カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 久し振りの雨の日曜日となった、先週の5月23日。
5月連休以来、ずっとリンゴの摘花(果)作業に追われ、買いに行く時間が無かった家庭菜園用の野菜苗とハーブ苗を遅れ馳せながら購入してきました。

 庭のリフォームもお願いした、高校の同級生が社長を務める市内の老舗の園芸店。家庭菜園ブームもあり、この時期は野菜苗を求める人や、ガーデニング用の花木を探す人でいつも混んでいます。

 昨年、彼から教えてもらった、雨除け対策の要らないトマト苗(サターンという昔のトマト)とミニトマトや、キュウリ、ナス、ピーマンを購入。

 また、ハーブのルッコラとバジルの苗も併せて購入。やっぱりクレソンはありません。またパセリは、イタリアンパセリが刻みにくくて不評だったので普通のパセリにします(品切れのため、追加注文してきました)。
“悪夢”のミントを始め、これまで色々ハーブを植えましたが、一番人気はルッコラ(ロケットサラダ)だったので、今年のハーブガーデンは「えーい、もうルッコラ・ガーデンにするぞ!」と4ポット購入。


 遅れ馳せながら、野菜畑は、リンゴの開花前に果樹用の残った堆肥を入れて、今年は野菜畑をトラクターで耕してあります(昨年は耕運機でしたが、トラクターの方が深く耕せます)。もう土と馴染んでいるかと思いますが、終日の雨で作業が出来なかったため、昨日の土曜日にそれぞれ移植しました。

写真は植えた後のハーブガーデンです。
左側から順番に、移植して場所を変えた昨年からのチャイブ(上側にはパセリを植える予定)、バジルが2株、ルッコラが4株です。奥に、繁殖して拡がったコモンタイムが見えています。

 我が愛聴盤である、3枚組のプレミアム・ボックス『ジャズ・ベスト100』。
その中でも、ピアノ編に収録されている「Cジャム・ブルース」と共に、毎日のように聴いている「マイル・ストーンズ」。ご存知、グレート・ジャズ・トリオの名曲です。
そこで、ベースのロン・カーター、ドラムスの故トニー・ウィリアムスと緊迫のジャム・セッションを繰り広げている、ピアノのハンク・ジョーンズが、5月16日NYで亡くなられたそうです。91歳。

 そして、同じ日(19日)の新聞には、その“ミスター・スタンダード”と呼ばれたジャズ界の巨人の訃報にまるで呼応するかのように、「スウィング・ジャーナル」誌の廃刊が小さく報じられていました。
全くの偶然とは言え、一つの時代の終わりを感じさせます。

 天国でも、きっとジャムっているかもしれませんね。
どうぞ、安らかにお眠りください-アーメン

 のだめカンタービレ劇場編。
1月に前編(第212話参照)を見て、4月中旬に公開となった完結編である後編を、5月連休に見に行きました。

 例年、連休はリンゴの摘花作業の書き入れ時で、この時期はどこへも連れて行ってやれない奥様への、せめてもの罪滅ぼしです(幸い連休前半は、今年は開花が遅れて作業できず)。

 前編同様、家族連れや若い方が多い中に、我々より年輩(70代中盤とお見受けしました)のシルバーグレーのカップルが仲睦まじそうに・・・。
いいなぁ、あんな年になっても一緒に映画を見に来るご夫婦って(しかも、「のだめ」です!)。
年を取っても、いつか二人で見に行きたいなぁ・・・ドラエモン!

 さて、前編は千秋のオーケストラデビューが中心でしたが、今回は完結編でもあり、のだめのコンサートデビューがストーリーの中心。

使われた曲は、シュトレーゼマンとの共演で、楽壇デビューとなるショパンのピアノコンチェルト(第1番)と、いつか千秋の指揮で弾きたいというラベルのト長調のピアノコンチェルト。
開演前の幕間(あい)に、いつものベトナナとショパンのコンチェルト冒頭のオケ部分が流されていて、ははぁ、なるほど今回は・・・と。
それに、チャイコ、シューマン、ベートーベン、リスト、グリーグ、ラフマニノフなど数多(あまた)のピアノ協奏曲あれど、ラベルを選ぶなんぞ憎いですねぇ。

 因みに、個人的には、超絶技巧とは無縁なモーツァルトの第20番がお気に入り。グルダ、ペライア、内田盤とレコードを含めると4枚ある筈ですが、先ずはアバド指揮VPOのグルダ盤(LPとCD)でしょうか。
この20番は、特に第2楽章なんて音符だけなら小学生でも弾けそうですが、音楽性となると・・・。いいなぁ、グルダ。心に染みますね。弾き振りのペライア盤も良かったなぁ(イケナイ、また脱線してしまいました。ここらで閑話休題)。

 さて、またベートーベンやモーツァルトのピアノソナタなど、劇中で使われた曲の中で一番印象的だったのは、落ち込むのだめに、まさに暗闇から光が差し込む場面で使われた、リスト「ファウスト交響曲」からの「神秘の合唱」。男声合唱が良かったなぁ・・・。
エンディングの字幕で、確か音楽監修にN響のオーボエ首席でもある茂木大輔さんのお名前があったように思いましたが、いやぁさすがというか、渋いなぁ。

 一方、劇中のエピソードとして面白かったのは、のだめのセンセーショナルなデビューの報道が世界を駆け巡る中、のだめのご両親が、佐賀(でしたよね、確か)の実家(野田海苔店)でTVに駆け寄るシーン。ここでのネタ晴らしは、ルール違反ですのでやめておきます。

 それにしても、野田メグミは上野樹里の当り役、はまり役でしたね。
しかし、TVシリーズからの完結編である後編が予想(期待?)したほどの大団円ではなかっただけに、まさかの3匹目の“ドジョウ”を狙っていて、番外編なんてことは無いでしょうね。でも、宣伝上手のフジだからなぁ・・・?
因みに、奥様は上映前の予告編で見た、これまたフジの“最後の”『踊る大走査線 The Movie3』を「絶対見に行かなきゃね!」とご自身に言い聞かせておられました。
(「えぇーっ!?」と言ったら、娘と東京で行くからイイそうです。トホホ)

 いずれにしても“堅苦しい”クラシックの曲を若い人たちの中に広めた、『のだめカンタービレ』の功績は大ではないでしょうか?
是非、オムニバスではなくて、本物の、しかも、鳴り物の入りの海外からの有名オケだけではなく、出来れば、どこも台所事情の苦しい日本のオーケストラの演奏会に、是非若い人たちも足を運んでもらいたいものですね。

 ここ信州でも新緑が目に眩しい季節です。

柔らかそうな若葉と、若草色、萌葱色と言いましょうか、濃淡の異なる黄緑の色味が何とも優しくて、この時期の里山は柔らかでモコモコした感じがします。

 昨年も書いたかもしれませんが、緑色の呼び名(色数)が世界中で一番多いのは、日本語なのだそうです。
感性豊かな、四季のあるこの国に生まれたことに感謝です。

 上高地では、もうカラマツの芽吹きも終わったでしょうね。
あの芽吹きの時の緑色は、見ているだけで、何だか生命力を分けてもらえそうな気がします。
 我家周辺の里山では、5月17日の早朝、今年初めてカッコウの鳴声を聞きました。例年より遅れ気味かもしれませんが、これで役者も揃い、薫風の五月も本番です。
(写真は我家周辺からの、岡田方面の里山の新緑のグラデーションです)

 松竹歌舞伎座の建て替えに伴う閉鎖が大きな話題になりましたが、それと比べて社会的には殆ど話題にもならずに、新宿にあった厚生年金会館が3月末で閉館したそうです。
唯一、先月の日経の文化欄で元館長の方の回想録を読み、閉館を知りました。記事に拠れば、どちらかと言うと上野の東京文化会館がクラシックで厚生年金会館はポピュラーという役割分担だったとか。

 30年程前の独身時代、どうしても聴きたいコンサートがあって、まだ「遅れて」東京で学生をしていた高校時代の友人に無理を頼んでチケットを買ってもらい、彼と一緒に厚生年金会館へ聴きに行きました。

 それは、初代メンバーによるキングズ・シンガーズの来日初公演。
LPレコードを持っていて、合唱をやっていた人間として、その惚れ惚れするようなハーモニーの見事さに唖然とし、どうしても聴きたくてわざわざ松本から出かけていきました。
バードやラッソ等のマドリガルやモテットばかりでなく、クラシック風にアレンジされたビートルズ・ナンバーなど本当に見事な演奏でした。そして、この新宿厚生年金のコンサートの模様は、後日NHK-TVでも放送されました。

 翌日は会社があったので、終わってから、当時まだ走っていた「山男」向けの23:59新宿発の夜行列車に乗って、朝7時過ぎに松本へ着いてそのまま会社へ直行しました。

 その後は、独身時代のように東京までコンサートに行くような時間的な余裕も根性も、そして何より体力もなくなりましたが、厚生年金会館の大ホールで生で聴いたキングズ・シンガーズのハーモニーは、ずっと記憶の中に残っています。(写真は、キングズ・シンガーズ最初のLPと新宿厚生年金のコンサートを思い出させるロンドンでの結成10周年ライブ・コンサートの二枚組LP。確か、聴衆による10周年を祝福する“Happy birthday to you” の合唱が入っています。粋だなぁ)

 15年程前、そのキングズ・シンガーズが岡谷のカノラホールへ来演したので、当時合唱を始めた小学生の娘達と3人で聴きに行きました。
平日でしたので、家内が松本駅で電車に乗せて見送ったとは言え、小学生二人で岡谷駅までやって来て、上諏訪から仕事帰りの私と岡谷駅で待ち合わせ。先に着いて心配していたら、小さな二人がしっかりと手を繋いで、きょろきょろしながら電車から降りて来たのを見つけて、ほっと安堵の胸を撫で下ろしたのを覚えています。

 下の娘は、不安だったんでしょうね。小さな“大冒険”に疲れたのか、コンサートの途中でスヤスヤ眠っていましたっけ。
上の娘は、目を輝かせて演奏に聴き入っていました。ウン、親子だなぁ・・・と、独身時代聴きに行った新宿厚生年金でのコンサートを思い出しながら、一人悦に入って聴いておりました。

 よほど気に入ったのでしょう。その後、キングズ・シンガーズのビートルズ・コレクションのCDが棚から消えました。

 ここ2年くらいでしょうか、僅か10ページ足らずの短編ですが、ビッグコミック・オリジナルに一話読み切りで連載されている、安部夜郎作『深夜食堂』。

 最初は、絵が趣味に合わず、それだけで何となく敬遠して読みもしなかったのですが、何かの折にたまたま読んで、市井の片隅に暮らす人々への視線が暖かく、そのしっとりとした味わいにハマってしまいました。

 例えるなら、味の濃い中華料理や、スパイスの効いた洋食ではなく、どちらかと言うと薄味ながらしっかりとダシや隠し味の利いた和風料理(京風?)。
そのストーリーの味を知ると、絵も味にちゃんと合っているような気がしてくるから不思議です。絵はデフォルメされていますが、毎回登場するストーリーの鍵となる一品も食指をそそられます。

 そして、同様の反響がたくさんあったのでしょう。題名同様深夜帯ですが、TVドラマ化されて放映されているそうです。残念ながら、長野県内では放送されていません。

 食べ飽きることなく、毎回ジワジワっと染みてきて、その余韻を一人楽しむような、そんな味わい深き真夜中の一品です。どうぞ、ご試食あれ。

2010/05/20

284.槍の穂先

 松本市内からは、と言っても駅周辺から東部までの限られたエリアからですが、槍ヶ岳の頂上部分(槍の穂先)を望むことが出来ます。例えば、奈良井川を越えたり(駅の西)、アルプス公園まで行くと(北)、もう前山の陰に隠れて見ることができません。平成の合併で、住所が、上高地で有名な旧安曇村から、今や松本市となった槍ヶ岳です。


 松本からの槍の穂先は、キレイな三角形をした常念の左側に、小さくちょこんとその姿を見せていますが、目を凝らして見ないと気が付かないほどです。
夕映えを背景に、北アの峰々が黒い屏風のように聳え立つ夕方の方が、山容が分かり易いかもしれません。
松本駅の西口(アルプス口)から撮ってみましたが、小さな写真でお分かりいただけるかどうか?(撮影は2月25日と5月15日と17日に松本駅から)

 槍ヶ岳。穂高岳と並ぶ北アルプスの主峰にして3189m。天を突き刺すように尖ったその孤高の頂きは、アルピニストの憧れです。

 上高地の開山式も4月末に行われ、これからリュックを背負った夏山への登山客が松本駅に降り立つシーズンになります。
今年は残雪が多いと言いますので、どうか気を付けて。

 家内が一生懸命世話してきたシンビジウム。

 何度か触れさせていただいたように、義母さんから見事な花でいただいた昨年から2年目の今年。5本出てきた花芽が、このところの暖かさでグングン伸び、2本の花芽が遂に開花しました。

 緑色の蕾が、次第に膨らみながら黄味を帯び、そして一つ、また一つと花を開かせました。
とは言え、プロではありませんので、いただいた時とは違い、花芽の長さは昨年より大分短めですが、でも見事な花です。先週末には、先に伸びた二本の花芽に支柱を添えて、いただいた時のを家内がちゃんと取ってあった緑色の針金で留めてあげました。

 5本の花芽の成長度合いには差があるので、花屋さんで売っているような一斉開花ではありませんが、その分逆に長い間楽しめそうです。
(写真は、12月末に出た筍のような花芽から、漸く4月になって蕾が顔を出し、この5月に花が咲くまでの時系列での様子です)


 家内は、早速義母さんに見せて自慢したいようです。

 娘達の夢の実現にシンビジウムに願を懸けて、真冬の頃から、「今か、今か」と見守ってきただけに、きっと彼女達の夢も花開くことでしょう。

 五月連休から始まった摘花(落花後は摘果)作業。母も家内も一緒に朝から夕方まで作業に追われます。

 どの中心花(真中の花)が残せるか、どの花を摘むか、花の様子を見ながら(良いリンゴになりそうな花や実を残すように)一輪ずつ摘んでいきます(一輪摘花作業)。また枝の先端の二年枝(昨年伸びた枝)にびっしり付いた花は、実をならせても大きなリンゴになりませんし、他の枝に栄養が回るように全て摘んでしまいます。

(左が摘果前、右は中心を残し摘んだ後。5月中旬で実も大きくなってきました)
 小さなリンゴ園で60本しか無いとは言え、恐らく数万?前後の花を手作業で摘んでいくのですから、考えると気が遠くなる程の労働集約型作業です。落花後は、摘果作業になって6月まで続きます。
5月も中旬にもなってから、松本地方にも遅霜注意報があり心配しましたが、何とか大丈夫だったようです。

 聞くところによれば、中心花だけを残して他の花を落としてしまうことができる薬剤もあるそうです。農家も後継者がおらず高齢化が進む中で、省力化のために止むを得ないという農家もあるとは思います。
 しかし、私などはそうした農家の中では未だ“若造”ですので、薬剤に頼らず自分達の手で出来る限り頑張ろうと思います。

 それに冬場に撒いた有機肥料(堆肥)の効果か、今年の花が例年よりも大きいのにはビックリしました。やっぱり、植物は掛けた手間だけちゃんと応えてくれるよう(だと信じたい気分)で、嬉しくなりました。実も大きいくなると良いのですが。
それに、今年は昨年と比べてミツバチが結構ブンブンと蜜を求めて飛んでいて、花から花へと受粉をしてくれました。働き者のミツバチにも感謝です。

 さて、朝から夕方まで続く作業のため、時間を惜しんで昼食も手を抜くことしばしば。
近くのチャイナスパイスが昨年閉店してしまったため、テイクアウトが出来ず、この日は駅前まで買出しに行って、昼マックにすることに。

 中年夫婦とお年寄りの母を含めた、お百姓さん3人で昼マック!です。
でも母も美味しいと喜んで、エビフィレオとマックナゲット、ポテトを喜んで食べていました。

ウーン、農作業風景も変われば変わるもの。我ながら感慨深いものがありました・・・・。
ま、ハンバーガーも“アメリカ版お焼き”と(ケンミン的に信州目線で)言ってしまえばそれまでかもしれませんが・・・。

 先月下旬の朝日新聞文化欄に紹介されていたピアニスト、巨匠アルド・チッコリーニ氏(嘗てのサティ・ブームの仕掛人とか)の言葉。

「日本の聴衆の静寂は最高の報酬だ。西欧が忘れ去ろうとしている美しい伝統を、日本が受け継いでくれている。そう確信した。」

 そう言えば、先日のNHK-FMでのN響定演の中継の中で、N響名誉指揮者であるマエストロ・ブロムシュテット氏が、リハーサル中に日本を誉めながら「ヨーロッパで演奏するのは最早疲れる。」という主旨の発言をされたことを受けて、当日解説の作曲家である池辺晋一郎氏曰く、

「そう言えば、40年程前、欧州のクラシック音楽家の間で『100年後は、欧州から消えた伝統的なクラシック音楽の演奏会を聴くためには、日本へ行かなくてはならなくなる。』という説がまことしやかに流布されたことがある。」

 シワブキ一つしない観客席を「だからクラシックは肩が凝る。」と敬遠する向きも当然あろうかと思いますが、日本贔屓の演奏家が多いことからも、真摯で暖かな日本の聴衆がクラシック界のみならず世界の演奏家に愛されていることも、また紛れも無い事実だと思います。

 但し、一度だけ聴いたことがあるウィーンのムジーク・フェラインザールでの演奏会(フィガロでしたので、劇中でも笑ったりも出来ます)も、また赴任中毎月のように仕事帰りに(当時から欧州流の夜8時開演で、オフィスから徒歩3分)一人で聴きに行ったシンガポール交響楽団の演奏会(何しろ隔週で定演を行い、しかもA席はS$10=当時で700円弱、S席でさえ15$で聴くことができました)も、20年近く前とは言え、日本とさして代わらぬ観客席風景だったと思いますが・・・。

 名演奏のCDもイイですが、やっぱり生演奏には敵いません。CDを何枚も買うなら、そのお金で一回生の演奏会に行くべきです。二次元と三次元、今風に言えば、平面と3Dの差程違う、とでも言ったらいいでしょうか。

 斯く言う私も、そろそろ演奏会に行きたくなりました。
 今迷っているのは、10月にハーモニーホールで行われる上岡敏之指揮ヴッパタール交響楽団の松本公演。
チャイコのバイオリン協奏曲と3番英雄。曲目よりも指揮者に興味があり、2007年に続いての2度目の来日公演というドイツ(注記)のオケそのものは、まだ日本ではそれ程知名度は高くありませんが、せっかくハーモニーメイトにもなったので、聴きに行ってみようかと思っています。でも、前回の初来日時に指揮振りが評判を呼んだとは言え、ネームバリューからすると9000円はチト高くないかなぁ・・・?ここ、ハーモニーホールは800席しかないため、フロント席を除き一律料金です。メイト価格は8000円。このホールの素晴らしいのは、高校生以下は4000円の設定。若い聴衆を増やすのに良いことですね。因みに、先日あった松本県文でのシュトゥットガルト放送響は確か11000円でした。録音嫌いの(今は亡き)チェリビダッケならなぁ・・・って、こんな田舎に来るわけありませんが(ただし彼がこのオケを振っていたのは30年前で、晩年はミュンヘンフィル)。
あぁ、OEK良かったなぁ。また松本に来ないかなぁ。
・・・などと、優柔不断にグダグダ悩む日が続きます。はぁ、情けな。
【注記】
ヴッパタール市は、ドイツ西部ノルトライン=ヴェストファーレン州にある、ルール地方の工業都市。州都は日本人には馴染みの(日系企業のドイツ法人が置かれる)デュッセルドルフ。市出身の指揮者にハンス・クナーパーツブッシュとギュンター・ヴァント。オケは150年の歴史を持つという。

 最近春霞がかかる日が多く、遠くが霞んでいます。
 この時期思い出されるのは、文部省唱歌(作詞高野辰之、作曲岡野貞一)『朧月夜』。同じく『故郷』の作詞でも知られる高野辰之は、北信の中野市(旧豊田村)の生まれで、一時隣の飯山の小学校で教員をしていて、千曲川沿いに広がる菜の花畑(一般的に菜の花はアブラナを指しますが、ここ飯山では野沢菜です)の記憶がこの歌のモチーフになったと言われています(また、因みに作曲者の岡野貞一は松本深志高校の校歌も作曲しています)。

 この朧(おぼろ)月というのは、春に黄砂で霞んだ夜の状態なのだそうですが、自然現象で説明されると何だか現実的過ぎて幻想的な雰囲気が無くなってしまうような気がしてしまいます。個人的には、特に二番目の、

 『里わの火影(ほかげ)も、森の色も、
  田中の小路をたどる人も、
  蛙(かはづ)のなく音(ね)も、かねの音(おと)も、
  さながら霞める朧月夜』

・・・という歌詞は、何となく我家の近くの田んぼ道(今はチロルの散歩コース)を思い浮かべてしまいます。
また、一番の歌詞にある「菜の花畑に入日薄れ」からは、何となく

 『菜の花や 月は東に 日は西に』(与謝蕪村)

という蕪村の有名な句も連想されますね。

 幼い頃、“おじいちゃん子”だった私は、毎日リンゴ園に花摘みや摘果作業に行くのに連れて行かれ、リンゴ園を一人遊びで駆け回っては、暗くなって夕方家へ帰る道すがら、(たぶん)遊び疲れて負ぶってもらった祖父の背中から見ていただろう心象風景。
(写真は夕方ではなく、朝の散歩の途中に見かけた菜の花と霞む東山々系)

きっと誰にでも、そうした幼い頃や、ふるさとの心象風景を思い起こさせる歌があるのでしょうね。

五月連休中、千曲川の河川敷に黄色の絨毯のように拡がる飯山「菜の花公園」は大勢の花見客で賑わったとか。

 春の遅い信州も、桜が終わると一気に春から初夏に掛けての花々が咲き揃います。       

 ゴールデンウィークの5月2日から、この週末9日にかけての我家の庭の様子です。僅か一週間で、風光る春から風薫る五月へと、急いで衣替えでしょうか。
フラワーガーデンでは秋植えの球根や宿根草、雑木林(風)ガーデンでは、春先からのクリスマスローズに混じって、グランドカバーのポテンチュラが小さな黄色の花を咲かせています。またコナラのシルバーグリーンの芽吹きがとてもキレイです。
芝生も大分青々してきました。芝生ガーデンの中にある二本の紅白のハナミズキも一気に満開。特に今年は紅いハナミズキのチェリーピンクが一際鮮やかな気がします。

 ハナミズキは、1912年、当時の尾崎東京市長からワシントンD.C.のポトマック河畔に贈られた桜の返礼として、1915年に東京に贈られて来たのが最初だと言います。
しかし、それからたかだか100年にも満たないのに、これほど短期間の間に日本中に根付いた庭木も無いのではないでしょうか。松本でも庭木ばかりではなく、いたる所に街路樹としてハナミズキが植えられています。

 5月連休の4日・5日と、フェーン現象でしょうか、松本も30度を超え、特に急に暑くなった4日の日は、農作業をしていてもバテテしまい、水分補給で何度も休まないとやっていられないほどでした。
31℃を超えて更に暑くなった5日は、体も慣れたのかそれほどでもありません。鈍いと言うか、この順応性があるからこそ、人間の体は良く出来ているということなんでしょうね。

 しかし、4月17日には松本では30年振りという7cmの積雪があり、また20日過ぎには氷点下近くまで下がって遅霜があるなど、僅か2~3週間のこの違いは、一体どうなっているのでしょうか?

人間だけではなく、植物もビックリしたことでしょう。

例年より開花が遅れていたリンゴも、この4日の暑さで一気に満開になり、どこのリンゴ園でも家族総出で一斉に花摘みを開始しました。
そして、週末の8日にはもう花が散り始めています。今年は花の時期が短いような気がします。
(写真は、5日と8日のリンゴ園と、リンゴの木の下に広がる、摘まれたリンゴの花)

花の時の作業の方が、蔕(へた)が未だ柔らかく手作業で摘むことが出来ます。1ヶ月もすると実が大きくなり、摘果作業になりますが、今度は鋏が必要になります。ただ、遅くなっても作業は出来ますので、余り焦らずやっていこうと思います。

 前話からの続きで、トリオのスピーカーLS-202。屋根裏部屋から運び出してきての25年振りの音出しです。

 音源はいつものプレミアム・ボックス『ジャズ・ベスト』のピアノ編とボーカル編(人の声が自然に響くかがスピーカー選びのポイント)。

えっ!?イイ音です。
「KEF(Coda 9)よりイイじゃん!」

 外観上は幸いコーン紙もカビ等は一切見られず、ビビリ音なども全くありません。25cmウーファーの威力か、ドラムスやダブルベースの低音も歯切れ良く締まっていて、しっかりと響いてきます。ドラムのシンバルが鮮やか(でもドン・シャリに非ず)です。またボーカルも艶やかです。古臭さは微塵も感じられません。一言で形容すればナチュラル。
気を良くして、続けてミュンシュ&BSO盤でサンサーンスの3番も聴いてみました。少々(かなり?)音量を上げて・・・。
オーケストラの音像がくっきりと、そしてパイプオルガンの風圧と共に圧倒的なスケール感で部屋中に鳴り響きます。
そう言えば、確か発売時「リニア・レスポンス」をキャッチ・フレーズにしていて、当時としては珍しい音場型スピーカーの、言わば“走り”だったのかもしれません。

「そうか、こんなイイ音してたんだ・・・!」

 おそらく、当時ローエンドしか買えなかったアンプから、技術革新も含め(と言っても購入してからもう10年以上経ちますし、決してハイエンドではなく)中級機になって(そう言えばこれもケンウッド)、性能が格段に向上し且つ電子部品等のコストが下がっているので、実際の価格差以上にグレードアップしたアンプが、スピーカー本来の実力を引き出してくれているのでしょう。
今更ですが、LS-202本来の実力に四半世紀も経って漸く気が付きました。

 世の中が如何にデジタル化されようと、最後にはアナログ変換での音の出口であるスピーカーだけは、ユニットの特性だけではなく、剛性や内部の形状など箱の作りにも左右されますので、良い材料を使ってしっかりと仕上げてあれば、銘器と言われるバイオリンのように、昔のスピーカーであっても良い音がする筈です。

 そこで、メイン・スピーカーのスワンと聴き比べてみました。
3WayのLSの方が、バックロードホーンとは言えフルレンジ1発(しかも10cm!?)のスワンよりも、特にダブルベースなどの低音部の音の粒が立ってくっきりしています。スワンはバックロード特有のクセとして、どうしても「ブン」ではなく「ボン」という感じになりがちです。
またLSが面で響いてくるのに対し、スワンは点音源の名の通り点で響いてくる感じでしょうか。
マイルドとシャープの違いはありますが、「音」としてのまとまりはスワンの方があるような気がします。
う~ん、最後は聴く人の好みでしょうね。でも想像以上にLS-202もイイ音作りでした。

 イヤ、びっくり・・・です。暫くはリビングに鎮座してもらおうと思います。
(でも奥様が帰ってきたら邪魔にされるだろうなぁ・・・?ウム、確かに邪魔だ)

 案の定邪魔にされながらも夜時々鳴らしていると、家内が「前よりも音がうるさくなった。」と言います。音量は以前と変えていませんので、きっとLS-202の方が低音が良く響いているからなんでしょうね。このままもう少し使ってみようと思います。
すると家内から、
「だったら使わないのは捨てれば?」とトンデモナイ暴言。
「じょ、冗談じゃない!」

 そこで、危機感から(可哀想ですが)KEFを暫しお蔵入りにして、代わりにLS-202をサブとして置くことにしました。合わせてコーラルも片付けて・・・と(ついでにスピーカー裏に溜まっていた埃やチロルの抜け毛もキレイに片付けたので却って喜ばれました)。

 やっとリビングがスッキリしました・・・やれやれ。
      

(若かりし頃の思い入れもあり、些か長文になりますがお許しを。“オールド”・オーディオ・ファンで無い方は、どうか読み飛ばしてくださいますよう)

 第266話でも少し触れた、ケンウッド(JVCと統合)の前身であるトリオ(確か創業のルーツは長野県駒ヶ根市で、今でも工場があった筈)のスピーカーLS-202。

 社会人になってコツコツ貯めて買った初代システムコンポ(と言うよりむしろ今や死語となった“バラコン”?)の一員。
当時の構成は、アンプ、スピーカー、チューナー(予算も限られ、また電波の受信状態が良かったので学生時代のレシーバーで代用)、レコードプレーヤー、カセットデッキ(先進のドルビー付き0.3秒クイックリバース・・・もう誰も知らないかも)、とその後買い足したエアチェック(これも死語)には必須のオーディオタイマー・・・(しかし、世の中変わったものですね)。

 その後CDがレコードに取って代わり、転勤でのアパート住まいを機にCDミニコンポ(サンスイ)に買い換えて、そのまま海外まで持って行った(更に赴任中にシンガポールで家族渡航前にスワンを自作しました)ので、現役生活は僅か6年間だったでしょうか?アンプ(パイオニア)がベストバイとは言え低級機だったので、その性能を十分発揮させてやれなかったのだろうと思います。
そして帰国後システムを一新した時も(KEFのトールボーイCoda9も購入したものの)そのままスワンがメインとなったので、今までLS-202の存在など全く忘れていました。

 久し振りに鳴らしたコーラルのスピーカー(第266話参照)で思い出し懐かしくなって、四半世紀の間ずっと母屋の屋根裏部屋で眠っていたLS-202を、この日運び出してきました。

 調べてみると1979年発売と言いますから、ちょうど私が大学を卒業して社会人となった年で、発売間もない最新モデルを購入したようです。当時の価格で一本45,000円(×2)。
LSシリーズは、確かトリオがスピーカーにも本格的に進出するために価格以上に力を入れて作ったと言われたスピーカーで、このフロア型の202は発売当時オーディオ関係の雑誌でも「ベストバイ」に選ばれた製品でした。

 試聴して気に入ったのか、店員の方の薦め方が上手かったのか、スピーカーの老舗ダイヤトーンやビクター(クラシック向きで最後まで迷った白木のSX-Ⅲなんて良かったなぁ)、ヤマハ(NSシリーズは若者に人気でした)などではなく、当時まだスピーカーブランドとしては新参だったTRIOを良く買ったものだと思います。
また、一括で購入したので当然多少の値引きはしてくれたのでしょうが、(ちゃんと家にも毎月幾ばくか入れた上で)飲んでばっかりいた新入社員がコツコツ貯めた(しかも一年目の冬には通勤用に車も中古で買った筈)とは言え、今にして思えば初任給が12万円の時代でしたから、スピーカーだけで9万円は結構な買い物だったんですね。独身時代だからこそ成せる業(ワザ)。

 さてTRIO LS-202はフロア型の3Wayバスレフで、一台20kgくらいあるのではないかと思えるほど重くてかなりしっかり作ってあります。何でもそうですが、昔のモノは素材から良い物を使って手間隙掛けて作られています。今だったら、当時の価格では作れないのではないでしょうか。スピーカー側にもアコースティック・レベル・コントロールという音質選択のコントローラーが付いています。そう言えば、当時はスタンド代わりに私も安いブロックを使ってましたっけ。
これまで全く通電もされておらず、内部の回路やコーン紙の劣化が心配ですが、とりあえず音が出るか、(奥様不在の)リビングに運んで鳴らしてみることに。しかし、その重いこと。高さは70cm近くあり、重量も20kgは軽くオーバーしています。「よっこらしょ!」と漸く運び込みました。

 さて、まさに四半世紀、25年ぶりの音出しです。
(やっぱり長すぎるので、2回に分けることにします。スイマセン!)

 リンゴも開花しました。
 4月の花冷えもあり、昨年よりも10日近く遅れての開花でした。でも今年は開花前だったので、昨年の様な4月末の遅霜の影響はリンゴにはそれ程無さそうです。

朝は、ご覧のように1~2輪だったのが、昼間の暑さ(この日、松本は何と30.3℃を記録したとか)で一気に開きました。また、同じリンゴでも、ふじの蕾はピンクですが、陽光は花も赤に近い感じです。
いよいよ摘花作業も開始です。
そして、リンゴ園では、タンポポや自然に生えた?ムラサキナバナも咲いていて、リンゴ園が一番賑やかな季節です。

 近くの公園では、1週間前には満開だった小梨に代わって山桜が満開に。信州は、まさに里も山も百花繚乱です。

 結局長女は、残念ながら忙しくて帰省して来れませんでした。
そこで、彼女が楽しみにしていたアルプス公園へ、5月1日早朝、チロルとナナを連れて行ってみました。

 車大好き犬のチロルですが、今はまだ毛が抜ける時期で、車が毛だらけになるので本当は嫌なのですが、ナナだけでは可哀想なので一緒に連れて行くことに。車近くまで行くと、喜んで後部シートに飛び乗ります。


 アルプス公園は、最後の桜が風に舞っています。昔はメーデーの後にみんなで花見に来たこともありましたが、今年は開花してからの花冷えのせいか、最近では珍しくこの時期名残の桜をまだ見ることができました。一週間前の第271話の様子と見比べて見てください。
園内の道路では、両脇に桜の花びらが絨毯のように敷き詰められています。しだれ桜と一緒に辛夷(こぶし)の真っ白な花が咲いていました。
5月の真っ青な青空に残雪の北アルプスが映えています。見下ろす安曇野では、田んぼに水が張られ、代搔き作業が始まっています。

 春から初夏へ。常念岳などには間もなく雪形が現われ、山も装いを変えていきます。

 子供が、帰国子女でインターナショナル・スクールにいたため、帰国後暫くは家庭教育として日本の勉強を見ていました。
私が教えるとすぐ怒ってしまい、子供が嫌がる(怯える)ので、家内が勉強を担当し、私が代わって食事作りを担当しました。
家内の嫁入り道具の料理全集や、同じくアグネス・チャンの中華料理の本などを参考に、毎週末には献立から全部考えて作っていました。
時には、ビシソワーズなんぞにもチャレンジしましたなぁ。付き合わされた家族の評判はともかく・・・。

 その後子供が進学すると親の教えも必要なくなり、また上京してしまうと更に作らなくなりましたが、時々気が向くと男子厨房に立っています。

 今回は私の方が帰宅が早いとのことで、何となく最近巷で流行り?のセイロ蒸しというか、蒸した温野菜が食べたくなり、適当に食材を用意して作って(ただ蒸すだけですが)みました。まぁ、こういうあっさりしたモノを食べたくなるのも年を取った証拠なんでしょうね。

 材料は家にあった材料のみですが、少しは春らしく・・・。
ちぎった春キャベツを敷いた上に、長イモ、ニンジンと、畑から摘んできた出始めの葱坊主(以前どこかで食べたのですが、これが意外とイケマス)、蕗(もうフキノトウは終わりで若い蕗の茎)と、上に豚バラを並べて。

 味付けはポン酢であっさりと。家内が戻ってきたら食べヨーっと。
その前にビール片手にチト味見・・・。
蒸し器にもよるかもしれませんが、蒸らし時間15分だと長イモなどは煮物のようになって柔らか過ぎるので、10分弱で多少シャキシャキ感が残っていた方が(お好みですが)個人的には良いように思います。

「では、いただきまーす!」
「うん、春だなぁ・・・。」

 因みに、一番人気は蕗でした。若いので柔らかく独特の苦味?が(中年夫婦には)好評でした。