カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
第225話でご紹介した神楽坂の『鳥焼 金太郎』で出会った絶品の“クリームチーズの味噌漬”。これが日本酒に良く合うんです。チーズと味噌の意外な(しかし絶妙な)洋と和のコラボレーションです。
我家の冷蔵庫に、幸運にも先日帰省した時に娘が買ったKiriのクリームチーズ(ポーションタイプ)が少し残っていたので、先日早速家の味噌(普通の無添加信州味噌)を塗って冷蔵庫に入れ、待つこと二日。う~ん、楽しみ、楽しみ・・・。
でも、そう言えば「金太郎」で出されたチーズは、味噌が全く付いていなくて、綺麗でしたっけ・・・?ガーゼにでも包んで味噌に漬けたのか、外側を削ぎ落としたのか?考えると気になりますが、別に客に出す訳でもないので、まぁいいや。どうせ男の賄い料理ですから。
味噌を水で洗い流しペーパータオルで水気を取り早速味見です。お供は『純米吟醸 大信州-風穴貯蔵』(旧安曇村の稲刻地区の風穴で貯蔵されたお酒)。
味噌の色が着いて、少しベージュ色がかっています。少し寝かせ過ぎたのかも。金太郎のそれは真っ白でしたから。
案の定、少々塩味がキツ目。でも、クリームチーズの濃厚さと味噌味のコラボレーションはしっかり出ています。
家内曰く「同じ発酵食品同士なんだから、合うのが当たり前。チーズと味噌を使った料理って結構あるわよ!」との仰せ。言われて見れば、なるほどです。てっきり『金太郎』の“大発明”かと感動したのですが・・・。「じゃあ、食べたことあるの?」、「無いけど・・・」
強制適用の禁酒デーもあり、3~4日間そのままにしておいたら、家内の言うように発酵食品同士の結び付きが強過ぎたのか、もっと濃厚な、まるで別モノのチーズになったようでした(チーズは詳しくないので何とも説明できませんが)。
このクリームチーズの味噌漬は、超簡単ながら私メの定番の(冷酒用の)おつまみになりそうです。
その代わり、いつもの「おちょこ」一杯が二杯になり、やがて三杯に・・・(皆さま、飲み過ぎにお気を付けください、マセ)
2月中旬の飛び石連休に合わせて家内が娘のところに上京して不在の夜。シメシメと日頃なかなか大きな音で聴けないCDを大音量で聴いてのオーディオ三昧。
久々に自作スピーカー愛器「スワン」(第12話参照)も本領発揮。作ってから既に20年以上経っていますが、10年ちょっと前にわざわざ秋葉原で視聴して購入したKEFののトールボーイも脇に追いやって(聴き比べると一「聴」瞭然です)、今だメインとしてバリバリの現役です。それにしても、フルレンジ一発とは思えぬほど、
「イイ音するよなぁ・・・!」
(“長岡教信者”の言う10倍のスピーカーの価値があるというのもあながち誇張ではありません。当時通販での板材の限定販売で、カット済みシナ合板で一組確か4万円しませんでした。写真はスワンと「鳴らず」のKEF・・・時折通電だけはさせていますが)
この三晩で聴いたのは、何となくですが、久し振りのシベリウスの交響曲第2番、サン・サーンスの交響曲第3番『オルガン』と、多田武彦の男性合唱の名曲『富士山』。そして何度か登場させたいつもの愛聴盤、『ジャズ・ベスト100』と徳永英明の『Vocalist Ⅲ』にバッハの『無伴奏チェロ組曲』(ミッシャ・マイスキー盤)。
シベリウスはどうやらシンガポールで買ってあったらしい海外盤(輸入盤)で、懐かしいバルビローリ指揮のハレ管。サン・サーンスは往年の名盤であるミュンシュ指揮のBSO盤。これはLPでも持っていますし、当時“フランスのオケよりフランスらしい音がする”と言われたデュトワ指揮のOSM盤もありますが、ミュンシュが今だ我がベスト盤です。
シベリウスの2番は、彼がパトロンの招きで滞在したイタリアの様子を表したそうです(昼間の剪定作業中にたまたま聴いていたNHK-FMで解説していました)が、『イタリア』と聞いて思い浮かべるメンデルスゾーンの交響曲第4番とは違って、やっぱり地中海ではなく北欧の香りがします。
サン・サーンスの3番は、曲中でパイプオルガンが印象的に使われ(それなりの音量で聴かないとパイプオルガンの風圧が感じられません)、計算し尽くされた、構成美溢れる荘厳且つ華麗なシンフォニー。
聴くとシベリウスは大らかになりますし、サン・サーンスは元気が出ます。この交響曲はパイプオルガン常設のホールでしか演奏できませんので、一度だけ(それも赴任中ではなく、帰国後家族でシンガポールへ“里帰り”旅行した際に、偶然滞在中に定演で演奏されると知り、一人で聴きに行った)シンガポール交響楽団(略称SSO)の演奏をビクトリア・ホールで聴きました。サントリーホールにはわざわざ行けないので、パイプオルガンのある(松本)ハーモニーホールでも是非やって欲しいものです(3管編成のこの曲には800席では箱が小さすぎるかもしれませんが、そこを是非何とか・・・)。
ジャスでは、サッチモの『この素晴らしい世界』とサラ・ヴォーンの『ラヴァーズ・コンチェルト』(ずっとバッハのメヌエットが原曲だと思っていたら、最近の研究ではクリスチャン・ペツォールトという人の曲というのが通説だとか)に心癒され、オスカー・ピーターソンの弾くデューク・エリントンの名作『Cジャム・ブルース』と木住野佳子の繊細なピアノ(収録曲はアイルランド民謡『ダニー・ボーイ』)に心躍ります。
いいなぁ・・・と、グラス(実際は冷酒の「おちょこ」)片手に久々のオーディオ三昧の夜が更けていきました。
【追記】
・・・と言いつつ連日の剪定作業に疲れ果て、どうやら途中で夢の中。
きっと突付いて起こそうとしたであろうチロルとナナも諦めたのか、はたまた飲兵衛には付き合っていられぬと愛想が尽きたのか、気が付いた時は(・・・静寂の中で)既に自らケージの中に入ってスヤスヤとお休みされていました・・・ゴメン。
我家の薪ストーブ。冬は連日暖房に活躍中。おそらく(我家のように薪購入では)灯油代の方が安いかもしれませんが、この暖かさとオレンジの炎の癒し効果で、お金には代え難い気がします。おそらく薪ストーブの愛好家の方々は、皆さん同感ではないでしょうか。
さて、そんな薪ストーブの意外な効用。それは「石焼きいも」ならぬ“鉄焼きいも”。専ら家内専用ですが、寝る前に薪が燃え終わったところに、サツマイモを濡らした新聞紙(1枚)に包んで更にアルミホイルで包み、ストーブの灰の中へ入れておきます。朝にはじっくりと余熱で焼きあがった焼きいもが出来ていますので、取り出してオーブンで再加熱してホクホクの焼きいもが食べられます。
なお薪が燃えている時だと温度が高すぎて真っ黒く炭化してしまうか、早く取り出すとまだ芯は生ということになります。
濡れた新聞紙で包むのは高熱で炭化してしまうのを防ぐためとか。なるほどのアイデアです。聞けば、子供たちが小学校の時に、授業で栽培したサツマイモを収穫し、秋に母親も参加しての落ち葉での『焼きいも大会』の折、先生の指導でそうしていたのだそうです(どうりで・・・)。
以前は、アルミホイルに包んでストーブの上で焼いていましたが、残り火と灰の中の方が、ホクホク感というか美味しく焼けるのだとか。我家のストーブは鋳鉄製なので石と同じような遠赤外線効果も期待できるかもしれません。
毎週末に食料品の買出しに行くスーパーには、紅アズマなどのサツマイモや安納芋(通販でのいわゆる「蜜芋」)も手頃な価格(紅アズマは1本100円前後)で売っていますので、時々(毎週?)買って来てはストーブで“鉄焼きいも”を楽しんでいます(いるらしい・・・)。
今年は諏訪大社の7年に一度の御柱祭。木落しの映像をご覧になった方も多いと思います。4月上旬から上社・下社の順番にそれぞれ山出しが始まり、里引きから建て御柱まで諏訪の町は御柱一色になります。
今まで、御柱の年は、諏訪湖が凍って氷が割れてせり上がる御神渡(おみわたり)が必ず出来たと言われており、暖冬予想だったこの冬はどうだろうかと心配していました。
今年は予想以上には寒い冬でしたが、それでも最低気温は諏訪で氷点下5℃から7℃くらいでしょうか。昔のように10℃以下になることは稀で、最近は御神渡の出来ない年の方がむしろ多くなってしまいました。
「おぉ、さすが御柱年だぁ!」
残念ながら午後には融けてしまいましたが、その後も氷が張る日が出始めたので、このまま寒い日が続けば「もしかしたら」と期待を抱かせましたが、張ったり融けたりと、なかなか全面結氷には至らず諏訪の人にとっては気を揉む日々が続きました。
うーん、もう2月のこの時期までくれば今年も難しいかも・・・と心配していたところ、2月20日に神事があり遂に『明けの湖(うみ)』(注記)の宣言がなされました。
今年は御柱年なのに、タケミナカタノミコト(上社祭神)も残念ながら温暖化には勝てなかったようです。
【注記】
上諏訪の八剱(ヤツルギ)神社の神官が御神渡の出現の確認とその年の作柄などの吉凶を占い、御神渡が出来なかった時は「明けの湖」宣言をする。その年の天候や農作物の生育状況を含めた14世紀頃から続くその記録「神渡帳」は、現存する最古の気象観測記録の一つとされる。
報道によれば、『明けの湖』は明治時代に3回、昭和で15回、平成に入って既に16回目とのこと。
先週の土曜日の午後、私的な会合と懇親会があり、その日の夜最終のあずさで帰郷してくる家内のために松本駅の西口に借りている駐車場に車を置いて、懇親会の後、一人で松本の街をぶらりと・・・。
実は以前から気になっている店(名古屋コーチンの焼鳥屋さん)があり、そこへ探索に寄って帰ろうかと思い駅前から西掘通りまで歩いて来たのですが、外からガラス越しに見える店内にはお客さんが一人もおらず、何となく不安になって結局寄らずに帰ってきてしまいました。
まだ、時間も早かった(7時)ので約3kmの道のりを歩いて帰ることにして、大名町からお城のある中央公園を通って・・・。
昼の晴れた日、北アルプスを背景に聳える松本城も絵になりますが、別名「烏城」と呼ばれる質実剛健そのものの戦国の城がライトアップされ、夜の帳の中で白と黒のモノトーン(無彩色)が映えています。
昼間とはまた趣が違って、夜の松本城もなかなか素敵でした。
【追記】
そうかと言って氷点下の真冬は余りお薦めしませんが、もしかしたら白と黒だけのモノトーンにはこの凛とした空気がイイのかも・・・?
2月なのに11日が冷たい雨(夕刻から松本の平地も雪に変わりました)で、12日は雪。
こうした変な天候のためか、2月14日の日曜日、久し振りに見えた山の様子がいつもの雪の後とは何となく違っています。近くに行って良く見てみないと分かりませんが、言わば山の木々全体が霧氷のような雰囲気です。
そこで、我家のリンゴ園の辺りから、東山(美ヶ原、鉢伏山)方面を撮影してみました(お分かりいただけるかどうか?)。
普段あまり見られない(と地元の住人も感ずる)山の様子です。
合わせて、18日に外出して「すずらんの里」駅(富士見町)からの夕刻の帰宅時、入笠山(360度の絶景と湿原のすずらんを始め“花の山”として有名です)の山裾も麓の木々は雪も無く黒々しているのに対して、上の方が白く見えましたので、駅のホームから撮影してみました。
雪であれば全体が雪化粧する筈ですし、樹氷と霧氷の違いのように、旨く言えませんが木が雪を被ってモコモコした感じになります。これはやっぱり雪ではなく、霧氷のように凍っているのではいでしょうか。
私の会社では、年休(有給休暇)とは別に、フレックス休暇(会社の営業日を減らさず個人の労働時間の短縮を目的)と呼ぶ個人で自由に設定できる年5日間の休日(2回まで分割可能で、出来るだけ長期休暇になるように設定を奨励)があります。
私は(旅行に使う訳でもなく、家内には申し訳ないのですが)農作業用に、11月のリンゴ採りと2月の果樹剪定用に設定してあり、ここで建国記念日前後に土日も入れて6連休として、周囲に比べて遅れ気味の剪定作業を一挙に挽回です(この間、家内は又々×4乗?)娘のところに上京です。行ってらっしゃ~い!マセ。
ブドウは1月に何回か週末を使い既に終了していますので、ここでリンゴの剪定開始です。ただこの週は生憎天候が悪く、雪の舞う日や雨の日もありましたが、休ませてもらって職場で働いている同僚のことを思うと、晴耕雨読とは言える立場ではないので、多少降っても有効に使わねば・・・。
さて、リンゴの剪定は、日当たりと樹形、更にどのくらい木に実をならせるかを考えながら余分な枝をはらっていきます。また、最近は枝が下向きの方が養分が蓄えられて糖度が増すことから、「柳の枝のように」と技術指導員の方から言われるように、出来るだけ枝を下向きに樹形を整えていきます。また、残したい上向きの枝は紐で誘引し、下向きになるように矯正をします。
朝から夕刻まで、これで今年のリンゴの出来が大方決まるだけに、慎重に(しかし迷ったら「切る」が正解。切り過ぎた!と思うくらいで良いとのこと)成木一本に小一時間ほどかかり作業すること6日間。途中雨で我慢できず半日は断念。むしろ雪の日の方が(雪は払えば落ちるので)まだ作業ができますが、冷たい雨に濡れ、あまりの寒さに手足が悴んで凍えてしまいました。そして最終日の6日目の日曜日の夕刻、漸く60本全て終了しました。あ~しんど!
写真は、剪定のビフォア・アフターです。写真でも違いがお分かりいただけるかと思います。また、作業中の雪降りの日の様子(手前の枝は梅の木です)。
次は4月下旬頃からの摘花作業まで一休みです。
いよいよバンクーバー冬季オリンピックが始まりました。
新聞報道によれば、日本のメダル予想は7個とか。うーん、今回は期待するのは止めにします。確か前回のトリノも金メダルだけで大会前の予想は3~5個だったような・・・?。TV桟敷で何度ため息を付いたことか。大体マスコミが(視聴率狙いか)煽り過ぎです。
だから今回のバンクーバーは、非国民宣言で、もうメダルは期待しません。
因みに前回のトリノで一番凄いと思ったのが、皆川賢太郎選手のアルペンでの4位入賞でした。メダルには惜しくも届かなかったとは言え、アルペン種目で(伝説の猪谷千春の銀メダルは別として)不毛のアジア勢が入賞することなど、まさに快挙としか言いようがありません。もっと(当時のマスコミに)騒がれても良かったと思います。ただ、メダルの有無で取上げ方も天と地ほども違うので、出来れば、あと一歩だった表彰台に是非とも上がって欲しかったのですが・・・。
今回も色々なドラマが生まれることでしょう。メダルには関係なく、戦い終わってそれぞれが「自分を褒めてあげたい!」という結果になることだけを期待しています。頑張れ!(+やっぱり「日本!」だなぁ)
コン・シー・ファー・チャイ!(正しくはGong Xi Fa Cai)
今年の旧正月(Chinese New Year)は、2月14日からとか。
因みに多民族国家のシンガポールでは、マレー正月(イスラム教の断食明けのハリラヤプアサ)とインド正月(ヒンドゥー教の光のお祭りであるディーパバリ)を合わせて年4回、お正月(祝日)としてお祝いします(元旦は日本人くらいですがNew Year’s Dayとして国の祝日です。但し2日から出社)
16年前のシンガポール時代の部下から、ありがたいことにいまだにクリスマスや、お正月のグリーティングに併せて近況報告が届きます。もう既に会社を去った彼等です。
余談ですが、錆付いた英語で返信すると、赴任中の秘書(もうリタイアして主婦業ですが)からは当時を懐かしんでか、笑いながら「またスペルミスがあった!」と赴任中同様スペルを直して送り返してきます(はぁ、情けナ・・・)。
今回、日本語は読めませんが写真は分かる筈と、H/PのURLを貼付したら喜んでくれて、今度何かシンガポールの面白い話題があったらブログ用に報せてくれるそうです。またサポーターが(今度は海外に)出来ました。
(・・・ということで、早速彼女が送ってくれた今年のシンガポールの旧正月の街の飾りつけの様子です)
スタッフからの近況だと、今では、オーチャードがクリスマスで、チャイニーズニューイヤーの飾りつけは改装されたチャイナタウンがメインなのだとか。
淡路島程度の小国ながら、機を見るに敏で且つ良い意味での商魂逞しいシンガポールですから、観光目的の集客目的もあって、夜は今流行のLEDなどでさぞやきらびやかに飾られていることでしょう。
この旧正月の時期、シンガポールの中華料理では、普段は中華では生では食べない白身魚(鯛?)の刺身とポテトチップスのような米粉?の薄いお煎餅をレタスの千切りの上に載せ、甘塩っぱいタレをかけたものが前菜(名前は確かユーシュンとか言ったような?)で必ず食べられます。食べる前に全員で立ち上がって箸で掻き混ぜるのですが、その時に発財(だったか?)と似た音が出るのでお目出度いとされます。
昨年長期出張でシンガポールに行っていた長女が、チャンギに着いた途端不思議と落ち着いたと言っていましたが、それもその筈。特に娘達にとっては物心ついた時に暮らしていた故郷のようなもの。私たち以上に皮膚感覚でそれが残っているのでしょう。またいつか皆で訪ねたいものです。
年明け早々、N響の名誉指揮者でもあったオトマール・スウィトナー氏の訃報が報じられました。享年88歳。
ドレスデン・シュターツカペレを振ったモーツァルトの交響曲のLPは、(多分)どれも学生の頃なけだしの小遣いで買った廉価盤ですが我が愛聴盤でした(中でもリンツはベームやクリュイタンスなどCDも合わせて何枚もある中での我がベスト盤でした)。
放送に拠れば、後年パーキンソン病を患い、指揮棒を持つ手が震えるからと、潔く指揮棒を置いた由。最後の来日が1989年だったと言いますから、ちょうど海外赴任中で、そうした事実も知りませんでした。
決して派手さは無くも、端正で気品と温かみのある演奏でした。放送では、聴きたかったモーツァルトではなく、ブラームスの3番のライブが流されました。
そう言えば、当時のN響は、マタチッチ、サヴァリッシュ、ホルスト・シュタイン、スウィトナーと蒼々たるドイツ・オーストリア系のマエストロばかりでした(マタチッチおじさんは旧ユーゴスラビア出身)。
あの優しい慈愛に満ちた眼差しは忘れられません。マエストロのご冥福をお祈りいたします-アーメン(ここは合掌ではなく)
予約が取れず、前回のトリミングから既に6週間以上も空いてしまいました。
眉毛(目の上の部分の白い毛)も伸びて、何となく白雪姫に出てくる七人の小人のお爺さんの風貌に似てきて、折角の美貌が台無しです。
ここで漸くナナの順番になり、いつものところでトリミングをやってもらって別人(犬!)のように見違えて帰ってきました。やれやれ。
写真は、トリミングのBefore & Afterと、写真を撮った時に、しっかり番犬(外の庭)をしているチロルのお尻・・・です。のけ者にしないように撮影してあげました。
平日の夜、家内が夜仕事をしないといけないとやらで「簡単に外で食べるぅ!」との仰せ。「近くで簡単に」というリクエストに、いつもの岡田六助『月の蕎麦』ではなく、久し振りに『やんちゃ坊』に出かけました。ここは信州大学(以下信大)や美須々ヶ丘高校の近くの追分交差点にある韓国料理店。
10年近く前に、高校の音楽部の先輩が当時信大の人文学部の助(准)教授(現在は教授)をされていて、ゼミの学生さんたちへの講演を頼まれ、講師謝礼無用でとお受けしたお礼に、ゼミの学生さんたちとの食事会で連れてきていただいたのが最初でした。大学に近いこともあり、学生さんや先生など信大の関係者が良く来るお店とのことでした。
信大の周りには、エスニックカレーの「メーヤウ」(お昼は確か食べ放題だった筈)や知る人ぞ知る(今や松本B級グルメの代表格メニューの)山賊焼きの「源太」(何十年も変わらぬ値段とボリュームにきっと驚く筈)、また命名の由来を知り納得の大衆食堂「ピカドン」(先月末の朝日新聞「惜別」欄で11月に亡くなられたご主人の紹介あり)や高級中華のお店など、学生さん向けから信大病院の先生御用達まで結構色んなお店があります。
ここ『やんちゃ坊』は学割(1割引とか)もあり、簡単な定食から本格派焼肉までかなりレパートリーが豊富。韓国人のご家族がやってらっしゃるレストランで奥様が料理を担当されていて、本場に負けない味の韓国料理を出してくれます。
この日は、ムク(韓国風の蕎麦豆腐だそうです)サラダと他店の倍はありそうな自家製ナムル、そして家内が石焼ビビンバ、私がいつもの豚キムチポクム。これさえあればご飯が何杯でも食べられます。辛くて汗をかくほどなので、特に寒い冬にはお薦めです。
実はもう一品チャプチェ(春雨の炒め物)も頼んだのですが、食べきれずお願いして持ち帰りにしてもらいました。
奥様は、韓国料理の本を出版されるなど、ここ松本でも本格的な韓国料理が楽しめます。
ここは家からも近く持ち帰りも可能なので、閉店してしまったチャイナ・スパイスの代わりに、農繁期は今度「やんちゃ坊」からテイク・アウトしようと家内と話しながら帰って来ました。
第92話でご紹介させていただいた、松本の朝6時の音。
『♪故郷』のチャイムに始まり、各お寺の鐘の音が松本の市街地にこだまします。
・・・その筈が、ここ数ヶ月はチャイムの音が聞こえて来ず、耳のせいか、風向きか、まさかここまで不況の煽りか、と気になっていましたが、最近また昔同様に先ずチャイムの音が聞こえ、それから続いて幾つかのお寺の鐘の音が聞こえるようになりました。やれやれです。
ところで、お寺の鐘はてっきりお寺のご住職が毎朝のお勤めで撞かれているものとばかり思っていました。確かに殆どのお寺はそのようですが、家内の知り合いの方のお話によると、その地区のお寺の鐘は檀家のお年寄りの方が毎朝自主的に撞かれているのだとか。
もし、その方がいなくなったらどうするのだろうかと気になりますが、心配無用で、もしそうなると「次は自分が」という方が何人も手を上げられるのだそうです。実際に最近もそうしてキチンと引き継がれ、その後も毎朝欠かさず鳴らされているのだそうです。エライなぁ(ここは信州弁の「大変」の意味ではなく本来の「偉い」の意味で)。
こうして、この寒い冬の朝も止むことなく、毎朝6時にそのうちの一つが鳴らされているかと思うと、鐘の音一つが有難く感じられ、感謝をしながらの散歩です。
『鐘の音(ね)を 撞く心根(ね)が 音となり』(オソマツながら)-合掌
先週東京に出張した際、長女は仕事で毎日深夜族なので、大学生の次女を誘ってデートをしました(・・・してもらいました)。
上諏訪の美味しかった焼鳥屋が拡張移転で味を落としたという評判のため、今回は「どこか美味しい焼鳥屋を探しておいて!」(以前、二人で神楽坂の高級しゃぶしゃぶ店にふらりと入って、後で家内に叱られたので)というリクエストに応えて娘が連れて行ってくれたのが、飯田橋から神楽坂を少し上って右側の路地に入ったところにある『鳥焼 金太郎』という焼鳥屋さん。
しかし、神楽坂はホントにいい街ですなぁ!・・・情緒があって。
一本路地に入って歩いていると、元芸子さんと思しき着物姿のご婦人が「今朝、ウチの子のカンザシ落ちてなかったかしらねぇ?」などとご近所さんに聞いていたりして・・・。おお、今時カンザシですよ、カ・ン・ザ・シ!
さて、「この界隈では評判なんだって」と娘が予約してくれてあった「金太郎」は、平日でもほぼ満員の盛況。真中に八角形のカウンターがあり奥にはグループ用の個室もあるようです。若い店員の皆さんもキビキビしていて気持ちが良く、なかなか活気のあるお店でした。うん、焼鳥屋さんはこうでなくっちゃ!
焼鳥の前に、単品でモロキュウ、クリームチーズの味噌漬け、ピリ辛コンニャク(これは昔家でも作ったなぁ)をオーダー。中でもクリームチーズの味噌漬が絶品!でした。いや、オドロキ。今度家でも試して見ようっと・・・。
お通しには、ちぎった生キャベツに味噌。こういうのって家で食べてもそれ程美味しくないのに、焼鳥屋さんでは不思議とビールに良く合いますね(などと言いながら、「もう一杯お替わり!」)
地鶏の焼鳥は、中心は1本200円から300円でしょうか、田舎より少々高めですが、中には(本日の正肉)、比内鳥や名古屋コーチン、軍鶏などもあり、素材も新鮮でどれも美味しかったです(「赤」という隠語?でオーダーが通されていた、ミニトマトの串焼きが人気のようでした。確かに加熱するとトマトは甘くなりますが・・・?)。
砂肝やレバーも新鮮で、味付けは勿論塩でしたが、美味しかったので無理をお願いしてレバーをタレでも焼いてもらいました。娘はコラーゲン一杯だからとボンチリを追加オーダー。冷酒の手取川が「旨いなぁ・・・」(我家のお嬢様方は家内に似てアルコールは飲まれませんので、この日も娘はウーロン茶だけ)。
ご馳走さまでした。
「高かった?」「いや、そんなことない。まぁ、都会はこんなもんでしょ。」
「う~ん、あんなにお酒飲むからだよ!また怒られない?」
「ぜ~ん然!+?」
「ま、イイかぁー!」
飯田橋に戻り市ヶ谷方面の夜景をパチリ。
「もう、恥ずかしい!写真撮ってる人なんかいないってばぁ!」
「いいじゃーないの、田舎モンなんだからサ。ブログに載せなくっちゃ!」
「娘に付き合ってもらえるだけ、父親としては幸せじゃないの!」とは日頃の家内の弁。確かにそうかも知れません。
「じゃあね」、「ウン、頑張れよー!」・・・と、娘は振り向きもせずスタスタと歩いて行ってしまいました。まぁ、いいか・・・。
遠ざかる背中に向かって小さくもう一度、「頑張れョ。」
1月31日、ハーモニーホールでマチネーにて『大バッハと過ごす至福の時』と銘打たれたブランデンブルク協奏曲全曲演奏会を聴きに行ってきました。
(写真は当日の演奏会用リーフレット)
「松本バッハ祝祭アンサンブル」と名付けられた古楽器オケは、2007年の松本市制100周年を記念して、小林道夫氏を中心に、氏の教え子であるコレギウム・ジャパンなど日本の古楽器合奏団のメンバーで構成されていて、2年前には同じくバッハの管弦楽組曲の全曲演奏会を開催して好評を博し、演奏はCD化もされたとか。今回はブランデンブルクの全曲演奏会で、ホールは満員の盛況でした。
実は、前日の夕刻、前回の『音楽の捧げもの』同様、今回は日を分けて、国立音大の磯山教授によるブランデンブルク協奏曲の講演会も同時に開催されたのですが、今日聴きに来るために剪定作業を夕刻まで行っていたため、そちらは残念ながら諦めました。ブランデンブルクは全曲集をCDでも持っており、耳に残っているので「いいかなぁ」とパス。
やはり、全曲を通しで聴ける機会は稀(ましてやこんな田舎で、しかも古楽器で)なので、駐車場には長野や諏訪ナンバーの車も結構あり、県内のクラシックファンが各地から集まって来られているようでした。
(個人的に注目していた)当日の演奏順は、1-3-4(休憩を挟んで)6-2-5で、やはり有名な5番がトリのようです(因みに作曲された順番は6-3-1-2-4-5)。小林道夫氏が、チェンバロの弾き振りで、コンサートマスターに松本の才能教育で学んだ桐山建志氏と他の古楽器奏者総勢20名の面々。
最初の1番はまだ温まっていないのか、管楽器の乱れもありましたが、5番と並び耳に馴染んだ3番からは典雅な調べがホール一杯に響きました。中でも2番に用いられた古楽器のトランペットが独特の高音で、昔のパイヤールの「王宮の花火」(管楽器だけでの演奏)を思い出しました。
チケット購入が遅かったため良い席が無く、ステージ右寄りの生まれて初めてのフロント席。フル管のオケ程では無いと思いますが、それでもやはり音が頭上を飛んで行き、左右の音のバランスと、特に管楽器が入った時の耳への到達時間が微妙にずれて聞こえ、少々違和感が・・・。でも、音量の小さなリコーダーやフラウト・トラヴェルソなどの古楽器の音色が間近で聴かれ、またフロントならではの演奏者の表情なども楽しむことが出来ました。
やはり音響に定評のある800席のこのホールは、室内楽やソロコンサート向きで響きの良さを実感できます。
休憩を挟んで2時間半を超える長丁場の演奏会。終わる毎に楽器編成が変わり、最後は当日の出演者全員がカーテンコールに応えて何度もステージに登場して、寿ぐ新春の幕開けに相応しい演奏会が終了しました。この日の演奏はライブ録音もされていたようですので、どこかで耳にする機会もあるのかもしれません。
今度は、マタイやロ短調などの声楽曲や、個人的にはテレマンやヘンデルなどバッハ以外の曲も是非この古楽器の祝祭管で演奏してもらいたいものです。
ハーモニーホールでの演奏会は、これからムターや以前シンガポールでも聴いたダン・タイ・ソン、そしてチャイコフスキー・コンクール優勝の上原彩子などのソロコンサートが続きますので、暫くはお休みにしたいと思います。
本当は、3月には県内アマチュア合唱団の木下牧子作品だけの演奏会や、市民芸術館では早グリの松本特別公演、5月には伊那の県文で、バシュメット指揮国立ノーヴァヤ・ロシア交響楽団との上原彩子のチャイコの1番と悲愴もあるのですが、もし5番(そう言えば生まれて初めて買ったレコードが5番だったっけ)なら飛んで行っちゃうけど、今回は我慢かなぁ・・・。
2月3日は節分。季節を分けるという本来の意味では、これで立春。季節の上では春(と言っても旧暦ですが)ですね。そうは言っても未だ“春は名のみの風の寒さや”。
さて、我家でも家内と二人(+チロルとナナも参加して)で娘達への福も祈りながら豆まきをしました。
最近は皮付きの落花生も節分用として売っていますが、(後で拾うのは楽ですが)チト情緒が無いので、煎った大豆を買ってきて、夕食前の夜8時頃「福は内~、鬼は外~」。チロルも外に向かって「ワン、ワン!」。はいはい、ご協力に感謝です。ナナは「一体、何やってるの?」とでも言いたげに首を傾げています。
「こらっチロル!豆食べたらダメだってば!」と家内がチロルと競争で豆を拾い集めています。
昔は、祖母が、秋に収穫した大豆を囲炉裏の鉄の鍋で煎ってくれて、木の枡に入れてまきながら各部屋を回ったものです。茅葺の家でしたので10部屋近くあったような。終わってからは、健康を願って年の数だけ豆を食べて。
松本(少なくとも我家や周辺)では、鰯の頭や柊を飾る風習はありませんでしたし、勿論恵方巻など聞いたこともありません。ま、福が来るなら何にでもあやかってもいいとは思いますが、そうかと言ってコンビニ戦略に乗っからなくてもいいよなぁ・・・。
今シーズンは、日本海側の方々は大雪で大変だと思いますが、これまで松本では雪かきが一度もありませんでした。
松本地方は、冬型の西高東低の気圧配置では、日本海からの湿った季節風が屏風のように立ちはだかる北アルプスに遮られ、日本海側に大量の雪を降らせた後の冷たく乾いた風が“アルプス颪”となって吹くので、気温は寒いものの山からの雪が舞う程度で、殆ど雪は積もりません。時々「長野は毎日雪で大変ですね!」と県外の方から言われる時がありますが、天気予報での「長野」は長野県でも北部の長野市周辺であり、北部の山沿い地方は日本海側の影響を受けますので確かにかなり雪が降りますが、中部の松本は太平洋側の気候の影響を受けますので、参考になるとしたらむしろ甲府や東京です。
さて、例年松本に雪が積もるとしたら、太平洋側にも雪を降らせる春先。2月から3月にかけて地元で「上(カミ)雪」と呼ぶ、湿った雪が20~30cmほど積もる時があり(年によっては4月の入学式や入社式に20cmくらい積もった年もありました)、これからがむしろ雪かきの本番かもしれませんが、松本の住人としては、今年はこのまま雪かきが無いと楽なんですが、と思っていたところ・・・。
2月1日の午後から、本格的な雪降りになりました。関東平野でも積雪が予想されるなど、いわゆる「上雪」です。
歩き辛いシャーベット状の雪に足を取られながら、上諏訪駅に着くと、飯田線が雪による倒木で運休とか。その後中央線も高尾・大月間で雪のため架線に垂れ下がった竹のため普通になるなど混乱が続いたようです(翌朝、東京のオフィスから出張してきたメンバーは、夜相模湖付近であずさが動かなくなり車中で夜を明かしたとか。お疲れさまでした)。
松本は深夜には雪も止んで、積雪も思ったほどは積もらず、我家周辺で7cmくらいでしょうか。
翌朝、犬の散歩の前に終わらせねばと、5時前からこの冬初めての雪かきをしましたが、一旦融けて明け方凍ったのか、凍結してガリガリ状態の所もありましたが、建物の北側を除き雪は思いのほか少なめで、少々拍子抜けでした。
早く終わったので、道路沿いの歩道スペースや、ゴミステーションの前も雪かきをしておきました。
さて、お待ちかねの散歩に行きましょうかネ、チロル。
凍結で道路も渋滞するかと思い、いつもより早めに家を出たのですが、渋滞も無く10分も早く駅に着いてしまいましたので、ホームに入線する電車を待つ間、雪の松本駅をパチリ。
いつもは松で黒く見える山々も、また葉を落とした木々も、雪の花が咲いたように真っ白く雪化粧の朝でした。
1月24日の都道府県対抗男子駅伝を以って、「私の」駅伝シーズンが終了しました。
師走の都大路で連覇ならず佐久長聖4位。都道府県対抗は、連続入賞ならず女子19位、三連覇ならず男子は5位と、長野県勢としてはちょっぴり残念な結果ではありましたが、それにしても都道府県対抗での福島・佐藤敦と兵庫・竹沢のデッドヒートは見応えがありました。駅伝ファンとしては、これに佐藤悠基が絡んでの三つ巴が見たかった!と思ったのは私だけでしょうか?
長野チームも、個々には、中学生の頑張りと、ケガで苦しんだ長聖エース大迫の復調、東海大スーパールーキー村沢の活躍と、そして昨年は不調に泣いた社会人一年目のアンカー佐藤悠基の10人抜きの快走などもあり、チームとして捲土重来での来年度のV奪回に期待します(ふるさと選手はチーム一人しか走れないため、もう一人のエース上野は今回は出場できず)。
大迫は、西脇工の志方と共に早稲田へ進むとか(中山Jr.を始め各高のエース級ばかり集めて大丈夫でしょうか)。東洋大・柏原と東海大・村沢の5区山登りでの一騎打ちなるか?も含め来年の箱根も楽しみです。
さて、早くも来年度の都大路を占う前哨戦、全国から男女強豪高が集まる春の高校伊那駅伝が3月中旬に行われます。各高新チームの走りが今から楽しみです。