カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 探しても松本周辺では露地植え可能なアメリカン・クレス(最近ではガーデン・クレスとの表記が?)が見つからず、無いと余計欲しくなるのが人間の性(さが)?・・・と言うより、ハーブガーデンを始めた頃の、新鮮なクレソンの美味しさ(サラダは勿論、意外と「おひたし」が美味でした)が忘れられず、こうなったら通常のクレソン(ウォーター・クレス)を何とか育ててみることに。「挿し木」?でも簡単に発根するとのことなので、ハーブガーデンまで苗を買いに行かずに、スーパーに食材として売っているクレソンの束を買ってきて試してみることにしました。
 近くのスーパーにもあったので、一束買ってきて、家内にくれぐれも「食べぬよう」注意をして、とりあえず根が出るまで花瓶に入れました。買ってきた当時は、鮮度が落ちていて少々萎れ気味でしたが、一晩経って見違えるようにシャキっと元気になりました。クレソンは生命力旺盛です。だからこそ、日本でもあちこちで野生化しているのでしょう。

 3日目で、少しですがもう根が出てきました。
ただ、4日目になり、窓辺に置いてはいたものの、光が足りないのか少し黄ばんできた葉もあったことから、朝、屋外のベランダに出して日光浴させてみることに。ところが、夕刻帰宅すると、風で花瓶が倒れたらしく、皆ひどく萎れていました。捨てようかと思いましたが駄目元でもと改めて水を入れ、翌日になると何とか復活してきました。確かに、生命力旺盛です。ただ、そのためか、根の張り方が遅いように感じます。
 そこで、週末の食料品買出しの際、クレソンをもう一束買ってきました。包装から、どう見ても長野県内の同じ生産者。前回の近所のスーパーより鮮度が良くて、しかも(通常価格が)何と半値・・・。こちらのスーパーの方が生鮮は全体的に新鮮で且つ値段も安いとは言え、どうして、98円vs片や198円になるのでしょうか?・・・何だか頭に来るより呆れてしまいました。
帰宅後、早速瓶に活けて比べながら様子を見ることに。

 一週間経って、二つ目の束からもかなり発根してきましたので、先々週の雨の日曜日に農作業も出来ないことから、家にあった発泡スチロールの箱の蓋に穴をあけ、ホームセンターで購入してきた水槽用のウール材を使って(普通のスポンジで十分だと思いますが家に見当たらず)茎を固定するようにして、箱に水を張り液体肥料(ハイポネックス)を表記に従って(水10リットルでキャップに1/2)入れました。さて、ちゃんと成長するかどうか?
「そんな簡単な方法で、しかも濾過もしないで大丈夫なの?」と、家内はかなり懐疑的です。ま、それが出来るにこしたことはありませんが、それだと大掛り且つ費用も掛かることから、ここは安上がりで簡単に。
ベランダ下のやや日陰で風通しが良さそうな所において、三日毎に水を替え液肥を入れて様子を見ることにしました。

 暫くすると、液肥効果もあるのか、根元から新しい茎も出て少しずつ成長しています。ただ、その後テープで貼ったウールが剥がれてしまい、ホームセンターで改めて防水の両面接着テープを買って張り直しましたので、今度は多分大丈夫かと・・・?
写真は、中に水を張った発泡スチロールの箱に移してから一週間ほど経ったクレソンです。

 早く、ジャングルのように茂って、収穫できるようになればいいのですが・・・。
(成功したら=収穫できたらご報告します。失敗したら・・・、忘れてください)

 地元の話題から。
 松本駅前(お城口=東口)の看板(ビルボード)の中に、電光掲示の温度計があり、冬の寒い日など「今日は一体何度なんだろう?」と、毎日(電車からも見えるので)確認していたものですが、昨冬突然消灯してしまい故障かなと思っていたら、「広告主が不況による経費節減のため点灯を止めた」という新聞報道が。不況の影響がこんなところにまでと驚きました。また、駅前で客待ちしているタクシーの運転手さんが「乗車するお客さんとの車内での挨拶代わりのネタになっていただけに残念」というコメントもあり、個人的にも残念に思っていました。松本市で電気代を肩代わりしてくれないかなぁ?などと・・・。
(写真は温度計の消えた駅前通りと新しい温度計)  


 すると、最近(1ヶ月近く前だったでしょうか?)、同じく新聞(日経地方版)に「(長野市に本社のある)地元建設会社の設置した看板に温度計が復活」という記事が掲載され、良かったと喜んだのですが、ある時、駅前の看板を見ても広告主はそのままで相変わらず温度計も消えたまま・・・。「あの記事は松本駅のことじゃ無かったの?」と、てっきり自分の勘違いかと思ったのですが、先日、松本で飲み会があり、夕刻東口から出て何気なく駅を振り返ったら、何と駅舎の上に新しい看板が設置されていて、そこに間違いなく温度計が表示されていました。「あっ、やっぱりあったんだ!」と大袈裟ながら「感激」した次第。これで、乗降客やタクシーの運転手さんもその日の気温を毎日確認できます。
私は、通勤ではアルプス口(=西口)に駐車しており、またこの位置では残念ながら電車からも見ることはできませんが、長野オリンピック以降、県内の建設会社はどこも建設不況に苦しんでいる中で、松本市民の一人として、新しい広告主である建設会社(モーグル上村愛子選手等の所属先でもある『北野建設』)の“英断”と配慮に、感謝して拍手!

 松本では、毎日必ず聞こえて来る音があります。
朝、活動し始めた街の車や電車などの喧騒ではなく、同じ時刻に決まって聞こえて来る音。

 先ず、季節(日の出の時刻)に関係無く、毎朝6時になると、松本市内ではどこからかチャイムの音楽が流れます。
 『♪ウサギ追いし彼の山、・・・忘れがたきふるさと』。お馴染みの「故郷」のワンフレーズです。
そして、(何故か正時に同時ではなく、必ずチャイムが終わるのを待つかのように)それに続いて、幾つかのお寺の鐘の音が聞こえてきます。ご住職の朝のお勤めなのか、時を告げる鐘の音(ね)。毎日ご苦労さまです。

 我家は街中の松本駅から3キロほど離れているため、風向きの加減で聞こえない日もあります。夏は4時半には既に明るくなっており、5時前には散歩に出てしまいます(6時前にはチロルの世話も終わり、朝食かベランダでのコーヒータイム中・・・と言えばお洒落ですが、要するに室内では吸えぬため厳冬期でも屋外で一服)が、冬はちょうどチロルの散歩途中。空気が澄んでいるためか、夏よりも良く響いてくるような気がします。

 そして、(平日は松本には居ないため分かりませんが)一日に何回か、何と「SLの汽笛」が聞こえます。

 これは、松本駅構内の詰所(作業小屋?)のような建物に、昔の蒸気機関車の汽笛が今も現役で保存整備されていて、毎日必ずその時間になると「ポーッ」というあの懐かしい、甲高く哀愁を帯びた響きが街じゅうに響き渡るのです。
 駅のホームの塩尻側の端から良く見てみると、(多分)駅構内の南西側の建物から細いパイプらしき筒が伸びているのを見つけることが出来るかもしれません。
(注記:小さくて分かりづらいですが写真中央の給水タンクの下に小屋のような建物があり多分ここではないかと思います)

 松本駅から我家まではちょうど3km離れていますが、リンゴ園で農作業をしていると、少なくとも正午には必ず鳴らされているようで、それが「お昼」の合図にもなっています。

 (文部省)唱歌「故郷」に始まり、お寺の鐘、そして懐かしい汽車の汽笛が、毎日飽くことなく市内に響き渡る信州松本の“音”です。

【追記】
 実はこの原稿は、2年近く前にリンゴ園のH/Pを作って、併せてブログを書こうと思い立ち書き溜めていた中の一つ。
 忘れていたら、先日(6月12日)の朝刊(朝日)の地方版に松本駅の汽笛の紹介記事が載っていて思い出した次第です。
 その記事によれば、朝8時半、12時、午後1時、午後5時と一日4回、駅構内の、会社で言う始業・休憩・終業の合図として毎日休まず鳴らされているのだそうです(但し夏は暖房用にボイラーを用いないことから蒸気を暖めるのが間に合わず、始業の朝8時半は鳴らされないとのこと)。市内4km四方に響き渡るそうです。中には、本当の蒸気機関車だと勘違いして、汽車がどこか訪ねられる乗降客の方もいらっしゃるのだとか。また、わざわざ汽笛だけが保存された背景は、当時を知る方も既におられず不明だそうですが、1902年の駅開業以来、綿々と歴代受け継がれてきた(途中鐘に替えられたことがあったようですが、列車音に消されてしまい構内でも聞こえなかったため、また汽笛に戻した)のだとか。そして、ホンモノの汽車の機関士をされていた方が、今でも思いを込めて毎日鳴らしてらっしゃるそうです。

 6月中旬の週末、金曜日からまたまた奥様が娘のところに上京・・・。
 日曜日は、下の娘の大学の後援会の県支部総会に向けた役員会が長野であり、誰も居ないので、チロルに留守番を頼んで早めに家を出て、会場ホテルにも近いことから、会議の前にまたまた『ふくや』でラーメンを食べることにしました。久し振りといっても、今回は4ヶ月振りくらいでしょうか?(第43話を参照ください)。
      
 時間もあったので、松本駅から普通電車で長野へ向かいました。約1時間20分の列車旅です。篠ノ井線で、しかも普通電車ですので、途中スイッチバックの姨捨駅に停車します(帰路は特急「しなの」でしたので、スイッチバックも無く通過。所要時間は50分)。

  『信濃では 月と仏と おらが蕎麦』(一茶)。
 「仏都」と呼ばれる長野は善光寺のご開帳も終わり、田毎の月の姨捨を通り、信州蕎麦ならぬラーメン紀行です(個人的に、蕎麦は戸隠もあるものの長野より松本の方が良いように思いますが、ラーメンは断然!長野です)。

 この日は未明からの雨で、松本を出る頃にはやみましたが、出て暫く犀川沿いに走る間も北アルプスは雲に隠れています。そして明科を過ぎると篠ノ井線はトンネルが続く山間を走り(一方国道19号線はトンネルを避け犀川に沿って北上します)、冠着トンネルを越えた頃には雲が晴れ、青空が顔を出しました。


日本三大車窓と言われる姨捨駅(第81話参照)では、10数人ほどの観光客の方々がスイッチバックの様子や、高台にあるホームからの千曲川流れる善光寺平(川中島)の様子を撮影されていました。そこでこちらも車窓からパチリ。写真で常夜灯のように見えるのは俳句の投函箱とか。
 なお冠着(カムリキ)といういかにも由緒ありそうな地名は、姨捨伝説で知られる姨捨山の正式名称が冠着山で、「天照大神が隠れた天岩戸を怪力の手力男命が取除き、高天原から戸隠に運ぶ途中に、この地で一休みして冠を付け直した」という故事に由来するのだそうです。

 さて長野駅に着いて、徒歩で15分程度でしょうか、『ふくや』に到着。

もう2時近くでしたが、まだ結構混んでいました。そして、食べている間にも、何組かお客さんが来られます。若い女性が注文されていましたが、ラーメン(チャーシューもブロックで)の持ち帰り(自分で調理)も出来るようです。
こちらは、勿論いつも通り大盛り(700+150円也)を注文。そして、いつも通りの美味しさでした。娘のお陰で『ふくや』のラーメンが食べられます。感謝(あ、そう言えば父の日だ・・・)。
それしても、トッピングを別にすれば、味は醤油の一種類のみ(で勝負)。
「松本にはこういう味のラーメン屋さん、無いよなぁ・・・。」
 そこで食べながら一句。『ナガノでは 月もほっとけ 我がラーメン』・・・。

 汗だくになりながらも暫く来れないだろうことから、舌が忘れないようにスープも殆ど飲み干してしまいました。完食です。「ご馳走さまでした!」

 我が家では、ハーブガーデンとは別に、リンゴ園の脇の畑で父の頃から自家用の野菜を栽培しています。今年も、5月に畑をおこしてから買ってきた苗を植えました。キュウリとトマト、ピーマン、ナス。更には母用に種で買って、インゲン、ホウレンソウとウグイス菜。それにしてもキュウリ、ナスと一口で言っても、改良され色々な品種がありますし、昔に比べ家庭菜園(プランター等でも)で作る人が増えているようで、老舗の園芸店はかなりの人出でした。高校同期のこの店でいつも購入するのですが、珍しく店に居た彼に聞くと、トマトは雨に弱く病気になりやすいので、桃太郎などの品種は雨除けが必須。一方昔のトマト苗だと味は桃太郎に比べ酸味が強いが、地植えで何もしなくても大丈夫とのことで(早く言ってよ・・って)迷わずそちらと併せてミニトマトも購入(ところで、ナスの花ってご覧になったことありますか?薄紫で可愛い花です)。


 植えてから、1ヶ月ちょっと経ちました。大分、茎も伸び、トマトはまだですが、キュウリとナス、ピーマンはそろそろ収穫可能です。初物は仏さまにお供えし、一本だけキュウリがモロキュウにて食卓へ。皆で分け合って試食。店で買うものと比べ新鮮さは勿論として味の濃いこと。
 我が家では、キュウリは大きくさせずに、親指大の太さ、ウィンナーくらいの大きさで出来るだけ収穫するようにしています。漬物にするのなら別ですが、モロキュウだと、味も勿論ですが、それ以上に(大きくするよりも)パリパリ感というか、みずみずしい食感が比べ物にならないほど違い、一度食べると病みつきになります。
 今年は、イボ無し(キュウリ臭さ?が無くサラダ向きとの解説に試しに購入)も含め、少し時期をずらして、3種類、7本のキュウリの苗を植えましたので、色んなキュウリが長い間楽しめそうです。たくさん採れたら子供達にも送ってあげないと。
 また、家内から「(毎年苗は買うのに)トマトって食べたこと無いよね!」と皮肉を言われぬよう(今までそう言えば桃太郎だったかも)トマトも収穫できるといいのですが・・・。    
 子供の頃、祖父が本当に丹精込めて作った(昔の)真っ赤く熟したトマトは本当に甘かったので、(熟す前に採らざるを得ない)店頭に並ぶ出荷用のトマトとは違い、赤く熟すまで木におけば昔のトマトも充分甘いのだと思います。

 『富士には月見草』ではありませんが、“梅雨には青い花が良く似合う”、そんな気がします。青い花と聞いて、近年の話題と言えばバラでしょうか。
  “青いバラ”(blue rose)という英語には「不可能」という意味もあるそうですが、そもそもバラはリンゴ(そう言えばリンゴもバラ科です)の赤などと同じアントシアニン色素の花で、青の色素を持たないと言われています。従って、(遺伝子操作をしない限り)品種改良では本当の青いバラを創り出すことは不可能なのだそうです(で、それをしたのがサントリー。花言葉は「奇跡」・・・今年中には発売予定とか。是非ホンモノを生で見てみたいですね)。
 勿論、世の中には青の色素を持つ「青い花」も存在する訳で、個人的にも赤系よりも青系の花が好きなのですが、「青い花」と言われて私が思い浮かべるのは、アジサイとデルフィニウム。

 ただアジサイは土壌(酸/アルカリ)に因って微妙に色合いが変化(花言葉は確か「移り気」で、ちょっと可哀想)してしまうので、元々真っ青なアジサイを購入しても、その土地土地の土壌(一般的に火山灰土の多い日本では、青色になるとされる弱酸性土壌と言われますが)によっては、自宅の露地植えで本当の青色を保つのは難しいかもしれません。
 今回の庭のリノベーションに併せて、好きな青のガクアジサイ(山アジサイ)をお願いしていたところ、先日「良いのが入荷したから」と植えていただきました。個人的には、日本から運ばれ西洋で品種改良されたセイヨウアジサイ(ハイドランジア/Hydrangea)よりも、その原種である素朴で清楚な日本原産のガクアジサイの方が魅力的に感じます。さて、これからどんな青を見せてくれるか楽しみです(元々青と言ってもやや紫系でしたが、その後やはり少し赤味が出てきたようです。家の工事の際持ち込まれた土がアルカリ性なのでしょうか)。

 さて、アジサイが映えるのはこの梅雨の季節(入梅に当たり自宅で取っている2つの新聞のコラムに同様の記載があったので、日本人共通の感性なのかもしれません)。










 
 どんよりとした雨の日に、庭の片隅でお日さまの忘れ物のように咲くアジサイがとても印象的です。晴れた青空が恋しくなる頃、それを思い出させてくれるかの如き“空色”でしょうか。逆に晴れた日の青いアジサイは、雨の日に比べ何だか存在感が薄いようにさえ感じます。
写真は玄関先の一画、夏ツバキ(沙羅の木)の根元に植えたガクアジサイです。
 

そして、もう一つのデルフィニウム。
赤系など色々種類がありますが、青いデルフィニウム(以前植えたのは確かベラドンナだったか)の「青」は本当にBlueです。一つ一つは小さな花ですが、重なるように咲くデルフィニウムは、その吸い込まれそうな深い青がとても印象的です。因みに語源はDolphin(イルカ)からだとか。そう言えば蕾の形が似ているかも・・・?






 その昔、新婚旅行での最初の訪問地パリで、自由時間に行ったオルセー美術館で一目で気に入り衝動買いした一枚のポスター。フランスのオディロン・ルドン(Odilon Redon)という画家の花の絵(『長い首の花瓶の野の花』1912年制作)。花瓶に活けられた赤いケシなどに混じってデルフィニウムの青がとても印象的で思わず買ってしまいました(当時は花の名前も知りませんでしたが)。その後のロマンチック街道巡りで荷物になりながらも、しっかりと日本まで持ち帰り、四半世紀経った今でも寝室に貼ってあります。

 5月に、春の花から夏・秋に向けて庭の衣替えがされました。
その中に、お願いして青いデルフィニウムも2株植えていただきました。
 














 6月、梅雨空の下、青い花がひときわ色鮮やかに感じられます。



 『ダイダラボッチ(デイダラボッチ)』の(国造りの)“巨人伝説”というのが全国各地にありますが、松本平では塩尻市にある高ボッチ山(標高1665m)。いかにもという名前の山です。言い伝えに因れば、ダイダラボッチがこの小山に腰掛けて休み、その時の足跡に水が溜まったのが諏訪湖、だとか。いいですね、何ともスケールが大きくて。
 また、アイヌ語で、小高い山や高原などの凸の部分を「ぼっち」と呼んだことによるとか。多分、こちらの方が正しいのでしょうが、ダイダラボッチの方が夢がありますね。

 周辺の蓼科や霧ケ峰、美ヶ原へと続く『八ヶ岳中信高原国定公園』の中でも他に比べあまり有名ではなく地味な感じがしますが、ここは遠く富士山を始め、北・南アルプス、八ヶ岳など360度の大パノラマと、30万株(!?)と言われるレンゲツツジ、そして夏の草競馬で有名。また塩尻峠から狭い山道ですが、車ですぐ行ける手頃な山。穴場の観光スポットです
 多分(親子遠足だったか)子供の頃一度行ったことがあると思いますが、殆ど記憶も無く、また6月中旬からがツツジの見頃とのことなので、リンゴの摘果作業も一段落しており、家内も地元にいながら「行ったことがない」と言うので一度行ってみることにしました。

 そして、土曜日に、リンゴ園とブドウ園の草刈とブドウの枝留めを済ませ、昨日6月15日の日曜日の午後、高ボッチへ出掛けました。
10日に関東甲信も梅雨入りしており、曇り空で山は見えないかもしれませんが、レンゲツツジがそろそろ見頃の筈。

 松本からですと、国道20号線の塩尻峠の東山を過ぎたところに高ボッチ高原への林道入口の看板があり、そこから標高差約700mくらいでしょうか、距離にして10km、20分程度。こんな道で本当に(観光地へ行くのに)大丈夫?という感じのかなり狭い道ですが、幸い?あまり対向車もありません(注記)。
 登りきると、草競馬(今年は8月1日とのこと)の馬場があり、その横に第一駐車場がありましたがガラガラだったので、そこから少し離れた第二駐車場まで行ってみました。それでも10数台くらいでしょうか、県外ナンバーを中心に来られていました。中には、愛知県からの20人乗り程度の観光バスもいましたが、良くあの道を来られたものです。
 ここは、レストランなど休憩施設はなく(案内小屋に自販機が一台あるだけ)、何も無いのがいい(携帯も圏外です)・・・と思える人向き。もしくは山頂近くまで車で来られるので、持参するか。



 さて、山頂も生憎ガスが巻いていて、「日本一のシャッターポイント」と言われる絶景は、残念ながら全く見ることが出来ませんでした。またレンゲツツジも少し早かったのか6部咲き程度。でも、30万株と言われる通り(家内から「どうやって数えたの?」と聞かれ、絶句!本当にどう数えたんでしょうか?)、見事な朱色の点描のようにずっと遠くまで広がっていました。

 写真は、レンゲツツジとドウダンツツジ。案内小屋(自然保護センター)にあった説明に拠れば、ベニサラサドウダンという種類で、野生ではなく遊歩道沿いに移植されたものだそうです。
 レンゲツツジの季節はちょうど梅雨時と重なるので、山を見るのは難しいかもしれません。漸く少しだけ尾根続き(登山道で6kmとの表示)の鉢伏山の頂きだけをうっすらと望むことができました。
パンフレットによれば、北アルプスは、南は御岳から乗鞍、穂高、槍、そして北の白馬岳まで、ひと所にして3000m級の名峰の殆どを一望出来るようです。
今度は夏以降天気の良い時に、360度のパノラマを楽しみにもう一度来ることにしました。

【注記】
因みに狭い山道では、先ず、下る側の車の方(先に対向車を確認しやすいのと雪道などでも発進しやすいので)が、すれ違いが出来る場所(すれ違い困難な道は、大概所々にそのためのスペースを用意してある)に停まって待ち、登って来る車に道を譲る。また、(危険な)谷側ではなく、(安全な)山側の方の車が端に車を寄せて道を譲る、というのが基本ルール・・・(多分)だった筈です。

 5月末に計画した職場旅行が新型インフルエンザの影響で(秋に)延期になってしまいました。で、当日の差し入れ用(自分の飲む分も)に買っておいた「よなよなエール」。特別な日の我がプレミアム・ビールで、数あるビールの中でも「一番のお薦め」。その残りもあと僅か・・・。何か特別なことあったかなぁ?
     
 一時の“地ビール・ブーム”も去ってホンモノだけが残ったとでも言えるのでしょうか?この「よなよなエール」は軽井沢の「星野リゾート」が手掛ける地ビール会社「ヤッホー・ブルーイング」製。モンド・セレクションを始め、幾つかのビール・コンクールで金賞を受賞した日本では珍しいエールビール(ペールエール)です。日光の影響を避けるため、瓶詰は無く350mlのアルミ缶のみ。主流のラガー・ビール(ピルスナーなど)とは異なり、喉ではなく舌で味わうべく、香ばしい香りとコク(色も琥珀色)が特徴です。他の地ビール(むしろこちらの方が全国的には有名の同じペールエールや、信州の別の地ビール会社のアンバーエールなど)も試してみましたが、よなよなエールに(個人的嗜好としては)軍配。
 最近、人気も出てきたのかコンビニでの全国展開との記事が日経の地方版に掲載されていましたので、今では、地元や通販でなくても全国どこでも買えるのかも知れません。どうぞ、ビール党の皆さま、一度お試しあれ。一本260円也。
    
【追記】
そう言えば、昔シンガポールの駐在時代、時々日系デパートの特売日の箱売りで買いだめしていたエビスビール。麦芽100%のオール・モルト。当時はこれと、サントリー・モルツくらいしかモルト・ビールは恐らく無かった時代(因みにシンガポールのタイガー・ビールもモルト・ビールです)。
バーベキュー・パーティー(娘の誕生会でのホーム・パーティー)に来られていたドイツ人のお母さんが「日本にもこんな美味しいビールがあるなんて!」と(焼き手係の私の所までわざわざ来られて)エビスを激賞してくれたのを思い出します。
昔は一人勝ちだったエビスも、このところのプレミアム・ビール競争の中で幾つかバリエーションを増やしていますが、最近では緑色の「エビス・ザ・ホップ」がお気に入り。よなよなエールと共に(こちらはラガーですが)私の“ザ・プレミアム”。
【補足】
家内が一滴もアルコールを受付けぬ我家では、(特に娘達からは)お酒とタバコは犯罪扱いの不要品。従って申し訳ないので、いつもはプレミアム・ビールなど飲める訳も無く、特別な日以外は当然のことながら発泡酒。でも味の違いが分からぬ家内が、会話の中で「ビール」と言うので、私が「発泡酒」と正しく訂正をさせていただいております(「第3のビール」は言い辛いので、発泡酒のままでいいかなと?)。

 5月最後の土曜日に、残っていた庭の芝生の雑草採りと今シーズン最初の芝刈りを済ませ(刈った後の若草の匂いが何とも心地良く感じます)、翌日は予報通り、またまた雨の日曜日。

 一杯で予約が取れなかったためにいつもより間隔が空いてしまい、忍者ハットリくんに出てくる忍者犬獅子丸みたいにモコモコになったナナをトリミングに預け、食用(ベジタブル)ハーブを探しに(松本からだと一番近い)池田町ハーブセンターへ(県道51号線沿いの「道の駅」と道路を挟んで対面)。
セイジやミント、ラベンダーなどは種類も豊富でしたが、やはりベジタブル・ハーブは、バジル、ルッコラ(ロケットと表記)、パセリやサラダバーネットくらいしかなく、通常のクレソン(ウォーター・クレス)はありましたが、露地植えが出来るアメリカン・クレスは残念ながら扱っていない(栽培していない)とのことでした。止む無く、せっかく来たのでバジルとルッコラを一鉢ずつ買って、少し収穫時期をずらすべく二株ずつとすることにしました。

 ハーブセンターへ行く前に、昼食にまたまた『安曇野・翁』へ(と言うより同じ池田町に「翁」があったので、雨の中一人でハーブセンターへ来なくてすんだのかも)。まだ11時半過ぎだったのと雨模様だったせいか、すぐ座ることができました。雲が垂れ込めていて、残念ながらこの日は「景色のご馳走」は無し。逆にそのお陰で、いつも終わっていた「田舎」蕎麦もまだあるとのことで一枚注文。通常の「ざる」(更科)よりも太麺で茹で時間も長め。結果、やはり我々の好みは更科でした(田舎だったら松本の「月の蕎麦」の方が良い・・・とは家内の言。確かにそうかも。第5話「松本グルメ」を参照ください)。

 さて、居合わせたお年を召されたグループが、お酒を注文されていたようです。メニューには4種類(ざる、田舎、おろし、鴨せいろ)の蕎麦以外には「日本酒も各種ございます」と書いてあるだけ(ツマミの類の記載は一切なし)。
で、運ばれてきたのはフラスコのようなガラスの器に入った涼しげな冷酒(銘柄未確認)とともに、運ばれてきた付け合せは「焼き味噌」(注記)ではありませんか。うーん、これぞ蕎麦屋の王道!
10年近く前、「ソ連」(注記その2)の本で、蕎麦屋では「先ず焼き味噌(若しくは「板わさ」)を肴に日本酒を飲み、その後で蕎麦を食す」のが(江戸っ子の?)流儀と確か書かれていた記憶がありますが、正にその通りの組み合わせ。
「おぉ!」と心の中で感嘆符が付き、きっと羨ましげに横目でチラチラ眺めていたのでしょう。家内から「飲んだら?」という有難きお言葉ながら、松本市内であればいざ知らず、池田町で且つ昼間でもあり、帰りのドライブも考え(飲んでも助手席で気になって酔いが醒めるのも勿体無いので)ここは我慢、我慢。
しかし、毎回感じるのは、ここの「ざる」は二八でどうしてこんなに蕎麦の味と香りがするんでしょうか、不思議です(・・・と関心を蕎麦に集中)。
お蕎麦と蕎麦湯で(お酒が無くとも)充分満足し、翁を後にしました。本日も「ご馳走さまでした!」

 その代わり、夜は、家内の知り合いの方のお店も紹介されたという「石ちゃん(石塚英彦)」が木曽路を食べ歩く番組(『日本“菜”発見』)の中で、同じく紹介された「アスパラの豚バラ巻きの天婦羅」と今宵も「焼きネマガリダケ」を肴に、舞姫の季節限定・翠露の吟醸「雲の峰」でしっかり(と言っても、いつもの晩酌通りにやや大ぶりのぐい飲みで一杯分)頂いたのは言うまでもありません。

【注記】
シャモジの片面に味噌と店毎に工夫した調味料を混ぜて塗り、香ばしく焼いたもの。
以前、松本市内の『そばきり御代田』でも、オープン当時は一品料理の中に「焼き味噌」がツマミとしてありましたが、経営が代わり一品料理が増えた結果、逆に「焼き味噌」は消えたかもしれません。
【注記その2】
 「ソバ好き連」略して「ソ連」。その会員達による東京中心の蕎麦屋の訪問記『杉浦日向子とソ連編―ソバ屋で憩う』(97年初版。その後加筆されて99年に新潮文庫版として発刊。ここで注記するに当り10年振りくらいに再読しました)。なお杉浦日向子女史は江戸風俗研究家。
 杉浦女史を中心に集まった彼等の基本ポリシーは、蕎麦そのものの求道者ではなく、ソバ屋でのやすらぎ・憩いを楽しむことを旨とする。そして『昼の混んでいる時は店に迷惑なので避け、午後2時4時の間に行って、じっくり子一時間ほど先ずは酒を味わい、蕎麦屋で憩う。店は客の酒の頃合を見て、絶妙のタイミングで(一声かけて)蕎麦(蕎麦そのものの味が良いことは勿論)が出てくるのが良い店』と。
 蕎麦店紀行だけではなく、杉浦女史の専門でもある江戸の「蕎麦文化」が随所に紹介されています。因みに蕎麦屋でのお酒は、打ちたて茹でたての蕎麦を暫し待つ間のツナギであり、そのため蕎麦屋での酒のことを「ソバ前」と呼ぶ、などなど。
 当時取り上げられていたのは、「並木藪蕎麦」、「室町砂場」を始めとする東京の店を中心に、地方では山梨・長坂の「翁」や、信州では松本「野麦」と旧美麻村(何て美しい名前だと思いませんか?残念ながら平成の大合併で村名は消えてしまいました)と蓼科のお蕎麦屋さんでした。
特に野麦は、山梨の翁、山形「ソバ街道」とともに、厳選されたソ連会員の「ソバ旅行」の目的地だったのだそうです。
 文中で激賞されていた野麦は、私が初めて行ったのは(息子さんに譲り既に引退された)おばあちゃんが一人で切り盛りされていた頃で、まだ今ほど有名になる前(=知る人ぞ知る)でしたので、へそ曲りとしては(松本の他の有名店ではなく野麦を)「良くぞ採りあげてくれました!」と、その評価に大いに賛同したものです。杉浦女史ご自身が紀行文を書かれています。

 10年以上も前でしょうか?初めて野麦に行ったのは・・・。
当時野麦の近くにあった子会社のオフィスを会議で訪ねた際に、蕎麦好きの先輩から「こんな小っちゃな店があるよ」と教えてもらい、家内と二人で行った時、最後まで客は私達二人だけ。「自然に背筋がぴんと伸びる店」と杉浦女史がいみじくも評したように、当時の凛とした蕎麦と一輪挿しの野菊が記憶に残ります。

【追記】
杉浦日向子女史。2005年に、何と46歳の若さで癌のために亡くなられていました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。合掌。


 先週末所用があり、家内と東京へ行って来ました。
芝公園の近くに泊まったのですが、運良く東京タワーが目の前。
 高校時代、英語の授業の副読本で、英国人の著者のエッセイがあり、うろ覚えながら『パリのエッフェル塔の優雅さに比べ、東京タワーは下品で、まるで大男が“立ち○○”をしているようだ。』と酷評している記述があって、何もそこまで酷く言わなくてもいいだろう!と反発を覚えた記憶があります。

 この週末は、何かのイベントなのか、東京タワーがブルーにライトアップされていてとても綺麗でした。
 新聞によれば「7日夜W杯出場決定を記念して、チームカラーの青でライトアップされた。」とありましたが、試合当日だった6日の夜も(試合開始の前から)青く照明されていましたので、記念ではなく出場祈願だったのでしょうか。

 パリのエスプリとは異なれど、青い東京タワーもとても綺麗で“TOKYO COOL”とでも言えば良いのか、とてもロマンティックではありました。

【追記】
第74話、新宿駅東口の「ベルク」は、かの12音階で知られる作曲家シェーンベルクに因んでとのことだそうです。きっとオーナーの方がファンなんでしょうね。個人的にはちょっと苦手ですが。

 ここ何年か、カヴァー曲やカヴァー・アルバムなどが出されて古い曲が再評価されるのは、トレンドに付いていけぬオジン世代には嬉しく、また懐かしいものです。

 ドラマで使われ、オリジナルが再流行した数年前のクイーンの時は、誇らしげにレコード(「グレイテスト・ヒッツ」!)を引っ張り出してきて、久し振りにDENONのレコードプレーヤーで、ウンチク(クラシック一辺倒だった学生時代に彼等の「ボヘミアン・ラプソディ」を初めて聴いた時は天才だと思いました)を傾けながら娘達に聞かせてやりました(「ふ~ん」で終わりましたが・・・)。
その後、アバやカーペンターズも若い世代に受け入れられて。

 その中で、私達夫婦のここ何年かの愛聴盤は、逆に娘達から薦められた『VocalistⅠ~Ⅲ(徳永英明)』。全曲女性歌手オリジナル作品の異色のカヴァー・アルバム。しかも、最近の曲ばかりではなく、忘れ去られたような70年代のヒット曲まで。
例えば、「まちぶせ」は76年三木聖子(ってご存知ですか?)が出したユーミンの作詞作曲(その後81年に石川ひとみがカヴァーしてヒット)。他には、79年「異邦人」久保田早紀、小林明子「恋におちて」は85年。90年「未来予想図Ⅲ」(カレン・カーペンターがVoice Of Americaなら、Voice Of Japanはさしずめ吉田美和ではないか、と勝手に思っています)。96年の名曲「PRIDE」。比較的最近では03年「冬の華」や同「月のしずく」、そして05年「Endless Story」などなど、ボーナス・トラック(「喝采」)含め全40曲。

 しかし、女性の情念(徳永英明の「まちぶせ」を久し振りに聴いて「本当は怖い曲なんだ」と初めて実感。可愛らしさを超えて怨念すら感じます)も男性の歌い手の方が表現が上手い場合もあるでしょうし、また徳永英明の声そのものが女性曲に合っているばかりでなく、彼の声には確かに何とも言えない不思議な「やすらぎ」を感じます。それが老若男女を問わず、人気となった要因なのでしょう。
声質は全く異なりますが、「この素晴らしき世界(What a wonderful world)
」などを聴くと、サッチモおじさんのあのダミ声も同様なんでしょうね。

 さて、このアルバムだけは、結構な音量で聞いても家内からお小言はありません。自作スピーカーの愛機「スワン」(第12話参照)も久し振り(製作してから早20年ですが、今だ良い音をしています。さすがは長岡式スピーカーの傑作!)の“鳴らせ”どころ(フルレンジ・ユニット一発だけの点音源のため、特にボーカルには向くとされる)と喜々としてドライブしてくれています。


*子供が小さい時に(音が出る部分に興味があり、突付いて)スピーカー・ユニットのコーン紙を破いてしまったので、“防衛”のためにわざわざ秋葉原まで探しに行ってカバーを着けてありますが、オリジナル設計ではカバーはありません。また、写真が不鮮明ですが、右隣はスワンにメインスピーカーの座を譲ったKEFのトール・ボーイ。因みに、上に新婚旅行の時にドイツで買ったモーツァルトの像が載っています。

 新緑の時期、緑一色の里山に白く浮かび上がっているのは「ヤマボウシ」の花。最近至る所の庭木(斯く言う我家にも紅白あり)や街路樹で植えられているハナミズキ(アメリカ・ヤマボウシ)ほど華やかさはありませんが、様々な緑色の中に、点描のような白色が素朴ながら印象的な山木です。

 個人的な印象としては、この時期の東京への出張で、(上り線で)茅野を過ぎて青柳付近から韮崎近くまでの山間を走る時に良く見かけるような気がします。濃淡の緑の帯が続く中に、時折白い点描が視界に飛び込んできてはっとさせられると、この時期はそれがヤマボウシです。
 我家の雑木林(風)ガーデンにも、その清楚な感じに惹かれ、作庭の際に購入し植えてありますが、花が咲いてみたら何と「ベニヤマボウシ」(それはそれで可愛らしいのですが)。当然の如く白を予想していただけに、当時がっかりした記憶があります(タグには紅の文字は無く、ただ「ヤマボウシ」とあったのですが)。
なお、ヤマボウシは秋になると葉の紅葉の前に赤い実をつけますが、甘く食用にもなるそうです(我家のそれは小鳥用)。

 さて、『やはり野におけ すみれ草』(注記)と言いますが、ヤマボウシをすみれに例えるなら、さしずめビオラ(パンジー)がハナミズキでしょうか。ハナミズキの華やかさとは違い、このヤマボウシの素朴さも、山里にあってこそなのでしょう。

【注記】

  『手にとらで やはり野におけ 蓮華草』(瓢水)

滝野瓢水は江戸時代播州加古川の俳人で、これが元歌(句)なのだそうです。蓮華草がいつの間にかすみれ草に変わって広まったとか。
【追記】
最近では庭木や街路樹としてすっかりポピュラーになったハナミズキ。春の花の時期だけではなく、秋に真っ赤に染まる紅葉もその人気の理由でしょうか。でも、意外と我国での歴史は新しく、1915年と言いますから未だ100年経っていないことになります。
かのポトマック河畔の桜(ソメイヨシノ)が、時の尾崎行雄東京市長から1912年に友好の印として贈られ、その返礼としてワシントンD.C.から贈られてきたのが我国の初代ハナミズキだとか。

 少し前のことになりますが、朝早々から終日の雨降りだった4月某日(土)。農家にとっては有難い“お湿り”でも、晴耕雨読とはいかないのが兼業農家の辛いところ。午前中屋内での仕事を済ませ街中へ買い物等に昼頃から出掛けました。その前に「気になっていた」初めてのお蕎麦屋さんへ。
 再開発で拡張された西堀の道路沿いに数年前に建てられた洋風の建物。個人住宅か、店とすれば喫茶店かイタリアンのような雰囲気。ところが、いつからか「十割蕎麦」のノボリが何本か家の前に建てられているようになりました。
 店名も分からず、「十割」に惹かれて「恐る恐る」行ってみることにしました。家の前に車が数台停まっているのを見て一安心(営業中なのと、他にもお客さんが入っていることで)。入口のドアの上には小さく『C Cube』という店名の看板。『えっ、シー・キューブ・・・?これって、お蕎麦屋さん?』

 ところで「シー・キューブ」って何よ?
建物は必ずしも立方体ではないようです。だとすると、頭にCがついているのでChallengeとかChangeといったお店のモットーとする単語の頭文字であるCの3乗なのでしょうか?(結局、店を出るまで分かりませんでしたし、何となく聞くのも憚られ・・・いまだスッキリせず)。

 さて、店内も一見喫茶店のような雰囲気で、重厚で素朴な椅子とテーブル(飛騨家具とのこと)、そして各テーブルの上には、家内曰く、イタリアの有名テーブル・ウェア「アレッシー」の可愛らしい色違いのウサギの爪楊枝入れ(“Magic Bunny”と言うのだそうです)が乗っています(ウサギの耳を持ち上げると爪楊枝がバンザイするかのように飛び出してきます)。壁には、北アルプスの山々(白馬連峰)のポスターが貼られ、BOSEの天釣スピーカーからはジャズが流れて・・・。
お店の方々がそれぞれご自身の趣味でディスプレイされたのか、う~ん、恐縮ながら感じたままを言わせていただくと、建物、名前も含めて全てが何ともミスマッチ・・・!?
  
 メニューはお蕎麦のみ。私が十割そばの大盛り(普通盛り800円、大盛り1200円)、家内は寒い日だったので、温蕎麦のとろろ蕎麦(1000円)。温蕎麦では鳥そばというのもあるようです。玄蕎麦は野麦峠の麓・奈川地区と、峡谷に家がへばり付くような景観で「日本のチロル」とも称される下伊那「遠山郷」下栗地区の契約農家産だけを使った十割蕎麦とのこと。
 お蕎麦屋さんによっては、薬味が申し訳程度で、全然足りないほど量の少ない所もありますが、ここは今まで見たことが無いくらい、ネギ・おろし・生ワサビ(しかも卸したて)が「これでもか!」と言うほどたっぷりと。良心的を遥かに超えて、凄すぎ!です。
 十割蕎麦らしく、そばの香りと味がする短めの細打ち。つゆは薄め(でもこれまたたっぷり)。蕎麦の感じは、松本「野麦」に良く似ています(「野麦」はツナギ一割の九一)。ただ、大盛りでも量は少なめ(温蕎麦を頼んだ家内でさえ少ないと言うほど)。男性はざる二枚の方がいいかもしれませんね。最後のそば湯はどろどろで、茹で汁ではなく、わざわざ蕎麦粉を溶いて別に作っているのだそうです。温蕎麦を頼んだ家内にもちゃんと「そばちょこ」を持ってきてくれました。蕎麦湯にも薬味をしっかり入れて・・・。そのために薬味の量が多いのでしょうか?(余談ですが、蕎麦って、最後のそば湯でお腹が一杯になるから良いですよね)

 接客をするお店の女性陣も皆さんもとても素朴で、失礼ながら、何だか素人の方々がリタイア後に拘りの趣味が嵩じて始められたような、そんな気負い(≒商売気?)の無いゆったりした感じがしました(お聞きしたら申し訳無さそうに営業は昼間だけとのこと)。

 お店を出てからも、何とも不思議な感じ(強いて例えるなら、狐や狸ならぬ“マジック・バニーにつままれた”ような異次元空間)が消えませんでした。

 先週木曜日(28日)の朝刊を見ていたら、色鮮やかな全面広告が目に飛び込んできました。それも見覚えのある風景写真が。
 最近流行りの「分冊百科」(注記)で、今回は集英社刊行の日本の鉄道路線を題材にした『週刊 鉄道絶景の旅』の創刊広告。その創刊号が中央(東)線で、その広告(冊子の表紙)に使われている写真が、第50&61話『“日本で一番美しい”JR路線』で紹介させていただいた、我がイチオシの、4月中旬頃の新府付近を走る特急あずさと満開の桃畑越しに残雪頂く八ヶ岳(個人的にお薦めしたのは残念ながら甲斐駒でしたが・・・ま、いいか?・・・因みに八ヶ岳は長坂~小淵沢間からの眺めがベストだと思います)。
それこそ「涙が出るほど美しい!」と表現した「新桃源郷」の一コマ。「そうだよ!ここなんだよ、ここ!」と、本も写真も自分とは関係も無いのに家内に自慢気に見せましたが、「あっ、そう」・・・と残念ながらご興味を示されず、会話にもならぬ不完全燃焼のため、ブログに紹介した次第です。
 創刊号に中央東線が選ばれるというのも含め、正に「我が意を得たり」。実際は、第50話でご紹介した通りプロの方(偶然あずさに乗り合わせたJR貨物の機関士の方)のお見立てではありますが「やっぱりなぁ」と一人合点した次第です(と、早速帰宅時に本屋さんで購入してしましました)。

 長野県関係では、木曽路を駆け抜ける中央西線(名古屋~塩尻間)、北アルプスに沿って日本海まで北上する大糸線(松本~糸魚川間)、そしてのどかな(+天竜峡の)飯田線(豊橋~辰野間。因みに岡谷~辰野~塩尻間は中央東線)が今後の刊行予定全40冊の中に含まれています(注記:勝手なコメントは筆者)。

 因みに、誰が決めたか(実際は当時の国鉄とか)『日本三大車窓』は、「根室本線狩野峠付近」、「肥薩線矢岳付近」と「篠ノ井線姨捨駅付近」だそうです(山陰線の余部鉄橋とかも入ってないんですね・・・うん?車窓からは見えない?)。
 個人的には(他の二つは見たことがありませんが)、姨捨駅付近からの善光寺平(“田毎の月”と詠われた棚田と千曲川遠景)よりも、中央東線(新府に限らず、4月上旬の山梨市付近の桃畑や、勝沼から見下ろすピンクに染まる甲府盆地など含め)の方が素晴らしいと思います。

 さて、これから夏にかけて中央東線(注記その2)での私のイチオシは、下り線で終着の松本駅に到着する夕刻、左側の車窓に広がる「バラ色に染まる空を背にした屏風のような北アルプスの黒き峰々」・・・涙が出ます。
(でも夏は山に雲がかかり易く、本当に“感涙モノ”だった一瞬は、私も今までに一度しか出会ったことがありません)

【注記】
帆船キットなどの組み立て模型が付くモノが多かったことから、英語ではPart Workと言うそうで、TVCMで御馴染みのデアゴスティーニ(DeAgostini社。イタリアの出版社)が有名。
日本では百科事典が元々分冊方式だったことから「分冊百科」と呼ばれるのだそうです。
【注記その2】
JRの路線区分上は、厳密には塩尻~松本間は篠ノ井線に含まれます。今回の集英社版の中央東線も新宿から塩尻まで。但し、松本に住む人間にとって、感覚的に中央(東)線はあずさと一緒で、新宿~松本間です(一方、文化圏的に松本は東京・新宿へ向いているためか、東線に比べると中央西線にはそれほど馴染みがない気がします)。篠ノ井線は「姨捨駅」(普通列車のスイッチバックでも有名です)を含みますが今回はリストアップされておらず、松本が紹介されるとしたら(別にされなくても構わないのですが)大糸線(松本~糸魚川間)でしょうか?なお、大糸線の南小谷~糸魚川間は電化されておらず、現在は松本・糸魚川間を直接結ぶ定期列車はありません(南小谷乗換え)。大糸線・飯田線は元々私鉄からのスタートだったため、異常?(駅から次の駅が見える?ほど)に駅数が多いのが特徴。