カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
先週末、満開の桜と残雪の峰々に見送られ、子供達に会いに家内と上京しました。
今回は、届ける荷物があったため車で移動。ETC割引効果か、思いのほか。特に下り線はいつもの倍以上の混雑。土曜日の午前中でしたが、もう大月辺りから新宿までずっと渋滞です。皆さん『安・近・短』かもしれませんが、経済効果が現われれば良いですね(皆さま信州にも是非お越しください!)。上り線もいつもより交通量は多いものの、渋滞も無く順調に都内まで行くことが出来ました。
さて、途中、いつもは談合坂で休憩するのですが、今回は満開をやや過ぎてはいたものの、辺り一面、桃の咲く御坂町の釈迦堂で休憩(ここはPAから外に出て桃畑を散策すること可能)し、桃畑と、遠く我が国第2位の高峰・北岳(家内の絶賛する高村薫著「マークスの山」の舞台)などの鳳凰三山を撮影し、一路東京へ向かいました
先に次女のところに寄って、引越しで不要になった荷物を積み込み、神楽坂へ昼食に。その途中の風景。
袖摺坂と神楽坂(毘沙門天と道を挟んで鳥茶屋本館)、そして鳥茶屋別亭へ続く芸者小路と落ち着いた佇まいを見せるその鳥茶屋別亭(第53話を参照ください)。
神楽坂は相変わらずの混雑でした。本当は、娘が絶品と言う別亭の昼限定親子丼を所望したのですが、「今日の昼はダイエット!」という家内の拒否に合い、コーヒーも飲めるお洒落な中華カフェ?へ。親子丼はまた次の機会に。
通りには、昔いかにも芸妓さんだったのでは?と思われるご婦人方が着物姿でタクシー待ちをしていたり、毘沙門天には金髪の白人女性がこれまた着物姿の見事な立ち振る舞いでお参りをされていたりと、神楽坂界隈は何とも情緒風情があって良い街です。
その夜、休日出勤していた長女も合流して、久し振りに全員揃っての夕食。
品川の高輪口、ホテル・パシフィックの入口にある『シンガポール・シーフード・リパブリック』へ。わが国で唯一のシンガポール政府公認「シンガポール料理のレストラン」とか。マーライオンをかたどった門柱を抜けて店内に入ると、入口には100匹近いマッド・クラブが大きさ別に分かれてお出迎え。
そのマッド・クラブのブラック・ペッパーと、サテイ、カンコンの炒め物、フライド・ライスとフライド・ヌードル(要するに炒飯とヤキソバです)などなど。懐かしい、グリーンチリ(青唐辛子の酢漬け。醤油をかけて現地のツマミの定番)と家内と娘達の好物であるコリアンダー(現地では、香菜=シャンツァイ、パクチーとも)をサイドオーダー。シンガポール滞在時代を家族全員で懐かしんで、現地の味を堪能して帰ってきました。タイ料理ほどまだポピュラーとは言えませんし、値段も現地の倍以上とは言え、日本に居ながらにしてシンガポールの味が楽しめるとは、さすが東京と言うべきか。しかも殆ど満席状態でした。
なお、この「シーフード・リパブリック」はシンガポールの「ジャンボ」というシーフード・レストラン(チャンギ空港から市街に向かう途中、野鳥保護区「サンクチュアリ」近くの大きなウォータースライダーが目印)など現地3店との提携とのことですが、シンガポールへもし行かれたら、個人的には同じイーストコーストはシーフードパーク内の「レッドハウス」(第42話参照)の方がお薦めです。
【注記】
本来「シンガポール料理」というジャンルは(現地には)存在せず、多民族国家シンガポールは、その民族構成からも中華・マレー・インド料理などと、更には近隣のタイやベトナム料理、フレンチやイタリアン、日本食など含め、あらゆる味の交差点。例えば日本でシンガポール料理と呼ばれる中で、サテーはマレー料理ですし、チキンライスは中国海南島からの移民が広めたと言います(現地での英語名はハイナニーズ・チキンライス)。また福建省からの移民が多かったため、フッケン・ミー等の麺料理も大変ポピュラーです。なおシンガポール独特と言われるフィッシュ・ヘッド・カレー(言わば日本の魚の兜焼きのカレー煮版)は、南インド料理の影響。
中でもマレー半島に生まれた、マレー文化と中国文化の融合(現地マレー系と中国移民との結婚により、その2世の女性をニョニャと呼び男性はババと呼ばれた)を『ニョニャ文化(プラナカン文化とも)』と呼び、ニョニャ料理というジャンルも。
特に中国系移民の多かった、シンガポール、ペナンやマラッカにはそうした文化が今も息づいています。
ただ、海外ではチキンライスを含め、シンガポール料理と言った方が受け入られ易いのかもしれませんね(以前、家族でチキンライスを日本でどうしても食べたくて、ネット検索をしても引っかからず、駄目元で「シンガポール料理」と検索したら出てきたのにはビックリ。その名も「海南鳥飯」。水道橋と支店が汐留にあり、ほぼ現地の味でした)。