カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
通常は、文字情報より映像の方が、音も含めアリティーや視覚による迫力は増していくものだと思います。しかし、文字では書けるものも、時として映像化が困難だったり、逆に読み手の想像力を掻きたてることが無くなることや、設定やキャスティング如何により、文字情報だけの原作以下になってしまうことも多々あることかもしれません。
そんな一例が、『ミッドナイト・イーグル』。“北”のスパイ工作により冬の北アルプスに墜落したステルス戦闘機の核兵器争奪を巡る緊迫のストーリー。国際情勢等で実名での(更に背後にいる)敵国扱いが難しかったり、撮影そのものの困難さは理解できるとしても、原作での夫婦の設定が、何故か映画での設定は兄と義理の妹。不慮の事故で亡してしまった娘の設定も無く、親子・夫婦の情愛が、兄妹では描き切れなかったと思ったのは私だけではないのでは。原作の持つスケール感も設定が小さくなり、情感を含め全体にスケールダウンしてしまったのは否めないと思います。家内から勧められて原作を読み、映像化に期待していただけに残念でした。同様に、嘗てTVドラマ化されてがっかりしたのが「夏子の酒」。ある意味、離れたことで日本を再発見できる海外駐在時代のバイブルとして、ダサいと思っていた日本酒を見直し、地酒好きになったキッカケだっただけに、TVドラマの薄っぺらな作りに(多少大袈裟に言わせていただければ)何か大切なものを壊されたかのような憤りすら覚えるほど失望したものです。
それほどではありませんが、最近の映画化『チーム・バチスタの栄光』(これは私から家内への推薦図書。「このミステリーがすごい大賞」選考時に数秒で満場一致というのも納得)も、あえて田口センセをヒロイン化する必然性は無かったんじゃ?一方、白鳥役の阿部寛は「はまり役」でした。
その意味では、映像化の難しさと、一方で文字(絵)の持つ(人間の想像力という)無限の広がりの可能性を感じます。
逆に、映像を見て感動し、原作を読みたくなるということも良くある話。私の場合は、最近で言えばNHKでドラマ化された『ハゲタカ』(当時大学生だった長女と、「これ面白いんだよ!」と同時に読んでいてお互い薦め合ったのがこの本)であり『フル・スイング』でした。
そして、今にどこかで映像化されないかと期待しているのが、北方謙三が曽祖父をモデルに日経に連載した『望郷の道』。実話に基づく波乱万丈のストーリー展開は勿論ですが、文章から脳裏に投影される色彩感が非常に印象的でした。果たして映像は文字を超えられるでしょうか?