カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
とんでもないことになりました。皆さんのところは、大丈夫でしょうか?
被災された方には心からお見舞い申し上げます。
東京にいる娘たちも、幸い大丈夫でしたが、外出していた次女は、長女が心配して歩いて迎えに向かうなどして、結局深夜に私鉄が運転再開となり、戻ったのは夜中の1時でした。
この国は一体どうなってしまうのでしょうか?でも、これまでも台風列島、地震列島と言われ、皆で思いやり、助け合いながら、その都度災害を乗り越えてきた日本人です。
被災しなかった人間が、まずできることは、募金と節電でしょうか?
どうしようかと思いましたが、こんな時だからこそ、地震に向き合った門前のことを、敢えて掲載することとします。
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石川県立門前高校から届けていただいた『私たちの時代』のDVD。
やっと剪定も終わったので、これまで4回視聴しました(これまでの経緯は第424話&435話を参照ください)。
『私たちの時代』は、フジTVと地元石川テレビの共同制作で、2006年から門前高校ソフトボール部の取材を開始し、あろうことか偶然にも取材中の2007年3月25日に起きた門前町付近を震源とする震度6強の「能登半島地震」を経て、2009年までの3年間に亘る長期取材番組で、暮れも押し迫った昨年の12月30日の午後1時から全国放送された2時間半にも及ぶドキュメンタリーです。
番組は、四季折々の奥能登の美しい自然を随所に織り込みながら、地震という、時としてその自然の持つ恐ろしさを挟みつつ、まっすぐにソフトボールに打ち込む彼女たちの日常を、激さず、そして煽ることもなく淡々と描いていきます。
奥能登の青い海が美しい。夕日に煌く黄金の波に息を呑むほどです。
グランドでボールを追う子供たちを、丘の上から赤い前掛けと帽子を被ったお地蔵さまが静かに毎日見守っています。
その穏やかな、門前町のすぐ沖合いの海が突然震源になりました。
練習試合で金沢に遠征中に地震を知り涙ぐむ生徒たちに、「失ったモノはまた買えても、命は買えない。生きていることに感謝しましょう」と静かに語り掛ける室谷先生。門前町の全員が被災者です。高校に隣接し、町名の由来でもある総持寺祖院の坐禅堂も地震被害で崩れ落ちます。
被災しながらも、ひたむきにソフトボールに打ち込む子供たちの笑顔が素晴らしい。見守る門前町のお年寄りの笑顔も実にいい。
過疎と少子化の進む町で、「(子供たちは)町の宝やな。」と言うタクシーの運転手さん。「こんなことしか出来んから」と言って朝早く漁に出て、カゴ一杯のサザエを寮(室谷先生宅)に届けるお爺さん。
そんな町の人たちへの日頃の感謝にと、町のイベントで全員お揃いの法被に身を包み、笑顔一杯のソーラン踊りを披露する部員たち。優しく見守る室谷先生始め皆笑顔です。
生徒会長でしょうか?ガラス細工のような純粋さで、地震から1年後の卒業式の答辞で「生きる指針が定まりません!」と涙声で訴えた女子生徒。
都会に出て(?)その指針は見つかったのでしょうか?そして、我々大人たちは、その問い掛けに果たして応えられるのでしょうか・・・。
新チームになり、1年生にレギュラーの座を明け渡し、一人必死にバットを振る3年生。二人だけのグランドで、同級生のマネージャーが笑顔でトスバッティングを手伝います。
「こんなことで負けてたまるか!」、「諦めちゃダメ!」と、練習でノックをしながら、子供たちを厳しくも暖かく鍛えるコーチの道ますみ先生と、それをじっと見守る監督の室谷妙子先生。
道先生自身が、37年にも及ぶ室谷先生の門前高校での教え子第一期生とか。
淡々と語りながらも、時として感情を抑えきれずに涙声で声を詰まらせながらの、敢えて当時のマネージャーを起用したナレーションも実にいい。
地震は勿論、全ては筋書きも無い偶然ながら、例えば室谷先生教員生活最後となるインターハイ出場を賭けた2009年初夏の石川県大会決勝。最終回で追いついての延長戦で、負傷退場した1年生に代わり登場し、劇的なサヨナラヒットを打つ元レギュラーだった三年生。そしてカメラは、敗れたライバル校である津幡高校の選手たちにも暖かい目を向けます。
最後、何かを断定するのではなく、結論付ける訳でもなく、見る者一人ひとりに何かを問いかけるように静かに番組は終わります。
DVDを見ながら、最初に見た時だけではなく、4度目になっても何度となく涙が溢れるのを禁じ得ませんでした。
その静かな感動を、一言で、言葉で表現することは出来ません。
やはり、この『私たちの時代』は全国放送で、こんな時代だからこそ絶対に再放送すべき番組です。特に若い人たちにこそ見て欲しい。
フジTVの皆さん、視聴率は稼げないかもしれませんが、やっぱり、どうぞ宜しくお願いします!!