カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
先週末の23日の土曜日はまとまった雨で、果樹や庭木には恵みの雨になりましたが、散り始めの桜には酷な雨でした。
午前中小雨の内に外の仕事を済ませ、雨脚が強まってからは家の中の片付けなどをして、翌24日の日曜日の午前中まで掛かって漸く終了。そして、お昼に市議選の投票を済ませてから、時間が取れた午後、天気も良かったのでナナも連れて本当に久し振りのドライブです。
そこで、高遠(平成の合併で現伊那市)に桜を見に行ってみることにしました。混み具合にもよりますが、松本からは1時間ちょっとでしょうか。
H/Pで確認すると、散り始めていますが、この日が最後のチャンスとか。
諏訪の社宅に居た頃、当時2歳ちょっとだった長女を連れて杖突峠を越えて見に行ったら既に葉桜で、娘が「お花はどこにあるの?」とキョトンとしていたのが懐かしく思い出されます。そのためずっと気になっており、四半世紀ぶりですが、やはり一度は見ておかないと。
今年は震災の影響で人出が半分だそうですので、その意味で地元の人間にとっては最後のチャンスかもしれません。今年は、夜のライトアップも中止とか。
園内に入場(桜の時期だけ入園料700円です)。ここは事前に確認してペットも入場可。例年の半分とはいえ、全国的にも桜の名所ですので、県外客も含めてかなりの人出です。普段なら身動きが出来ないほどの混雑なのでしょう。
高遠はタカトウコヒガンザクラ(県の天然記念物)で、長篠の戦いに勝利した織田信長の5万の大軍に囲まれ、籠城する僅か3千人の手勢で対抗して壮絶な最期を遂げたという仁科五郎信盛(県歌「信濃の国」にも登場します)の逸話に因み、“血染めの桜”とも呼ばれるほどソメイヨシノに比べてピンクが濃いのが特徴と言われています。
“天下随一の桜”と謳われたように、近世山城跡の小山が1500本と言われる桜で埋め尽くされていて見事です。
高遠城は往時も天守閣は無く櫓があっただけだそうですが、山の地形を巧みに使った空堀などが残り、明治まで8代続いた内藤氏(幕府より普請を命じられて甲州街道に新しい宿場町を造ったことから、内藤新宿と呼ばれた新宿にその名を残します)の居城跡として、“兵どもの夢の跡”が桜吹雪に偲ばれます。
お粗末ながら、さしずめ『桜舞い つわものどもの散りし跡』でしょうか。
また高遠は辛味大根の蕎麦が有名で、街のあちこちにお蕎麦屋さんが見られます。江戸時代に藩主保科氏が会津藩に移った際に、高遠の蕎麦職人を連れて行ったため、双方に辛味蕎麦が名物として今に伝わっています(追記)。
昼食はペット入店可の飲食店が見当たらず、また花冷えで少し寒かったので、公園の出店でお焼きを買って、桜舞う高遠を後にしました。
松本ではお城は既に葉桜ですが、高台のアルプス公園の桜は満開とのことですので、今週末までは楽しめそうです。
休日になったら、チロルとナナを連れて行ってみようと思います。
【追記】
余談ながら、後の会津藩主で名君の誉れ高い保科正之(将軍秀忠の4男-従って江の実子ではなく庶子-で、時の高遠藩主保科正光の養子となってこの城で少年期を過ごしたそうです)は、異母兄の3代家光、4代家綱の将軍に仕え、幕政を支えた名補佐役と言われ、縁(ゆかり)の高遠と会津若松が連携して、NHKの大河ドラマに取り上げるよう投げ掛けをしているとか。その是非はともかく(何となく観光誘客が主目的のような気がします)、今回の大震災に絡んで、江戸復興を担った保科正之が珍しく全国紙で取り上げられた記事があり、興味深く読みました。
曰く、明暦の大火で江戸が火の海になって江戸城天守閣も焼け落ち、上野寛永寺への将軍退避を幕臣が計画した際、庶民を徒に不安にさせぬよう総大将は何があっても動いてはならないとして取り止めさせたとか、焼け出された庶民を救済(炊き出し等)する中で、大火にも混乱無く冷静に行動する庶民に感動し褒め称えた、という内容でした。
今回の政府の行動とは対極にあり、逆に被災者の方々の行動には、決して近代教育の成果ではなく、この国の人々の持つ同質性を感じました。
お彼岸明けからの寒さのせいか、昨年より大分送れてツバメが信州にも戻って来ました。
諏訪では4月12日、松本では先週の22日早朝に(我家周辺では)漸くこの春初めてツバメが舞うのを見かけました。
長旅を終えて生まれ故郷に無事戻ってツバメたちも、心なしか嬉しそうに舞っています。
諏訪では一昨年4月1日、昨年は5日に見かけましたので、花に限らず、今年はツバメも例年に無く遅いようです。
個人的には、ツバメも春の使者。ツバメを見ると何だか一安心で、南からツバメが春を一緒に運んで来てくれるような気がします。これで信州も春の役者が揃いました。
東北の被災地にも、やがてツバメは戻って来ることでしょう。
大津波で、巣のあった家を流された三陸のツバメはどうするのでしょうか?
でも、ツバメたちも自分の生まれ故郷を離れずに、きっとそこで負けずに頑張って、また営巣を再開することでしょう。そこでお粗末ながら・・・、
『三陸に 燕(つばくろ)戻りて 家作り』
ツバメの営巣に負けぬよう、一日も早く仮設住宅が用意されると良いですね。
4月11日の日経文化面に小さく掲載された報道(朝日には無かったと思います)。
前日(10日)、世界の巨匠ズービン・メータ氏の呼び掛けに応え、N響と東京オペラシンガーズの“第九”のチャリティーコンサートが上野の東京文化会館で開かれ、演奏終了後聴衆全員のスタンディング・オベーションと共に、当日2200万円を超える義援金が集まったという紹介記事でした。
確か、マエストロは3月11日前からフィレンツェ歌劇場の公演で来日されていて、震災の影響でフィレンツェ市長からの帰国命令を受け、震災後の公演が中止となった際に、マエストロはN響などに追悼コンサートを投げかけたものの、結局スケジュールの調整が出来なかったという別の報道がありました。
その後も氏は投げかけを続け、当初のオペラ公演が中止となってスケジュールが空いたN響や東京オペラシンガーズがマエストロの意志に応えてこのコンサートが実現し、海外からの演奏家が震災と原発事故により日本への来日を次々とキャンセルする中で、氏はこの演奏会のためだけに急遽再来日したとのこと。
気にしていたところ、日を空けずに17日の「N響アワー」でその模様を放送してくれました。また24日早朝にはBSで全曲放送もされました。
冒頭、マエストロからの追悼メッセージがあり、氏が促して会場全員での黙祷の後、犠牲となられた方々へバッハの管弦楽組曲第3番から第2曲アリア(G線上のアリア)が捧げられ、会場は拍手も無く深い祈りに包まれました。
メッセージの中で、ちょうど満開を迎えた上野の桜に被災された方々への思いを馳せ、犠牲になられた方々だけではなく、被災地で同様に犠牲になったであろうペットたちにもマエストロが触れられていたのが、大変印象に残りました。
第九では、第一楽章冒頭の聴き馴染んだ弦のアインザッツから、マエストロの深い祈りと想いが音となり、オケも独唱者も、そして合唱団が氏のタクトに応えるように、祈りと共に、形容詞としては相応しくないかもしれませんが、特に第4楽章では東北まで“希望”よ届けと言わんばかりの気迫に満ちた、まさに渾身の第九、名演でした。演奏者だけではなく、会場の思い(祈り)が一体となったからこそ、だと思います。
年末恒例の“歓喜”とは全く違った“祈り”がそこにありました。
終了後の聴衆全員のスタンディング・オベーションは、演奏に対する称賛は勿論ですが、何よりもこのためだけに駆けつけてくれたマエストロへの、そこに集まった聴衆からの、日本人としての感謝のようにも感じられました。
番組の最後には、演奏終了後のロビーで来場者に義捐金を呼び掛ける、オーボエ主席の茂木大輔さん等のN響団員と当日のソリストの方々が映っておられました。
クラシック音楽界においても、日本国内だけではなく、世界各地でこうした支援コンサートが開催されているようです。
こうした報道に接する度に、日本人として、感謝は勿論ですが、一体どう応えたらいいのだろうと考えさせられる今日この頃です。
もし、来日公演があれば、感謝を込めて先ずは足を運ぶ・・・ということでしょうか?
3年前に、義母さんへの喜寿のお祝いの2鉢からお裾分けしていただいたシンビジウム。昨年12月に花芽が出てきてから、もう4ヶ月になります。
漸く、4月7日にシンビジウムの花が咲き始めました。結局今年も5本花芽が出ましたが、どういう理由か花の付きが今年は悪く、蕾の数が昨年より少ないようです。
(写真は、咲き始めた7日と10日、そして昨日の様子です)
もしかしたら、株の成長に対して鉢が小さくなったのかもしれません。
昨年園芸店に家内が株分けをお願いしたら、時期を逸したようで、今年は早めにお願いして時期を逃さぬようにしたいと思います。
大き目の鉢に植え替えるか、或いは株分けをした方が良いのか、プロのアドバイスを待ちたいと思います。
花は少なめですが、今年も暫くはシンビジウムの花を楽しめそうです。
【追記】
今、雑木林風ガーデンのクリスマスローズが満開です。
グランドカバーのポテンチュラの中に、30株ほどあり、この冬、葉が枯れて心配していた(第449話を参照ください)のが、見事に咲き揃いました。
清楚な中にも凛とした雰囲気を漂わせています。
この内何株かは零れ種で増えたもの。今年も、新しい小さな芽が3つほど顔を出しました。嬉しいなぁ・・・、何だか心なごみます。頑張れ、頑張れ!
11日に開花宣言が出された松本城の桜ですが、その後は日中暖かく、先週末には満開になりました。
週末娘たちのところに上京した家内を、17日の日曜日夕刻に松本駅で出迎え、今までなかなか時間が取れず行けなかったいつもの園芸店へ。こちらには庭のリフォーム以降、定期的なメンテナンスをお願いしています。
ガーデニング・シーズンを迎え、店頭には色とりどりの花々が置かれていて、こちらも春爛漫。
今回は、花壇の春の定期メンテナンスに合わせて、クリスマスローズの補植と玄関用の追加の寄植えの鉢を(奥様が)注文し、その後せっかくなので松本城へも寄ることにしました。
お城では、14日からこの21日まで夜桜会が行われていますが、開花後の暖かさで、今週末にはもう葉桜になってしまいそうです。
日没までにはまだ少し時間もあるのでライトアップはされていませんが、満開の桜を愛でに観光客を含めて、自粛ムードの中、思いの外人出がありました。
お茶席が設けられていて、抹茶やお団子、豚汁が振舞われ、売上げの一部は義捐金にされます。夜、月見櫓では今年も雅楽や琴、フルートなどが演奏されます。
日中は暖かだったのが夕刻は花冷えで寒いので、特に豚汁には長蛇の列が出来ていました。並ぼうとしたら「寒いからもう帰ろう!」との仰せ。
せっかくなので朱塗りの埋橋からではなく、また黒門へ戻り、内堀に沿って半周してから駐車場へ戻りました。
花曇の空ながら、お城と桜と、そして雪を頂く山々が望め、“北アルプスの城下町”松本ならではの景観が広がっていました。
因みに、この日は休日で入れませんでしたが、市庁舎の最上階の展望室からが、太鼓門越しにお城の全景と北アルプスを望む、恐らくベスト・ビューポイント・・・だと思われます。
これから、松本ではお城(標高590m)や薄川沿い(ドラマ「白線流し」の舞台)、弘法山(全山が2000本の桜に覆われています)等の平地の桜が終わり、アルプス公園(標高800m。こちらは500本)などの高台へと桜前線が上っていきます。
今年の桜は、上手くすると松本(アルプス公園や島々谷)ではゴールデンウィーク前半まで楽しめるかもしれません。
朝晩はまだまだ冷え込む日もありますが、風が暖かく、また光も柔らかくなって、信州松本も春本番。週末、お城の桜も満開になりました。
以前、第72話でご紹介させていただいた、信州の山々や自然をこよなく愛した“山の詩人”尾崎喜八の詩『松本の春の朝』。
美ヶ原を詠った詩(『美ガ原溶岩台地』)に比べて、地元松本でもそんなに有名な詩ではないと思いますが、一年ほど前に市内を歩いていて(飲み会に行くために・・・都会の人に比べて却って田舎の方が車中心で、そんな時くらいしか歩きませんね。イカンなぁ)、思いがけない所で偶然その碑を見つけました。
それは駅前の松本東急インホテル。その玄関先の壁に、ひっそりと目立たずに赤い御影石?に刻まれて埋め込まれていました。
東急の創始者ともされる長野県ゆかり(小県郡青木村出身で松本中学に学ぶ)の五島慶太翁に何か関係でもあるのでしょうか?
せっかくあるのですからもっとPRすればいいのに、松本東急インのH/Pにもその紹介はありませんでした。
以前も書きましたが、この尾崎喜八の「松本の春の朝」は、“岳都松本”の魅力を表した良い詩だと思います。
北アルプスに正対(と反対の客室は美ヶ原?)して建つ東急インの客室からも、松本駅の駅舎越しに常念や槍を始め、北アルプスの『尖峰』が春だけではなく四季折々(但し夏は快晴でも山は雲に覆われる日が多く、山容を望めることは稀ですが)の美しさを以って望める筈です。
朝起きて窓越しに北アルプスを見た時に、松本に来たことをきっと実感することでしょう。
いろいろあったプロ野球ですが、漸く4月12日に開幕しました。
今年は、例年の華やかさとは少し違った雰囲気-こんな時に「野球をやってもイイのか?」、「球場に行ってもイイのか?」という戸惑い-を感じますが、一方でゲームが進むにつれて「やっぱり、スポーツはイイなぁ!」と、ファンの開幕を待ちわびた様子も、画面から、また報道からも伝わってきます。
その意味で、「見せましょう、野球の底力を!」と呼びかけた東北楽天の嶋選手会長と、その嶋選手の逆転3ランでの開幕戦勝利後のインタビューでの星野監督の涙が印象的でした。
ただ、選手の皆さんの“想い”も確かに理解できますが、あまり「使命感」を意識しない方が良いのではないでしょうか。
普段通りのプレーをする。その普段通りの真剣さが、またプロの技が、見る者に感動と共感を呼び、特に子供たちに夢や希望を与えてくれるのだと思います。
一発勝負のトーナメントならともかく、秋までの長丁場だけに、入れ込み過ぎると続かずに、結果として無理なプレーが事故や怪我につながりかねません。
東北の皆さんは、先ずはTVを通してかもしれませんが、被災地だけではなくこの国全体が異常な生活や環境の中で、スポーツだけではなく音楽や演劇も、そこに行けば、これまでと同じ普段通りの日常がある、そのひと時だけは以前と変わらぬ日常に戻れる、ということが大事なのではないでしょうか。そして、それが終わって、そこから再度異常な生活環境に戻る時に、「ヨシ、また頑張ろう!」と思わせてくれることが何よりも意義深いのではないでしょうか。ですから、肩肘張らずに、自分には「野球しか出来ない」、「音楽しか出来ない」で良いのでは・・・。
日経新聞4月13日付の文化面。
吉野山の3万本の桜を育てる「桜守」の方(紺谷さん)が、震災報道に涙しながら、
『(略)被災者が塗炭の苦しみを味わっているのに、なぜ私は桜の世話をしているのだろう。そんなことを初めて考えたが、私には桜守しかできない。
被災地の方にも届くような見事な桜を咲かせ続けようと思う。来年も、再来年も、その先も。(略)』と書かれていましたが、全くその通りだと思います。
自分は何が出来るのか。
非日常ではなく、これまでを通して日常的にやってきたことを今まで以上にしっかりやる。それが大事ではないでしょうか?
然らば、私に出来ること?-それは、被災地では作りたくても作れない農家の方々もおられる中で、(平日はしっかりと会社の業務をした上で、少なくとも週末は)福島の分までリンゴをしっかり作ること、だと思います。
松本も11日に松本城の桜の開花宣言が出されて、いよいよ春本番。
お城の公園には320本の桜があり、やはり賛否両論があったようですが、今年も「国宝松本城夜桜会」として14日から21日までライトアップされ、本丸庭園が夜間無料開放されています(本丸庭園内の売店の売上げの一部を義捐金とするそうです。写真は14日夜の我家のヒガンザクラ)。
早春の3月から、リンゴ園の日当たりの良い場所では、タンポポやオオイヌノフグリが可愛らしい花を付けています。
特にオオイヌノフグリは、一つ一つは小さな花ですが、このところの暖かさで一斉に咲き揃い、群生すると遠目からはまるで青い絨毯のように見えて、それは見事です。
誰にも見てもらえないのが可哀想にさえ感じるほど、けな気に一生懸命(と見る人間が勝手に感じるほどに)咲いています。
(写真は4月10日に撮影した、リンゴ園のタンポポと、ブドウ園のオオイヌノフグリです)
片や、同じ早春でも福寿草などと命名されたお目出度い花や、またリンゴ園で良く見かける雑草にもヒメオドリコソウ(姫踊子草)という愛らしい名をもらった花もある中で、名前が「如何にも」ですので可哀想にさえ感じてしまいますが、同様に感じる人が他にもいらっしゃるようで、朝日新聞4月10日付「天声人語」でもオオイヌノフグリを紹介する中で、
『(略)まだ風の冷たい早春から、小さく愛らしく咲く。春の空を映したような四弁の花は、花の中心が白くなっている。ぱちりと瞳を開いたおさな子の利発さを、見る者に想像させる。
かつて、その名を不憫(ふびん)に思う人たちが「ほしのひとみ」という別名を提案したと、植物学者の長田武正さんが随筆に書いていた。長田さんは「こうなると今度はきれいごとすぎて、土の香りが欠けてしまう」。名前ひとつもなかなか難しい。(略)』
そして、文中で木下利玄という大正時代に活躍した歌人の短歌が紹介されていました。
『根ざす地の 温(ぬく)みを感じ いちはやく 空いろ花咲けり
みちばた日なたに』
道端に咲く小花に、優しい目を向けた歌です。
このオオイヌノフグリには、他にも「瑠璃唐草」という風流な別名もあるようですが、“ほしのひとみ”・・・確かに綺麗過ぎて“土の香り”は感じられなくても、そう呼んで、気付かずに通り過ぎてしまう人を振り向かせてあげたいような、そんな「けな気さ」をこの花は持っている-そんな想いを見る者に抱かせるような気がします。
我家の庭は、最初自分で作庭し、狭いながらも雑木林・花壇・芝生の3つのガーデンスペースと、極小2㎡のハーブガーデンに区分けしてあります(その後ダメ出しをされ、専門家にリフォームしていただきましたが、顛末に興味ある方は「我家のガーデニング顛末記」のカテゴリーをご覧ください)。
園芸店にお願いしてあった芝生ガーデンの芝焼きが、忙しくて人手が足りず今年は来れそうにも無いとのこと。そこで止む無く、自分で芝焼きをすることにしました。
若草山の野焼きなどに代表されるように、芝焼きには雑草対策、害虫駆除、また芝刈りで出て根腐れの原因にもなるサッチ対策にも効果があります。更に燃えた後の灰は(アルカリ性なので、酸性土壌の多い日本では)そのまま肥料にもなります。
本来は(信州だと)遅くとも3月中には終わらせた方が良いのですが、連絡が遅かったのでやむを得ず4月の上旬の週末に行いました。
家内と二人でやる筈が、実家で急な用事が出来て家内が行かざるを得ず、「一人だと危ないから来週にしよう」と言われたものの、早くしないと芝芽が出始めるので、迷った末に一人でチャレンジすることにしました。
ただ、この時期は乾燥しており野焼きでの野火が発生しています。延焼してはいけないのでこれも原始的ですが、リフォーム前の庭で通路に敷き詰めて使っていた磁気製のガーデンタイル10枚ほどで2㎡くらいずつ囲い、風向きを考えながら(あまり風の強い日の芝焼きは止めた方が無難です)、慎重に焼いていくことにしました。いざという時の消火用に水遣り用のガーデニングホースを準備(燃やしたくないところは事前に水を掛けておきます)。
火を付けると、チリチリと燃え広がっていきます。火が消えた後、竹箒で掃いてサッチを掻き出して、もう一度火をつけて二度焼きです。
そうは言っても、ベランダを囲むようにL字型に姫高麗芝を貼った自作の芝生スペースだけで50㎡程はあるので、慎重に行ったせいもありますが、一日では終わらずに正味2日間かかりました。
園芸店からは、芝焼きは2年に一度くらいで良いと言われていますが、これなら園芸店に頼まなくても、(時間さえ取れれば)自分で出来そうです。
二週に亘り漸く終了しました。今年は芝焼きが遅れたので、芝が生え揃うのも少し遅いかもしれません。
自分でも出来ることが分かったので、降雪及びその雪解け次第ではありますが、来年はもう少し早めに3月上旬までには終わらせようと思います。
5年ほど前まで、県の教育委員会から委嘱されてやっていた委員会で一緒に苦労された事務局の先生と、先日偶然松本駅で再会しました。
現場に戻られて某高校の校長先生をされていることは、地元紙の報道で知っていましたが、聞けばこの3月末で定年を迎えられるとのこと。
どちらともなく、久し振り会った懐かしさと、当時地元関係者からの数多の感情的な批判にさらされながら活動してきたことから、おそらく阿吽での同志的連帯感もあって、その再会と退任の激励を兼ねて、委員会終了後の最初で最後になるであろう飲み会を後日実施することにしました。
大変穏やかな包容力のある先生で、お互い当時の思い出話に花が咲き、今の高校教育を、信州教育を、子供たちのことを議論しながら、現場の“教育者”の熱き思いが伝わってきました。私が「わぁーっ!」と檄しても優しく受け止めてくれます(その後、穏やかに否定されますが・・・)。
先生の高校でも、震災発生後の月曜日に生徒会の子供たちが校門に立って自発的に募金活動を始められたそうです。“最近の若者”も彼らなりに「自分たちに今何が出来るか」をちゃんと考えているそうです。だからこそ、「大人がその思いをきちんと導いてやることが重要なんです。」と“静かに”力説されていました。
県教委の委員会終了以降も、いまだにお付き合いの続く先生方が何人かいらっしゃいます。
“教育県長野”の低迷がずっと言われています。何を以ってその指標とするかは難しいところですが、少なくとも現場の力は、その“情熱”は決して落ちていません。現場に原因があるのではなく、むしろ、小中を含めた全体としての大きな方向感、ビジョンの問題ではないでしょうか。
これからも、時には松本に来られることがあるそうなので、またいつかの再会を約束してお別れしました。再見!
今年の松本の桜は、今のところ平年並み(但し昨年よりは5日遅れ)の4月11日が松本城の開花予想日です。それに先立ち、市内では一番早く咲くと言われる片端のお堀の桜が、7日にほころび始めたそうです。(我家のヒガンザクラも漸く10日に開花しました)
普段なら日本全体で開花を待ちわびる桜ですが、今年は大震災の直後でもあり、また電力不足の影響で東日本は恐らくどこも夜桜のライトアップも控え目でしょうし、何だか気分的にも日本全体が素直に花を愛でる気持ちにはなかなかなれないのでしょうか。でも、バカ騒ぎでなく、それぞれに桜に想うくらいの気持ちはあってイイのではないかと思います。
『さまざまな こと思いだす 桜かな』(芭蕉)
日経の『私の履歴書』に建築家の安藤忠雄さんが書かれていましたが、阪神大震災で瓦礫の山となった神戸で、春白い花を咲かせたコブシを見て、被災された地元のご婦人が「今年もちゃんと咲いてくれて、勇気付けられます」と言うのを聞いて、仲間を募り、亡くなられた方の倍の数、13000本近いコブシの木を神戸に植えようと活動をされたのだそうです。
津波により大きな被害を受けた三陸や、原発事故で退避を余儀なくされた福島でも、やがて桜前線は東北地方を北上し今年も花を咲かせるでしょう。海水にまみれたための塩害や、原発の事故にも負けずに、桜は災害直後のこの春も、きっと根を張ったそれぞれの地で花を咲かせることでしょう。
時として自然の持つ恐ろしさに襲われようと、一方で、どんなことがあっても止めずに当たり前のように繰り返される自然の穏やかな営みが、やがて安寧を与えてくれるでしょう。その意味で、“当たり前の日常”が一日でも早く被災地に戻ることが何よりも大事なのだと思います。
今年、被災地は“鎮魂の桜”かもしれませんが、いつか三陸の町が復興し、街中に桜が咲き誇るようになることを祈ります。
今年は無理でも、また例え何年かかろうとも、やがて国を挙げての復興支援が終わったら、神戸のコブシのように、今度は犠牲になられた方の倍の数の桜の苗木を日本中から被災地に贈れたらイイですね。そして、被災地が桜の花で埋め尽くされたら・・・。
昨年の結婚記念日のお祝いにと、長女たちがプレゼントしてくれたルクエのシリコン製のスチームトレイ&ケース。その後、色んなところで類似商品を見かけるようになりました。おそらく先行したルクエの特許は形状だけ、或いは意匠権のみなんでしょうね。
色んな商品が出ていますが、個人的には、娘たちも使っているようですが、電子レンジで茹でられるパスタ用のシリコンスチーマーはなかなかスグレモノだと思います。
さて、成田の巨大ショッピングモールにあったフランフランで、次女の新居用にキッチンウェアを買った際に、家内が購入した大き目のシリコンスチーマー。
先月末、蒸し野菜を作ると言うので、豚バラもとリクエストしたら、脂っぽくなるのでダメと敢え無く却下。それではと、リンゴ園の片隅に行ってフキノトウを10個ほど採って来ました。今回は定番のフキ味噌(第343話参照)ではなく、一緒に蒸してみることに。もう大半は花が開き、薹が立ってきたのでそろそろシーズン終了です。
蒸したフキノトウ。苦味があって“春の大地の味”がします。
定番のフキ味噌や、また塩だけで食べるフキノトウの天婦羅も乙ですが、蒸しただけのフキノトウも味はなかなかでした。言うなれば大人の味でしょうか。春ならではの“大地の恵み”です。
ただ、灰汁のためでしょうか、黒っぽく変色してしまい見た目はイマイチです。天婦羅では衣に保護されるためか、中のフキノトウは緑色のままなので、お客さんに出すには天婦羅が一番でしょうか。
もう少しすると、この地域では“ネンボロ”と呼ぶ野蒜も生えてきますが、少し太くなった頃に摘んで、ただ刻んで醤油をぶっかけて、少し削り節をまぶしてご飯に載せて食べると・・・最高です。少々大げさに言わせていただければ、おそらく太古からの“土の民”のDNAが揺さぶられます。
フキノトウや野蒜。おそらく日本中どこでも見つかる春の野草です。
大地の“旬”のエネルギーをいただきましょう。ちょっぴり元気になります。
この冬の異常な寒さのためか、それとも1月が異常に降水量が少なかったせいか、庭のクリスマスローズがやられてしまいました。
色の異なる、また八重咲きもと、花の少ないこの時期は特に目を楽しませてくれました。ご近所の方も道すがら楽しんでくれていました。
ところが、今年は殆どの株の葉が茶色く枯れてしまい無残な様子です。
夏の間こまめに水くれをしたり、葉の上の落ち葉を拾ったりと、大事に世話をしていた家内もがっかりです。
「悲しいな。これじゃあ今年は花も咲かないし、植え替えないといけないネ。」
と覚悟をし、幾つか鉢を確保しておいてもらおうと、家内がいつもの園芸店の担当の方に連絡をしたところ、
「今年は、何軒もクリスマスローズが枯れてしまっています。」
とのこと。
ところが、枯れたと思った殆どの株から花芽が顔を覗かせて、やがて色とりどりの花を咲かせたのです。家内も「嬉しいな」とほっと一息。
「何だか、久々にイイ話題だね。」うん、そうかもしれません。
白、ピンク、オレンジ、黒、一重、八重・・・。
地面から葉芽も顔を出しました。枯れてはいませんでした。そこで先日枯れた葉を全て取り除きました。
でも、葉の本数が少ないので、花に養分を取られ過ぎてこれ以上弱らぬように、零れ種は諦めて、今年は早めに花を摘んでしまった方が良いかもしれません。
今の状況を考えれば、節電などは当然です。
ただ、電源の周波数(50/60サイクル)の違いで、東日本へは松本市郊外の朝日村にある新信濃変電所(60万kw)など、試用運転中を含めても全国に3ヶ所しかないという変電所で100万kwしか変換出来ないので、変電施設が拡充されない限り、将来的な資源節約への省エネ意識向上には役立っても、当座の東日本の電力不測に対しては、せっかくの“一億総節電“も精神面だけで実効性が上がっていないことになります。
同様に、日本人の横並び意識で、何だか全てがダメ、止めようになっての自粛ばかりでは元気も出ず、却ってこの国の経済が萎縮し、ひいては被災地の復興が更に遅れてしてしまうのではないでしょうか。
その意味で、いち早く激励のメッセージを発信して震災直後の混乱の中で予定通り来日し、大好きな日本のために「私に出来ることは音楽!」と公演を行ったシンディ・ローパーに対し、一部には批判もあったそうですが、彼女のファンでも無い私も大拍手です。
節電に関しても、例えば冬暗い内に散歩に出ると自販機の余りの明るさに唖然とします。まるで本が読めるほど。本来は、その存在と商品確認が出来れば十分な筈で、今回節電意識でもし暗くしたのなら、おそらく全国に何百万台とあるであろう自販機のこうした節電などは、今後もずっと継続すべきです。
飽食の時代と言われ、いつの間にか日本人の持っている美徳のDNAを忘れてしまっている我々一人ひとりが、今回を契機にもう一度“勿体無い”を思い起こすべきではないでしょうか。
子供の頃、今は亡き祖母から、茶碗にご飯粒が付いていると、「一粒のお米だって収穫するには一年掛かるダヨ!」と良く叱られたものです。
その上で、何でもかんでも全て自粛ではなく、必要なモノは(出来れば東北由来の国産品を)買い、やるべきをやり、その結果でこの国の経済を回し循環させることで、被災地にも必要なモノやカネが送られ、その結果雇用を生み出すことが何よりも必要なのではないでしょうか。
嘗て耐え難きを耐え、忍び難きも忍び、そして、例え衣食足り「ぬとも」礼節を知る民族だからこそ、今回の震災で再び思い起こされたその意識を大切にしつつ、でも自粛しないで、萎縮しないで、
やるべきはヤロウ!買うべきは買おう!行くべきは行こう!
・・・と思っています。
第427話で書いた、ザ・ハーモニーホール(松本市音楽文化ホール。地元では略して“音文”)の2011シーズン(年度)のコンサート・ラインナップが、1ヶ月ほど前にハーモニーメイト(音文会員)宛に送られて来ました。
前回は前半だけでしたので、これで来シーズンの演奏会予定が全て分かりました。
メインは“第九”ではなく「運命」になっていました。
経緯は分かりませんが、地方だと地元のアマチュア合唱団に頼らざるを得ないので、個人的にはむしろこの方が歓迎です。
OEKは小編成とは思えぬパワーもあり、管楽器もしっかりしているので“向き”の選曲だと思います。そしてカップリングはブラームスのダブルコンチェルト。今から楽しみです。
それと、後半のプログラムの中で興味を引いたのは、来年になりますが2012年2月12日、チェンバロ奏者でもある小林道夫弾き振りでの 我が国の第一線の古楽器奏者を集めた“松本祝祭バッハアンサンブル”第3回公演(過去2度ともCD化されています)。
これまでの「管弦楽組曲」、「ブランデンブルグ協奏曲」(第224話参照)に続き、今回は『フーガの技法』全曲。勿論、今回も演奏前に、NHK-FM早朝の「バロックの森」(4月度から「古楽の楽しみ」に改編)の案内役でもお馴染みの国立音大の磯山雅教授の解説(2時間の講座)付き。
因みに磯山先生は地元松本のご出身で、しかも何と高校の音楽部の大先輩でした。大変失礼しました。
そして、同じく3月25日には「ハーモニーメイト創設25周年特別演奏会」と銘打って、フルート奏者の金昌国率いるアンサンブルofトウキョウのハイドンとモーツァルトの交響曲。
モーツァルトは協奏交響曲とお馴染み40番ト短調の組み合わせ。一番好きな36番「リンツ」だったら尚更良かったのですが・・・。
ザ・ハーモニーホール2011シーズンも、決してミーハー的な派手さはないかもしれませんが、本当に音楽好きの人たちが選んだと思えるなかなか渋いプログラム構成で、音文らしくてイイですね。
さて、先週の日経新聞の文化面に、現地でゲネプロ中に被災されたという仙台フィルの正指揮者を務める山下一史氏も書かれていましたが、
「今は何も出来なくても、いつか必ず音楽の出番が来る。」
今、被災地だけではなく全国で次々と演奏会が中止になっています。
合唱の全国大会も中止になり、出場予定だった宮城の中学(気仙沼だったでしょうか?)の合唱部が先日避難所で慰問演奏している様子が19日だったでしょうか、夜のニュースで放送されていました。おそらく彼ら自身も被災したのでしょう、運動着姿の子供たちが半数近くで、お揃いの制服ではありません。
その見事な歌声に、「明日を信じよう」というその歌詞に、涙を流す避難所の皆さん。
音楽には、重く固まった心を溶かし、励ます力がある-そう思います。