カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 我家の玄関脇に自然に生えたのススキの株があります(ジャマなので抜こうとしたら、庭のリフォームの折にガーデナーの方から風情があるのでそのまま残すようにと)が、先週くらいから穂が出始めました。また、今年はお盆前から虫の鳴く声が聞こえています。
 最初はコオロギくらいだったと思いますが、最近ではキリギリスの仲間ウマオイも。地元ではその鳴声から「スイッチョ」とか「スギッチョ」とか呼ばれていて、「スィーッ、チョン。スィーッ、チョン」と鳴く声が庭にこだまします。

 ところで、時々虫の名前(正式な)を忘れてしまった時など、唱歌『虫の声』は便利です。「♪あれ、ススムシが鳴いている。リンリンリン、リーンリン」という(昔は?)お馴染みの童謡です。歌詞中に「遅れてウマオイ鳴き出した。チョンチョンチョンチョン、スーイッチョン」で、「あっそうか、ウマオイだ」と思い出した次第。

 信州では、朝晩はすっかり秋の風情です。

 さて、先週は寒気の入り込みとかで全国的(特に東日本)にも涼しい日が多かったようですが、ここ信州松本は、先週一番低かった時で最高気温が25℃で最低気温は何と15℃(9月中旬の気温)とか。朝晩などは涼しいを通り越して寒いほどでした。このままだと果樹の糖度が上がるかどうか心配です。今年の全国的な長雨と北日本の冷夏・・・。北日本ではイネの作柄が心配されているようです。日本列島は、我家の果樹も含めて、今年もちゃんと「実りの秋」を迎えられるのでしょうか・・・。

 先日、前の職場時代の部下が育児休業明けの挨拶に来てくれました。
彼女の嫁ぎ先は松本市今井地区(まつもと空港の西南部)のリンゴ農家。岡田地区同様4月下旬の遅霜に加え、更なる7月の局地的(松本市の西南部から塩尻市西部の洗馬地区にかけての一帯)な降雹(ヒョウ)で彼女の実家のリンゴは壊滅的な状態とか・・・。
昔、台風でリンゴが全部落ちてしまった後などに、父が『お天道様とケンカしてもしょうがないさ・・・』と悟ったような言い方をしていましたが、お百姓はそう自分に言い聞かせるしかないんでしょうね。しかし、(そうは言っても)被害を受けられた農家の方々は、本当にやり切れないと思います。幸い下岡田地区は遅霜被害だけでした。

 さて、リンゴも早生種の「つがる」や「サンサ」(我家にもサンサが2本だけ)の収穫がそろそろ始まっています。また、例年ですと我家でも9月の中旬頃から、ブドウ「巨峰」の収穫が始まります。
(注記:写真の左は真っ赤に色づいたサンサ。右側が2房だけ袋を外して撮影した巨峰。まだ色づきが緑と紫のマダラですが、あと2週間もして全部が濃い紫色になると、糖度を確かめた上で収穫となります)

信州でも、実りの秋本番がもうすぐやってきます。

 今日は、夕刻から『24時間テレビ』(日テレ系)です。
 この番組のエンディング曲『サライ』。谷村新司作詞・弾耕作(加山雄三)作曲。因みに「サライ」というのは、「ふるさと」や「オアシス」を意味するペルシャ語なんだそうですね。
 海外赴任中だったため経緯は全く知りませんでしたが、ちょうど最近連載されていた日経新聞『私の履歴書』(「加山雄三」編)によれば、92年の『24時間テレビ』の番組中の作詞作曲とか。しかも『故郷』をテーマに番組へ寄せられた1万8千にも及ぶメッセージの中から、実質的に5~6時間という制限の中で選ばれた断片を繋ぎ合わせ作詞され、作曲されたものだそうです。

 「故郷」をテーマにしたこの曲は、今や番組を飛び越えて、海外赴任者にとってバイブルとも言える曲です。
欧米は分かりませんが、少なくとも東南アジアに暮らす日本人赴任者は、何かあると、取り分け帰任者の送別会の締めに、皆口に出さずとも故郷への思い立ち難く(先に帰国を果たすメンバーをちょっぴり羨みつつ)、全員で輪になって肩を組んでこの歌を涙ながらに熱唱したものです。

 特に日本を離れ異国に暮らす邦人にとって、離れたことで余計、誰でもが、それも自然に母国日本を、そして自分が日本人であるという民族の血を良かれ悪しかれ認識するようになります。それが自身の究極のアイデンティティーであるかのように・・・。
       
 そう言えば、以前訪れたハワイ島郊外の海辺のさびれた小さな墓地で、日本式の古い苔むした墓石の一群が、皆故国日本のある西方に向かって立っていたのが何とも心締め付けられるようで印象的でした。

 大ヒット曲ではないのかもしれませんが、そんな在留邦人にとって心の拠り処とも言える曲が、(おそらく)『サライ』です。



 第26話でご紹介した、『岩魚の骨酒』。
 その時の面々(大先輩のお一人がここで定年のため、いつものメンバーで、その非公式な激励会を兼ねて)で、先日またその小料理屋に行ってしまいました。勿論お目当ては「骨酒」です(公式の激励会は、別途自分も幹事で今回のメンバーも参加で設定しているので、ただ骨酒を飲むための理屈付けだったかも・・・?)。

 聞けば、前回の感動は皆同様だったようで、中には(有料の安房トンネルを避け)木曽福島から開田高原を抜け高山方面にドライブがてら道の駅までわざわざ「骨酒セット」を買いに行ってきたというツワモノもいました。それには岩魚の真空パックと竹筒が入っていて、熱燗三合まで楽しめるのだそうです。確かにネットで検索すると、通販では岐阜県が本場のようです。中には岩魚を粉末にしてティー・バッグ状にしたアイデア商品(特許出願中とのこと)までありました。
また他のメンバーの情報では、中央道長野線(長野道)の梓川SA(松本IC・豊科IC間)にも同種のセットを売っているとか、堀金の道の駅にも骨酒用の岩魚だけなら売られているとのこと。
 その大先輩が、今度(定年前に)岐阜の田舎のご実家に帰省して来られる際に、隣村に製造されているところがあるようで、『骨酒用の岩魚の燻製を探して来る!』と酔った勢いで(?)宣言されましたが、ちゃんと覚えてるかなぁ?

 やはり、皆骨酒の虜になってしまったようです。しかし、それも良く分かります。確かにそれほどの(飲兵衛にとっては)魅力が骨酒にはあります。

 なお今回は、特別に(=飲兵衛のために)岩魚を2匹入れていただいたとのことで、3回お替わり(通常の一匹だと2回まで)が出来ましたので、一人2合ちょっとの骨酒を堪能することができ、満足満足!(今回もその後にひれ酒をしっかりご注文)
相変わらず美味しかった骨酒そのものの様子は、記載してもその内容/形容が全く変わりませんので、お手数ながら第26話を参照ください。

【追記】
上諏訪には他にも昔ながらの小料理屋で骨酒を出してくれるお店があるのですが、残念ながら松本では全く(噂も)見かけません。ところが、一度連れて行っていただいたことがある松本駅近くの「居酒屋一心」でも(ご主人が天然岩魚の大物を釣って来られた時だけ)岩魚の刺身(時価)と共に岩魚の骨酒も提供可能とのこと。
また、既にリタイアされた大先輩と先日久し振りに飲んだ時の情報では、松本ステーションホテル内のレストラン「木葉(コヨウ)」にも骨酒があるそうです。いやはや知らなかっただけで、(飲兵衛にとって)有難いことに松本でも骨酒に出会えるお店が幾つかあるようです。



 今年は、(7月15日の関東甲信地方の)梅雨明け宣言以降も毎日雨ばかりの日が続きました。全国的には、平年の1.5倍の降水量を計測した地点もあるとか。例年ですと、7月の日照りが続くと、果樹への定期的な潅水は欠かせませんし、また庭木の中でも、特に芝生は定期的な散水が欠かせません。
 ところが、今年は雨が多かったため、お盆前まで果樹は勿論、庭木や芝生も梅雨以降は殆ど水撒きをしないで済みましたので、それほど雨が多かったことが分かります。

 一方、雨のお陰で、果樹の玉伸びは勿論、果樹園の雑草(異常なほど!)や芝生の伸びも例年以上です。あとは今後の天候次第で糖度がちゃんと出るかどうか・・・?

 さて、なかなか時間が取れず(果樹園の草刈をお盆休みにやっとのことで済ませて)この週末、一ヶ月ぶりに家内の命令一下、一日芝生の草取りをしてから翌日芝刈りをしました。写真は草取りと芝刈り前の芝生の様子。雑草は芝と葉形が違うので、丸い葉は勿論同じイネ科であっても嫌になるほど良く目立ちます。
芝生も言ってみれば雑草なので、雨のお陰で今年は異常な程の成長ぶり。一方、日本の梅雨と暑さは芝生にとっては天敵でもあります。水はけが良くないと、湿気と暑さで蒸れて根腐れから枯れてくることがありますが、我家の芝生ガーデンも所々枯れ気味の部分が幾つか・・・。犬のオシッコも芝生でされると同じようにその部分だけが丸く枯れてきますが、今回は10ヶ所近くもありますので、チロルやナナのせいでも無いようです。
これは、雨で伸びが良く刈り込むことで更に芝芽が増え密集してくるのですが、以前ガーデナーの方から庭のリフォームの際に、『ここの土はいい土だけど粘土質なので水はけを考えて、芝の芽土には一般にホームセンターで売っている芽土よりも川砂の方が良い。』とお聞きした通りで、(芝貼りの時は教科書通りに大量の芽土を購入して使いましたから)今年のように雨が多すぎると逆に密集したことで恐らく蒸れて枯れてしまったようです。

 何事も『過ぎたるは及ばざるが如し』で、全て上手くとはいきませんね。


【追記】
写真で、筋のように細長く枯れたように見える部分は、長く(5~6cm)伸ばし過ぎて根に近い茎の黄色の部分まで刈り込んでしまったため(芝刈り機の刈り高は20ミリに設定)。これは全く問題が無く、すぐに葉が伸びてきてまた一面の緑になります。一方、別の写真での楕円形の部分が、湿度と暑さで蒸れて枯れた個所です。芝の生命力は旺盛なので、長雨の時期も過ぎましたし、恐らく徐々に回復していくとは思うのですが・・・?
とにかく、特に7~8月の成長期はこまめな芝刈りが大切です(・・・と反省)。

 以前ご紹介した通り、我家の庭は、昨年秋のリフォームでも自作の作庭時のコンセプトを残して頂いて、「雑木林風のクリスマスローズのシェードガーデン」、「芝生ガーデン」、「(ロックガーデン風)フラワーガーデン」、「ハーブガーデン」の4つの部分に分けられます。

 このフラワーガーデン部分は、以前ハーブガーデンだったところで、ミントに駆逐され、すっかりミントガーデンと化していた部分。昨秋からの庭のリフォームで一番変わった(ミントの跡形も無くすっかり見違えた)部分です。

 春咲きと秋咲きの花々が多い中で、春の植え替えや花の期間が長い植栽を選んでいただいたのか、盛夏の中でも暑さに負けず、幾つも花を付けているものがあります。



 そんな、我家の夏の庭に咲く花々です。
(最近文章ばかりだったので、写真を掲載するためにさして内容もありませんが、恐縮ながら敢えて話題にしてみました)
【注記】
柏葉アジサイの真っ白い花が、最後ピンク色になる(種類がある)とは知りませんでした。また、デルフィニウムも花が枯れた都度花枝を切り詰めているのですが、まだ花芽が出てきます。

 諏訪湖の花火と言えば、毎年お盆の15日に50万人の人出を数えて行われる真夏の風物詩。湖上という打ち上げ台の立地を活かした半球状の尺玉の水上スターマインと2キロに及ぶナイアガラがハイライトです。そして、9月の第一土曜日(今年は9月5日)に行われる新作花火大会も、最近はお盆ほどではないにいても30万人の人出とか。諏訪湖の夏の宵は花火一色です。

 そして何年か前から、その本番を更に盛り上げるために、観光協会が7月下旬(今年は8月1日)から9月の新作花火大会前日(9月4日)まで、何と毎夜花火を打ち上げています。夜8時半丁度に開始され15分間。結構な数(毎晩800発とか)の花火が打ち上がり、最後はちゃんと尺玉で打ち納めです。
       
 数年前、会社のお客様と諏訪湖畔の旅館で会食の際も、その時間になり、お客様を誘ってビール瓶片手に皆で湖畔端に繰り出して花火見物をしました。

 本番の花火大会はもの凄い人出と、何より上諏訪温泉の旅館ホテルの「書き入れ時」で、この日だけはどこも数年前から予約が一杯。県外からは見に来ることすら困難ですから、3万発とも言われる本番とは比べるべくもありませんが、毎夜打ちあがる花火をお客様もすっかり喜んでいただけたようでした。

 15分間とはいえ想像以上に楽しめ、しかも(観光振興目的であれ)1ヶ月間以上毎日打ち上げるというのもスゴイことです。もし来られる機会があれば、上諏訪の夜の八時半をお見逃しなく!
【注記】
先日、上諏訪駅のホームから携帯で撮影しましたが、やはり上手く撮れませんでした。(ホンモノはもっとキレですので)悪しからずご了承ください。

 夏の甲子園大会。長野県代表の長野日大高校が2回戦も勝ちました。しかも夏は初出場で、作新、天理と伝統高・強豪高を接戦で下しての見事な16強です。
嘗ての野球王国長野(教育県と一緒で戦前の話です・・・トホホ)も、最近では初戦敗退ばかりで、あっと言う間の短いナツなのですが、今年は暑中どころか残暑まで勝ち残り、長野県民にとっては久方ぶり(7年とか)の「熱く、長~いナツ」を楽しませてもらっています(雨で二日順延となったためTV観戦が出来なくなったのが残念ではありますが)。

 一回戦で勝った後、地元紙(朝日長野版)に載った中原監督(注記:夏の全国最多出場記録を持つ松商学園の前監督)のコメント。
(自ら「長野のイチロー」と呼んだトップバッター新村選手の5打数3安打4打点の活躍に)『長野のイチローなんて言って悪かった。おまえはもっとスケールが大きいぞ!』(注記1)

 いいですね、誉めて伸ばす。人材育成は斯くありたいものです。

 そして、今大会でいいなぁと思ったコメント。
不祥事での半年間の対外試合禁止を乗り越え京都府大会を勝ち抜き、一回戦で中京との古豪対決(今大会の最多出場記録の一位と二位同士の対戦)に敗れた平安の原田監督の試合後の談話。
『(伝統校の)平安の監督が言うべきじゃないかもしれないけど、良く(選手達が)ここまで連れてきてくれた。(エース降板の後2番手で3回から無失点と好投した)出村(投手)が一番輝いていた。』

いいなぁ、こういう子供達への信頼感って。

同じく中京に2回戦で9回土壇場で追いつくもその裏サヨナラホームランで惜敗の関西学院。70年ぶりの夏出場と夏1勝。敗れた広岡監督の談話。
『心技体すべてにおいて相手が上だったが、(選手達は)良くやってくれた。この戦いぶりを後輩たちが受け継いで欲しい。また70年かかるかもしれませんが・・・』

幸せですよね、こういう包容力のある監督の下で一緒にやれて。


 年を取ると、“優しき敗者”のコメントについ涙腺が緩みます。

 さて、長野日大の三回戦は、その平安と次戦にも勝った中京。何の因果か、はたまた勝利への試練か、初出場校の長野日大は伝統高とばかりの試合が続きます。2年生が多いだけに、一試合でも多く経験して、来年に向けても甲子園で大きく成長してもらいたいものです。
【注記1】
91年の春のセンバツで、当時松商学園を率いていた中原監督は、上田佳範投手を擁し松商が準優勝(夏はベスト8)した時、一回戦で「鈴木一郎」がエースだった愛工大名電と対戦し勝っています。
中原監督は実際に目の前で本家イチローと戦っているんですね。



 もう何年も前に誕生日のお祝いにと、長女が(当時は学生でしたから泣け出しの小遣いの中から)買ってくれた少々大ぶりの「ぐい飲み」。
家内曰く「大甘」な父親としては、何年も大事に大事に使ってきたつもりです。
  “飲兵衛”(とタバコ)を心配する娘達ですので、本当は酒飲みに加担するようなグッズは「心ならず」なのでしょうが、休肝日は別として、ビールとそのぐい飲み一杯分の冷酒が自宅での晩酌の適量。
      
 先日、いつものようにぐい飲み一杯の冷酒を飲んだ後、濯いで流しに入れようとした時に、どうしたことか手を滑らせて落としてしまいました。途中、咄嗟に(元バレー部らしく)足の甲(反則ですが)で受け止めようとしたのですが、レシーブならず結局床に落として割れてしまいました。
「エーッ!どうしよう?せっかく買ってもらったのに・・・。」
しかし、腹水盆に帰らず。形あるものいつかは壊れる・・・。
自分の不注意でもあり、諦めざるを得ませんでした。

 暫くたったある日の夜遅く。
漸く仕事が終わったのか、上の娘から家内に電話があったようです。
母娘の会話で「ふ~ん、そうなの。でもさぁ・・・云々」と、父親の入る隙間も無く・・・。
すると、家内が「・・・あっ、だったら“ぐい飲み”買ってあげてよ。大事に使っていたのを、“私が”この前洗う時に落として割っちゃったものだから。“すっごく”落ち込んでいるから、替わりのを買って贈ってあげてよ!」

 そう言えば、私の誕生日が近づいていました。どうやら父親への誕生日のプレゼントの相談だったようです。
勿論、割ったのは家内ではなく、自分なのに・・・。かたじけない。
あっ、いけない。また涙腺が緩んできた・・・。ウルウル、グスン。
皆に深謝でありました。   

 そして、次女のところに家内が家事手伝い?に週末上京し不在の日曜日の朝。今度は次女から、午前中は家にいるようにというメールがあり、「菊姫」の吟醸が宅配便で届きました。この前出張で夜会った時は「お金無くてゴメンね」と言っていたのに・・・。しかも、酒も飲めない彼女です。ネットか何かでどれがいいか調べたのでしょうか。バカだなぁ、高いのに。
そして、夕刻高速バスで戻った家内が、上の娘からのぐい飲みを預かってきてくれました。それも、桐の小箱に入った、少し青味がかった白い釉薬の「萩焼」のぐい飲みです。就職したとは言え、自身の将来の夢に向かってお金を貯めている彼女です。バカだなぁ、高いのに。
きっと二人で相談し、それぞれ分担してくれたのでしょう。

 その夜、娘達と家内に感謝しつつ、冷酒(菊姫は勿体無いので何かの時まで大切に保管)を一杯だけ、そのぐい飲みでいただきました。
何だかいつもよりちょっぴり“しょっぱかった”かもしれませんが、でも「う~ん、旨いなぁ・・・。」

 家内が娘のところに上京し不在の8月8日の土曜日。「××のいぬ間」に、何年かぶりで夏の甲子園大会の開会式をテレビで(じっくりと)見ました。

 最近は、高校生諸君の初々しい司会進行に代わりましたが、昔は「オジサン」の「選手ぅー入場ぉーっ!」という合図で先ず鳥肌が立ち、山田耕作作曲「開会式行進曲」(この時しか演奏されませんがいい曲です)が演奏されゲートから高校球児が姿を見せるともういけません、涙腺が緩んできます。全高校が整列してのホームプレート方向への一斉行進・・・号泣です。
 そして大会歌「栄冠は君に輝く」(名曲だなぁ)が、大会旗掲揚と選手退場時に歌われます。
その昔、歌詞の一般公募で入選した作者は、故あって自分の名前を伏せて後の奥様の名前で応募し、20年経って真実が明かされたという逸話。
     
 昔は誰もがそうだったように、野球少年だった子供時代。(中学で軟式野球部に入って活躍し)地元の名門高野球部(松本では松商)に入って(エースになって)甲子園に出て(勿論優勝し、ドラフト1位で)巨人に入る(で勿論エース)・・・というのが夢物語ではなく、野球少年としての必然なる「既定路線」・・・。

 中学入学後、担任の薦め(命令?)で何故か(理由は結婚式の時に先生が明かしてくれましたが)バレー部に入り、何十年も経って「高校生」では(遥か昔に)なくなった今も、「甲子園、待ってろよー!」と叫びたくなる衝動に駆られます(・・・そんなアホなって。でも実際にそんな元球児たちの気持ちを実現させたのが「オヤジたちの甲子園」ですよね)。

 さて、現実に戻って・・・(キチンと調べもせず記憶のままで恐縮乍ら)
星陵と箕島の延長戦でのまさかの落球、江川の雨中の満塁押し出し、原辰・津末の東海大相模に延長で勝ったカクテル光線下の鹿実“定坊”の力投、松井の5打席敬遠、松坂の決勝戦でのノーヒットノーラン・・・。その裏で、怪物のいた作新第二エースだからこそのドラフト指名、また敬遠後の明徳エースのその後の野球人生・・・。
 もし筋書きを書こうとしたら、余りに「嘘っぽい(クサイ)」ドラマの筋書き過ぎて・・・と、誰も書こうともしないストーリーが展開される不可思議。必然足り得ない偶然が引き起こす、結果としての必然性が感動を呼ぶのでしょう。

 一方、誰もが唯一必然であって欲しいと願ったのは、夏ではありませんが、一足先に春のセンバツでの沖縄県勢(尚学)の初優勝。あの時、私のように戦争を知らない世代を含めて日本国民の全員が沖縄球児達の優勝を祈ったに違いありません。それは、唯一国内での戦場となり、その後も占領され続けた沖縄への(沖縄県民以外の)日本国民全員の贖罪だったような気がします。
優勝決定後、確か、後にも先にもあの時だけ自然発生的に起って観客席を一周した万歳のウェーブが、全国民の気持ちを代表してくれているかのようでした。
8月15日には必ず黙祷を奉げる夏の甲子園。そのナツにいつか沖縄勢が勝った時、初めてこの沈黙なる贖罪は完結するのでしょうか。

 今年の夏も、誰も決して書かないような筋書きが、まさかの偶然の積み重ねとしての必然性を以って甲子園に展開されることでしょう。




 (第116話の続き)6時半過ぎに松本に到着。夕立でも来そうな怪しげで真っ黒な空を見上げつつ、皆の一番期待の「たけしや」へ足早に駅から北へ徒歩で向かいました。10分ほどで到着。まだ早いせいか、お客さんは誰もいらっしゃいません。昔は、ホントお世辞にも綺麗な店ではありませんでしたが、今では同じ場所で建替えられて見違えるほどです。また、麺そのものも、昔は信州蕎麦と見紛う程に黒くて太かったように思いますが、今は相変わらずの太麺ですが、普通の中華麺にギトギトで甘目のソースが良く絡んでいます。
 さて、昼頃お電話してあったので、「ああ、お電話の・・・」とすぐ分かっていただき、オーソドックスのヤキソバ(並)と、生卵入りの二つとビール(キリンのラガーというのがいいですね)を注文。初めての面々は、すぐに出てきた「ヤキソバ」に興味津々。気を利かせていただき、人数分の取り皿で小分けして・・・(痛み入ります)。
最初は我々だけでしたが、そのうち会社員の方が一人で夕食(ここには「ヤキソバ定食」があるんです)を食べに来られたり、また持ち帰りはひっきりなし。相変わらずの繁盛で何よりです(壁には「まいう」と書かれた“石ちゃん”の色紙が何故か一枚だけ貼られていました。因みに同僚の一人は、松本での葉加瀬太郎のコンサートの中での「私もたけしやのヤキソバ食べました!」と言うトークで興味を持ったのだとか)。
 心配した同僚達の評価(賛否両論かと思ったら、意外にも)は「リピーターになりそう!」、「気に入りました!」などなど全員が高評価。良かった、連れてきた甲斐があったと言うもの。あっという間に皆で平らげ、「たけしや」を後にしました。
 途中(すぐ斜め横)「ここが蕎麦のシーキューブ(第82話を参照ください)だよ(昼間のみ営業)」と紹介しつつ、次なる「どんぐり」へ駅方面に戻る形で徒歩10分。

 道すがら、東南アジアのスコールのような大粒の雨粒が落ちてきます。何だか、日本の夏は亜熱帯に近づいているような・・・(事実、東京では亜熱帯のポトスやインコが野生化して生息しているのだとか)。

 8時頃でしたが、「どんぐり」は、老若男女のカップル(どうやら大昔の高校生や旅行客も?)や家族連れで半分ほど席が埋まっていましたが、無事座れました。多少お腹も満たされつつあり、またここのボリューム感もあって、スパ(ケンタロウスペシャルだったか?)一品とサイドメニュー一品(チョリソー)と、デカンタでワインを紅白注文。妙齢を過ぎつつある面々には「もたれるかも」という心配もありましたが、結果ちょうど良かったかもしれません。
 30数年振りに食べましたが、(個人的には)昔よりさらにお洒落っぽくてなっているような気がして「スパゲティー」と言うより「パスタ」に近く、B級とは言えずA´に近いかなぁ・・・という感じは変わりませんでした(やっぱ、ヤマナミの方が正統派B級かなぁ)。でも、メンバーは他のテーブルも見回しながら、ここのボリュームに感動していました。

 昭和横丁はすぐ対面だったのですが、大昔の高校生の面々は現役とはいかず、その場所と雰囲気を確認しただけで、ショットバーでもなく食後のコーヒーと相成りました。そこで、諏訪に帰るメンバーの電車の時間調整で、松本駅の「スタバ」でツァーの感想を交換。皆一応松本の「B級」に満足していただいたようです。
「やっぱ、ヤマナミ行かなアカン!」、「じゃあ、今度は串揚げとセットで」・・・
と一応再設定の「口約束」を交わし、それぞれ家路に着いたのでありました。

 私メは、少々モノ足らず(かと言ってラーメンを食べるほどの根性も無く)、家で飲み直したのは言うまでありません・・・。



 会社の同僚から是非にというリクエストに応えて、8月上旬に『松本B級グルメ・ツアー』を企画・実施しました。
 B級ですので、高級ではなく庶民的で且つ(勿論)美味しいこと。そして、他の店に無いような特徴があること。更に加えて、昔から続く「歴史と伝統」に裏打ちされていること(・・・大げさな)。また、平日に仕事を終わって上諏訪からの電車移動ですので、郊外は断念して、松本駅周辺の徒歩範囲にあること・・・などと幾つも条件を挙げて、全てに当てはまる訳ではありませんが、結果独断と偏見で選んだのは・・・、

1.ヤキソバのたけしや(西堀)
2.スパゲティーのヤマナミ(駅前大通り)
3.昭和横丁の串揚げの夢屋(駅前)
4.締めのラーメン・餃子?(駅前)・・・但しここまで(胃が)もてば
の四店舗を、はしごしながらの食べ・飲み歩き。

 『たけしや』は、その昔、部活帰りのお腹をすかせた高校生御用達の店で、太麺のヤキソバだけで40数年。『ヤマナミ』も同様で、ナポリタンの甘めの麺で、何年も前に惜しまれつつ閉店し、その後何度か場所を変えながらも復活。今も大昔の「高校生」が懐かしがって通う店。但し、どうやら賛否両論ありそうです(因みに家内からは懸念の声が・・・)。しかし、松本でB級と言えば、誰が何と言ってもこの二つは絶対に外せません(心配して「ヤマナミ」よりせめて『どんぐり』を、という暖かいアドバイスもありましたが、それだと少々「ちゃんとした」“洋食屋さん”「ぽく」なってしまいます。確かに当時も「男の子同士ならヤマナミでいいけど、女の子を連れてくならどんぐりへ」というのが定説でした)
 ところが、水曜日(会社の「ノー残業デー」)は「ヤマナミ」が定休日で、必然的に幸か不幸か『どんぐり』になりました。
 昭和横丁は、決して古くはありませんが、昭和30年代風のレトロなセットに、焼き鳥や大阪風串揚げ、ホルモン焼きなどのB級ジャンルの店が入っている寿司の王滝グループのプロデュース。
 ここ以外にも、会社の友人から「B級なら」と薦められた駅裏の古いモツ焼きの店は、モツが苦手なメンバーもいて断念。また、洋食の『盛りよし』や、中町の日本風カレーの蔵作り店『デリー』、郊外まで足を伸ばせば山賊焼きの『源太』など、昔からの松本のサラリーマンや信大生御用達(味とボリュームで)の店もありますが、今回は何軒も回りたいため、小分けしやすい麺類中心とあいなりました。

 最低でも4軒はハシゴしようという前提のため、味見程度ということで、事前に「たけしや」と「どんぐり」には(大胆にも?)電話で主旨を説明しお願いをしてみました。
 「どんぐり」は、「ドリンクさえ人数分オーダーいただければ構いませんよ」というありがたきお言葉。「たけしや」は、何と「えぇえぇ、ありがとうございます。是非お越しください」とご快諾。むしろこちらが恐縮してしまいました。きっと、これが味だけではなくて、ヤキソバだけで長く続いた理由なのかもしれませんね。

 当日は残業無しで終業後皆一斉に退社し、電車で松本に向かいました(後半第117話に続く)。



 8月23日までのとのことですが、松本にもう一つの“音”が期間限定で加わりました(第92話参照ください)。
 それは、10年前に復元された松本城太鼓門北側に作られた高さ5メートルの仮設の『太鼓楼』から、定期的に打ち鳴らされる太鼓の音。その昔、藩士たちに登城を知らせ打ち鳴らされた大太鼓の音です。我が家はお城から、恐らく2.5kmほどですが、風向きによってはここまで聞こえてきます。

 7月の三連休に屋外で農作業をしていて太鼓の音が聞こえたのですが、近くにある信州大学こまくさ寮の学生自治会か、浅間(温泉)の松本球場での夏の高校野球県予選の応援かと思っていたのですが、翌日の地元紙によると、ちょうど19日に太鼓楼のお披露目で太鼓が打ち鳴らされたとの記事がありました。
 太鼓門復元完成10周年の記念として、設計図面が残っていないため正式な復元とは見做されず、8月23日まで仮設として幕末当時の絵図を参考に太鼓楼が作られ、そこに設置された大きな太鼓から8月の1日から23日の週末だけ、子供達(見学用とか)向けに午前9時から11時までの間に4回鳴らされるのだそうです。

 また7月末には、お城での「太鼓祭り」も併せて行われたようで、その日は一日中太鼓の音が市中に鳴り響いてきました。

 アルプスの城下町、信州松本。
松本城から往時を偲ぶ時の音が、蝉時雨に包まれて夏の城下にこだまします。

 8月3日に近畿・東海が梅雨明けとの報道がありました。関東甲信だけは、「なぜか」7月15日?だったか梅雨明け宣言が出され、実際15・16の両日だけは朝は快晴でしたが、その後「梅雨の戻り」などという生易しさではなく梅雨時以上の雨続き。松本はまだましなようですが、日照時間も平年の7割ほど、逆に降水量も多いところは平年の1.5倍とか。
 空梅雨では水不足の心配もあり、日本の自然の美しさ、豊かさは雨の多さのお陰だとしても、少々多すぎた、長すぎた梅雨でありました。
 太平洋高気圧の張り出しが例年ほど強くない云々という解説はどうでもいいのですが、周囲では「関東甲信も梅雨明けの撤回宣言が出るのでは?」と噂していましたが、雨降れど撤回は無く、近畿・東海の梅雨明けとともに漸く本格的な“梅雨明け”が信州にも来たようです。

 野菜の中では、水分の多いキュウリは、暫く収穫しないでいると「バケモノ」のように巨大化してしまいました。逆にトマトは、元々南米アンデス原産でもあり雨に弱く、雨除け不用という苗にした(第90話参照ください)とはいえ、今年は雨が多すぎて、一本は木がダメになってしまいました。

 雨のためか、リンゴ園の雑草の伸び方が早く、2週間も経つと大変です。刈払い機(草刈機)をここで新調しましたが、JAの担当の方が、リンゴ園の雑草を見て「ここのリンゴ園の地はいいですね!」と褒めてくれました。雑草がこれだけ早く伸びるからこそ、リンゴも良く育つという訳です。「土に感謝」です。



 今では、松本で“ぼんぼん”と言うと、8月上旬(今年は今日1日)の夕刻に行われる「松本ぼんぼん」(今年は何と305連とか。でも、これは見るのではなく参加するお祭りです。見物しても何もオモロクありません)になってしまいますが、本来の昔からの“ぼんぼん”は、小さな女の子だけのお祭りで「松本ぼんぼん」とは全くの別物。

 地域文化の伝承か、今では新興住宅街の子供会等でも、この“ぼんぼん”と“青山様”がけっこう実施されているようです。我が町内会も3日だとか(後述の歌詞からして、本来は旧暦のお盆の中日ではないかと思います)。

 “ぼんぼん”は、小学生の女の子達が浴衣姿で(昔は)ティッシュなどの紙で作った牡丹のような花飾りを髪に付けて、提灯をかざして“ぼんぼん”の歌を歌いながら静々と夕刻の町内を練り歩きます。
その“ぼんぼん”の歌は、ラドミのまさに短音階で、(昔合唱をやっていた)昔取った杵柄としての記憶では・・・

 ♪ラドミレドレレレレドラドレ ミミレミレドレドレミドラレド
 (このブログ上に音符で掲載する方法が分からず)

と単調ながら哀愁を帯びた音階で、

 『盆々とても今日明日ばかり、あさってはお山の・・・?』

という歌詞だったような気がします。何しろ、小学生時代の記憶ゆえ、全く不確かですが。
 この“ぼんぼん”と“青山様”は、本来城下町の市中で江戸時代から行われていたものだとか。従って、私の頃は、農村部でも“ぼんぼん”はありましたが、男の子の“青山様”(青いハッピで子供御輿を担いで練り歩きます)は市中だけで農村部には無く、男の子は手持ち無沙汰で、“ぼんぼん”の行列に悪戯でネズミ花火を投げて羨ましさの「憂さ晴らし」をするくらいしか出来ませんでした。

 今では、“ぼんぼん”の歌も忘れられ、録音されたテープを流しながら練り歩くのだとか。勿体無いですね。きっと、街中のおばあちゃんなら覚えている筈。しかも単純な音階なので、今やほとんどがピアノや才能教育でバイオリンをやっているような子供達ですから、教えてあげればものの10分足らずで覚えてしまうでしょうに・・・。

 行く夏を、或いは行く(逝く?)人を惜しむのか、「松本ぼんぼん」とは似ても似つかぬ哀調で、何とも風情ある城下町の本来の“ぼんぼん”が、8月上旬からお盆までの間、「松本ぼんぼん」の一夜の喧噪とは関係なく、静かに城下町に流れていきます。

【追記】
昨日配布された市の広報「まつもと」によれば、8日(土)の夕方6時から8時まで、中央公民館主催(問い合わせ0263-32-1132)で地元の子供たちが「ぼんぼん」と「青山様」をおこなうそうです。公民館をスタートし、本町、中町、縄手と、ちゃんと「歌いながら」練り歩くそうです。広報にも「城下町松本の夏の風情を見に来てください。」とありました。もし、当日信州松本に来られる予定のある方は、是非見に行かかれたら如何でしょうか。