カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
先週後半から、チラホラとリンゴの花が開き始めました。リンゴの花は、真っ白く見えますが、つぼみの時は種類によって濃さは違いますが赤色をしています。一方、梨もリンゴより先に真っ白な花を咲かせていますが、こちらはつぼみの色はやや黄色っぽく感じます。果実の色がつぼみに表れているのでしょうか?
下の写真で、左が梨、右がリンゴです。
日曜日は、ぱらついた雨も午後は上がったので、今年の花摘みを開始しました。
この日は風が強く、曇りがちで寒い一日でした。美ヶ原・王ヶ鼻の辺りは白くなっていて、どうやら日曜日2000m級は雪だったようです。
花は、まだ三分から四分咲き程度なので、先ずは2年枝(花を全て摘み取ります)から始めました。今年も、五月連休が摘花作業のピークになりそうです。
リンゴ園の広がる神沢地区の里山がリンゴの花で真っ白く染まる季節になりました。
12年前の自宅建築時に庭の植栽まで資金が回らず、最初は「“タンポポ畑”もオツなもの」とそのままにしていたのですが、その内秋風が立ち綿毛が飛び始めると、ご近所に迷惑がかかることから、「何とかして!」という家内の悲鳴と、またガーデニングをいずれ定年後の趣味で続けられるようにという自分の興味関心もあって、(秋までにちゃんとタンポポは片付けた上で)翌春から自身で作庭を開始しました。
先ずは、近くの中央図書館から作庭やガーデニング、植栽などの本を何十冊と借りて来ては半年掛けて事前学習し、一応、芝生、雑木林(風)、ハーブの3つのコンセプト・ガーデンに分けて、通路で仕切り、飛び石を置いて、段差の部分は階段状の花壇とロックガーデン風に石組みをして・・・。
選び抜いた(つもりの)庭木も(無いものは取り寄せてもらい)ガーデニング・センターから我家のトラックで運んでは、自分で穴を掘り植え付けました。ゴールデンウィークは「ガーデニング週間」として庭造りに専念し、都合3年間掛かって仕上げ、素人にしてはそれなりの自信作が出来上がったと自負してもおりました。
ところが、3年前父が倒れてから、週末は農作業に忙殺されるようになると、庭には全く時間を割くことができなくなり(特に黄金週間はリンゴの摘花のピークです)、庭全体の雑草と、さらにはハーブガーデンにミント類も選んだ(植え方の)失敗から、それこそブッシュのようにはびこったミント(繁殖力のもの凄さと言ったら。竹のように地下茎でどんどん侵食していきます)に他のハーブは駆逐され全てミントに覆われてしまい、家内が「何とかして!」とまたもや悲鳴を上げ始めたのです。
そして、結局、自分での修復は諦め、知合いの専門家に全てお任せすることに。
事前の現場打ち合わせの際に、一応「基本設計は、素人とは思えないほど良く出来ていますよ!」と、(現状への問題・課題として家内の集中放火を浴びる私への同情と慰めも含めた)お褒めの言葉を枕詞にいただいた上で、「でも、しかし(+後に続く全否定・・・)」と全体の植栽(使えるものは出来るだけ残しながらも)から見直していただきました。
家内の「(出来るだけ)雑草の生えない庭に!」という無理難題へのプロの対策は、防草シートでウッドデッキの下や通路を覆い、その上に砂利を敷いて、カーブを描いて変化を持たせた通路にはその上に更にウッドチップも敷き詰めて。
雑木林風ガーデンは2つの株立ちのコナラ(銀色の芽吹きが綺麗なんです)が大きくなり過ぎたのと、落ちたドングリから芽が出るのに(子孫を残す自然の摂理ではありますが)閉口した家内の希望で一株は抜かれ、あえなく冬のストーブの薪になり昇天。そして、一部植栽を変更した上、樹下はシェードガーデンとして雑草対策も兼ねてグランドカバー・プランツ(ポテンチュラ)で覆い、その中に家内のたっての希望を入れて(幸いシェードガーデン向きということもあり)色んな種類のクリスマスローズを30株植えていただきました。
メインの芝生ガーデンは、シルバーブルーの色合いに憧れて、シンボル・ツリーとして植えたプンゲンス・ホプシーと、大好きで選んだ紅白の2本のハナミズキを含め幸いにも殆どそのままに(芝焼きを芽吹きの前にしていただきましたが効果大)。
そして、ミントガーデンと化したハーブガーデンは、食用ハーブを植えるスペースを一部確保していただき、はびこったミントは、しっかりと土をふるいに掛けて根まで徹底的に取除いた上で、堆肥等を混ぜて更に数ヶ月間土を養生させた後、季節と彩りを考えた花々を宿根草中心に植えていただきました。
なるほど!と感心したのは、プロは工事の出来上がりではなく、2年後3年後の成長した庭の様子を思い描いて作庭や植栽をしていくこと。やはり“餅は餅屋”と納得した次第です。なお、副次効果としては、家内が率先し且つ主体的にガーデニングをしだしたことでしょうか。メデタシ、メデタシ・・・。
さて、写真は、昨春の工事開始から一冬越えて、初めての春爛漫を迎えた庭の様子です。今年は少し花芽が少なめですが、松本の我家でもハナミズキが満開を迎えました。
先日、上諏訪にある五蔵(真澄、麗人、横笛、本金とこの舞姫)のひとつ、舞姫酒造が倒産との報道がありました。
若者の日本酒離れ等、色々要因はあるのでしょうが、今後支援先を探して(どこかの傘下に入ってでも)酒造りは続けていきたいとのことです。
舞姫は、江戸時代から続く味噌や醤油の醸造業から、明治時代に分家し創業と「諏訪の五蔵」の中では新しいとは言え、歴史ある銘醸です。昔から五蔵の中でも舞姫と真澄は「甘口」系というのが一般的な評判だったので、辛口系が好みの身(海外赴任してから20年来の冷酒党で、「日本酒はダサイ」と言うよりも、どちらかと言うと辛口の白ワインを飲む感覚です)としては、正直これまで余り舞姫をオーダーしたり、購入(専ら地元松本の地酒を買っています)したことはありませんでした(注記その1)。
しかし、蔵存亡の危機。諏訪で働かせていただいている一員として、ここは応援せずにはいられません(一滴もアルコールを受付けぬ家内からは、諏訪出身なのに「そんな応援は無用!」とのツレナイお言葉。でも、めげずに・・・)。
先日、上諏訪の割烹に行った際も、早速舞姫を注文。女将さん曰く、報道以来「応援しなきゃ」と舞姫を注文されるお客様が増えたとのこと。有難いことですね。
さて、薦められて(店のリストに舞姫はこれだけだったので自動的に)出していただいたのが、舞姫の純米『翠露』。リストにも記載がありましたが「中辛」。「あつ、舞姫にも辛口があるんだ!」と、先入観を反省し、認識を新たにした次第。
そのお酒。他にも幾つか(県外も含め8種類ほどの純米酒で)飲み比べてみましたが、いや、決してお世辞ではなく本当に美味しかったことと言ったら・・・。皆で飲み比べてみた中で、メンバー4人全員一致での1位評価でした。どこかの、まるで“水の如し”の「淡麗」系ではなく、しっかりとキレとコクがありました。甘口ではないこの舞姫「翠露」なら辛口党にもお薦めです。クセも無く、これなら洋食にも合いそうです(注記その2)。
どうぞ、日本酒党の方々、舞姫(辛口なら「翠露」)をお試しください。
【追記―訂正】
と、私も応援すべく、早速会社近くの諏訪の地酒を豊富に扱っているお酒屋さんに、会社帰りに寄ってみました。
ところが、舞姫酒造『翠露』は純米吟醸含め何種類もあるのだそうで、幾つか出していただいた「翠露」の日本酒度は殆どが+2度。えっ!「辛口」は無いんでしょうか?
酒屋さんが「こんなのもあるけど」と言って冷蔵庫の奥から出してくれたのが、純米辛口「翠露・秋あがり」720ml、1365円也。日本酒度+6度。「う~ん、これかなぁ?」と、とりあえずいただいて帰りました。
【注記その1】
因みに、諏訪エリアでは岡谷の高天が辛口系です。大昔、新宿のとある日本酒バーで信州の酒と知らず、日本酒の女性ソムリエ?に「知らないんですか・・・。本当に信州人?」と叱られたお酒。
岡谷には他に御神渡(みわたり)、下諏訪に最近評判の御湖鶴(みこつる)、茅野にダイヤ菊と酒蔵あり。
【注記その2】
飲み比べた中で、山口県の純米「貴(たか)」というお酒。「こんなのもあるんですが・・・?」と女将さんが出してきてくれました。
他と比べて、最初の口当たりにかなりのクセを感じたのですが、杯を重ねる毎に印象がプラスに変わっていきます。いや、知りませんでした。多分?万人受けするお酒ではないのかも知れませんが、何か蔵の「拘り」のようなものが感じられて、この「貴」が私としては当夜の2番評価。
土日の二日間、家内と二人で、芽吹きの始まった芝生の雑草取りに追われました。日曜日の昼過ぎには何とか終了させ、頑張った自分達へのご褒美を兼ねて、ドライブがてら少し遠出をして池田町(北安曇郡)の『安曇野・翁』へ、遅い昼食にお蕎麦を食べに出掛けました。
ここは、小淵沢にある「高橋名人」直伝の名店「翁」(現在は弟子に任せ、ご自身は広島『達磨』店主)から初めて暖簾分けを許された一番弟子のお店。今回で、2度目の来訪になります。
昨秋に初めて訪れた時は、ちょうどお昼時で店の外にまで行列が出来ていましたが、今回は2時頃の到着だったためすぐに座ることが出来ました(そう言えば、前回は外で待つ間に付近を散策して、周辺の雑木林で「リコボウ」を1本見つけました)。
場所は池田町の東側山麓の高台にあり、すぐ近くには町立美術館やクラフトパークなどがあって、「信濃富士」と呼ばれる有明山から白馬連峰までの北アルプスの峰々が一望できる絶好のロケーション(注記その1)。当日も、美術館周辺には桃や山桜越しに残雪の山々をスケッチする愛好家の方々がイーゼルを立てて筆を走らせていらっしゃいました。
従って、仮に混雑していて店の外で待っていても、特に県外から来られたお客さんには「景色もご馳走」で、多分待つことにそれほど苦痛を感じないのではないか、と思わせるほどのアルプスの絶景が目の前に広がっています。
営業時間は、11時から17時まで(月曜定休)。売り切れ次第閉店とのこと。
蕎麦は、ざる(盛り)のみで、更科系と黒くて太めの田舎の二種類(この日は田舎は既に売り切れでした)。メニューは、普通の「ざる」と辛味大根の卸大根を薬味に使う「おろし蕎麦」、鴨せいろの三種類のみ。「ざる」は一枚840円(田舎も同額)。おろし1050円、鴨せいろ1350円。前回の経験で、男性は一枚では足りないことと、草取りで二人ともお腹が空いたこともあり、おろしそばと鴨せいろ含め、計4枚を注文しました(結果的には私が2枚半いただきました)。
暫し待つ間(その間、何度もお茶を注ぎ足してくれます)、家内に、大きな窓越しに広がる山の説明。有明山の左に大天井、東天井。常念は、ここからは有明に隠れています。右隣には、松本平の中学校の集団登山(注記その2)の山「燕(ツバクロ)岳」から蓮華岳、それから大町方面の爺ヶ岳、餓鬼岳。さらには遠く白馬方面の鹿島槍と連なっていきます。
この景色も「安曇野・翁」のご馳走だとすると、ここを選んだ理由も夜間営業しないのもなるほど正解なのかもしれません。
さて、運ばれてきた蕎麦(自家製粉の二八とのことですが)は中細で腰があり蕎麦の味がして、昨秋から我々の一番評価です。おろし蕎麦は、辛味大根(信州ではその形から「ネズミ大根」とも)の辛さが刺激的。鴨せいろの漬け汁も良い味が出ているのですが、蕎麦に勝ち過ぎてしまい、純粋に蕎麦の味を楽しむには蕎麦つゆの方がいいかな、と個人的には感じました(余談ですが、「ざる」の薬味に付いていた生ワサビがおろし立てで風味が最高でした。手を抜いていません)。
昨年秋、県内の、これまた「蕎麦打名人」系列の有名店で食す機会がありましたが、残念ながら余り感心しませんでした。が、ここ「安曇野・翁」は素直に「美味い!」と思いますし、素晴らしい景色もあって県外からのお客さんが来たら、迷わずここへお連れしようと思います。また、ここは接客態度も好ましく、忙しい中にも「おもてななし」の心を感じさせてくれます。
心もお腹も満腹になって帰路につきました。
「ご馳走さまでした。また、来ます!」
【注記その1】
車で行く(・・・でしか行けませんが)場合は、松本からですと国道19号線を、明科から県道51号線(大町明科線)に入り、「大雪渓酒造」の直前に「町立美術館」などの案内板が出ていますので、右折して「美術館」を頼りに行けば行き着きます。(前回は「大雪渓」に気を取られて、行き過ぎてしまいました)。
【注記その2】
家内に寄れば、県外の方は学校行事「集団登山」の存在に「さすが山国」とビックリされるのだとか、そうなんですか・・・。因みに松本平では北アルプスの初心者の山「燕岳」ですが、家内の出身、諏訪エリアの中学校は、八ヶ岳の主峰「赤岳」だそうです。双方ともその高低差ほぼ2000m。
先月のある金曜日の夜。帰宅すると、家に食材無しとの事から「じゃあ、軽くお蕎麦でも」と、家内と市内の「とある」お蕎麦屋さんへ初めて行ってみました。
そこは、最近市内のある老舗料亭が始めたというお蕎麦屋(+居酒屋)さん。観光客が訪れる界隈にあり、多少値段は高めかなと思いましたが、メニューには馬刺しや蜂の子(好物に非ず)、季節モノの「わさびの花のおひたし」など信州の郷土料理もあり、内装など店の雰囲気も(観光客向けとしては)悪くありません。玄蕎麦も県内の契約農家から直接購入しており(自家製粉とのこと)、拘りも感じられます。
店内に入ると、奥の座敷では宴席があるらしく賑やかでしたが、テーブル席は誰もおらず、最後まで私達だけでした。夜八時頃でしたが、一品を幾つか頼み、家内が先に蕎麦を頼んだら、宴会のため足りなくて「半蕎麦」(ザル1枚)しか出来ないとの事。止む無く諦めましたが、ご主人が何とか2枚(一人前 1250円)作って持ってきてくれました。二人でシェアしましたが、(更科的田舎、なんて評価はないか・・・?言って見れば両者の中間的)そばの香りもコシもあり、つゆも含め悪くありません。(家内が)お勘定を済ませて出る時に、ご主人が『是非宴会にも使ってください』とのこと。
でも、何か違うんです。料理もそれほど悪くないし、蕎麦も悪くない。でも、ちょっとなぁ。バイトの娘も含め、やらされ感というか、「もてなし」という雰囲気が全く感じられない。予約の電話の時から応対もつっけんどん。だから店に活気(覇気)が無い。また、当日宴会以外では私達だけでしたので止むを得ないのか、暖房も効いておらずこの時期でも寒くていられない。最後までお店の中に「笑顔」がありませんでした。こちらも長居をする気も早々に無くなってしまい、追加オーダーもせず「もう帰ろうか?」(帰宅後改めて腹ごしらえ)
勿体ないなぁ、場所も蕎麦も悪くないのに・・・。昼の観光客の一見さん相手だけならいいのかもしれませんが。宴会を呼び込む努力ではなく、もっと違う姿勢がリピーターを(呼び込まずとも自然と)増やすべく必要なのに。悪循環なのかもしれませんが、老舗料亭の名前(多分次男か三男の方が始めたのでは?と勝手に推測し、全く違うジャンルへのチャレンジ精神)に大いに期待して行ったのですが、残念ながら職場のメンバーや友人を連れて行こう(薦めよう)という気には全くなれませんでした。
未だ若いご主人がいつそれに気付くか?でなければ、やがて消え去る運命か・・・。(次の第68話と対比すべく、敢えて掲載させていただきます)
19日の日曜日の朝、先にチロルの散歩にたっぷりと行って来てから、ナナの散歩も兼ねて(車で)アルプス公園へ最後のお花見へ。
松本も市街地は、とうに葉桜ですが、ここ標高800mのアルプス公園は例年一週間から10日ほど遅く、当日は散り始めというところ(昔はメーデーの後でも未だ花見ができた年もあったので、やはり今年は例年よりは早めです)。
朝8時前でしたが、もう(昼からの?)お花見の場所取りの人たちや、マレットゴルフに興ずる元気な高齢者の方々と、さらに意外だったのは三脚を持った多くのアマチュア・カメラマンの人たちで、結構混んでいました。松本地方久し振りの快晴で、やや霞んではいましたが常念始め西山の峰々が遠く白馬連峰までくっきりと望めました。
アルプス公園は城山山系の奥に位置し、市中からは車で15分ほど。我家からは裏山の位置になり、ほんの数分です。市内から至近距離に、高原の風情ある広大な公園があるというのも珍しいのではないでしょうか。その広さ72haとのこと。特に小さなお子さん連れには、遊具や小動物園もあって(お金も掛からず)格好の遊び場であり、松本市民の憩いの場です。近年倍に拡張され、駐車場も3ヶ所に増えて、アクセスも3方向から可能(お陰で家の前の道路は交通量が増えましたが)になりました。
以前も書いた通り、ここは私が子供の頃は長野県の種畜場で、牛や馬などの家畜が放牧されていて、蝶の採集などで駆け回った自分の?庭でした(標高が高いせいか、下とは種類の違う蝶が生息していました)。また、眼前に広がるアルプスの眺望の素晴らしい場所を見つけ、(当時は来る人も無く)誰も居ない草原に寝転んで暫し眺めていた子供時代の秘密の場所でもありました。また種畜場時代から、一角で営業していた「まきば山荘」が今でも、公園内で独占的に営業を続けていますが、当時としては珍しかったジンギスカン料理が今も名物です。
その頃から植えられていた桜も含め、公園になった今ではソメイヨシノを中心に500本の桜が広い公園内に植えられています。この時期は、桜に負けず「こぶし」の白い花も印象的です。また、ここは公園としては珍しく火気の使用が認められているため(直火以外)、お花見等は、焼肉やバーベキューを楽しむこともできます。お花見は、皆さん、家族広場に近い桜の下で思い思いにされていますが、意外に穴場なのは、ドリームコースター発着所付近から下っていく道路沿い。公園整備後のアクセス道路が開く前のメイン道路。両脇に50歳くらいの壮年期の桜並木が坂を下るように数百メートルに亘って延々と続く様は見事です。但し、坂なのと、マレットゴルフのコースが谷沿いに作られているので、平らな場所を探すのに少々苦労しますが、上の広場ほど混雑していません。
写真は、19日朝のアルプス公園の様子。時々刻々、日一日と変化していますので本日同様に非ず、とご理解願います。
【番外編】
母のところにいるシーズー、ナナです。この16日で満2歳になりました。ブログ・デビューです。以後お見知りおきください。
先週末、満開の桜と残雪の峰々に見送られ、子供達に会いに家内と上京しました。
今回は、届ける荷物があったため車で移動。ETC割引効果か、思いのほか。特に下り線はいつもの倍以上の混雑。土曜日の午前中でしたが、もう大月辺りから新宿までずっと渋滞です。皆さん『安・近・短』かもしれませんが、経済効果が現われれば良いですね(皆さま信州にも是非お越しください!)。上り線もいつもより交通量は多いものの、渋滞も無く順調に都内まで行くことが出来ました。
さて、途中、いつもは談合坂で休憩するのですが、今回は満開をやや過ぎてはいたものの、辺り一面、桃の咲く御坂町の釈迦堂で休憩(ここはPAから外に出て桃畑を散策すること可能)し、桃畑と、遠く我が国第2位の高峰・北岳(家内の絶賛する高村薫著「マークスの山」の舞台)などの鳳凰三山を撮影し、一路東京へ向かいました
先に次女のところに寄って、引越しで不要になった荷物を積み込み、神楽坂へ昼食に。その途中の風景。
袖摺坂と神楽坂(毘沙門天と道を挟んで鳥茶屋本館)、そして鳥茶屋別亭へ続く芸者小路と落ち着いた佇まいを見せるその鳥茶屋別亭(第53話を参照ください)。
神楽坂は相変わらずの混雑でした。本当は、娘が絶品と言う別亭の昼限定親子丼を所望したのですが、「今日の昼はダイエット!」という家内の拒否に合い、コーヒーも飲めるお洒落な中華カフェ?へ。親子丼はまた次の機会に。
通りには、昔いかにも芸妓さんだったのでは?と思われるご婦人方が着物姿でタクシー待ちをしていたり、毘沙門天には金髪の白人女性がこれまた着物姿の見事な立ち振る舞いでお参りをされていたりと、神楽坂界隈は何とも情緒風情があって良い街です。
その夜、休日出勤していた長女も合流して、久し振りに全員揃っての夕食。
品川の高輪口、ホテル・パシフィックの入口にある『シンガポール・シーフード・リパブリック』へ。わが国で唯一のシンガポール政府公認「シンガポール料理のレストラン」とか。マーライオンをかたどった門柱を抜けて店内に入ると、入口には100匹近いマッド・クラブが大きさ別に分かれてお出迎え。
そのマッド・クラブのブラック・ペッパーと、サテイ、カンコンの炒め物、フライド・ライスとフライド・ヌードル(要するに炒飯とヤキソバです)などなど。懐かしい、グリーンチリ(青唐辛子の酢漬け。醤油をかけて現地のツマミの定番)と家内と娘達の好物であるコリアンダー(現地では、香菜=シャンツァイ、パクチーとも)をサイドオーダー。シンガポール滞在時代を家族全員で懐かしんで、現地の味を堪能して帰ってきました。タイ料理ほどまだポピュラーとは言えませんし、値段も現地の倍以上とは言え、日本に居ながらにしてシンガポールの味が楽しめるとは、さすが東京と言うべきか。しかも殆ど満席状態でした。
なお、この「シーフード・リパブリック」はシンガポールの「ジャンボ」というシーフード・レストラン(チャンギ空港から市街に向かう途中、野鳥保護区「サンクチュアリ」近くの大きなウォータースライダーが目印)など現地3店との提携とのことですが、シンガポールへもし行かれたら、個人的には同じイーストコーストはシーフードパーク内の「レッドハウス」(第42話参照)の方がお薦めです。
【注記】
本来「シンガポール料理」というジャンルは(現地には)存在せず、多民族国家シンガポールは、その民族構成からも中華・マレー・インド料理などと、更には近隣のタイやベトナム料理、フレンチやイタリアン、日本食など含め、あらゆる味の交差点。例えば日本でシンガポール料理と呼ばれる中で、サテーはマレー料理ですし、チキンライスは中国海南島からの移民が広めたと言います(現地での英語名はハイナニーズ・チキンライス)。また福建省からの移民が多かったため、フッケン・ミー等の麺料理も大変ポピュラーです。なおシンガポール独特と言われるフィッシュ・ヘッド・カレー(言わば日本の魚の兜焼きのカレー煮版)は、南インド料理の影響。
中でもマレー半島に生まれた、マレー文化と中国文化の融合(現地マレー系と中国移民との結婚により、その2世の女性をニョニャと呼び男性はババと呼ばれた)を『ニョニャ文化(プラナカン文化とも)』と呼び、ニョニャ料理というジャンルも。
特に中国系移民の多かった、シンガポール、ペナンやマラッカにはそうした文化が今も息づいています。
ただ、海外ではチキンライスを含め、シンガポール料理と言った方が受け入られ易いのかもしれませんね(以前、家族でチキンライスを日本でどうしても食べたくて、ネット検索をしても引っかからず、駄目元で「シンガポール料理」と検索したら出てきたのにはビックリ。その名も「海南鳥飯」。水道橋と支店が汐留にあり、ほぼ現地の味でした)。
10日の先週金曜日、職場行事のお花見としてわざわざ上諏訪から移動して、夜間無料開放の松本城の本丸庭園からライトアップされたお堀の夜桜見物へ。観桜会は初めてでしたが、十六夜の月見櫓から生演奏の琴が流れる中、予想以上のかなりの人出でした。その後は花よりお酒で、「行ったことが無い」というメンバーもいたことから『しづか』を事前手配。
戦前から続く松本の老舗(割烹/居酒屋?)。その昔は松本の“文化人”の溜まり場だった店。「しずか」に非ず。
店名は、酒をこよなく愛した信州にもゆかりの牧水(妻貴志子は塩尻市広丘の出身)の、
白玉の 歯にしみとほる秋の夜の 酒はしづかに飲むべかりけり
(明治43年 信州小諸にて)
と、初代女将さんの名前が「しづ」さんだったからの命名とか。おでんや焼き鳥が昔からの定番。昔、同級会と言えばここくらいしか無かったような気がします。最近は、駅から少し離れているため足が遠のき、案内するこちらも久し振りです。本当は一階(ホール)席の方が、使い込まれた松本民芸家具など松本情緒を楽しめるのですが、春の今宵は、失礼ながら牧水風に拝借させていただくと“もののふの 散るは今かと咲き競う 酒は騒ぎて飲むべかりけり”と、予約済みの2階の座敷へ。私達同様、皆さんお城の夜桜見物からの流れか、いや結構混んでました。
さて、当日一品で色々頼んだ中で、個人的には「松本一本ネギの味噌焼き」が花丸でした(グルメ派は自家製のシメサバを「松本にしては」と誉めていました)。
本来は江戸時代から続く「松本一本ネギ」という郷土野菜があるのですが、曲がり易く、また夏の植え替えの手間が大変なことから一時廃れたのを、最近の伝統野菜ブームもあり有志が復活させ、JAが会員を募って地元農家などで栽培しているといいます。加熱すると甘くなることから、冬の鍋物などに入れると本当に甘くて、地元の定番です。
原種ではないのかもしれませんが、我家始め農家では今でも自家用に植えていて、夏、畝を作って一本一本植え替えをし、土寄せをしていきます。一本ずつ植え替えるので、太く、また土を被せることから、白い部分が長く柔らかいのが特徴です。
さて、その味噌焼き。5cm程度のぶつ切りのネギの縦に切り目を入れ、そこに信州味噌を塗ってただ焼いただけ(但し、ちゃんと炭火で)。
食べると、焼いたネギの歯ざわりと香ばしさと共に、ネギの甘味と味噌の風味が交錯し、素朴ながら美味感動。他に松本一本ネギの天婦羅もあるそうです。こいうのを美味しいと感ずるのも年をとった証拠かもしれませんね。でも、地酒の冷酒に合う松本らしい一品でした。
久し振りの「しづか」と夜桜に皆満足し、そぞろ歩きで店を後にしました。
信州松本も6日に開花宣言が出され、漸く桜の季節になりました。今年の松本は、ソメイヨシノと彼岸桜が競演です。写真は、ぶれてしまいましたが、昨晩の松本城のお堀の桜と、我が家のヒガンザクラです。
松本の観桜として個人的なお薦めは、松本城、弘法山、アルプス公園。
松本城は、以前徳光さんが『ザ・サンデー』の中で、桜の名所中継の後「松本城の桜もいいですよね。」と誉めてくれましたが、多分、雪の北アルプスを背にする松本城とのコントラストがあってこその桜なのでしょう。城内に320本。今年の松本城の夜桜観桜会(夜桜のライトアップと本丸庭園無料開放)は9日から16日まで。
弘法山は、松本南西部、母の実家並柳地区にある小山ですが、頂上に東日本最古級と言われる前方後方墳が発見された後整備され、山全体に桜が植えられました。(まだ若木が多いため)その数2000本とか。夜、灯篭に明かりがともされ、全山淡いピンクに浮かび上がる様は見事です。まさに春宵一刻値千金。
城山山系にあるアルプス公園は、市街地より遅れて咲き、広い公園が500本の桜で埋まります。公園となる前、県の種畜場時代から植えられていた桜が多く、今は家族連れで賑わいます。さらに近年倍以上に拡張され、それに合わせて駐車場も増えました。
全国各地の桜名所の中で、個人的には、是非一度、武家屋敷と枝垂れ桜の角館に行ってみたいと思いますね。
子供達が小中学校の頃は、毎日クラブ活動の朝練に送ってから駅まで行く際、お堀端(片端)を通っていましたので、この時期は日々の桜の変化を感じながらの通勤でした。
また、その頃は父も元気でしたので、皆で歩いてアルプス公園へ行って、家族総出の焼肉をしながらのお花見が年中行事でした(注記:アルプス公園では直火以外の火気使用が認められています)。
長女が大学に入学した時に、私の時は来なかったのに、父が入学式に行くと言い出し、母も一緒に連れて行きましたが、国立の大学通りを歩きながら、一度桜の季節に是非来たいと言っていたのが実現させてやれず、心残りです。確かに見事な桜並木です。彼女は谷保に住んでいましたので、毎日その桜の下を通学していたのでしょう。
その長女の高校卒業式。彼女も所属していた音楽部主体の在校生有志が、森山直太郎の「さくら」の合唱で先輩達を送り出したいと、校長先生の反対の中企画・練習し、教頭先生達の後押しもあって最後は校長先生も折れての式当日。
体育館の中だけ一足早く咲いた「さくら」の歌声と“旅立ち”の拍手に送られて、3年生諸君が涙と笑顔で退場していったのを思い出します。
さまざまな 事おもひ出す 桜かな(芭蕉)
先週末の日曜日、遅めの昼食を取りつつの買い物に出掛けました。
最初は簡単に蕎麦でもと、「コスト・パフォーマンス」も悪くない、井上デパート近くのお蕎麦屋さんに行こうと思ったら戸が閉まっていて・・・。親会社が以前倒産しているのですが、ここも店仕舞いなのでしょうか。ロケーションは良いのに、世の中厳しいですね。
さて、どうしようか?ということで、「簡単」ではなくなりますが、以前から気になっていたイタリアン・レストランへ行ってみることにしました。
その店は、多分昨年?オープンした店で、松本駅前のエスパの北隣にあるビルの地下。その名は『Ristrante Tremani』。
東京でシェフをやっていた方が松本に戻って?始められたと友人から聞いていました。まだ地元誌等でもあまり取り上げられていません。
目立たない入口から、狭い階段を下りていきます。内装はシンプル&モダンで、落ち着いた大人の?雰囲気。壁でコーナーに仕切られています。
ランチ・メニューは4つ。Aコース950円から、Dコース3000円台まで(オーダーする気が無かったのでスイマセン記憶不鮮明)。
家内がAコース、私はBコース1500円を注文。自家栽培という野菜サラダと、同じく自家製パンと、スパゲティ、コーヒー/紅茶の他に、Bコースは前菜盛り合わせ(この日は「鶏肉のテリーヌ、ゴルゴンゾーラのカナッペ、トビウオのカルパッチョ」・・・ムム!なかなか)とデザートが付きます。全コース共通で、春らしい5種類ほどのスパゲティの中から家内が選んだのは「ハマグリと菜の花」のスパ(コース料金+300円。もう一つ+200円のメニューがありましたが、以外は追加料金無し)、私が「カジキ鮪と春キャベツ」のスパ。その日のデザート(家内用)は自家製チョコレート・ケーキ。
春の素材を活かすように味付けはシンプル(と素人目には感じましたが)、ハマグリと菜の花のスパの美味しかったこと。家内は、春キャベツの甘味の効いたスパを絶賛。麺もしっかりアルデンテ。量は男性にはやや少なめでしょうか。そう言えば、メニューに「大盛り+150円?」とか書かれていたような気がしましたが、そう言うことだったんだ。でも、女性には充分です。
家内と私の評価は『松本で2番目!』(私達の「とっておきの店」・・・いずれご紹介します・・・がやっぱり1番。但しそこは夜だけなので、ランチではここがベスト!)。自家製ケーキも美味しかったそうで、高校時代の『悪女?4人組』で時々集まっている家内が、「今度ここへ連れて来よう!」と言っていましたが、確かに、特に女性にはお薦めです。地方都市というより、新宿?いや、銀座の小路を入ったところにあるような、そんな洗練された大人の?隠れ家的イタリアンでした。
(以前、東京出張の際娘達が連れて行ってくれた、とある有名店。世界大会で優勝した店とかで、行列店でした。確かに美味しい。しかし、若者には活気と感じられるのでしょうが、あのスタッフの喧騒に中年は付いていけません)
接客も押し付けがましいところが無く、『こんなちゃんとしたイタリアンが松本にもあるんだ!』と感心感激ひとしきり。しかも、ランチのコースは、値段もリーズナブル過ぎて「これでやっていけるのかな?」と逆に心配になってしまいます。
でも、若者や時代に迎合しない、こういう落ち着いた雰囲気の店が長く続くような街じゃないと『文化都市』なんぞとは言えない気がします。是非この松本でずっと続くように、どうぞ、先ずは奥様方ランチへ出掛けてあげてください。
【追記】
・・・と、レストラン・カードをいただいて来て、早速職場の女性陣へも薦めました。お試しあれ。
「リストランテ・トレマーニ」松本市深志1-2-5 上條医院ビルB1 (0263)33-6021 *月曜定休日
今日、東京に出張してきました。新宿へのあずさの沿線、新府の辺りはまだでしたが、甲府を過ぎると桃が咲いていました。車窓から撮りましたが、肉眼の印象とは多少違いますが、雰囲気だけでも感じていただけたら幸いです(第50項『“日本一美しい”JR路線』参照ください)。
松本から(上り)ですので、最初が、長坂過ぎてからの甲斐駒ケ岳、続いて甲府を過ぎての桃畑です。
今朝の松本は、昨晩からの冷たい雨が山では雪だったようで、標高1000m位から上は真っ白でした。全くエイプリル・フール(≒お天道様の冗談)かと思いたくなるような寒さでした。
先月20日からの三連休で桜が開花した東京も、2週間近く経ってもまだ満開ではないとか。“花冷え”以上の先週からの寒の戻りで、今年の桜は長く楽しめそうですね。明日3日が予想日だった松本の開花も、この分ですと遅れそうです。
リンゴやブドウの開芽(農林業の専門用語でしょうか?JA通信ではこう呼んでいました)も遅れています。あまり早くても、その後に霜(遅霜)が降りると霜害になってしまうだけに、桜もリンゴやブドウも気候に合わせて、ゆっくりでいいよ!と声を掛けたくなりますね。
今日は4月1日。新年度のスタートです。電車の中も、着馴れぬスーツ姿の新入社員がたくさん乗っていました。1年前は上の娘もそうでしたので、どうしても親目線で見てしまいます。短いようでも、1年という月日は着実に時を刻み、若者を成長させてくれます。「みんな、頑張れ、がんばれ!」
さて、駅から会社までの通勤路。何と、燕が。今年初めて燕が飛んでいるのを見掛けました。いつもより早いのではないでしょうか?松本では、まだ燕を見掛けていません。長旅を終えて、生まれ故郷に帰ってきたのでしょう。今日の日に相応しい“フレッシュな発見”でした。
*燕を詠んだ句を探したのですが、なかなか見当たらず、そこで止む無く・・・
南方より 春を纏いて 燕(つばくろ)の舞う (・・・字余り)
【追記】
週始め、家内が上京し、作り置きをしていってくれた「クリームシチュー」を夕飯に食べるにあたり、そのままでは芸もないことから、最近とある紹介記事で目にした『(パスタ用?)クリームソースに入っていたふきのとうが以外にマッチしていて・・・』をヒントに、クリームシチューにふきのとうを入れて暖め直してみました。
ふきのとうそのものは、決して(もう花が出ており信州弁?で言えば「じゃみっぽい=じゃみじゃみして?」)美味しくはありませんでしたが、ソースにふきのとうの苦味が程好く出ていて、春らしくてとても美味でした。(強制適用)休肝日ゆえお酒も飲めず(白ワインか辛口の日本酒が合いそうです)、一人寂しく「春だなぁ・・・」と悦に入ったのでありました。
最近、松本の老舗の文具店である『遠兵』(えんひょう)が倒産という新聞記事を見てびっくりしたのですが、先週末、伊勢町を車で通ると、確かにシャッターが降ろされていました。
子供の頃から、ここに行けば、筆記用具であれ、特殊紙であれ、手に入らないものは無いという感じの「文具のデパート」でした。本町にあった当時は学生でごった返していたと思いますが、通信販売や携帯メールの普及、郊外店の進出等・・・。考えてみれば自身も手紙を書くことも、その前に自筆で何かを書くことも少なくなりました。同じく老舗の本屋であった「鶴林堂」も数年前に倒産してしまいましたが、子供達を見ていると本を読まなくなりました。また両店とも街中にあり、自前の駐車場が無いため、斯く言う自分自身も足が遠のいていました。
文化都市と言われる松本も、その底辺を支えていた老舗の店が次々と無くなっていきます。そう言えば、以前買いたいと思っていたビジネス書が市内どこにも無く、東京への出張の折、新宿の紀伊国屋に立ち寄ったら、山積みされていて唖然としたことがあります。バスに乗らないから、いよいよ路線が縮小され不便になって、尚更乗らなくなる。そんな悪循環なのでしょうか。
その昔。松本で、学生がラブ・レターや文通(もう死語ですよね)の手紙を書こうとしたら素敵な便箋や封筒を買いに行く店。頑固な先生が、逸品の万年筆や舶来のボールペンの替え芯を捜しに行く店。そんな店は地方都市にはもう必要ないのでしょうか。一抹の寂しさを感じます。