カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 7月21日、我が国を代表し、世界的指揮者でもあった若杉弘氏が亡くなられました。指揮者としては享年74歳という「若さ」でした。

 若杉先生は、30年以上前の学生時代、京都市交響楽団の年末恒例の第九演奏会の客演指揮者として来演された時に、私もアマチュア合唱団の一員として、その指揮で一度だけ歌わせていただきました。当時、既に我が国を代表する指揮者のお一人だったとはいえ、今ほど有名ではなかったのですが、確か芸大の指揮科入学前に声楽家を目指したというだけあって、「歌わせる」ことには既に定評があり、練習を含めその指揮ぶりは、合唱を、なるほど「歌わせることにかけては天下一品!」と改めて認識させられると同時に感動を覚えたものです。

 90年代前半、シンガポール駐在中に、当時音楽監督をされていた、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団を率いて、日本への演奏ツァーの途中、シンガポールにも立ち寄られて一夜だけコンサートをされたので、勇んで聴きに行きました。

 当日は、大統領がご臨席されていたためか、シンガポールに敬意を表されて、当夜の演目にもなかった「シンガポール国歌」をアレンジされた演奏(確か楽団員に編曲を指示されたと演奏前に説明されました)に始まり、ボレロと、何かのコンチェルト(失念)と、そしてその夜のトリは、渋くシューマンの2番だったと記憶していますが、スイスの名門オケを率いての凱旋帰国を前の気負いも無く、曲そのもののように、渋くともオケを深くのびのびと歌わせる様は、世界のマエストロと呼ぶに相応しい名演でした。
そして、個人的にはボレロが頭上を颯爽と吹き抜けていった印象が今も残ります。

 京都に合唱の練習に来られた時のえんじ色のアスコット・タイのダンディーな印象とともに、ハッタリで大向こうを唸らせるような派手さはなくとも、穏やかで知性的な人柄そのものの指揮ぶりが脳裏に焼きついています。
今となっては、マエストロの指揮で「その他大勢の一人として」歌えたことが一生の宝物です。

 晩年は、国内外で日本人指揮者としては稀なオペラ指揮者として活躍され、むしろこれから更なる円熟が期待されていただけに残念でなりません。

 今夜は、マエストロへの哀悼の意を表し、“モツ・レク”の「ラクリモーサ」か、フォーレの「ピエ・イエズ」でも聴こうかと思います。
どうぞ、安らかにお眠りください。 - 合掌