カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
犀星が、青年期に『美しき川は流れたり。そのほとりに我は住みぬ』と詠いながら、後年『遠きにありて思うもの・・・(中略)帰るところにあるまじや』と(反語的であれ)自分自身に対し、突き放さざるを得なかった「ふるさと」。
誰しも、高校生の頃は、山に囲まれた「何も無い(と思えた)ふるさと」から、山の向こうにあるであろう可能性という「無限に広がる世界(都会)」へ憧れて、希望を胸に故郷を後にして都会へ出て行く・・・のではないでしょうか。
私も、自身の決断(幼い頃から、今は亡き祖母から「帰るべき」を深層心理にまで埋め込まれた結果)とはいえ、故郷である松本に帰ってきて暫くは、何か仕事などで面白くないことがあったり、一方で都会の華やかさの中で活き活きとしている友人を見るにつけ、とかく他責で「家」を含めた故郷「松本」のせいにしていたような気がします。
そんな折(四半世紀以上も前)、ふとしたことで手にとったエッセイ(作者は失念。そんな有名な方ではなく、その本も全国の特徴ある地方都市を紹介する紀行文だったような)の中で『信州松本』が取り上げられていて、『(松本城に代表される)歴史や文化があり、北アルプスの峰々に抱かれたこんな街で、○○銀行や○○社に就職し、休日に「まるも」で珈琲を飲みながら(山を仰ぎ見て)暮らせる松本の人たちは幸せだ。』という趣旨だったように記憶しています(おそらく市内を散策した後、「まるも」でその原稿を書いているのではと思われるような文章でした)。そして、今もその時の心象風景が鮮やかに甦ってくるのは、本当に冗談のようですが、その○○社に勤務(Uターンするとしたら、公務員か、当時その2社くらいしか実際に新卒採用はありませんでした)し、休日にクラシック音楽の流れる、正しくその『まるも』で一人コーヒーを飲みながら、その本を偶然手にしていたのです。
そして『そうか、そうなんだよなぁ!』と、甚く自身に合点が行き、(それまでは故郷「松本」のせいにして逃げていた)その時の自分の心に深く静かに染み込んでいったのを、まるで昨日のことのように覚えています。
(写真は「まるも」外観。女鳥羽川の対岸から)
娘達は、上は昨年東京で就職。下も東京の大学に進学し、卒業後は彼女も戻っては来ないでしょうし、私とは違って、子供の頃から海外でも暮らした彼等ですので、この狭い松本に縛られる必要もないと思います。
しかし、若い頃は「何も無い」と感ずる故郷ですが、それは都会に「今あるもの」の方が大きいから。でも、故郷に「あった」ものが見えてきた時に、帰るところがあることの幸せを、やがて(彼等も)感ずる時がきっと来ると思います。後年(定年後でいいので)、帰る故郷があり、それが(彼等にとっては)松本だった幸せを噛み締める日が。そして、その時は間違いなく居ないであろう親たちの暮らした痕跡を、この街でデジャヴュのようになぞる時が・・・。
その時まで、ふるさとは「遠きにありて思うもの」であっていいのだと思います。
(以上、テレ朝『人生の楽園』的独り言・・・でした)
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