カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
シャレではなく信州は進取の精神に富んでいると言われました。そのシンボルが市民の寄付で設立されたという、日本で最初の小学校である旧開智学校。昔は、街の中心部を流れる女鳥羽川沿いにあったそうですが、今では移築されて、松本城の北に現在の開智小学校と並んでいます。国の重要文化財です。なお、同じ和洋折衷で尖塔を持つ学校が他(佐久地方では旧中込学校も重要文化財ですが)にもあり、松本では美ヶ原温泉の近くの旧山辺学校。美ヶ原温泉にお泊りの方は足を延ばされては如何でしょうか。
更には、松本駅から東(美ヶ原方面)へまっすぐ伸びる駅前通りの突き当りが、ヒマラヤ杉がシンボルのあがた(県)の森。「どくとるマンボウ青春記」の舞台でもある旧制松本高校。現存する唯一の旧制高校の建物が幾つか記念館として保存されています(というか、実際1970年代までは信州大学の理学部校舎として使われていた筈)。その昔、松本の市内をデカンショのバンカラ学生が闊歩し、街の人たちも八高に続く「第九高校」を長野と争って誘致したこともあるのか、京都や金沢のようにとても学生を大事にしたと言われています。市内には、松高生がたむろした喫茶店の「翁堂」やおでん屋さん「しづか」などが昔ながらに今も営業しています。
そして、もう一つ、勝手に我が母校、松本深志高校(旧制松本中学。2006年に創立130周年を迎えました。大正までは松本城内にあって、休み時間には天守閣の屋根で逆立ちをする学生がいたとか)。市内から北へ行った高台(深志ヶ丘)にあり、東大を真似たという昭和初期の講堂や校舎が現在でも使われています。私が一年生の時が、近年映画化もされた学校犬「クロ」の最晩年。(勉強ではなく)部活が終わって、夜帰るとき廊下に佇んでいたクロの頭をなでて帰ったことを思い出します。因みにクロの学校葬(応援団の自主的開催)の時、お経を上げた本職のお坊さんは、当時私の学級担任だった日本史の先生(現在は市内のお寺のご住職。映画の中でもその当時のご自身を演じられた)でした。
更には、松本駅から東(美ヶ原方面)へまっすぐ伸びる駅前通りの突き当りが、ヒマラヤ杉がシンボルのあがた(県)の森。「どくとるマンボウ青春記」の舞台でもある旧制松本高校。現存する唯一の旧制高校の建物が幾つか記念館として保存されています(というか、実際1970年代までは信州大学の理学部校舎として使われていた筈)。その昔、松本の市内をデカンショのバンカラ学生が闊歩し、街の人たちも八高に続く「第九高校」を長野と争って誘致したこともあるのか、京都や金沢のようにとても学生を大事にしたと言われています。市内には、松高生がたむろした喫茶店の「翁堂」やおでん屋さん「しづか」などが昔ながらに今も営業しています。
そして、もう一つ、勝手に我が母校、松本深志高校(旧制松本中学。2006年に創立130周年を迎えました。大正までは松本城内にあって、休み時間には天守閣の屋根で逆立ちをする学生がいたとか)。市内から北へ行った高台(深志ヶ丘)にあり、東大を真似たという昭和初期の講堂や校舎が現在でも使われています。私が一年生の時が、近年映画化もされた学校犬「クロ」の最晩年。(勉強ではなく)部活が終わって、夜帰るとき廊下に佇んでいたクロの頭をなでて帰ったことを思い出します。因みにクロの学校葬(応援団の自主的開催)の時、お経を上げた本職のお坊さんは、当時私の学級担任だった日本史の先生(現在は市内のお寺のご住職。映画の中でもその当時のご自身を演じられた)でした。
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