こんにちは、パン職人&信心深い(ウソ)写真家のタダチです。
9月中旬から下旬にかけて世間は3連休がダブルで訪れますので
ワタクシの撮影記も前回の黒姫高原に続きもう一カ所お届けしたいと思います。
タイトルを見れば一目瞭然なんですが黒姫高原の帰り道に善光寺に立ち寄ってみました。
善光寺と言えば県内最大のお寺さんですよね、全国的にも珍しい無宗派の単立寺院です。
無宗派なら誰が住職?って思いますが、
天台宗の大勧進貫主と浄土宗の大本願上人が務めておられるそうです。
難しいコトはさて置き、さっそく参拝へ行ってみましょうか。
まずくぐるのが仁王門。門番のでっかい仁王尊がぎょろりと目を光らせてます。
仁王門に掲げられている"定額山(じょうがくさん)"とは善光寺の山号。
↑近づいてみるとネコちゃんでした。日陰の石畳が涼しいらしく居座っています。(^.^;
↑せっかく涼んでいるのに触りまくられ逃げたいけど逃げられず。{{ (>_<)}
仁王門を過ぎると仲見世通り。
7777枚あると言われる石畳の沿道にはみやげもの店や旅館がひしめきます。
↑平日なので人通りは少ない方でしょうか?。目の前にハトが向かって来てビックリ!!。
↑奥に見えるのが山門。右側に並んでいるが六地蔵とぬれ仏。
↑こちらがぬれ仏。俗に"八百屋お七のぬれ仏"とも。
一途な悲恋物語として浄瑠璃の題材ともなった八百屋お七の霊を慰めたものだそうです。
名前は知っていても話は知らんという方のために...
江戸時代におきた天和の大火の際に避難した寺で寺小姓と恋仲になったお七は、あまりの恋慕に
寺小姓との再会を願って放火未遂事件を起こし、捕らえられて火刑に処せられたという話です。
江戸の町は木造の長屋が立ち並ぶ延焼しやすい街づくりでしたから
放火=死罪という厳しいものだったのですね。
ただ、15歳以下の者は罪が軽減されて死刑にはならないという法律だったので
裁きを下す町奉行も彼女を哀れんで何とか助けてやろうと、当時まだ16歳だったお七に
「おまえの歳は15だろう?」と問いただしたところお七は正直に16だと答えてしまい、
再度問うも証拠のお宮参りの記録まで差し出してしまったためにさすがの町奉行も
やむなく死刑の判決を下さざるを得なかったということです。
いささか脱線しましたがあらためて善光寺に戻ります。
山門を抜けるといよいよ本堂へ。
↑本堂前にある大香炉の煙で身を浄めます。となりの方は拝んじゃってますね。ヘヘ(^^)
↑こちらが国宝善光寺本堂です。
本堂に入るとすぐにお釈迦様の弟子で十六羅漢の1人で神通力を持つ"びんずる尊者"の座像があり
俗に撫仏とも呼ばれ病人が患部と同じ場所を撫でると神通力で治してくれるそうです。
ですから像はすり減ってツルツルになっています。
ワタクシは一生懸命、頭を撫でてきましたが....。f^_^;...
本堂やや左奥には瑠璃壇がありそこに本尊の一光三尊阿弥陀如来像が安置されています。
本尊は絶対秘仏で7年に一度のご開帳の時でも人目に触れることはなく、
たとえ住職でさえ見ることはないそうです。
小学生の時にワタクシもやりましたが、本堂の床下の真っ暗な回廊を歩く"お戒壇巡り"は
この瑠璃壇の真下に懸かる"極楽の錠前"に触れることで往生の際に御本尊様に迎えに
来ていただけるという、たったの500円で体験できるありがた〜い道場なのです。
さて、最後にタイトルの元ネタの"牛に引かれて善光寺参り"のお話を簡単に...。
昔、欲張りで不信心な老婆が小県の里(現在の小諸)に住んでおりまして
軒下に布を干していたところどこからか牛がやって来て、その布を角に引っ掛けて
走り去って行きました。怒った老婆は牛を追っているうちに何時の間にか
善光寺の金堂まで来てしまいました。(スーパー老人ですね...)
いつしか日は暮れて牛は金堂へ消えていなくなりましたが
金堂の中は仏様の光明で昼のように明るくなり、その床には牛のよだれで書かれた
「うしとのみおもひはなちそ この道に なれをみちびく おのが心を」と読める文字が。
(牛だとばかり思い過ごしてはいけませんよ、仏の道にあなたを導いた私の心を)
それを読んだ老婆は信仰心に目覚め、如来様の前で念仏を唱えながら夜を明かし
追いかけて来た布への執着心もなくなって家に帰りました。
後日、近くの観音堂へお参りに行くと観音様の足元にあの時の布があるではないですか。
老婆は牛に見えたものが実は観音様の化身だったと気付き、善光寺の仏様をますます信じて
やがて極楽往生を遂げられましたとさ。めでたしめでたし。o(^▽^o)(o^▽^)o
ちなみに小諸にある布引観音はこのお話の観音様なのだそうです。
以上、今回の撮影記はこれで終わります。善光寺にお参りの際の参考になれば嬉しいです。
投稿者 : bonne-j
コメント追加