カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 深志高校(校庭)のすぐ北側に『チャイナ・スパイス』という小さな中華料理(薬膳系?家庭料理)のレストランがあります(確か高校時代は同期の友人が住んでいた住宅ではなかったかと・・・?)。そこは台湾ご出身のご夫妻がやってらっしゃるお店です。料理を作られるご主人は、本来?は画家で二胡の演奏家でもあるそうで、店内にはご主人が描かれた水墨画のような絵が何枚も飾られています。以前、地元テレビやタウン誌でも紹介されたとか。
 ここ松本にも、中国の方が料理されている中華料理店は幾つかあるのですが、とかく味付けが日本人好みにアレンジされてしまった店が多い中で、シンガポールから帰任し、屋台料理(地元ではホーカーセンターと呼ばれる)など、現地の味に一番近くて懐かしかった(勿論美味しかった)のがここの味でした。我家から車でほんの数分だけに、農作業で忙しい時や時間の無い時など(実は昨晩も)持ち帰りをお願いすることも多いのですが、以前受取りに行った時に会社の先輩がご家族で来られていて驚いたことがありました。その方も以前中国へ赴任されていて、しかもわざわざ(と言っても、まぁ1時間ですが)諏訪から、やはり本場の味が懐かしくて食べに来られたのだそうです。他にもやはり中国への赴任経験者で、中華は必ずここという同僚もいます(ただ駐車場が3台分しかないのが難)。
 何を頼んでも美味しいのですが、個人的にはサラサラ感一杯の炒飯やニラレバ炒め、そして酸味が効いたトマトと卵の炒め煮(料理名失念)が最高。ご飯にぶっかけてのB級的食し方に最適です。さらに我家の定番はこれらに加えて、ヤキソバ、湯葉炒め、そしてチキンと野菜の炒め物(北京風)。ここで食べる時は、汁そばも。
 また、(客席とは反対側の隅で)中学生くらいのお嬢さんが、行くと必ず勉強されているのに(日本人の親として)感心しています。

 昨夕飲み会で行った上諏訪駅近くの小料理屋。多分、40年近く続いているお店で(諏訪の良いところは、若者受けするような流行りの店は無い代わりに、昔からの割烹や小料理屋が、仮に細々であってもずっと変わらずに続いているところ)、数年前にご主人が亡くなられたそうで、現在は女将さんと娘さんで切り盛りされています。いつもは行きつけの別の小料理屋に行くので、ここは10年近くご無沙汰だったと思います。昔は、ふぐ料理が看板メニューだったと記憶していますが、ご主人亡き後はふぐの調理免許の関係でしょうか、今はふぐの看板は出ていません。その季節季節で、山菜やキノコ料理が名物とか。昨日は、そこで初めて『岩魚の骨酒』を飲みました。塩焼きのように、普通に焦げ目が付く程度に焼いた岩魚に熱燗を注いだだけなのですが(と思えました)、何とも言えぬ味と香りが岩魚から醸し出されていました。また、ヌル燗ではなく、沸騰するほど?熱くしたためか、アルコール分が飛んでいるのでないかと思うほどで、同じ量を飲んでも悪酔いしない気がします。小さな土鍋に岩魚と三合のお酒が入っていて、無くなるともう一回(三合)は大丈夫とのことで追加をしました。蓋をして香りを逃がさないのがコツのようです。その後、ふぐのひれ酒もオーダーしたのですが、骨酒の方がはるかに美味しく感じます。(結局、皆飲兵衛のため、ひれ酒も追加したので、その前にビールと日本酒は一人4~5合飲んだことになりますが、不思議なことに、今朝はスッキリ。二日酔いは全くなし)
 一緒に行ったメンバーとも話したのですが、これならスーパーで売っている岩魚を買ってきて、普通に焼いて熱燗をかけるだけで自宅でも出来そうな気がします。正月の客呼びの時に(いただいたナショナル・ブランドの日本酒があり、あまり飲む気もしなかったのでダメ元で)是非試してみようと思います(失敗したら報告します)。
 因みに、飲み干した後の岩魚は、好奇心で一箸試してみましたがエキスが全て出尽くしたようで、ただ水っぽいだけでした。

 【追記:報告】“ニジマスの骨酒”!?
 正月二日。年末帰省してきた娘達や甥姪も全員揃っての我家での新年会。探したのですが岩魚はどこにも見当たらず、やむなく近所のスーパーにあったニジマスを「同じサケ科の淡水系だから、まぁいいか!」と購入し(料理に忙しい家内や娘達に邪魔にされながらも)焼いて岩魚ならぬ“ニジマスの骨酒”に。リンゴ採りで帰省した際に長女がD&Dで買って来てくれて、これまで飲む機会の無かったボジョレー・ヌーボーも開けましたが、ニジマスでも(岩魚には敵いませんが)結構良い味が出て、飲兵衛の面々には(骨酒の方が!?)好評でした。

2008/12/25

25.乗鞍遠望

 昨日は(も?)飲み会だったため、朝家内に松本駅まで送ってもらって、いつも(借りている駐車場のある西口=アルプス口)とは逆(東口=お城口)から改札口(駅舎3階)へ上がっていったのですが、エスカレーターを上がると、正面の大きなガラス窓越しに、朝日を浴びて光り輝く乗鞍岳がいきなり目に飛び込んできて、電車の時刻も忘れて暫し見とれてしまいました。白く神々しいほどに輝いています。

 松本平から望む北アルプスの山なみの中で、他とは少し違った山容の山があります。
上高地方面へ至る、島々谷のはるか向こうに聳える乗鞍岳がそれです。中央構造線に沿って隆起により険しく切り立った山なみの中で、乗鞍は火山であることから、裾野が広くふっくらした山容を見せています。乗鞍岳というのは、3026mの主峰剣ヶ峰や大日岳など23峰からなる連峰の総称だそうです。夏スキーや、子どもの頃の教科書でのコロナ観測所で有名な山でしょうか(また乗鞍高原はソバの栽培でも有名です)。
因みにコロナ観測所は魔利支天岳にあり、他には上述の大日岳以外にも、薬師、不動、魔王、大黒など神々の名をいただく峰が多く、神々しさを昔の人々も感じていた証なのでしょう。
 乗鞍岳は、長野県側からは乗鞍エコーライン、岐阜県側は乗鞍スカイラインで山頂付近(2700mの畳平)まで車で行ける山でしたが、2003年から自然保護のため、上高地同様マイカー規制となっています。
 特に冬になると、松で黒っぽく見える前山のはるか後方に、神々しく真っ白に輝き、まるで北アルプスの奥の院のように鎮座する乗鞍の山容を松本市街から望むことが出来ます。

 師走の都大路の風物詩、全国高校駅伝が冬至の21日に行われ、昨年同タイムで半歩及ばず2位に泣いた佐久長聖高校が悲願の初優勝を飾りました。日本高校最高記録(留学生を含まない純日本チームとして。これまでの97年の西脇工高の記録を1分縮める)の2時間2分18秒で、昨年敗れた仙台育英に2分近い差をつけての、まさにリベンジ。昨年敗れた日の夜、両角監督は選手達に1年後は2時間2分台で走って優勝することを宣言して、それから一年間の厳しい鍛錬の集大成。過去2時間3分台で走りながら優勝できなかったのは昨年の佐久長聖だけだったそうですので、2分台を出さないと優勝できないという決意だったのでしょう。
 当日は主力の一人をケガで欠きメンバーが入れ替わったりした不安を微塵も感じさせない圧倒的な、それこそ実況放送ではありませんが“ぶっちぎり”の快走でした。最近では仙台育英や青森山田だけでなく嘗ての名門世羅などもケニアからの留学生を擁し、これまで何度もその壁に跳ね返されてきた長聖の両角監督は、周囲から留学生のスカウトを勧められても頑なに断ってきたそうです(噂によると、監督自身が東海大学で箱根に出場した際に、ケニア人選手に抜かれて、それが彼の意地の源泉ではないかとのこと)。また、これまで記録を持っていた西脇工や豊川工も同様です。日本人チームだけの優勝は、2002年の西脇以来6年振り。駅伝ファンとしても胸のすく優勝ではなかったかと推測します。
 佐久長聖は創部14年。部員二人からのスタートだったと言います。初出場以来11年目しかも内10回入賞での漸くつかんだ頂点でした。次は彼等やOBも含めオール佐久長聖とでも言える、1月の都道府県対抗駅伝の連覇に期待です。
 なお、エース村沢選手の東海大を始め、主力選手は殆どが各大学へ進学し、今度はそれぞれ箱根駅伝を目指すそうです。

 土曜日、お客様最優先で後回しにしていた我家の親戚等へのリンゴ発送と、日曜日には松本市内の親戚への配達を以って全ての発送が終了しました。考えてみれば11月の三連休から始まって、休日ばかりでなく、平日も帰宅後深夜までの作業も含め、三週間連日連夜で続いた作業で、その間、家内も同じく夜遅くまで伝票作成やお客様とのやりとりなどパソコンでの事務作業を夜遅くまでやってくれました。疲れとともに無事終了の安堵感と、そしてもっといいリンゴにしなきゃという反省と。そんな色々な思いを込めて、ご注文の発送が終了した金曜日は、会社から帰宅後夫婦二人でささやかながら贈答用出荷終了のご苦労さん会で、本当に久し振りに夜の街へ出かけました。
 ご近所の奥様からは、父が倒れた後、何年か振りで(きっとリンゴ園の様子を暫くご覧になられていて、ここで安心いただけたのでしょう)ご注文をいただき、日曜日にはご自宅用をお届けした際、送り先のお友達から「お父様が入院されて諦めていたお宅のリンゴがまた食べられる。」と喜ばれて同じ感想が寄せられたと嬉しいお言葉をいただきました。
 また、発送用にURL等を入れて、私名義での果樹園のスタンプを新たに作成し押印の上発送したことから、首都圏にいる父方の叔父達は「(私がリストラで会社を辞めて)果樹園を継いだのか?」と心配して、(私には直接聞けず)松本に住む叔母へ電話を掛けて来たという笑い話を、やはり昨日叔母にリンゴを届けた時に聞かされました。
 赤く色づいたリンゴの収穫をはじめてから僅か一ヶ月足らずですが、リンゴの木々も殆どの葉を落として冬の装いです。そしてこの冬の間に、来シーズンへの蓄えを、今はまだ固い小さな芽の中にしっかりと貯めていきます。
 そして、年明けからは(早い農家はもう年内から)来シーズンへ向けた枝の剪定作業が雪の中?始まります。

 14日(関係ありませんが、討ち入りの日だったんですね)の日曜日は未明から雨が降ったようで、朝方は雪が舞い、寒い一日でした。
 翌今日月曜日は晴れ。朝、東山・西山とも1000m弱くらいのところで、雪と雨の境界がクッキリと水平に直線が引かれたように、見事に白黒に色分けされていました。もう少しすると、雪も下まで降りてきて里も白一色になりますので、初冬独特の風景だと言えます。
 朝、ボーっとした頭もシャキっとなるような寒さと、そして姿勢をしゃんと正すような冬山の風景。冬の信州松本の、何物にも代えがたい風物詩です。

【追記】
 もう何十年と(海外駐在時代もしっかりと)定期購読している雑誌にビッグコミック・オリジナルがあります。もともとは『人間交差点』や連載が長くなった『風の大地』とかが好きで購入し始めたように思います。また浦澤直樹や一丸といった作家の作品や、村松誠の表紙もほのぼのしていて大好きです。
 そうした中で、今連載されている一つに『岳』があります。北アルプスの山岳救助という異色のストーリー。作中で所轄の警察署として登場するのが「松本北署」。山(ボランティア救助の三歩)が主役ですが、脇役でしばしば松本市内の様子が描かれていて、写真から採ったにしても松本駅前の様子が(地元の人間が見れば)リアルに登場します。
 そんな中で、異動(松本空港の営業所が閉鎖され)を余儀なくされそうな民間災難救助ヘリ(普段は荷物の運搬等)の腕利きパイロットの夫婦の会話として、『少し寒いけど松本は好きよ。』(でも異動するならどこへでもついて行くという流れですが)というやり取りの場面が出てきます。シンプルですが、言い得て妙。
 そうです。『少し寒いですが、松本はいい町・・・です』

 先週末をもちまして、H/Pでのサンふじリンゴの注文受付けを終了させていただき、昨日で殆どの発送を完了しました。あとは今週末で集荷終了となるJA(農協)に出荷すれば(お正月用のオーダー分を除き)、年明けの剪定作業から始まったリンゴも、今シーズン終了です。
 今年から、本格的に始めたH/Pでしたが、手探りな部分もあり、途中受け付けを中断しまた再開するなど当方も混乱しご迷惑をおかけしましたが、私どもの予想以上の反響をいただき本当に感謝申し上げます。
 皆さん、数あるリンゴ産直のH/Pから(当然のことながら)今回初めて当園を選んでいただいたわけですが、中には『試してみて美味しかったから。』と追加注文をいただいたお客様も何人もいらっしゃって、まさに栽培者冥利につきます。また「リンゴ栽培頑張ってください!」と応援メッセージをいただいたり、あるいはお友達の方々をご紹介いただいたり、松本に縁(ゆかり)のある方は、松本の味(多分「味」を通じて松本の「空気」)を懐かしんでいただけたりと、こちらの想像以上の縁(えにし)の広がりを感じた次第です。
 お客様と栽培農家。お互い顔は見えませんが、そうした縁を大切にして「顔」が見えずとも「心」が見えるようなリンゴを作っていきたいと思います。
 本当にありがとうございました。
カネヤマ果樹園一同(=入院中の父・母・家内・チロル・ナナと私から)謹んで御礼申し上げます。

 11月に入ってからブログを書き始めて3週間。毎日更新するのはなかなか難しく、週に2回ほど(何故か強制適用の週二日の休肝日多し!?)しか記載できません。三連休で子供達が手伝いに帰ってきてくれた時も、ブログについてもて手厳しい指摘をありがたく頂戴し、修正したり(させられたり?)もしました。でもコメントの書き込みも無く「子供達が(東京で)見てるくらいなのかなぁ。」と少々落ち込んでおりました。
 すると、先日当園のメールアドレス宛てにリンゴの送信確認で返信いただいたお客様のメール中にブログに関する記載が・・・。
 この春まで転勤で松本に住んでおられたそうで、懐かしく読んでいただいているとのこと。また、転勤族で全国を回られ、どこもそれぞれ良かった中で、松本が一番気に入られたとの嬉しいお言葉。「松本グルメ」の項に掲載したお店も良く行かれたそうで、加えて、ご自身が良く行かれたというお勧めの中華のお店も紹介していただきました。知らないお店でしたので、リンゴが一段落したら、今度是非家内と行ってみようと思います。
 お一人でも反応をいただくと、現金なもので俄然やる気が出てきました。
 本当にありがとうございます。
『さぁ、頑張って書くぞー!』っと・・・。

 早いもので、いよいよ師走。
そんな気忙しさを癒すかのように、昨日今日、北アルプスが綺麗でした。この時期空気が澄んで居るせいでしょうか。また、前山もだいぶ山裾近くまで雪化粧が降りてきています。
 さて、昨日この冬初めて、松本駅にラッセル車が停まっていました。10年ほど前の80cmという『100年振り』と言われた成人の日の大雪(この時、初めて松本・上諏訪間にラッセル車が出動しました)以降、冬の間、松本駅に常駐?しているのを見かけるようになりました。今日はいなかったので、架線やレールのチェックを兼ねた試運転でしょうか。余り活躍しないで静かに停車していてくれることを祈ります。
 でも、今年は11月24日と松本地方の積雪が早かったので、雪が多い冬になるのでしょうか?
カマキリの巣がどの辺の高さに作ってあるのか、少々気になります。

 松本白板から松島橋を渡ったところに、タイ料理のレストランがあります。最近、ここにはまっています。
きっかけは下の娘が帰省していて、明日帰京するという前夜。家族でどこかへと思っていたら、家内から会社の方と急に観劇にいくことになったと連絡があり、頭に来て、娘と「じゃあ、こっちも何か美味しいもの食べよう!!」と二人で外食することに。幾つか選択肢を挙げ、娘が選んだのがタイ料理。それまで車で前を通っただけで入ったことはありませんでした。
 びっくりしたのは、メニューの多いこと。中には「本日できません」と言うものもありますが、写真入りで何頁もあります。幾つか選んだのですが、どれも本場の味。それもその筈、店を切り盛りされる奥様(日本人)のご主人がシェフでタイの方。日本人向けに少し辛さは押さえているとのことでしたが、トムヤムクンも、一番気に入った空芯菜(カンコン)の炒め物も、生春巻きも、そしてご飯(タイ米)も、どれもシンガポールや旅先のタイで食べた懐かしい味でした。ただ、その日は『どこを探してもパクチー(コリアンダー。シンガポールでは中国語でシャン・ツァイ=香菜と呼んでいました)が無くて』と奥様が恐縮されていました。
 特に、シンガポールの時のように、ナイフとフォークならぬ、現地では定番のスプーンとフォーク(ちゃんと箸と一緒に最初から出てきます)で食べる空芯菜の「ぶっ掛けメシ」は最高でした。こんな田舎で東南アジアの味に出会えたことに驚きと感激で(値段は少々高めですが、食材の手に入りにくいであろう田舎の信州ではしょうがないでしょうし、高めでもいいのでずっと続いて欲しいお店です)、それ以来、夫婦で時々楽しんでいます。