カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
いろいろあったプロ野球ですが、漸く4月12日に開幕しました。
今年は、例年の華やかさとは少し違った雰囲気-こんな時に「野球をやってもイイのか?」、「球場に行ってもイイのか?」という戸惑い-を感じますが、一方でゲームが進むにつれて「やっぱり、スポーツはイイなぁ!」と、ファンの開幕を待ちわびた様子も、画面から、また報道からも伝わってきます。
その意味で、「見せましょう、野球の底力を!」と呼びかけた東北楽天の嶋選手会長と、その嶋選手の逆転3ランでの開幕戦勝利後のインタビューでの星野監督の涙が印象的でした。
ただ、選手の皆さんの“想い”も確かに理解できますが、あまり「使命感」を意識しない方が良いのではないでしょうか。
普段通りのプレーをする。その普段通りの真剣さが、またプロの技が、見る者に感動と共感を呼び、特に子供たちに夢や希望を与えてくれるのだと思います。
一発勝負のトーナメントならともかく、秋までの長丁場だけに、入れ込み過ぎると続かずに、結果として無理なプレーが事故や怪我につながりかねません。
東北の皆さんは、先ずはTVを通してかもしれませんが、被災地だけではなくこの国全体が異常な生活や環境の中で、スポーツだけではなく音楽や演劇も、そこに行けば、これまでと同じ普段通りの日常がある、そのひと時だけは以前と変わらぬ日常に戻れる、ということが大事なのではないでしょうか。そして、それが終わって、そこから再度異常な生活環境に戻る時に、「ヨシ、また頑張ろう!」と思わせてくれることが何よりも意義深いのではないでしょうか。ですから、肩肘張らずに、自分には「野球しか出来ない」、「音楽しか出来ない」で良いのでは・・・。
日経新聞4月13日付の文化面。
吉野山の3万本の桜を育てる「桜守」の方(紺谷さん)が、震災報道に涙しながら、
『(略)被災者が塗炭の苦しみを味わっているのに、なぜ私は桜の世話をしているのだろう。そんなことを初めて考えたが、私には桜守しかできない。
被災地の方にも届くような見事な桜を咲かせ続けようと思う。来年も、再来年も、その先も。(略)』と書かれていましたが、全くその通りだと思います。
自分は何が出来るのか。
非日常ではなく、これまでを通して日常的にやってきたことを今まで以上にしっかりやる。それが大事ではないでしょうか?
然らば、私に出来ること?-それは、被災地では作りたくても作れない農家の方々もおられる中で、(平日はしっかりと会社の業務をした上で、少なくとも週末は)福島の分までリンゴをしっかり作ること、だと思います。