カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>


 我家には12歳になる雑種のメスで「チロル」が同居しています。もともと家を新築し、まだ小学生だった娘達が、犬を飼いたいと言っていて、じゃあラブラドールがいいか、ゴールデンリトリバーか、はたまたシェルティかと考えていた矢先。忘れもしませんが、朝四時頃そぼ降る雨の中、ベランダに出てみると子犬の鳴き声が聞こえ、誰かアパートで内緒で飼ってるんだろうかと思い、その後新聞を取りに玄関に出ると、何とそこに生後1~2ヶ月の子犬が雨に濡れて震えながら鳴いていました。誰かが我家の玄関先に捨てていったのです。ずっと雨に打たれていたせいでしょう。かなり弱っていて、下の娘が「死んじゃう!」と泣きじゃくりながらぬるま湯で温めてあげて、その日は娘がそれこそ夜も寝ずに看病していたのを思い出します。その甲斐あってか、やがて元気になり、家の中を跳び回りはじめました。犬の訓練士の方からは、後日飼うのはお薦めできないとも言われましたが、雨の日に見知らぬ家に押し付けていく、優しさを履き違えた元の飼い主の身勝手さに憤りを覚えつつも、娘達がどうしても飼いたいと言って、結局我家の一員になりました。
 子犬の頃、ハイジに出てくるおじいさんの飼犬(因みにセントバーナード)に似ていると思ったのか、下の娘に「チロル」(と勝手に思っていましたが、今回娘に聞いたらチロル・チョコからの命名。安いけど皆に好かれているからとか。当時下の娘は小学校3年くらいだった筈ですが、ナカナカのセンスに感心した次第)と名付けられた彼女は、臆病なのか、捨てられていたことへのトラウマなのか、家族以外には全くなつかず通行人や鳥、はたまた地区のお祭りに張った風に揺れる注連縄にまで吼えまくるので、結局近所迷惑なことから室内犬に。そして、同じような境遇の子犬を増やさぬよう、可哀想でしたが避妊手術をしました。その後、私メが甘やかしすぎとのことで丸々太ってしまった彼女は、家内からは「ブーちゃん」と呼ばれています。時には、下の娘の米国からの留学土産である真っ赤な犬用バンダナを巻かれて、雑種らしからぬ風貌ですが、結構(ズル?)賢くて、我家の無くてはならない一員です。  

 子供が小さい頃、私が勉強を見ると怒って泣かせてしまうので、勉強は家内に任せて、その代わりに土日だけですが、食事を私が担当することにしました。最初は家内の嫁入り道具でもある料理全集と首っ引きで、ある時は「冷製ビシソワーズ」をジャガイモを茹でて濾すところからやったりもしました。一番好評だったのは、揚げダシ豆腐だったでしょうか。子供が成長し家内が準備できるようになってから、また週末は一日農作業中心になってから、余り料理する機会はなくなりましたが、何か家内が用事があったりすると、時々今でも男子厨房に立っています。
 さて、冬は野菜も採れますしまた材料を準備するだけで簡単なので、どうしても鍋物の頻度が多くなります。そんな中で、今風に言えば「超」簡単でしかも安く、且つ(手を掛けない割に)美味しいのが、白菜と豚バラだけの安直鍋。白菜一枚に豚バラ肉を引き詰め、荒引き胡椒を(お好みで)振って同じようにそれを何段にも重ねます。それを4~5cm幅にざく切りをして、ぼたんの花弁のように立てて鍋に敷き詰めます。白菜から充分に(浸るくらいに)煮汁が出てきますので、一切水は入れずにそのまま火に掛けて煮詰めるのがコツ。そしてポン酢でいただきます。白菜と豚バラ(もし油が気になる方は肩ロース肉で)だけとは思えない、水が入らないせいか豚バラのこくと白菜の甘味充分な鍋の出来上がりです。そして、材料が無くなったら、最後はうどんを入れて。人数にも拠りますが、大き目の鍋(土鍋よりも寸胴鍋のような底が平らな方が使いやすい)に多めに作るのがポイント。多少、方法は違いますが、2回ほど同じようなレシピが新聞?(日経連載の東農大教授・小泉武夫センセのコラム「食あれば楽あり」だったかなぁ)でも紹介された記憶がありますが、安く(黒豚などの銘柄豚を使っても、多分一人前250円以下)簡単でしかも想像以上に美味しい安直鍋で、最初材料を聞いて「エーッ?」と訝しげに声を上げた家族にも好評で、時間が無い時など(でも手抜きと思われぬようにするのに)正にお薦めです。騙されたと思ってお試しあれ!

 松本の人達は方向を指す時に、前後左右ではなくて、当り前のように東西南北を使うようです。例えば、「あそこの角を右折して、」の代わりに「あそこの角を東に曲がって、」といった具合です。遠くの方角ならいざ知らず、家の中でもそう(例えば、西側の棚とか)なのですから、諏訪出身の妻は、結婚したての頃「東西南北で言われても分らない!」と良く嘆いていたものです。このH/P中の場所の説明も、やはり殆ど東西南北であることに気づかれた方もいらっしゃるかもしれません。これは、四方が山に囲まれた盆地ではあっても、東西南北の山々が非常に個性的、特徴的(一目で分ること。山への視線の高さが異なる)であることがその理由だと思われます。即ち、
・東・・・高ボッチ、鉢伏山、美ヶ原、三才山(正確には戸谷峰。山容が特徴的)
と続く筑摩山地の峰々(2000m級)。その名も東山、最近は東雲街道とも
・西・・・北アルプスの峰々(3000m級)。前山を西山と呼ぶことも
・南・・・塩尻方面で、東西の峰々に囲まれて、塩尻や善知鳥などの峠があって、 このエリアだけが、(特に高台の岡田からだと)空が低く広がっています
・北・・・市中からだと城山、アルプス公園、芥子坊主山(891m)に至る里山 
岡田方面
 松本に来られて、地元の人に道を聞いた時に、どうぞ面食らうことの無いように。

 ♪ I can’t stop loving you ・・・ で始まる、ラブ・バラードの名曲。
 以前、家内と東京で滞在したホテルのバーに行った時に、ジャズのライブ(トリオ+ボーカル)ステージで、客席からリクエストを募っていたのですが、その時リクエストするならと考えて浮かんできた曲(席に着いた時には、リクエストはもう締め切っていて間に合いませんでしたが)。
 ジャズのプレミアム・ボックスには残念ながら含まれておらず、何とか聞きたいと探したのですが、(探し方が悪いのか)残念ながらCDショップやレンタルショップでも見当たりません。昔耳にした記憶から、ルイ・アームストロング(サッチモ)の声質に似ていたような気がしたのですが違うんですね。調べてみたらレイ・チャールズ。でも、ジャズ・ボーカルのジャンルにはこの曲は入ってないのでしょうか?
 無いと欲しくなるのが人間の性。ジャズ・ボーカルとして収録されているCDがもしあるようでしたら、どなたか、知っていらっしゃったらお教えください。できれば『ジャズ・ボーカル ベスト100』(にも未収録)のようなオムニバスCDに収録されていると(他のジャズ・ナンバーも聴けるので)有難いのですが。それが無ければ、やっぱり彼のベスト版がいいのでしょうか?『Ellie My Love』 も聞けるなら、それもいいかも・・・。

 学生の頃、同じ下宿の先輩がジャズ・ファンで「いいだろう!」と何度かレコード(ブルー・ノート)を聴かされましたが、当時からクラシック・ファンだった私にはその良さが理解できませんでした。特に、クラシック音楽の何度とない繰り返し(主題の変奏)は、アドリブが肝のジャズでは軽蔑される(そう単純でもないとは思いますが)という先輩の説明は、クラシック派としては納得しかね(例えばボレロはオーケストレーションの天才ラベルの証明でしょう)、それ以来あまり聞こうとも思いませんでした。
 ところが、それから四半世紀も経った最近になって(≒多分年を取って)何となくジャズを聴くたくなり(そうは言っても、これまでも何枚かはジャズのCDも買って持ってはいましたが)、ここでベスト版のCD(ジャズ・ベスト「プレミアム・ボックス」・・・ボーカル、ピアノ、インスツルメンタルの3枚組み。「ジャズ・ベスト100」各編から選りすぐりの高音質バージョン)を新たに購入しました。特にピアノトリオが、オーディオ好きとしては音質的にも気に入っています。一方家内はボーカルが気に入ったようで、時々二人で(バラエティ特番ばかりで見るTV番組が無い夜は)聴いています。クラッシク(特に後期ロマン派以降の交響曲)のように「さぁ、聴くぞ!」と身構えずに気楽に聴けるところが、ジャズのいいところかもしれません。勿論、境界などあるわけでもなく、チック・コリアのようにクラシック曲を弾かせても超一流のミュージシャンも結構いますし、クラシックも、またシャンソンやボサノバもジャズにアレンジされている訳で、区別することの方がむしろナンセンスなのかもしれませんが。
 秋の夜長、グラス片手(個人的には、バーボンならぬ冷酒ですが)に、ジャズをゆったり聴くのもいいものです。

 かつてオーディオブームの頃、数々の自作スピーカーの傑作機を発表し、世のオーディオマニアから自作スピーカーの「神様」と崇め奉られた故長岡鉄男。氏はコント作家からオーディオ評論家へ転進したという異色の経歴の持ち主でした。しかも、当時から「箱舟」と命名した地下室のホームシアターを作っていた、現在のAVの先駆者でもありました。私も当時マニアの端くれとして、氏の傑作機である10cmフルレンジ一発のバックロードホーン「スワン(Ⅰ)」を製作し、その後新築時にわざわざ秋葉原で聞き比べて購入した3ウェイのKEFのトールボーイも追いやって、今だにメインスピーカーとしてリビングに鎮座しています。本当は、大音量で聴きたいのはヤマヤマなれど、特にクラシックは見向きもされず騒音扱いのため、その実力もなかなか発揮されず、娘達のポップスを軽快に鳴らしてくれています。
 *スワン・・・音源は拡散を防ぐ意味から点音源がベストであり、また余分な回路で抵抗を増やして物理的に電気信号を劣化させぬようにということから、僅か10cmのフォステクス製高効率フルレンジ・ユニット1発で、一方不足する低音は氏の得意なバックロードホーンでカバーさせるという超高能率スピーカー。聴く側は音源を耳の高さに合わせて、二等辺三角形の頂点で聞くと音場感が最高になるというもの。フルレンジ1発のため、やや高音が不足することからトゥイターを追加する人も多い。その後、実質2号機であるスーパー・スワンまで進化。試行錯誤でさまざまな「スワン改」を製作して、「自分のが一番」と悦に入っているマニア多数。

 リンゴは大きさによっても等級が分かれます。勿論、大きくて(一番大きいなものは5kg換算で8玉からありますので、1個600g以上になります)見た目(色づきや形状)が良いものが最上級とされるのですが、子供の頃からリンゴを食べて育った身としては、あまり大きいものより、中玉くらいの方が却って味が締まっているような気がします。勿論好みもあります(例えば家内は酸味よりとにかく甘味優先)ので一概には言えないのですが、例えば「ふじ」にしても、大玉は何となく大味のような気がするのに対して、小さい方が甘味と酸味のバランスが良いように感じますが如何でしょうか?それに特大を別として同じ料金であれば、数が多い方が(一日1個として)何日分かは多く食べられるので、何となく得をしたような気になりませんか?(『一日1個のリンゴで医者要らず』と昔から言います)そのため、今年は小玉を注文リストに入れ忘れたため、本来は贈答用の20玉(ネットで見ると25玉、10kgで50玉まで注文受付をしている販売者もあります)の小玉を自家用として(事前に確認し了解いただいた方には)お送りしていますが、好評です。
 売る方としては高いほう(特大)が有難いのですが、私だったら中玉(16玉がベスト)を注文します。それに中玉(18玉)でも決して小さく感じないと思います。
・・・などと、ご注文の荷造り作業をしながら一人悩んでいます。

 11月22日からの三連休、我家もリンゴ採りです。
 子供達も帰省してきて、また妹夫婦も手伝いにきてくれました。ただ、母が体調が思わしくなく戦力1名減。
 皆に採ってもらい、私は選別。色、大きさ、状態等によってリンゴ箱に選り分けていきます。木によって色づきや大きさも異なりますが、今年もまずまずでしょうか?ただ、少し小玉が多いように思います。
 今年のJA(農協)の集荷は、通常果(当園では贈答用に向かないものをJAに出荷しています)以外の着色不良果と青実果は採算割れのため今年は集荷をせず、全て加工や果汁用での集荷のみとのこと。そこで、全部採らずに着色不良はもう少し木において色づきを待ってみることに。
 連休最終日には子供達も東京での予定や学校の関係で朝帰京。また、午後は途中から雨も降りだしたため、何本かは手付かずに残ってしまいましたが止むを得ません(結局、雨は夜半から雪に変わり、初めての積雪になりました)。また、採る方を優先したので、何十箱も選別できずに残ってしまいました。
 ご注文いただいたお客様に何日もお待たせいただくのは申し訳ないので、毎日午後は選別を中断し、いただいた順番で今度は発送用の荷造りです(宅急便の夕方の集荷に間に合えば、遠方以外は翌日にお手許に届きます)。そして終わってからは、また選別。この時期は、夜遅くまで掛かりますが、食べていただくお客様のことを考えながらの、やりがいの感じられる作業です。
 家内によれば、最初にお送りしたお客様から『美味しくて、子供達が持って行ってしまったので追加で注文したい』とか、喜んでいただいたお声をたくさんいただいたようで、こちらも造った甲斐があり、リンゴ農家冥利に尽きますし、また疲れも却って心地よく感じられる瞬間です。
本当に、ありがとうございます。

 先週は秋晴れの快晴で、特に13日木曜日の朝は松本駅からは遠く白馬方面まで、(多分年に何回も無いでしょう)モヤも無くくっきりと北アルプスの山々が見えました。白馬方面(後立山連峰)や乗鞍は既に雪化粧で白く輝いています。あまりの見事さに、暫く電車の車窓から見とれていました。ところが、塩嶺トンネル(塩尻峠は分水嶺ですが)を抜けると一変。どんよりと曇って(霞んで?)います。でも、昼前には諏訪も快晴の青空になりましたので、曇りかと思ったのは、多分諏訪湖から発生した水蒸気が厚い霧となって上空に立ち込めていたせいなのでしょう(しかし、不思議なことに通常の霧とは違って視界はずっと先までしっかりと見えました)
朝、諏訪湖面にはボートが何艘も浮かんでいましたが、これはワカサギ(公魚)釣。諏訪湖の冬の風物詩です。近年は、諏訪湖は氷が厚く張らないため、厳冬期でも穴釣りは出来なくなりました(この近辺では蓼科の湖では今でも可能です)。ここ2年ほど諏訪湖のワカサギは、なぜか稚魚が育たず禁漁が続きましたが、今年はどうやら解禁のようです。
 ところで、ワカサギはどうして漢字表記で『公魚』という字を当てるのでしょうか?
 調べてみると、その歴史は意外と新しく、江戸時代に常陸国麻生藩(現在の茨城県行方市)という3万石の小藩が霞ヶ浦のワカサギを年貢として、時の11代将軍家斉に献上した「公儀御用魚」だったことに由来するのだとか。

 周辺のリンゴ園では、そろそろリンゴ採りが始まりました。15日の土曜日、近くのリンゴ園では家族総出で収穫に追われるところも。16日は残念ながら雨降りのため、どこもリンゴ採りはお休み。
  当園でも、大分糖度が上がってきましたが、例年に比べまだ鳥に突付かれるのが少ない(本当はその方がありがたいのですが、鳥はグルメで、本当に甘いリンゴを狙います)ので、本当の糖度確保にはもう少し待ったほうが良いような気がして、あと一週間待つことにしました。鳥が啄ばんだ中には何と18度もあったリンゴもありましたが、そのリンゴの木は、他の木と比べていつも色づきがあまり良くない木なのですが、鳥(大概はムクドリです)は見た目ではなく、ちゃんと甘いのを見分けています。


  また一週間遅らせるのは、現実問題として、今度の三連休ならば子供達も東京から手伝いに駆けつけてくれるそうですので、こちらも手が多い方が大助かり。天候次第ではありますが、久し振りに家族総出での収穫です。
当園も今週末から、樹上完熟させたサンふじをお届けいたします。

 今年も秋が深まり、いよいよ駅伝シーズンの到来です。
 長野県出身の選手を応援する私にとって、注目は、12月の全国高校駅伝と、お正月の箱根駅伝、そしてシーズン最後となる1月の都道府県対抗駅伝(男子は広島、女子は高校駅伝の男子コースと同じ京都での別開催なので、実質4レース)の3レース。いずれも、長野県チームや出身選手の力走に期待しています。
 今年は、特に全国高校駅伝男子の佐久長聖悲願の初優勝なるかどうか。昨年、同タイムながらの2位で涙をのみ、今年の雪辱に懸けているでしょう彼等。是非、留学生に頼らない日本人選手だけのチームの優勝を期待しています。県予選(主力の一人が故障明けで予選は間に合わず)も6区間全てトップ、且つ5区間で区間新という嘗ての自チームの記録をことごとく塗り替えて望む本番の都大路。エース村沢以下粒揃いですので、今年もし留学生に勝てないとしたら、将来ずっと無理かもしれない・・・そう思わせるほどのメンバーの充実ぶりです。
 箱根は東海大の佐藤が今年故障気味で調子が上がらないのが気になりますが、明治3年の松本や日大1年の堂本といった佐久長聖OBの頑張りと、新春の日本中を熱くするひた向きな全選手の力走と、今年も筋書きの無いドラマに期待します。
 そして、シーズンの掉尾を飾る都道府県対抗は、史上初の3連覇の後、一昨年途切れたVを昨年見事に取り戻した長野県チームの連覇と、常勝男子チームの陰に隠れながらも、若手が少しずつ力をつけてきた女子チームの頑張りにも期待しています。

2008/11/13

6.松本の四季

1)春
「春遅い信濃路」では、花々が一気に咲き揃います。我家の周辺でも、梅が咲いたかと思うと、彼岸桜、桃、梨、りんごと一斉に開花の時期を迎えます。特にりんご園は、黄色いタンポポと白いりんごの花の共演で、一年で一番美しい時期となります。 
そして市内で一番早いというお堀傍の「片端(かたは)の桜」がほころび始めると、一気に松本も桜の季節を迎えます。松本周辺の桜のスポットとしては、松本城周辺、薄川堤防(ドラマ「白線流し」の舞台)、城山、アルプス公園。


チョット足を延ばして豊科の光城山。そして、お薦めは、弘法山。東日本最古級との前方後方墳が頂上にある小山が、全山(若木が多く1500本とか)ソメイヨシノで満開になり、春の宵は山が浮き上がって見えます。因みに、母の実家がこの近くで、子どもの頃、あの山には弘法大師のお墓があると聞かされたものです。疑わずに素直に掘っていたら、古墳の第一発見者になれたかもしれません。頂上からの眺望も素晴らしいとかあとは、郊外の春の安曇野。水車小屋のワサビ田(大王ワサビ農場)や道祖神、代掻きの水田に映る常念・・・。日本の原風景とも言えそうな懐かしさを覚えます。
2)夏
 信州の夏は、高原でしょうか。上高地や美ヶ原、乗鞍高原など。また、キャンプ地も多く、行き先には事欠きません。松本の夏は、昼間は30度を超えることも珍しくありませんが、昼夜の寒暖の差があり、また乾燥しているため、木陰に入ると涼しく感じますし、夜は窓を空けて寝ると寝冷えすることもあるほどです。(この気候が、りんごやブドウ栽培に正に適しているのです)
 また、夏の特産としては郊外の波田町の「下原(しもっぱら)スイカ」が全国的に有名です。そして、昔から続く、スギヤのソフト・クリームとアイス・キャンディー(どこと言って変わったものではありませんが、何故か)が街の定番。
3)秋
 お盆が過ぎ、残暑がまだ厳しい中にも、秋風が立ち始め、やがてススキが揺れる候になると、一斉に収穫の時期を迎えます。先ず、9月に入ると、ブドウや梨が。そして、稲刈りが始まると、リンゴが種類ごとに収穫され始め、最後11月に主力のふじ。また、その合間に里山には秋の恵みとして(松茸と言いたいところですが、産地も限定・・・因みに松本市となった旧四賀村は有名・・・されど、その殆どは「止め山」で立ち入り禁止のため、専ら)地元で「リコボウ」とも(諏訪では)「ジコボウ」とも呼ぶ、ヌメリイグチやハナイグチ、アミタケやクリタケといった雑キノコのシーズンを迎えます。それ程、美味しいというものではありませんが、やはり「秋の味覚」です。そして、季節は新蕎麦へ

4)冬
 松本は、北アルプスが日本海からの雪を防いでくれるため、同じ信州でもむしろ太平洋岸の気候の影響をうけることから、冬も晴天が続きそれほど雪が降ることはありません。むしろ、3月頃、「上雪」として湿った雪が積もることがあります。その分乾燥し、温暖化とは言え寒さが厳しく零下10度を下回ることも珍しくありません。従って、むしろ山に雲のかかる夏よりも、冬の方が北アの峰々を望むことが多くできます。
そんな冬には、やはり温泉が何より。松本周辺は、日本書紀にも登場する「筑摩の湯」として知られる美ヶ原温泉や浅間温泉。白骨温泉や扉温泉など有名な温泉地も数多く、正に温泉天国。また、さほど有名ではなくとも、幾つも日帰りの温泉施設があり、リフレッシュには最適です。因みに家から車で10分程度の、豊科「湯多里(ゆったり)山の神」。谷あいにあり、露天風呂からの絶景は望めませんが、泉質が良くスベスベになります。また、現在は日帰り専門の浅間温泉「枇杷の湯」は、その昔松本藩のお殿様の御殿湯とか。大名気分に浸れるとの評判です。

 「故郷・松本には上手いものが無い」。これは松本出身の太田和彦教授(専門のデザインより、むしろ居酒屋評論家としての方が有名)の「居酒屋放浪記」・「立志編」で松本の項に冒頭自虐的に書かれている内容。(因みに今も変わらぬ深志高校生の思いが、数行の中に凝縮されています)でも、決して何も無いわけではなく、独善的お薦めを幾つか。
 お蕎麦では、蔵の街「中町」から南へ一本入ったところの「野麦」。十人も入れば一杯の小さなお蕎麦屋さん。以前はおばあちゃんが一人で切り盛りされていましたが、今は息子さんが代わられたとか。「もり」のみ。しかも、一枚千円(最近ご無沙汰していたのでH/Pで調べたら、今は1100円の表示が・・・)と決してお安くありませんが、背筋が伸びる「いい店」です(「・・・でした」でないことを祈ります)。小盛もあり。同じく蕎麦では郊外(岡田六助)の「月の蕎麦」が良心的。同じメニューが、蕎麦殻入りの黒い田舎と白い更科から選べます(どうも更科の方が早く終わってしまうようです。
 ラーメン屋「札幌」。今は娘さんが場所を移して(野麦の横?)守ってらっしゃるとか。その昔、縄手通りの「中劇」の横の路地にあって、高校時代、友達(男二人と女生徒の三人で)と(多分映画を見た後で)入ったら、頑固なおやじさんから「女の子を(デートで)こんなところに連れてきちゃ駄目だ!」と「暖かく」怒られた店。
 焼きそばの「たけしや」。その昔は高校生御用達。信州蕎麦かと見まごう黒く太い麺にギトギトの甘めのソース。汚かった店が、今は同じ場所(駅から北へ、女鳥羽川を渡り2本目の通りを右折し北の角。徒歩5分)で建て替えられて営業中。肉無しだと、一人前500円。普通の中華麺(太めは相変わらず)になっても、懐かしい味です。
 喫茶では「まるも」。女鳥羽川沿いで、縄手通りと川を挟んだ対岸。旅館を併設しています。最近はご無沙汰ですが、少し濃い目のコーヒー(ブレンド)も美味しくて、一日中クラシック音楽を流していた店。確か昔はリクエストにも応えてくれたような・・・。貧乏学生が、コーヒー一杯で長時間粘っていても決して嫌な顔をされなかった店でした。


 最後に居酒屋「草枕」。太田和彦氏が、「塩イカ」(ゆでた塩味のイカと輪切りのキュウリを醤油で和えたものが正統派)が食べたくて、どこにもなく、最後諦めて締めにぶらりと入って偶然「塩イカ」に出会えた店。お通しを一気に平らげてお代わりをしたら、黙って山盛りにしてまた出してくれたとか。そんな「居酒屋放浪記」記述通りの「無愛想な」おばあちゃんが、今でも時々お通しに出してくれます。駅前を左、ステーション・ホテルの斜め対面の小さな居酒屋。「本に出てましたよ。」と言っても、「そうらしいね。」の一言でチョン。でも、「今日もあるよ。」と言って、その塩イカを出してくれました。
 勿論、もっと有名な蕎麦屋とかフランス料理店とか他にも「名店」はありますが、太田和彦氏の「いい居酒屋」基準で言うところの、『いい酒、いい人、いい肴』。客に変に愛想良く迎合するのではなく、また有名店になったからと言って「イヤなら出て行け」的な傲慢で高圧的な応対でもない、信州人ぽく最初はとっつきにくくても、どこか松本的な情緒を感じられるようなお店が、それなりにあるような気がします。

2008/11/10

4.松本城

 

 言わずと知れた信州松本のシンボル。現存する我国最古の天守閣。国宝で五層六階の別名「烏城」(因みに岡山城も烏城とか)。築城の名手と言われた石川数正親子が築城。最後六万石とされた小藩である松本藩には、似つかわしくない堂々たる天守閣。もともと小笠原氏の支城(居城は山城跡が今も残る林城)があった場所で、深志城と呼ばれていましたが、信濃を征服した武田氏滅亡後、戻った小笠原氏により松本と改名(待つに待った「戻る」という本懐を遂げたから、という俗説があるとか)。平城のため、熊本城や姫路城のような平山城の圧倒的スケール感はありませんが、北アルプスの峰々をバックに聳える松本城が無かったら、松本の街は随分味気ないものになっていたのは間違いありません。廃藩置県での廃城の危機もあっただけに、維新後も守り抜いた地元の先駆者に感謝する他ありません。壮麗雄大さとは程遠い、戦国実戦のための城。中は、殆ど往時のままで、階段がとにかく急ですので、女性はスカートで行かれない方が無難。でも、高いビルの無い松本市内では、天守閣最上階からの眺望は一見の価値あり。最近では、薪能や観月の会(戦国時代の城には珍しく、その名も月見櫓があり)が催されることもあります。(なお、故郷切手の構図にもなった、北アをバックに復元された太鼓門を含む松本城の遺構を見るには、市役所の屋上からが絶好ポイント・・・の筈。但し登れるかは不明です)

 古くは、スズキ・メソッドの発祥の地。夏になると、才能教育のサマーキャンプに世界中から松本に集合して、街は小さなバイオリンケースを手にした子ども達で一杯になります。
 また近年は、サイトウ・キネン音楽祭の開催地としても、音楽の街を標榜する松本。学生時代、朝比奈さんの指揮で歌った荘厳ミサや若杉さんに振ってもらった第九など、合唱に明け暮れた自身にとっても、お陰で本格的なオペラハウスでもある市民芸術館や音響の良いハーモニーホールなど、一流の演奏を聴ける場所が地方都市である松本に増えたことはありがたいことです。全く関係ありませんが、本場ウィーン(国立歌劇場)で運良く聴けた、ムーティのフィガロは一生の思い出です。
 なお、サイトウ・キネン効果で、松本地区の学校の吹奏楽のレベルが上がり、全国大会へ選抜される学校が増えてきたことは喜ぶべきことでしょうか。合唱ファンの私としては、最近全国的に合唱人気が下火になっていることが心配ですが。子ども達が信州大学附属松本小で合唱をしていた頃、NHKコンクールの全国大会(銅賞でした)に行ったように、長野県は合唱も盛ん(小中学校では。出場校数は確か日本一の筈)ですので付記しておきます。

 シャレではなく信州は進取の精神に富んでいると言われました。そのシンボルが市民の寄付で設立されたという、日本で最初の小学校である旧開智学校。昔は、街の中心部を流れる女鳥羽川沿いにあったそうですが、今では移築されて、松本城の北に現在の開智小学校と並んでいます。国の重要文化財です。なお、同じ和洋折衷で尖塔を持つ学校が他(佐久地方では旧中込学校も重要文化財ですが)にもあり、松本では美ヶ原温泉の近くの旧山辺学校。美ヶ原温泉にお泊りの方は足を延ばされては如何でしょうか。
 更には、松本駅から東(美ヶ原方面)へまっすぐ伸びる駅前通りの突き当りが、ヒマラヤ杉がシンボルのあがた(県)の森。「どくとるマンボウ青春記」の舞台でもある旧制松本高校。現存する唯一の旧制高校の建物が幾つか記念館として保存されています(というか、実際1970年代までは信州大学の理学部校舎として使われていた筈)。その昔、松本の市内をデカンショのバンカラ学生が闊歩し、街の人たちも八高に続く「第九高校」を長野と争って誘致したこともあるのか、京都や金沢のようにとても学生を大事にしたと言われています。市内には、松高生がたむろした喫茶店の「翁堂」やおでん屋さん「しづか」などが昔ながらに今も営業しています。
 
 そして、もう一つ、勝手に我が母校、松本深志高校(旧制松本中学。2006年に創立130周年を迎えました。大正までは松本城内にあって、休み時間には天守閣の屋根で逆立ちをする学生がいたとか)。市内から北へ行った高台(深志ヶ丘)にあり、東大を真似たという昭和初期の講堂や校舎が現在でも使われています。私が一年生の時が、近年映画化もされた学校犬「クロ」の最晩年。(勉強ではなく)部活が終わって、夜帰るとき廊下に佇んでいたクロの頭をなでて帰ったことを思い出します。因みにクロの学校葬(応援団の自主的開催)の時、お経を上げた本職のお坊さんは、当時私の学級担任だった日本史の先生(現在は市内のお寺のご住職。映画の中でもその当時のご自身を演じられた)でした。

 松本は、北アルプス登山の玄関口。夏になると、松本駅にはリュックを背負った登山客が降り立ちます。最近は、ワン・ゲル人気も下り坂なのか、若者よりも中高年の登山客の方が目立ちます。でも、昔ながらに駅舎で、シュラフで一夜を過ごす若者を見かけると何だかほっとして心が和んできます。「ガンバレ!若ゾウ」と陰乍ら応援。
 松本駅は、その昔木造の粗末な駅舎だったのが、学生時代だったか国体開催に合わせて(当時)近代的な駅ビルに建替えられました。その時、ビルに「松本駅」という大きな看板が登場したこともあり、それまでの駅の木の看板(表札)も取り外されたのですが、何年かして再度東口の入口横に掛けられました。当時の新聞記事の記憶だと、槍や穂高を目指し松本駅に降り立った登山客が、下山してきて松本駅の看板(表札)に触って初めて下山の無事を確かめ合ったのだとか。そんな登山客の要望に応えて、今でも古びた看板(表札)が掛かっています。
 その松本駅が今年改修され、(その名も「アルプス口」側の)駅舎から大きなガラス窓越しに北アの山々が望めるようになりました。松本平から仰ぎ見る北アルプスのシンボル、常念の左肩越しにちょこんと槍の矛先が望めます(槍が見えるのは、松本駅辺りがギリギリ。奈良井川を渡るともう見えません)。雪山の神々しさも含めて、四季折々それぞれの美しさがありますが、個人的お薦めは何と言っても夏の夕刻。バラ色に染まった夕映えをバックに北アの峰々が黒い屏風のようなシルエットになる時。本当に、息を呑むほど美しく、溜め息や涙が出るほどと形容しても決して過言ではありません。何も無い田舎街かもしれませんが、松本に生まれたことに感謝する一瞬です。(夏は北アに雲がかかる事が多く、なかなか全容を拝める日は稀ですが)
 我家から、車で五分ほど、アルプス公園があります。北アの眺望も勿論ですが、昔県営の種畜場があった広大な跡地を公園にしたところで、種畜場の昔、昆虫採集で走り回った自分の庭。現在では展望台や山岳博物館もあり、隠れたお薦めスポット。広い草原や小動物園もあって、観光スポットとは言えないかもしれませんが、特に小さなお子さん連れのご家族にはお薦めです。
松本は周囲を山に囲まれ、自然に恵まれた山の街。市内を流れる女鳥羽川には、市内中心部でも渓流魚である「うぐい(地元では赤ウオと呼ばれています)」の産卵が確認されていますし、また旧開智学校に隣接する中央図書館脇の川(大門沢川)ではホタルも見られ、こうした都市部での生息は全国的にも大変珍しいそうです。