カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 ここ何年か、カヴァー曲やカヴァー・アルバムなどが出されて古い曲が再評価されるのは、トレンドに付いていけぬオジン世代には嬉しく、また懐かしいものです。

 ドラマで使われ、オリジナルが再流行した数年前のクイーンの時は、誇らしげにレコード(「グレイテスト・ヒッツ」!)を引っ張り出してきて、久し振りにDENONのレコードプレーヤーで、ウンチク(クラシック一辺倒だった学生時代に彼等の「ボヘミアン・ラプソディ」を初めて聴いた時は天才だと思いました)を傾けながら娘達に聞かせてやりました(「ふ~ん」で終わりましたが・・・)。
その後、アバやカーペンターズも若い世代に受け入れられて。

 その中で、私達夫婦のここ何年かの愛聴盤は、逆に娘達から薦められた『VocalistⅠ~Ⅲ(徳永英明)』。全曲女性歌手オリジナル作品の異色のカヴァー・アルバム。しかも、最近の曲ばかりではなく、忘れ去られたような70年代のヒット曲まで。
例えば、「まちぶせ」は76年三木聖子(ってご存知ですか?)が出したユーミンの作詞作曲(その後81年に石川ひとみがカヴァーしてヒット)。他には、79年「異邦人」久保田早紀、小林明子「恋におちて」は85年。90年「未来予想図Ⅲ」(カレン・カーペンターがVoice Of Americaなら、Voice Of Japanはさしずめ吉田美和ではないか、と勝手に思っています)。96年の名曲「PRIDE」。比較的最近では03年「冬の華」や同「月のしずく」、そして05年「Endless Story」などなど、ボーナス・トラック(「喝采」)含め全40曲。

 しかし、女性の情念(徳永英明の「まちぶせ」を久し振りに聴いて「本当は怖い曲なんだ」と初めて実感。可愛らしさを超えて怨念すら感じます)も男性の歌い手の方が表現が上手い場合もあるでしょうし、また徳永英明の声そのものが女性曲に合っているばかりでなく、彼の声には確かに何とも言えない不思議な「やすらぎ」を感じます。それが老若男女を問わず、人気となった要因なのでしょう。
声質は全く異なりますが、「この素晴らしき世界(What a wonderful world)
」などを聴くと、サッチモおじさんのあのダミ声も同様なんでしょうね。

 さて、このアルバムだけは、結構な音量で聞いても家内からお小言はありません。自作スピーカーの愛機「スワン」(第12話参照)も久し振り(製作してから早20年ですが、今だ良い音をしています。さすがは長岡式スピーカーの傑作!)の“鳴らせ”どころ(フルレンジ・ユニット一発だけの点音源のため、特にボーカルには向くとされる)と喜々としてドライブしてくれています。


*子供が小さい時に(音が出る部分に興味があり、突付いて)スピーカー・ユニットのコーン紙を破いてしまったので、“防衛”のためにわざわざ秋葉原まで探しに行ってカバーを着けてありますが、オリジナル設計ではカバーはありません。また、写真が不鮮明ですが、右隣はスワンにメインスピーカーの座を譲ったKEFのトール・ボーイ。因みに、上に新婚旅行の時にドイツで買ったモーツァルトの像が載っています。

 新緑の時期、緑一色の里山に白く浮かび上がっているのは「ヤマボウシ」の花。最近至る所の庭木(斯く言う我家にも紅白あり)や街路樹で植えられているハナミズキ(アメリカ・ヤマボウシ)ほど華やかさはありませんが、様々な緑色の中に、点描のような白色が素朴ながら印象的な山木です。

 個人的な印象としては、この時期の東京への出張で、(上り線で)茅野を過ぎて青柳付近から韮崎近くまでの山間を走る時に良く見かけるような気がします。濃淡の緑の帯が続く中に、時折白い点描が視界に飛び込んできてはっとさせられると、この時期はそれがヤマボウシです。
 我家の雑木林(風)ガーデンにも、その清楚な感じに惹かれ、作庭の際に購入し植えてありますが、花が咲いてみたら何と「ベニヤマボウシ」(それはそれで可愛らしいのですが)。当然の如く白を予想していただけに、当時がっかりした記憶があります(タグには紅の文字は無く、ただ「ヤマボウシ」とあったのですが)。
なお、ヤマボウシは秋になると葉の紅葉の前に赤い実をつけますが、甘く食用にもなるそうです(我家のそれは小鳥用)。

 さて、『やはり野におけ すみれ草』(注記)と言いますが、ヤマボウシをすみれに例えるなら、さしずめビオラ(パンジー)がハナミズキでしょうか。ハナミズキの華やかさとは違い、このヤマボウシの素朴さも、山里にあってこそなのでしょう。

【注記】

  『手にとらで やはり野におけ 蓮華草』(瓢水)

滝野瓢水は江戸時代播州加古川の俳人で、これが元歌(句)なのだそうです。蓮華草がいつの間にかすみれ草に変わって広まったとか。
【追記】
最近では庭木や街路樹としてすっかりポピュラーになったハナミズキ。春の花の時期だけではなく、秋に真っ赤に染まる紅葉もその人気の理由でしょうか。でも、意外と我国での歴史は新しく、1915年と言いますから未だ100年経っていないことになります。
かのポトマック河畔の桜(ソメイヨシノ)が、時の尾崎行雄東京市長から1912年に友好の印として贈られ、その返礼としてワシントンD.C.から贈られてきたのが我国の初代ハナミズキだとか。