてきた自衛隊員を始め、警察官や消防隊員たち。
支援が安定した避難所から移動する彼らを、感謝を込めて覚えたての敬礼で姿が見えなくなるまで見送っていたという女子学生。
「余り無理しないで」と復旧活動で疲労困ぱいの夫をメールで気遣う妻に、「自衛隊を舐めるなよ。今無理しないでいつ無理するんだ!」と気丈に返信したという自衛隊員。
第一波の津波の後で、「もうこれ以上の犠牲者は出さない」と、万が一の時は自分たちの身許確認がされ易いようにと各自腕に名前をマジックで書いた上で、動けない入院患者を真っ暗な階段を使って一人ずつ屋上まで避難させ続けたという三陸海岸近くの病院の医師と看護師たち。
先遣隊で避難所の状況把握に派遣され、寝る間もなく孤軍奮闘する医師を見かねて、任務終了後自主的に避難所に残って医師のサポートを続けたという看護師。
震災で物流が寸断された被災地で、連絡の取れない本社からの承認を待たず、自分たちの方が地理に詳しいからと、自衛隊に代わり救援物資の避難所への配送を自主的に申し出たという宅急便ヤマト運輸の被災地のドライバーたち(後で知った本社は、直ちに彼らの支援にトラックとガソリンを東北各地に送ります)。
地震で店舗がメチャクチャになり本部から商品も届かない中で、「ただの塩むすびでスイマセンが」と、奥さんが自分の家の米を炊き握った自前のオニギリを店の外で無くなるまで販売し続けたというコンビニ店主。
“異常”とも言える非日常的な状況の中で、現場ではいつも通りにこうした“日常”業務を「自分の仕事だから」、「今自分に出来ることはこれしかないから」と懸命に続けている人たちがいます。
日頃は気付かない、そうした日常業務の大切さ、現場のプロ意識の高さ、ある意味“崇高な使命感”を目にする度に、新聞に“染み跡”が増えていきました。
しかも、活字にはならない無数の“日常業務”が、非日常状態が続く今も、現場では粛々と、そして黙々と行われている筈です。
欧米型と比べての、この国の組織のトップダウンの弱さばかりが最近は目立ちますが、一方で日本的ボトムアップ組織ゆえの現場の強さを改めて認識させられた、この3ヶ月でありました。
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