1月7日は、繭玉づくり。五穀豊穣、無病息災を願い、米粉に食紅で赤、黄、緑に色をつけて柳の枝に飾りました。天蚕業が盛んだった頃の名残でしょうか。幼少期には、辺り一面、桑畑だった頃があります。桑の実を食べて、口が青くなった記憶があります。
穂高北小では、天蚕の飼育があります。6年生は、緑色に輝く蚕の繭でコサージュをつくり、卒業時に保護者の胸に飾る習わしがあります。
明日の三九郎で繭玉や、鏡開きのお持ちを焼いて食べると、一年間健康で過ごせると言われています。
子供達はおかゆが苦手なので、七草粥の代わりに、鍋の締めにおじやにして春の七草(セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ)を入れて食べました。
1月8日、近所の松飾り・正月飾りを集めて、三九郎の組み立て。
木材で櫓を組み、中に藁や茅をいれ、周りを竹や松で囲み、とがった円錐状に組み、最後に正月飾りで、飾り付けます。中には子供が入れるようにします。(古い時代には、別の地区の子供達にイタズラされたり、火をかけられたりしないように子供達が中に入って番をしていたことがあるそうです。・・・・・それで焼け死んだ子供もいたとのことですが・・・・・最近では、正月に外で凧揚げをしている子供を見つけることがほとんどありませんね。)
飾り付けが終わったら、鏡開きで、餅を焼いてお雑煮。この辺りのお雑煮のお餅は四角い切り餅。地区のこども達の新年会があります。家で餅米を薪で炊いてお餅をつかなくなったので鏡餅もプラスチック製になっていますが・・・・・
三九郎では、しめ縄や、松飾り、昨年のだるまや、縁起物のお飾り、神社の御札(穂高神社、地区毎にある神社(富田は伊夜比古神社、橋爪は北野神社、古厩は大宮神社など)、それと有明山神社の3枚の御札)を一緒に焼いて新しいものに替えます。
南信の飯田にいた頃は、夜明け前にみんなで集まりやっていました。穂高有明では夕方から三九郎に火をいれます。
1月9日、三九郎の後片付けをすれば、無病息災を願う年末年始の大切な年中行事も終わります。
普段の生活も欧米化していて、伝統的な食材もスーパーで買う時代で、昔からの風習も、段々と、簡素化していきます。しかし、グローバル時代に日本の未来を担っていく今の子供達の心の中に、日本の伝統行事やその意味するところを少しでも伝えていければいいと思います。
いよいよお正月も終わり。忘れ物がないように再確認をして、みんな元気に最後の三学期を頑張りましょう。