2017/05/06
今月のテーマ 《 その時、心は 》 2-1
1、強い心は、強力な磁石のように幸いを万里の外より集める力である。・・・
勇んで動けば、思いがけないドラマが待っている。軽快に一歩を踏み出すことだ。
『人生の8割は偶然の出来事で決まる。』
・・・・・J・D・クランボルツ/スタンホード大学教授
教授が提唱する学説だ。社会的成功を収めた数百人を調査した結果、8割がその地位を築いた要因に、偶然の出会いなど予期せぬ出来事を挙げたという。
とはいえ、決して «偶然»に身を委ねる生き方を勧めているわけではない。教授は主体的に行動する中で起こるさまざまな偶然を人生を開く好機にする。
「計画的偶然性理論」を提唱。
成功の鍵として
①旺盛な「好奇心」
②努力を重ねる「持続力」
③前向きに物事を捉える「楽観主義」
④固定概念に縛られない「柔軟性」
⑤失敗を恐れない「冒険心」・・・・・を挙げる。
「ああなりたい」「こうしよう」と意志を持って努力することは大切だ。ただ人生はなにが起きるかわからない。予想外の何かが起きた時、“ 自分が考えていたこととは違う ” などと切り捨てず、“ 新しい人生が開けるかもしれない ” ととらえてみる。
不断の努力を重ねつつ、目の前の出来事に心を開いておく・・・
その構えがチャンスを呼び込むとも言えよう。
2、冬の嵐の真っただなかでこそ、『心の財』は無量無辺に包まれていく
「寒気」は「歓喜」の春のためにある。
今年も松本では、桜の花が見事に咲いた。地域の桜まつりなどで、あれこれ思いを巡らせるのも楽しかった。
例年に比べて開花が遅いか早いかは「休眠打破」の進み具合によるという。桜の芽は「寒気」にさらされることで休眠状態から目覚め、その後の気象上昇によって開花に向かう。冬知らずの常夏の地では、日本の桜も十分に咲かないそうだ。
「寒」の字には「寒い」の他に、「苦しい」「寂しい」「貧しい」という意味もある。できれば「寒」は避けたいのが人情。だが人生の「寒」にあって心が目覚め、人の温かさに気づき、「冬は必ず春となる」をかみしめて感じた人が多い。
東日本大震災から6年が経ち、語られていたことが印象に残っている。
「この地に生きなければ感じなかった苦しみがあり、半面、この地に生を受けなければ得られなかった喜びがあります。東北に生を受けたことが最高の誇りです・・・」
3、大誠実に徹していければ、全てを生かして、必ずいい方向に転じていくことができる。
生きているうちに息子に伝えなければ・・・
・・・・・キングスレイ・ウォード/カナダの実業家
2度の心臓手術のあと、会社を継ぐ息子に書いた。後に『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』として出版され、新社会人の必読書としてベストセーになった。
「礼儀正しさに勝る攻撃力はない。君の立ち振る舞いに現れる・・・」
「服装は君に変わって物を言う」
「私はただ読書のおかげで、一生を10回も経験したような気がする。地上で与えられた時間を有効に使っているという気がする」
「成功するには、人生の目標を定めなければならない。まず自分の目標を定め、次にそこにいく直接導く詳しい道順を考える」
「人の世には潮があって、満潮に乗り出せば幸福をもたらし、無視すれば浅瀬に乗り上げ不幸に終わる」
「読むことは人を豊かにし、話し合うことは人を機敏にし、書くことは人を確かにする」
「学びたいという欲求や集中力が必要だが、何よりも大切なのは勤勉さが必要である」
「努力しなければならない。他に方法がない。精一杯努力すればたいていのことは叶えられる」・・・。
仕事で遭遇する局面での対応を説く同書。親子の立場を超えた「同じ道を志す友」への愛情が伝わってくる。「君の父であったおかげで、素晴らしい人生だった」(城山三郎訳)
4、威張らず、周囲に安心感を与え、いざという時に最前線に立つ責任感のある人
動物の写真が売れているらしい。犬や猫など可愛らしいものだけでなく、ゴリラも人気のようだ。
“威厳のあるたたずまいが「哲学者」の雰囲気を感じさせる ” という声もある。
霊長学研究者で京都大学総長の山極壽一氏は、集団生活するゴリラのまとめ役を “ ボス ” とは呼ばず、「リーダー」と呼んで区別する。
ニホンザルの場合、トップに立つのは「ボスザル」で、常に自分の力を誇示することで立場を保つ。だが集団同士の喧嘩になると若いオスが前に出て、ボスは後ろに控えたままだという。
一方で、ゴリラの「リーダー」は存在感や振る舞いで周囲に頼られ、メスや子供達から「あなたに従っていく」と承認されている。いざ緊迫した場面にたつと、リーダーが一番前に出てドラミング(胸をたたくしぐさ)をし、敵を威嚇し、みんなを守るそうだ。
5、勝てるかどうかではなく、まず勝つと決める。最後まで諦めない。大逆転のドラマは、我が一念から始まる。
今年3月にサッカーの歴史に残る劇的な一戦があった。UEFA(欧州サッカー連盟)チャンピョンズリーグ。世界一レベルの高い、伝統的な大会のことである。
決勝トーナメント一回戦。スペインの名門、FCバルセロナは、窮地に追い込まれていた。初戦で0対4の大敗。2戦目では3点を先制するものの、後半17分に1点を返される。ルール上、勝ち進むには、あと3点が必要という厳しい状況。
だが選手たちは諦めていなかった。超一流のスターたちが必死の形相でボールを追う。試合終了間際、立て続けに3点を奪い、大逆転。スタジアムは歓声に揺れた。
松下幸之助氏の講演でのこと。
一人の中小企業の経営者が、どうすれば松下さんが言うような経営が出来るのかと質問した。氏は答える。 “ まず大事なのは、やろうと思うこと ” 。
その時の聴衆者の一人で、後に世界的企業に成長した会社の経営者は、「“ できる、できない ” ではなしに、まず、“ こうでありたい。おれは経営をこうしよう ” という強い願望を胸にもつことが大切だ」と感じたという(『エピソードで読む松下幸之助』PHP新書)
6、理想を抱く若い彼らが元気ならば、本当に社会は変わっていく!
薩摩藩と長州藩の「薩長同盟」締結から今年は151年目。江戸幕府を倒し、明治維新へと続く、近・現代史の転換期の一つと位置づけられている。
両藩は、「薩賊」「朝敵」と罵倒しあい、同盟締結の一年半前までは直接砲火を交えていた。犬猿の仲が手を結ぶ、極めて困難な交渉に臨んだのは、薩摩の西郷隆盛、長州の木戸孝允、仲介役の土佐・坂本龍馬ら、いずれも20代・30代の青年だった。
締結の直前、龍馬は書簡につづっている。
「何の志ざしもなき所ニ、ぐずぐずして日を送ハ、実ニ大馬鹿ものなり」(宮地佐一郎『龍馬の手紙』講談社文庫)
前例やしがらみにとらわれず、高い志のために決断し、連帯を広げることができるのは、いつの世にも青年の特権であろう。
7、斬新な発想
「治乱興亡」という熟語があるように、歴史は、さまざまな勢力による興隆と滅亡の繰り返しとして描かれてきた。多くの歴史小説を著す中津文彦氏によれば、興隆・滅亡には “方程式 ” があるという。
滅亡に至る共通項は「準備不足」「孤立」「奇策」の三つ。
一方、興隆の共通項も三つあり 、最初の一つが「周到な準備」と「連携」。滅亡の方程式とは反対の事柄だ。
しかし氏は、最後の3点目に、全く同じ「奇策」を挙げる。(『日本史を操る興亡の方程式』PHP文庫)
どういうことか。
準備不足で、孤立した者が奇策に走ると滅亡を招くが、準備を重ね、強い連携を築いた上で、定石を破った大胆な策に出るときは、大いなる飛躍が期待できる、ということだ。
かつて、アムンゼンが南極点初到達を成し遂げた要因は、「準備」と「団結」にあった。「正確な時計のように」準備を重ねる執念、異体同心の団結が不可欠だった。
8、「百花の魁」
厳しい冬の寒さが続いたあと、どの花にも先駆けて咲くことから、梅は「百花の魁」とも呼ばれる。
「明治六大教育家」の一人である新島蘘(じょう)は梅を愛したことでも知られる。彼が読んだ漢詩に
「真理は寒梅のごとし あえて風雪を侵して開く」と。
風や雪に耐えて咲く梅のように、あえて逆境や苦難に挑み、乗り越えていく心を、彼は「敢為(かんい)の精神」と呼んだ。
「敢為」は「敢えて為す」(あえてなす)「敢で為す」(いさんでなす)と読む。
「勇猛精進」という言葉もある。
この「勇」こそ「敢で為す」と同じ意味にあたる。あえて苦労を求め、堂々と勝ち越えていく。そして再び、新たな挑戦を開始する。
「平坦な道ばかりを、ゆっくりと歩いていては、何も変わらない」
新たな開拓者としての自覚に立ちたいものだ!
9、何をどれだけ前進させることができたか総括し、何をどう進めるか明確な目標を立てる。
己を見つめ、輝く飛躍を期す、有意義な人生にしたい。
昨年の漢字にも選ばれたように、リオ五輪の「金」ラッシュには日本中が湧いた記憶がある。特に、過去最多の金銀銅メダルをつかんだ柔道は、低迷していた全大会から見事、お家芸の復活を果たした。
私の大好きな井上康生監督のもと、飛躍を影で支えたのは、独自の技術を誇る情報分析だった。日本柔道は全大会以降の4年間、世界中の大会8,000試合の映像を収集。強豪選手の技の比率、時間帯ごとの得失点、左右の技の分類など、十数項目で数値化し、徹底的に分析した。かつては、映像を撮影しても、選手に “ こんな感じ ” と見せる程度だった。だがリオは、データを直視し、相手に応じて、こちらの動き方も明確にした。選手が畳に上がる前に、すでに組合が始まっていた。
数字を正確に踏まえてこそ、次に打つ手も見えてくる。
10、恵まれた環境が、必ずしも人間を育むとは限らない。逆境が最高の教師にもなる。
自分を見つめ、発想を転換し、挑戦の一歩を踏み出す。逆境に感謝できたとき、人は成長する。
昨年、広島カープの黒田博樹投手が引退をした。日米通算203勝という成績を残し、チームを25年ぶりの優勝に導いた右腕が、惜しまれつつユニホームを脱いだ。
黒田投手が入団した1996年当時の本拠地、広島球場は狭かった。打ち取ったはずの打球がスタンドに入る。夏場は背の高いビルに囲まれて風が止まった。
狭い球場と暑い夏・・・この厳しい環境が、新しい才能の開花につながる。緻密なコントロールを磨き、ベストコンディションを維持する力をつけた。黒田投手は「あらゆる意味で『カープの環境」が、僕を育ててくれた」と振り返る。(『決めて断つ』KKベストセラーズ)
3年前の日本復帰会見。「もがき苦しみながらも最後はカープのユニホームで投げたい」。
大リーグ複数からのオファーを断り、古巣のファンに応える道を選んだ。
復帰後は若手選手に惜しげも無く球種を伝授。「苦しまずして栄光なし」との座右の銘をマウンドに立つ姿で示した。
その黒田投手のクラブには「感謝」と刺しゅうされていた。
コメント追加