カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 早くも明後日、2月1日からプロ野球のキャンプイン。南から球春到来です。
ドラフト1位で日ハムに入団した斎藤佑樹投手。その一挙手一投足に注目が集まっています。活躍する前からで大変ですが、マスコミに潰されなければイイが、と要らぬお節介ながら心配してしまいます。

 さて、以前の新聞記事(日経?朝日?)で、サッカー関係者の「野球の斎藤クンやゴルフの石川遼クンの受け答えの上手さに比べ、サッカー選手はインタビュー嫌いが多く、損をしている(受け答えの練習をさせないといけない)」というような主旨の発言が紹介されていました。
確かに、「持ってる」発言の主は、本来W杯南ア大会での試合後の本田圭選手で、流行語大賞(特別賞)に選ばれた斎藤選手は二番煎じだったのですが、そのウィットに富んだ軽妙洒脱な受け答えでマスコミ受けしたのは斎藤投手でした。でも、サッカー界にも選手ではありませんが、オシムさんのように「語録」まで出版されるほどの“達人”もいたのですがネ。
       
 さて、その“持ってる人”の一番は、今回のザック監督だったのではないでしょうか?
差し詰め、サッカー界では、古くはオフト監督に始まる“マジック”という言葉になるのかもしれませんが、伊野波選手や細貝選手、そしてトドメは李選手。交替させた選手の活躍が、この人が一番“持ってる”かも、と唸らされずにはいられませんでした。

 しかし、それにしてもお見事でした。“悲劇”を払しょくする“歓喜”のドーハへ。これで枕詞も変わるでしょう。
ザック・ジャパン、やったね!

 ビッグコミックオリジナルに、1頁モノとは言え、何と20年に亘り掲載されてきた名物コラム『こだわりの店』(取材&文は“食の狩人”こと伊丹由宇氏)。
それが、昨年12月末(連載第504回)を以って突然終了してしまいました。

 何の予告も無く、いつもの店紹介そのままに、文末に突然今回で終了とのこと。
「えぇー、うっそぉ!」
と思わず叫んでしまいました。新年号からは、新たに『缶短クッキング』(プロのフードコーディネーターによる市販の缶詰を使った超簡単なアイデアレシピ紹介)が始まりました。
う~ん・・・。

 この『こだわりの店』は、決して有名店ではなく、市井の、目立たぬとも、ご主人の食への拘りのある店を探し回って掲載されていて、最近でこそかなり親切になりましたが、「空腹で楽しみながらご自分でお探しください」という基本スタンスで、時には下車駅のみしか記載されていませんでした。

 個人的には、第168話で「食蔵バサラ」を最初掲載する際に、このコラムを参考に、同じ“手口”で店名を伏せて紹介させていただきました。
ただその後、一時バサラの客足が落ちたと伺い、このブログ掲載がどれほどの効果かは兎も角、一人でも二人でもPR効果があればと、敢えて店名を記載しましたが・・・。

 それにしても良くぞ20年間毎回探し続けてきたものだと感心します。
店の拘りは勿論ですが、そうした店を探すこのコラム自体もまた“拘り”でした。20年前と言いますから、ある意味、最近のグルメレポートのハシリだったのかもしれません。その20年前に登場したお店は、今でも頑張って続いているのでしょうか?気になるところです。

 「アンコールが多ければまた再開するかも???」と、軽いタッチで書かれていましたので、暫く充電して、また是非再開して欲しいものです。
始まったばかりで未だ2号だけとは言え、『缶短クッキング』よりは『こだわりの店』の方が、個人的には遥かに良かったと思います。

 20年もの長い間、お疲れ様でした。ここはやっぱり、「再見!」でしょうネ。

 1月23日に行われた今年の都道府県対抗男子駅伝。

 長野県チームは、佐藤悠基選手に代わり、同じく佐久長聖出身の上野祐一郎選手が“ふるさと選手”で出場。また長聖両角監督のご子息両角俊選手(長聖2年)は故障で走れず。
村沢選手との“平地対決”を楽しみにしていた福島の柏原選手も出場取り止めでした。

 両角監督の教え子を中心とした長野県チームは、1区での出遅れが響き、村沢選手の驚異的な走りもありましたが、アンカー上野選手の追い上げも及ばずの2位で、残念ながらV奪回ならず。
惜しむらくは4区の長聖上倉選手。襷を受けた村沢選手の激走に気負い過ぎたのか、突っ込みすぎて後半失速。でも、箱根を沸かせた先輩たち同様に、長聖らしい上下動の無いキレイなフォームで素質の片鱗を感じさせてくれました。まだ2年生ですので来年は両角選手と両輪で頑張って欲しいと思います。
高校生が振るわない中、第6区の中学生区間で見事3位の蟹沢選手、また(一ヶ月ほど前に地元紙に報じられていましたが)同じく第2区で区間賞の千葉県チームの高森選手も4月から佐久長聖に進学するそうです。高見澤新監督の元、是非頑張ってください。

 都道府県対抗駅伝は全7区間中3区間となる高校生がしっかり走らないと勝てないので、その意味で栃木県チームの初優勝は当然の結果だったかもしれません。
長野県チームでの最後のコーチ指導となった長聖両角監督を、優勝で送り出すことは叶いませんでしたが、子弟コンビ復活となる村沢選手の快走が東海大監督就任にせめてもの花を添えました。
両角監督は、新人戦となる3月の伊那駅伝が長聖を指導する最後の大会とか。来シーズンへ向けて、全国の強豪校もこぞって参加するこの大会が、愛弟子高見澤新監督へのOJTでの引継ぎの場となるのでしょう。

 2年生に主力を残す新生佐久長聖高校駅伝部に期待です。

 チロルの首に巻いたトレードマークの真っ赤なバンダナ。
名付け親でもある次女が、高校時代に一年間のホームステイでアラバマ?州の片田舎の高校に留学した時の、チロルへのアメリカ土産です。 

 二年前の冬、散歩の途中で一度外れてどこかに落としてしまったようで、家に帰って来て巻いていないのに気が付き一度は諦めましたが、後日、ナナが散歩中に道路脇の雪の中から探し出してくれ、奇跡的?にまたチロルの首に戻ったのです。
そうは言っても既に5年も経ちますので、さすがにくたびれてきました。

 新しいのを買ってあげようかと思い、地元のホームセンターなどのペット用品コーナーを見てみましたが、どこにも売っていません。
でも都会ならあるだろうと、以前次女の大学の父兄会役員会に上京した際、夕刻の家族との待ち合わせまでの小一時間、新宿のデパートを4軒ハシゴしてみましたが、どこにも見当たりませんでした。
夏用の「クールバンダナ(保冷材入り)」とやらはあったのですが、チロルがしているような「普通の」バンダナの犬用(通常の正方形ではなく、三角巾のように半分のサイズで、犬の首に巻いてマジックテープで止めるタイプ)は扱っていないとのこと(東急ハンズにも無し)。回った中で一番ペット売場が充実していた伊勢丹も、ミニチュアダックスやトイプードルなどの小型犬用(しかも人間の赤ちゃん用前掛けエプロンのような可愛い柄)しかなく、大・中型犬用は皆無。やっぱり、ペット用品に関しては欧米の方が進んでいるのでしょうか?
ネットで検索しても、縛るタイプはあったのですが、なかなか同じようなモノは見つかりません。
      
 11月のリンゴ採りの時に手伝いに来てくれた妹一家との食事中に、妹が、
「チロルのバンダナ、もうボロボロだね・・・」
「うん、新宿のデートやネットでも探したけど無いんだよね。アメリカで売ってる
 のと同じようなのが・・・」
「あら、こんなの簡単だから、じゃあ、今度暇な時に私が作ってあげるわよ」
と言って、チロルとナナの首回りを計って行きました。
「チロル、やったーっ!新しいバンダナ、作ってくれるって!」

 その後、日も経ち、年も明け、新年会も過ぎ・・・。
「チロル、“おばちゃん”が新しいバンダナ、作ってくれるから待ってようね!」
「もう、ちゃんと覚えてるってば!」

 そんな嫌味な三言くらいが効いたのでしょうか?
先日、妹がチロルとナナのそれぞれにお揃いの真っ赤なバンダナを、二組ずつ作って持って来てくれました。
ちゃんと犬用のバンダナを三角巾のような形に裁断・縫製し、両端にはしっかりとマジックテープが縫い付けられています。お見事!市販品のようです。
「おお、やったー!さすが。これなら売れるって!短大じゃあ服飾科だったっけ?栄養科?あれっ、何だっけ・・・!?」

 チロルとナナも、お揃いのバンダナを付けて。ハイ、ポーズ!

 新年会のお土産に妹が買ってきてくれた『かりんとう饅頭』。
えーっ、かりんとう饅頭ぅ?」

ところが、食べてみると、これが意外な美味で驚きました。

 見た目は、良くありそうな小振りの黒糖を皮にしたお饅頭とそっくり。
ところが皮が固く、確かに「かりんとう」の様な味で、サクサクと歯応えあり、中にお饅頭の名の通りこし餡が入っています。
でも、決して奇を衒った“際物”という感じではなく、新食感のお饅頭というか、スイーツとして立派に“やっていける”資格十分とみました。
いや、恐れ入りました。

 調べて見ると、元々は「揚げ饅頭」として福島の和菓子屋さんが考案したのが最初だそうで、その後「かりんとう饅頭」としてマスコミで取上げられて人気となり、現在では福島県だけではなく群馬県などでも販売されている由。
松本地方でも、幾つかの店で販売しているそうですが、恥かしながら今まで全く知りませんでした。

 因みに妹が買ってきてくれたのは、安曇野にある評判の和菓子店『まるやま』のかりんとう饅頭です。

 昨年末の職場の忘年会。忘年会だけは豪華に!が職場のポリシーなのですが、これまで諏訪には(騒いでも良い個室があって尚且つ)美味しいところが無い!という声が強く、わざわざ松本まで遠征していました。
(因みに諏訪でも、和風創作料理の「Ryos」はとても気に入っているのですが、残念ながら個室がありません。また「雫石」もとても雰囲気の良いお店で、個室よりむしろカウンター席がお薦めです)

 今年は、ボスが一度連れて行かれて良かったという店が、茅野駅から程近くにあるということで、蓼科などに高級別荘地を抱える茅野は、そちらには別荘族を相手とする高級レストランもありますが、駅前や街中には珍しい存在なので多少訝りつつもお邪魔しました。

 そのお店は、懐石料理の『和食 から木』。
駅から八ヶ岳側(仲町)に徒歩3分程度。大正か昭和初期?の民家を改装したお店で、見事に手入れがされた庭の奥にひっそりと佇んでいて、隠れ家的な雰囲気。知らなければ看板も奥にしかなく、住宅と見間違えて通り過ぎてしまいそうです。

 こちらは、一日3組限定の完全予約制とのこと。
しつらえの良い内装で、大きな窓越しに中庭を望む一枚板のカウンターと、民家だった間取りを活かして、小部屋風に壁で仕切られたテーブル席の部屋が少なくとも3部屋はあるのでしょう。

 蟹やフグなど、季節モノの特別料理を除き、コースは5千円からの3種類。我々は、日本人らしく?中間の8千円コース(税込み8400円)です。
牡蠣を入れた茶碗蒸に始まり、内子の一杯詰まった「せこ蟹」(場所によってはセイコ蟹、鳥取では親ガニと呼んでいました)の黒酢あんかけなど、手を掛けた品が次々と出されます。正直、お酒と会話で盛り上がり、その後の料理は殆ど記憶無し・・・、スイマセン。

 まだ30台半ばとお見受けした若いご夫婦で切り盛りされていますが、旬の食材を含めた料理への拘りが感じられつつも、押し付けがましさが無く、ある意味田舎らしくない洗練された品の良さを感じました。
諏訪の地酒を含めた日本酒の品揃えも豊富(田酒もありました)で、また和食にしては内外のワインも豊富。失礼ながら、こんな店がこの場所にあること自体が、隠れ家的な異空間のような雰囲気もあって、余計不思議な感じにさせてくれます。
 いや、ビックリしました。お節介ながら、若いお二人で、しかも対応出来る限度ということなのでしょうけれど、良心的ではありますが、商売的(単価設定は高いとは言え)に一日3組限定でやっていけるのでしょうか?
どうぞ頑張って、この茅野で続けていってくださいと、思わず願わずにはいられませんでした。

 少々敷居は高いものの、機会があれば、茅野の実家に来た折にでも家内も一度連れて来てあげようかな・・・、勿論5千円コースで。

 駅伝シーズンの掉尾を飾る都道府県対抗駅伝の男子の部が、今週末の1月23日に広島で行われます。

 16日の京都での女子の部は、一昨年初めて悲願の8位入賞を遂げた長野県チームですが、1区で39位と大きく出遅れたものの、その後の中高生の頑張りもあり挽回しての18位でした。
ところで、昨年佐久長聖の高見沢コーチと結婚されたセカンドウインドACの嶋原清子選手(元資生堂。山口県出身の2010アジア大会女子マラソン日本代表)、東京チームの補欠で走らないんだったら、住民票を佐久に移して(?)長野県チームで走ってくれればいいのに・・・って思うのは私メだけでしょうか?

 さて注目の男子は、実業団チームの無い長野県ですが、小中学生からの全県的な発掘・育成が実り、その選手たちが進む佐久長聖高校駅伝部の現役・OBの活躍もあって、近年は優勝争いを毎回繰り広げる強豪県になりました。
(子供たちからの全県的育成は、実業団も無く、嘗ては最下位争いをするほどだった長野の躍進ともに注目され、他県にも同様の取り組みが拡がっているそうです)

 二度目の連覇がかかった昨年は、インフルエンザで高校生の主力選手が走れず5位に終わりましたが、果たして今年はどうでしょうか?
今年も最終区を走るであろうエース佐藤悠基選手に期待です(“ふるさと選手”は各チーム1名だけしか認められないため、上野祐一郎選手が今年も走れないのは残念ですし、大迫選手も補欠という層の厚さ)。1区高校生区間で、恐らく先頭を行くであろう兵庫や九州勢に、長野がどれだけ付いて行けるかがその後のレースのポイントでしょうか。長聖の2年生エース両角選手(父上は長聖両角監督)の復調如何か?

個人的には、長野県チームの活躍もさることながら、今年も一般の3区で、東洋大の“山の神”こと福島の柏原、東海大の“怪物”長野の村沢両選手の“平地”対決に注目しています。昨年は村沢が4秒差で制しましたが、今年は果たして・・・?
     
 ・・・と、ところが、昨日の17日の地元紙に、突然、佐久長聖高校駅伝部の両角監督がこの3月で退任し、東海大からの強い要請を受けて4月から母校(高校も茅野市にある東海大附属第三高校出身)の監督に就任するとの報道がありました。(ガーン、ショック!)

 創部時の監督就任後、自ら重機を使って1周600mもの練習コースを整備し、佐久長聖をまさにゼロから全国屈指の強豪校(初出場以来13年連続出場し、優勝を含め12回入賞)に育て上げた手腕はお見事でした。
そして何より凄いのは、彼らが高校で終わらずに、その後も大学や実業団で活躍していることではないでしょうか。

 残念ですが、近年の東海大の低迷故に以前から転進の噂はあり(一年後に恐らく息子さんの東海大進学と同時に監督就任かと思っていましたが)、後任は教え子の高見沢現コーチ(確か、長聖の“初代怪物”佐藤清治選手と同期で当時主将だった筈。山梨学院大、日清食品を経て佐久長聖高校教員)に託するとのこと。
高見沢新監督には、奥様の嶋原選手と、いずれ女子駅伝部も作って、是非夫婦二人三脚で信州長距離界に新しい風を起こして欲しいと思います。

 両角監督、お疲れ様でした。教え子の村沢選手を中心とする来年の箱根駅伝での東海大の走りに期待します。
きっと、高校の時と同様に、先ずは礼節など人間教育から取り組まれることでしょう。

 11月下旬から12月中旬近くまで続いたリンゴ作業で、殆ど他へ手も気も回る余裕すら無かったのですが、“リンゴ明け”の週末だった12月中旬、久し振りに寒さを避けるために玄関に入れたシンビジウムの鉢を日に当てるため、外へ出してみると、今年も花芽がしっかりと出てきていました。
「おぉ、やったー!」
数えてみると、今年も昨年同様5本、筍のような花芽が伸びています。

 家内は、もう既にその2週間前から気が付いていたようです。


「教えてくれればイイのに・・・」
「あら、話したわヨ!でも、リンゴでそれどころじゃ無かったでしょ!」
そうかもしれません。いかんなぁ・・・

『ことしけに 世の習ひこそ物憂けれ 花の散りなん春も知らずに』(北条泰時)

時の鎌倉幕府3代執権北条泰時(最初の武家法典である御成敗式目を制定。懐かしいですね)の詠んだのは桜ですが、どんなに忙しくても花を愛でるくらいの心の余裕は持ちたいものです。

 今年も、シンビジウムとクリスマスローズの咲くのが楽しみです。
そして、最近シンビジウムの5本ある花芽の一つから早くもブドウの房のような蕾が顔を出しました。今年はどうやら、一斉ではなく時間差で開花しそうですので、長く楽しめるかもしれません。

 クリスマスローズも、1月になってどうやら花芽が顔を出したようです。

 この1月8日と9日は、恒例の『松本あめ市』でした。
      
 戦国時代、上杉謙信から武田信玄へ送った塩が、当時武田領であった松本に到着した日(1568年-永禄11年1月11日とのこと)を祝って江戸時代に始まった「塩市」に由来するとか。
各商店街の初売りと共に、町内会の子供達の福だるま売りや、福飴があめ市でのお馴染みの光景です。
(写真は、昨年のあめ市で撮影した、本町と伊勢町の角に立つ「牛つなぎ石」。かつての“塩の道”の終点にあって、塩などを運んできた牛を繋いだ石。江戸時代まではお城の東側、今の市役所付近にあったのだそうです)


 子供の頃の海水浴で、松本以北では“信州の海”とも呼ばれる新潟などの日本海側へ当然の如く出かけて行きますが、これが分水嶺の塩尻峠を越えて諏訪になると流れる川同様に海といえば太平洋になり、伊豆方面となるから不思議です(松本に住んでいると心理的に伊豆は遠いと思うのですが、逆に諏訪の人は日本海は遠いと思うのだとか)。

 これと同様に、千国街道が“塩の道”と呼ばれたのは、当然のことながら新潟などの日本海の塩が信州へ運ばれて来たのですが、一方太平洋側にも当然ですが塩はある訳で、越後の上杉からの『敵に塩を送る』の語源となった武田甲州へは、太平洋(駿河の今川氏)から通常運ばれて来た塩が、今川・北条の連合により断たれたことによります。

 日本海からの塩を「北塩」、太平洋からの塩を「南塩」と呼び、江戸時代までは、松本藩は北塩で、諏訪藩には南塩が領内にそれぞれ運ばれてきており、当時松本藩だった塩尻がその境であったそうで、番所を設けて南塩の流入を厳しく禁じていたのだそうです。
 我家から程近い下岡田北部の塩倉という地名は、塩の道を運ばれて来た北塩を入れる松本藩の倉庫があった場所に由来すると言いますし、松本藩の領内だった塩尻は、北塩が運ばれる最後尾であったことから「尻」が付けられたのではないかと言われています(但し他にも説があるようです)。

必需品であり貴重品でもあった往時の塩の痕跡が、あめ市だけではなく、海の無い(からこそ?)山国信州にも至る所に残っています。

 因みに、山深い木曽の御岳山麓一帯では、貴重品であった塩を使えなかった(『米は貸しても塩貸すな』と言われていたほどの貴重品だったとか)ことから、全国でも珍しい無塩乳酸発酵の漬物である「すんき漬け」(第185話参照)が広まり、今では木曽の特産品(これを具にした「すんき蕎麦」も名物です)となっています。これも逆説的ですが、塩(が使えなかったこと)がもたらした恩恵と言えるでしょうか。

 我家にお節料理は、二年ほど前までは、義理もあって毎年お節を購入していましたが、急に値上げしたばかりか、三段のお重も一回り小振りにしたのにはガッカリして購入を止めてしまいました。
不況下で材料も高騰した年だったと記憶していますので、どちらか一方で頑張り且つ材料を変えるなりの工夫をして、その旨一言断りでもあれば納得して、その後も購入を継続していたと思います。
そのため、昨年は注文せずに市販品を中心に家でお重に詰めたお節でした。
そして、今年のお節は、年末帰省してきた次女の助けも借りて、家内が自分で作るとのこと。えーっ、大丈夫?
年末に、私メが大掃除で、家内と娘が年末年始の材料の買出しに。

 さすがに、田作りと昆布巻き、そして酢蛸は市販ですが、後はお手製に挑戦。
ネットの“Cock Pad”とやらで娘が検索し、幾つかのレシピを印刷。しかし、今は凄いですね、何でも欲しい情報がネットで手に入るんですから。

田作りと言えば、昔祖母が囲炉裏に掛けた鉄鍋でゴマメを炒って作っていたのを思い出します。
      
「でも、伊達巻きなんて素人が作れるの?」と思いきや、然(さ)に非ず。
ハンペンをミキサーにかけ、溶き卵にハチミツを混ぜてオーブンで均等に焼き色が付くように焼き、巻き簾で巻けば出来上がりとか。家内曰く「超簡単!」。ただ、鬼簾が無いので、市販品のような凸凹こそありませんが、味は負けていません。
戴きモノの「丹波の黒豆」は5時間浸した後、じっくりと煮て。
酢レンコン、私が作った煮しめ、そして紅白のカマボコを市松模様に組み合わせ、更に豚の角煮、煮海老、牛肉の時雨煮と洋風にローストビーフも。

 母屋の庭先から南天の枝を切ってきて、三段に詰めたお重にお正月らしく飾り付けて、完成です。イヤイヤ、なかなかお見事!

 正月二日の我家の新年会。
3日も休めることになったからと、急に元旦夕刻に帰省してきた長女たちと妹一家も集まり、全員揃っての新年会に華を添えてくれました。

 四季の中では色彩感に乏しいモノトーンの冬ですが、信州の凛とした空気の中で、冬ならではの光景に出会うことも・・・。そんな松本の風景をお届けします。

 先月下旬の天皇誕生日の朝。それまでの暖かさとは打って変わって、冬らしく冷え込みました。一面の霜です。
早朝は星空で、クッキリと明けの明星が東の空に輝いていたのですが、7時くらいになると、我家周辺も一面の霧に包まれました。

 霧のかかる前は快晴でしたので、きっと山からなら北アルプスもキレイだろうと、家内を誘ってチロルとナナを車に乗せて、久し振り(春の桜以降?)にアルプス公園に行ってみました。久し振りの車に、“車大好き犬”のチロルは大はしゃぎです。
我家からは車でほんの数分。距離にしたら1キロ足らずでしょうか?



 すると、標高800メートル(因みに松本の市街地はお城周辺で590m)のアルプス公園も霧の中。大きな川も無く高台にある岡田方面に霧が巻くのは珍しいことですが、恐らく一昨日夜から降り続いた雨の後、この日急激に冷え込んだために、暖かく湿った大地が川の役割を果たしたのでしょう。



 松本平の霧の海に浮かぶ、常念を始めとする北アルプスの白き峰々です。
「いやぁ、キレイだなぁ」
霧に巻かれたアルプス公園。地元民からすると、ちょっと珍しい冬の光景でした。

 チロルとナナは広い公園を、我関せずと喜んで歩き回っていました。

 駅伝ファンの一人として、毎年楽しみにしているお正月の箱根駅伝。
      
 今年は次女の大学が出場出来なかったこともあり、特定チームではなく、佐久長聖高校出身者の走りを中心に、二日間ずっとTV桟敷での応援でした。
(他に見る番組が無いこともありますが。しかし、どうしてこうもバラエティ番組ばかりなんでしょうか?最近では、よっぽどBSの方が番組内容が充実しているように思います)

 さて、娘は母校関係無く村沢命。いやぁ、凄かったですね。最近、日本人選手がケニア人選手に勝つところなど見た記憶がありません。胸のすく快走でした。
昨年まではエース一人だけに終わっていた東海大が、その後九州学院出身の一年生元村選手等の好走もあり、上位をキープして最後4位に入ったのは立派でした。

 嬉しかったのは、山下りでの早大高野の激走。
佐久長聖で活躍し期待されたものの大学では3年間芽が出ず、4年生の今年、最初で最後の箱根で逆転優勝の立役者。転倒にも怯まずに急坂に突っ込んで行った勇気は見事でした。
山下りと言えば、駒大千葉の昨年の区間賞に続く見事な区間新。村沢、平賀、佐々木と佐久長聖の同期で、前年無念の1秒差を晴らすぶっちぎりでの2008年全国優勝時のメンバー(1学年下の大迫も)です。

 ところで、サッポロのTVCMに、多くの箱根ランナーを育てた佐久長聖駅伝部の両角監督が取上げられていたのには、我が意を得たり!
東海大での選手時代、その箱根でケニア人選手に置き去りにされた悔しさが、周囲からの留学生勧誘を頑なに断り、日本人選手だけで都大路に挑み続ける原点だとか。

 娘は、日体大の各選手が襷リレーの後、フラフラになりながらも必ずコースに一礼していく姿に感激の涙、涙で、最後シード権を掴むようにと必死の応援の声を張り上げていました。
こういう学校を箱根から消してはいけないのだそうです。うん、同感!

 さて、今年の箱根中継で何より感動したのは、繰上げスタートを免れて最後まで襷を繋ぎ、19位でゴールした上武大アンカーの地下選手でした。

 最後の箱根で、卒業後は郷里の熊本に戻り村役場に就職し、この箱根で陸上競技を辞めると言う彼。
実況に拠れば、そんな彼に「4年間ありがとう!」と伴奏車からエールを送ったという花田監督。
彼は早大のエースで、その後もオリンピックランナーとしても活躍しての引退後、無名の上武大陸上部のマネージャーからの指導依頼の手紙に心動かされ、この新興チームの監督を引き受けたと何年か前に報道されたと記憶しています。
ゴール後、恐らく万感の想いを込めて深々とコースに向かって長い間一礼をしていた地下選手の姿に、涙溢れたのは娘と私だけだったのでしょうか。

残念ながら、翌日の新聞やTVでは取上げられていませんでしたが、順位はともかく、良いチーム、良い選手を育てています。

 今年の箱根も幾つもの感動と共に終わりました。
中継の最後に映し出された富士山が、それぞれの頑張りを優しく抱きかかえてあげるかのようでした。

 前話に続いての鳥取紀行です。

 一日目の鳥取の夜、折角この時期の鳥取に来たのだから、と赴任者の皆さんと会費制で港近くの料理民宿へカニ料理を食べに連れて行っていただきました。山陰地方(京都辺りまで)は、言わずと知れた松葉蟹です。

 港に停泊する数珠繋ぎのカニ漁船と、反対側にはカニ料理の看板を掲げた民宿?がこれまた軒を連ねるように続いています。この時期、どこもカニ料理は1万二千円が相場なのだそうです。

 予約していただいた一軒の料理民宿は、駐車場も一杯で、地元でも評判のお店のようでした。
       
 カニすき、焼ガニ、カニ味噌、お造り、締めのカニ雑炊とカニ尽くしです。水揚げされる港のすぐ横ですので、確かに新鮮で甘味があります。
それから、お造りに入っていた赴任者お薦めの「モサエビ」。初めて食べましたが、鮮度が命で、地元でしか食べられないのだとか。プリプリで甘さが印象的でした。
カニの中では陶板焼きの焼ガニが美味しかったのですが、とりわけ絶品だったのが、小振りのカニ(親ガニ)の甲羅に盛られたカニ味噌。飛ばしたお酒か何かで下味を付けてあるようです。その後は、勿論ちんちんの熱燗を注いで。
そして更に赴任者のお薦めが、先ほどの焼ガニに使った陶板で、空になった甲羅を焦げ目を付くくらいに炙り、甲羅をバリバリと割ってコップに入れて熱燗を注ぎます。
すると、何ともいえないコクが出て、ヒレ酒のようになります。

 酒は、全国的にも知られた地元の銘酒「諏訪泉」。旨いなぁ・・・。
イワナの骨酒にも負けず、ヒレ酒よりも遥かに美酒でした。

 この年末年始、鳥取は大雪で大変だったとか。

 その鳥取へ、昨年12月上旬のことですが、鳥取に一泊二日で出張して来ました。
その日も、日本海側は荒れ模様で雷と季節外れの雹も降ったようで、鳥取空港への着陸直前はかなりの揺れでしたが、無事ランディング。

 鳥取へは二度目ですが、前回は数時間の滞在だけで移動してしまいましたので、今回が実質初訪問です。
       
 鳥取市は、人口20人弱という松本より小さな地方都市ですが、道路は片側2~3車線と広く、市街地も盆地にある松本より広大でスッキリとした印象です。
訪問先の指導が徹底されているのか、鳥取の人たちの県民性か、社内ですれ違う人誰もが必ず挨拶をしてくれます。
鳥取は、冬の日本海側の天候とは逆に明るい印象を抱く、そんな暖かな街でした。

 訪問先での午後からのミーティングと翌日午前中の現場確認を済ませた後、フライトまでに2時間の余裕がありましたので、同行者と昼食がてらミニツアーをすることにしました。

 行き先は、鳥取と言えば砂丘!とすぐ近くにあると言う「砂丘美術館」。
そして、その後は空港にも近い賀露港という漁港近くにある「かろいちば」という海産物直売所で昼食を兼ねてお土産購入です。

 美術館は、巨大なテントを張った中に、砂と水だけで叩いて固め削り取ったという砂の彫像が並んでいました。
子供の頃の“砂遊び”もここまで昇華すると圧巻で、正に芸術として見事なものです。一見の価値あり。
永遠に残る石像やブロンズ像などとは異なり、“一瞬の芸術”としてやがて風化し消えてしまうだろうという“儚さ”が、逆に見る側の心情に、より一層の輝きを際立たせているかのようです。
美大出の茶圓勝彦氏という我国唯一という砂の彫刻家の方が総合プロデュースをされて、今回は「砂で世界旅行」第4期の展示として、アフリカをテーマにした彫像が並んでしました。
砂丘だけだと「ほう!」で終わってしまうので、こうした施設が無いと観光的には難しいのでしょうね。でも、“因幡の白兎”で知られる白兎海岸もこのすぐ近く。2011年はウサギ年。おめでたいかもしれません。
ただ同行者曰く、「砂丘は一度見たら充分。二度は来ない」と言われていましたが、確かにそうかもしれません。今回は時間が無かったこともありますが、見終わったのは美術館を含めて40分程度しか経っていませんでした。
 「かろいちば(賀露市場)」には、4軒ほどの食堂と海産物売場が併設されています。
この時期は、何と言っても旬の「松葉蟹」目当ての観光客と、新鮮な海鮮料理を目当に昼食を食べに来た人たちで結構混んでいました。
私は、海鮮丼と内子がぎっしり詰まった親ガニ汁(メスのズワイで、場所によってはセイコ蟹とも)をいただきました。

しかしカニは地元でも高いですね。大振りの松葉カニは一杯15,000円だそうです。
「今なら12,000円でイイよっ!」
どうしようかなぁ?家内は面倒クサイからと、カニはそんなに好きではありませんが、正月の客呼びもあるしなぁ・・・。と、迷うこと暫し。

途中裏にある公衆トイレに行く時、従業員用の駐車場にはSUVを含めたベンツが数台停まっていました。
うーん、何だか興醒めして、家への干物と母へのらっきょー漬けと、そして職場へのお菓子として定番の「因幡の白兎」だけをお土産に購入し、カニも買わずに市場を後にして空港へ向かいました。

 2011年、新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

 元旦、家内と、帰省してくれた次女(長女たちは今日帰省してきます)と、そしてチロルとナナと、7時頃の初日の出を拝みに、いつもの岡田の田んぼ道へ散歩に出ました。今年の初散歩です。

 我家周辺からは、この時期、東山々系の山並の中で、ちょうど美ヶ原と鉢伏山の間の谷間(入山辺)から元旦の太陽が昇ってきます。
 今年の元旦は、当初生憎の曇り空という予報。今朝5時は満天の星空でしたが、6時には雲が広がって来たものの何とか大丈夫そうです。
7時過ぎ、東山から昇ってきた初日の出を拝みつつ、どうか皆健康で良い年になりますように・・・。
チロルとナナはキョトンとしています。「お前達の分もお願いしたからネ!」
今年も1年が始まりました。また頑張らなくっちゃ!
(写真は、明け方の東の空に昇った下弦の月と明けの明星のランデブーと、散歩途中で見かけたお目出度い紅白の南天。“難を転じる”に通じます)
 2011年、皆さまにとりましてもどうぞ良い年でありますように!

                      カネヤマ果樹園一同+チロル&ナナ