カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 6月上旬で終了した上野の国立博物館の阿修羅展が凄い人気だったとか。美少年にも例えられる阿修羅の凛々しさからは、日本人の阿修羅好きも当然のような気もします。
 昨年の薬師寺展(日光・月光菩薩の光背が初めて外されての公開)もかなり話題になりましたが、私も家内と娘のところに上京した折、上野にフェルメール展とはしごで見に行きました。周囲360度からぐるりと眺められたのには感動しましたが、やはり仏像はそのお寺で拝観してこそかなぁと感じました。いずれにしても、出版界含め今やちょっとした仏像ブームなのだとか。終末思想の「救い」とは違って、現代人は仏像に「癒し」を求めているのかもしれませんね。

 さて、寺社仏閣観光としては『仏像を見るなら奈良へ、庭園を見るなら京都へ』と一般的には言われている筈ですが、学生時代を京都に暮らした私にとって、奈良を含めて一番のお気に入りの仏像(仏さま)は、京都東山の永観堂のご本尊である阿弥陀如来、通称「みかえり(顧)阿弥陀」でした。
高さ77cmとありますが、実際拝観するともっとずっと小さく感じます。一緒に「行」をされようと姿を現され、驚いて立ち止まった律師に「永観、遅し」と言われて左後方を振り向いた御姿と言われますが、何とも言えぬ優しく慈愛に満ちたお顔をされています。それこそ、国宝だらけの京都・奈良にあって、重要文化財指定とは言え、例えば国宝指定第一号と言われる広隆寺の弥勒菩薩(半跏思惟像)のようなメジャー級の仏像ではありませんし、永観堂そのものが、例えば清水寺や金閣・銀閣、更には竜安寺や広隆寺と言った修学旅行などの京都観光の定番コースでもなく、また嵯峨野や大原と言った女性受けするコースでもありません。でも、入学してからの(進学で京都へ来た学生は大概一年間でお寺巡りは卒業し、その後はせっかく京都に居ても殆どお寺には行かなくなってしまいます。今にして思えば勿体無い)お寺巡りの中で見つけた、個人的には京都で一番好きな「お寺さん」でした。そして、4年間何か「煩悩」などがあると、お寺巡りではなく「阿弥陀さま」に会うために訪ねたお寺でもありました(我家の総本山である知恩院にも行かずに)。
 平日(恐らく)授業をサボって?(今となっては理由不明)一人「みかえり阿弥陀如来」の前で拝んで(佇んで)いても、2~3時間誰も参拝客が来なかったことさえありました。私自身は決して信心深い訳でもありませんが、拝んでいると何かに包まれているような安心感で不思議と落ちついてくる(それが言うなれば御仏の慈悲ということなのでしょうが、決して天上から見下ろされている感じではなくて、隣で励ましてくれるかのような)、そんな親しみやすく人間的な?仏さまでした。


 地元京都では、秋のモミジ(の紅葉)で有名なお寺で、正式には浄土宗西山派総本山禅林寺、通称永観堂。我家も浄土宗(総本山知恩院)ですので、宗派は違えど永観堂も同じく「南無阿弥陀仏」。
 石川五右衛門の「絶景かな!」で有名な山門(三門)や、良く京都が舞台のTVドラマの撮影で登場(何故かサスペンスモノの事件の現場や逢引の場面)するローマ水道のような疎水の橋がある大伽藍南禅寺の並びです。
また、この界隈は「順正」・・・良く近くを通りました。入ったことはありませんが・・・を始め(何故か)湯豆腐でも有名です。

 シンガポール駐在中の途中帰国の折に、娘達に本でしか知らない自分の国の歴史(と乗ったことが無い新幹線)を教えるべく、京都・奈良に立ち寄った(結局当時6歳と3歳くらいだった娘達が一番喜んだのは、奈良公園の鹿と僅か50分足らずの京都から名古屋までの新幹線)中で永観堂にも行ったのが最後ですので、もう20年近く「みかえり阿弥陀」さまにはお会いしておらず、これを書きながら久し振りに京都へ行きたくなりました。

 『そうだ、京都へ行こう!』・・・って、一体何時になることやら。

【追記】
20年近くも行っていないため、「みかえり阿弥陀如来」の写真が無く、永観堂のH/Pからお借りしようと永観堂に直接メールでお願いし、快くご了承いただけましたので、ここに掲載させていただきます。ありがとうございました。  合掌(2009年7月11日追記)