カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
古くは、スズキ・メソッドの発祥の地。夏になると、才能教育のサマーキャンプに世界中から松本に集合して、街は小さなバイオリンケースを手にした子ども達で一杯になります。
また近年は、サイトウ・キネン音楽祭の開催地としても、音楽の街を標榜する松本。学生時代、朝比奈さんの指揮で歌った荘厳ミサや若杉さんに振ってもらった第九など、合唱に明け暮れた自身にとっても、お陰で本格的なオペラハウスでもある市民芸術館や音響の良いハーモニーホールなど、一流の演奏を聴ける場所が地方都市である松本に増えたことはありがたいことです。全く関係ありませんが、本場ウィーン(国立歌劇場)で運良く聴けた、ムーティのフィガロは一生の思い出です。
なお、サイトウ・キネン効果で、松本地区の学校の吹奏楽のレベルが上がり、全国大会へ選抜される学校が増えてきたことは喜ぶべきことでしょうか。合唱ファンの私としては、最近全国的に合唱人気が下火になっていることが心配ですが。子ども達が信州大学附属松本小で合唱をしていた頃、NHKコンクールの全国大会(銅賞でした)に行ったように、長野県は合唱も盛ん(小中学校では。出場校数は確か日本一の筈)ですので付記しておきます。
更には、松本駅から東(美ヶ原方面)へまっすぐ伸びる駅前通りの突き当りが、ヒマラヤ杉がシンボルのあがた(県)の森。「どくとるマンボウ青春記」の舞台でもある旧制松本高校。現存する唯一の旧制高校の建物が幾つか記念館として保存されています(というか、実際1970年代までは信州大学の理学部校舎として使われていた筈)。その昔、松本の市内をデカンショのバンカラ学生が闊歩し、街の人たちも八高に続く「第九高校」を長野と争って誘致したこともあるのか、京都や金沢のようにとても学生を大事にしたと言われています。市内には、松高生がたむろした喫茶店の「翁堂」やおでん屋さん「しづか」などが昔ながらに今も営業しています。
松本駅は、その昔木造の粗末な駅舎だったのが、学生時代だったか国体開催に合わせて(当時)近代的な駅ビルに建替えられました。その時、ビルに「松本駅」という大きな看板が登場したこともあり、それまでの駅の木の看板(表札)も取り外されたのですが、何年かして再度東口の入口横に掛けられました。当時の新聞記事の記憶だと、槍や穂高を目指し松本駅に降り立った登山客が、下山してきて松本駅の看板(表札)に触って初めて下山の無事を確かめ合ったのだとか。そんな登山客の要望に応えて、今でも古びた看板(表札)が掛かっています。
我家から、車で五分ほど、アルプス公園があります。北アの眺望も勿論ですが、昔県営の種畜場があった広大な跡地を公園にしたところで、種畜場の昔、昆虫採集で走り回った自分の庭。現在では展望台や山岳博物館もあり、隠れたお薦めスポット。広い草原や小動物園もあって、観光スポットとは言えないかもしれませんが、特に小さなお子さん連れのご家族にはお薦めです。
松本は周囲を山に囲まれ、自然に恵まれた山の街。市内を流れる女鳥羽川には、市内中心部でも渓流魚である「うぐい(地元では赤ウオと呼ばれています)」の産卵が確認されていますし、また旧開智学校に隣接する中央図書館脇の川(大門沢川)ではホタルも見られ、こうした都市部での生息は全国的にも大変珍しいそうです。