カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
年末年始の食習慣として、先ず大晦日。富山から飛騨を通り野麦峠を越えて松本に至るルートを「鰤街道」と呼び、富山湾・氷見で水揚げされたブリが運ばれて来て、出世魚というおめでたい魚ということでしょうか、年越しには必ずブリを食べるという風習が今でも続いています。日頃は質素な食事の農家でも、この日だけはブリを買い、アラはブリ大根にして、一年の感謝をします。明けての元旦は、松本地方が全てではないようですが、我家では先ず朝に全員で新年の挨拶の後、「マメでクリクリ掻き回す」と豆や栗や柿でお茶をいただき、健康で粘るようにということでしょうか、お昼に芋汁(トロロ汁)。お雑煮は元旦ではなく、二日目の朝(醤油仕立て)。正月用の食材は並ぶものの、子どもの頃は、お重でのオセチがなく寂しい思いをしたものです。
松の内が終わる7日、松飾を子ども達が地区毎に集めに回り、それを心棒の回りにツリーのように積み上げるのが、三九郎(どんど焼き)。竹を心棒に使うところもあるようですが、岡田では赤松。これを、小正月の繭玉を持って集まり、14日の夜燃やしてその火で焼いて食べると健康になるというもの。燃え残った赤松は20cmほどに切って、翌日道祖神のお札と一緒に各家に配りながら、お駄賃をいただてそれで文房具を買って子ども達全員で分配します。各家では、その心棒を使い一年の健康を祈って、ご飯を炊くとかお風呂を沸かすという慣わしでした。当時は、地区の子ども会(小学生)最大のイベントでしたが、今ではどこまで残っているのでしょうか。