渡邉美樹講演会 その8
今日は火曜日です。
「経営ノート」のコーナーです。
2006年11月22日に行われた、渡邉美樹社長の講演会をまとめたものです。
みなさんのお役にたてれば、幸いです。
8.社長になりたい
一方で、貧乏から抜け出し、金持ちになりたいという夢もありました。
私の経営の師匠は、会社を倒産させた父です。
父はテレビCMをつくっている会社を経営していました。
1963年に「なんである、アイデアル」という流行語になった傘のCMも、
父の会社がつくったものです。
しかし、テレビが白黒からカラーになったときの対応に遅れ、会社を倒産させてしまいました。
それでも、いまでいう自己破産はせず、取引業者や60人の従業員などに対して、
全額対応はできなかったものの、きれいに精算しました。
そのため、数億円という借金を抱え込むことになったのです。
その後、サラリーマンになり借金を精算していきました。
会社の倒産から35年が経ち、父が80歳になったとき、
その誕生日のお祝い会に当時の社員、60人全員が来てくれました。
こうした父の姿に、男が誠実に生きる、会社経営をするとはどういうことかを学んだのです。
そのような父だったからこそ、父の敵討ちをしたいとも思っていました。
小学5年のときに社長になると決意し、
大学2年のときにビジネスの種を探すために日本一周旅行を、
大学を卒業する前に北半球27か国を回る旅行をしました。
北半球旅行を始めるときには、会社を立ち上げるなら、
“人”に関する業種で“時流”に乗りたいという考えがあったため、
「外食」か「コンピュータ」にすると決めていました。
それを、外食一本に絞ったのは、ニューヨークのライブハウスに行ったときです。
そこに集まっていた人たちが幸せそうに会話し、食事をするのを見ていたら、
私もこういうシーンを提供したい、1人でも多くの笑顔を見たい、
出会い、ふれあい、安らぎを提供したいと強く思うようになりました。
そして、22歳の春、成田空港に着いたときには、
24歳の4月に外食産業の社長になることを決めていました。
*なおこの議事録は、富田さんのご協力で、掲載しております。
(つづく)
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