カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

2008/11/10

4.松本城

 

 言わずと知れた信州松本のシンボル。現存する我国最古の天守閣。国宝で五層六階の別名「烏城」(因みに岡山城も烏城とか)。築城の名手と言われた石川数正親子が築城。最後六万石とされた小藩である松本藩には、似つかわしくない堂々たる天守閣。もともと小笠原氏の支城(居城は山城跡が今も残る林城)があった場所で、深志城と呼ばれていましたが、信濃を征服した武田氏滅亡後、戻った小笠原氏により松本と改名(待つに待った「戻る」という本懐を遂げたから、という俗説があるとか)。平城のため、熊本城や姫路城のような平山城の圧倒的スケール感はありませんが、北アルプスの峰々をバックに聳える松本城が無かったら、松本の街は随分味気ないものになっていたのは間違いありません。廃藩置県での廃城の危機もあっただけに、維新後も守り抜いた地元の先駆者に感謝する他ありません。壮麗雄大さとは程遠い、戦国実戦のための城。中は、殆ど往時のままで、階段がとにかく急ですので、女性はスカートで行かれない方が無難。でも、高いビルの無い松本市内では、天守閣最上階からの眺望は一見の価値あり。最近では、薪能や観月の会(戦国時代の城には珍しく、その名も月見櫓があり)が催されることもあります。(なお、故郷切手の構図にもなった、北アをバックに復元された太鼓門を含む松本城の遺構を見るには、市役所の屋上からが絶好ポイント・・・の筈。但し登れるかは不明です)

 古くは、スズキ・メソッドの発祥の地。夏になると、才能教育のサマーキャンプに世界中から松本に集合して、街は小さなバイオリンケースを手にした子ども達で一杯になります。
 また近年は、サイトウ・キネン音楽祭の開催地としても、音楽の街を標榜する松本。学生時代、朝比奈さんの指揮で歌った荘厳ミサや若杉さんに振ってもらった第九など、合唱に明け暮れた自身にとっても、お陰で本格的なオペラハウスでもある市民芸術館や音響の良いハーモニーホールなど、一流の演奏を聴ける場所が地方都市である松本に増えたことはありがたいことです。全く関係ありませんが、本場ウィーン(国立歌劇場)で運良く聴けた、ムーティのフィガロは一生の思い出です。
 なお、サイトウ・キネン効果で、松本地区の学校の吹奏楽のレベルが上がり、全国大会へ選抜される学校が増えてきたことは喜ぶべきことでしょうか。合唱ファンの私としては、最近全国的に合唱人気が下火になっていることが心配ですが。子ども達が信州大学附属松本小で合唱をしていた頃、NHKコンクールの全国大会(銅賞でした)に行ったように、長野県は合唱も盛ん(小中学校では。出場校数は確か日本一の筈)ですので付記しておきます。

 シャレではなく信州は進取の精神に富んでいると言われました。そのシンボルが市民の寄付で設立されたという、日本で最初の小学校である旧開智学校。昔は、街の中心部を流れる女鳥羽川沿いにあったそうですが、今では移築されて、松本城の北に現在の開智小学校と並んでいます。国の重要文化財です。なお、同じ和洋折衷で尖塔を持つ学校が他(佐久地方では旧中込学校も重要文化財ですが)にもあり、松本では美ヶ原温泉の近くの旧山辺学校。美ヶ原温泉にお泊りの方は足を延ばされては如何でしょうか。
 更には、松本駅から東(美ヶ原方面)へまっすぐ伸びる駅前通りの突き当りが、ヒマラヤ杉がシンボルのあがた(県)の森。「どくとるマンボウ青春記」の舞台でもある旧制松本高校。現存する唯一の旧制高校の建物が幾つか記念館として保存されています(というか、実際1970年代までは信州大学の理学部校舎として使われていた筈)。その昔、松本の市内をデカンショのバンカラ学生が闊歩し、街の人たちも八高に続く「第九高校」を長野と争って誘致したこともあるのか、京都や金沢のようにとても学生を大事にしたと言われています。市内には、松高生がたむろした喫茶店の「翁堂」やおでん屋さん「しづか」などが昔ながらに今も営業しています。
 
 そして、もう一つ、勝手に我が母校、松本深志高校(旧制松本中学。2006年に創立130周年を迎えました。大正までは松本城内にあって、休み時間には天守閣の屋根で逆立ちをする学生がいたとか)。市内から北へ行った高台(深志ヶ丘)にあり、東大を真似たという昭和初期の講堂や校舎が現在でも使われています。私が一年生の時が、近年映画化もされた学校犬「クロ」の最晩年。(勉強ではなく)部活が終わって、夜帰るとき廊下に佇んでいたクロの頭をなでて帰ったことを思い出します。因みにクロの学校葬(応援団の自主的開催)の時、お経を上げた本職のお坊さんは、当時私の学級担任だった日本史の先生(現在は市内のお寺のご住職。映画の中でもその当時のご自身を演じられた)でした。

 松本は、北アルプス登山の玄関口。夏になると、松本駅にはリュックを背負った登山客が降り立ちます。最近は、ワン・ゲル人気も下り坂なのか、若者よりも中高年の登山客の方が目立ちます。でも、昔ながらに駅舎で、シュラフで一夜を過ごす若者を見かけると何だかほっとして心が和んできます。「ガンバレ!若ゾウ」と陰乍ら応援。
 松本駅は、その昔木造の粗末な駅舎だったのが、学生時代だったか国体開催に合わせて(当時)近代的な駅ビルに建替えられました。その時、ビルに「松本駅」という大きな看板が登場したこともあり、それまでの駅の木の看板(表札)も取り外されたのですが、何年かして再度東口の入口横に掛けられました。当時の新聞記事の記憶だと、槍や穂高を目指し松本駅に降り立った登山客が、下山してきて松本駅の看板(表札)に触って初めて下山の無事を確かめ合ったのだとか。そんな登山客の要望に応えて、今でも古びた看板(表札)が掛かっています。
 その松本駅が今年改修され、(その名も「アルプス口」側の)駅舎から大きなガラス窓越しに北アの山々が望めるようになりました。松本平から仰ぎ見る北アルプスのシンボル、常念の左肩越しにちょこんと槍の矛先が望めます(槍が見えるのは、松本駅辺りがギリギリ。奈良井川を渡るともう見えません)。雪山の神々しさも含めて、四季折々それぞれの美しさがありますが、個人的お薦めは何と言っても夏の夕刻。バラ色に染まった夕映えをバックに北アの峰々が黒い屏風のようなシルエットになる時。本当に、息を呑むほど美しく、溜め息や涙が出るほどと形容しても決して過言ではありません。何も無い田舎街かもしれませんが、松本に生まれたことに感謝する一瞬です。(夏は北アに雲がかかる事が多く、なかなか全容を拝める日は稀ですが)
 我家から、車で五分ほど、アルプス公園があります。北アの眺望も勿論ですが、昔県営の種畜場があった広大な跡地を公園にしたところで、種畜場の昔、昆虫採集で走り回った自分の庭。現在では展望台や山岳博物館もあり、隠れたお薦めスポット。広い草原や小動物園もあって、観光スポットとは言えないかもしれませんが、特に小さなお子さん連れのご家族にはお薦めです。
松本は周囲を山に囲まれ、自然に恵まれた山の街。市内を流れる女鳥羽川には、市内中心部でも渓流魚である「うぐい(地元では赤ウオと呼ばれています)」の産卵が確認されていますし、また旧開智学校に隣接する中央図書館脇の川(大門沢川)ではホタルも見られ、こうした都市部での生息は全国的にも大変珍しいそうです。