2011/11/04
経営方針共有勉強会 11月
・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011年11月01日
・・・・・・・・・・・・・・・・・・有賀 泰治
1、人は磨かなければ人間になれない
戦後の二十年以降、誰しもが、成功者を目差して励んでいました。食べるため、生きるために懸命の日々を送りました。そこには真剣な努力がありました。
ところが、世の中が豊かになるに従い、成功者になろうという意欲が消え、「一日が楽しければよい」といったその日暮のの人が増えてきました。
その結果、小・中・高校生の子どもを持つ親にも、自分さえよければよいという自己中心的な考えの人が多くなったように思います。問題が多発しているのは、当の小・中・高校生が悪いというよりは、そのような育て方をした親の心構えと姿勢が問われるのです。
人間は苦労しなければ、他人の気持ちが分る人になれません。天性でそのようなことができる人は、ほとんどいません。
自分の好きなことだけやって、その日その日をすごしていては、人のことを思いやることのできる本当の人間になれないのです。人が避けて通る掃除のような嫌なことを自らが引き受けて、自分自身を鍛えることが大切です。
一日一日、苦に立ち向かう行為の積み重ね、それが自分を磨くことにつながります。特別に構える必要はありません。日常生活の中に自分を鍛えてくれることはいっぱいあるのです。それに気づくか気づかないかです。「東日本大震災」を思うにつけても、まずは、自分が生かされていることに感謝し、幸せを感じることです。
「人は磨かなければ、人間になれない」 自分を磨くことは、一日一日の真摯な生活の積み重ねで可能です。まずは、他人への奉仕を一日三十分間、実践しましょう。そして、どう生きるかを学ぶことです。もちろん勉強も大切ですが、子どもには、決めたお手伝いを一日十分間させることです。高齢者は、相手を元気づける褒め言葉を心がけましょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・タニサケ 松岡 浩 氏
2、苦難困難を乗り越える心
NHKドラマスペシャル『神様の女房』で、女優・常盤貴子が演じ話題となっている松下幸之助氏の妻・むめの夫人。松下家最後の執事・高橋誠之助氏が、むめの夫人の知られざるエピソードを語っています。
一代で松下電器(現・パナソニック)を世界的企業へと育て上げ、経営の神様といわれた松下幸之助氏を支えたむめの夫人とは如何なる人物だったのか。
松下むめの夫人の生きざまから、苦難困難を乗り越える心の処し方。
大正6年、幸之助さんが22歳の時に電燈会社を辞め、ソケット製造の仕事を始めます。
しかし、まったく商売が分からず、売れない日々が続きました。
嫁入り道具として持ってきた指輪や着物を質入れして事業資金を調達していましたが、それも底を突き、ある時、風呂に行くお金もなかったといいます。
「当時はお風呂代が確か2銭だったと思いますが、その2銭がなかったのです。
主人は一日中、仕事場で没頭して、体は汗だらけ、汚れてしまっているわけです。ですからどうしてもお風呂へ入らなくてはならない。主人は手拭いを持って『これから風呂へ行くからお金を』と言うのです。
その時、私は『お風呂代がない』とは言えません。主人にそんなことで心配させるのは悪いと思って……」
この時、むめのさんは「どうも調子が悪いから一度あなたに見てもらいたいといわれている品物があるのですが」と言ったそうです。
すると、幸之助さんは手拭いを放って、その品物を触り出し、お風呂に行くことも忘れて没頭してしまったといいます。
その間、むめのさんはお湯を沸かし、幸之助さんの仕事が終わった頃に
「きょうは遅くなりましたから、お風呂に行くのをやめて、行水でもしたらどうですか。ちょうどお湯も沸いていますし、捨てるのがもったいないので……」と言って、その場を凌い(しのい)だそうです。
夫に生活のことで心配をかけてはいけない。若き日のむめのさんの健気な思いが伝わってくるエピソードです。
晩年、むめのさんは創業期のことを振り返り、このようにおっしゃっています。
「よく皆さん“ご苦労なさったでしょう”と言ってくださるのですが、私自身は少しも苦労だとは思いませんでした。
“苦労”と“難儀”とは、私は別のものだと思っています。“苦労”とは心のもちようで感ずるものだと思うのです。ものがない、お金がないというのが苦労だといわれる方がありますが、私はこれは“難儀”だと解しています。苦労は気分の問題であり、難儀とは別のものではないでしょうか」
3、TPP
野田首相はTPP(環太平洋経済連携協定)への交渉参加の意向を固め、それに向けた準備を開始するよう指示しました。
国会は賛否両論で議論が白熱していますが、新聞各紙は賛成一色に染まっているようです。
経済評論家の三橋貴明氏が確かな数字とデータを基に、マスコミが語らないTPPの実体を語っています。
『一般的にTPPは多国間の自由貿易協定だと思われているが、実際はアメリカの対日輸出を増やすための戦略の一種である。TPP参加国・参加検討国のGDPの割合を見れば一目瞭然で、アメリカ66%、日本24%と、日米だけで全体の9割を占めている。経済規模からして、日本にとって輸出先はアメリカでしかなく、逆もまた然りである。ご承知のように、リーマンショック以後、アメリカの景気は悪化の一途を辿っている。昨年末に横浜で開催されたAPECの演説で、オバマ大統領が「この地域で輸出を増やすことに大きな機会を見出している」と明言しているように、アメリカの景気回復のため、日本への輸出拡大が急務なのだ。マスコミはTPPについて「関税を撤廃して貿易を自由化する」「農業VS製造業」という報道ばかりしているが、これは極めて一面的な見方と言わざるを得ない。実はTPPには24もの項目が存在する。その中には例えば政府調達(公共事業)、投資、金融、各種サービス、労働、市場アクセス、紛争解決、知的財産権といったものが含まれている。言語や文化、法律などのあらゆる非関税障壁を撤廃して、人・モノ・金・サービスの移動をすべて自由化する。これがTPPの本質なのである。そして、農業の打撃もたしかに大きいが、我々はもっと恐ろしいものに目を向けなければならない。特に危惧されるのは「法務」「医療」「金融」といったアメリカ社会のガンが日本に入ってくることである。』
4、一見不運と思われる出来事をどう乗り越え、運命を好転させていったのか。
開催を来年に控えるロンドン・パラリンピックで注目を集める一人の日本人選手がいます。車椅子マラソン選手・土田和歌子さん。高校2年生の時、突然の交通事故で車椅子生活に…。
その後スポーツに目覚め、数々の世界大会で優勝。ロンドンでは5000mとフルマラソンでの二冠が期待されています。
そんな土田さんに競技人生に懸ける思いを語っています。一見不運と思われる出来事をどう乗り越え、運命を好転させていったのか。
『私はここ数年、「何のために自分は走っているのか」を強く意識するようになりました。それは、ただ勝ちたいというよりも一種の使命感のようなものだと思っています。特にそれを感じたのが今年4月のボストンマラソンでした。
その前月、東日本大震災があって、私自身も大変心を痛めたんですけれども、自分に何ができるかを考えた時、それはやはり走ること以外にないと思ったんです。いま振り返っても不思議なのですが、スタートラインに立った瞬間から、自分以外の何かから力をいただいているような感覚がありました。競技中、とても苦しい中で「たとえ腕がちぎれても走るんだ」という気持ちが湧いてきたのは、日本に対して何かのメッセージを伝えたいという願いがあったからだと思います。
そして驚いたことに、ゴールを切った時、16年間破られることのなかった世界記録を更新していたんですね。この結果は日本だけでなく海外からも大きな称賛を浴び「ありがとう」という声もたくさんいただきました。
私は今年37歳で、車椅子になる前より、障害者となってからの年月を長く生きているんです。もしあの時事故に遭っていなかったら、いままで築き上げたアスリートとしての立場はきっとなかったと思いますし、強い使命感に燃えることもなかったでしょう。生きていると誰だっていろんなことがあります。その時、ドッと落ち込んだとしても、どん底はいつまでも続かない。むしろその時が人生を開花させるチャンスなんです。』
5、「エアロコンセプト」
日本はもとより、モナコ国王やアブダビ王族、ハリウッド俳優のジョージ・クルーニー、ロバート・デ・ニーロなど、世界の一流人から熱烈な支持を受けている鞄ブランド。金属製、表面に開いたたくさんの穴…。この独創的かつ近未来的な鞄は、ある町工場の職人の手によってつくられています。
世界に誇る一大ブランドを築き上げた菅野敬一氏に、仕事の流儀を語っています。
私は50歳までずっと下請けでやってきたけれども、客先の都合ですぐ状況が変わってしまうようなことにしか携わってこなかったんだなと思ったわけです。新しい事業を起こすような能力はないけれども、自分の欲しいものを自分でつくることはできる。だからいまのうちに自分の欲しいものをつくっておきたい。
うちの取り引きの8割を占めていた会社が倒産し、ゼロを経験したことで、私の中で新しいスイッチが入ったんです。その後、エアロコンセプトのことが知られてくると、いろんなところからぜひコラボレーションしましょうという話が寄せられるようになりました。
フランスの超有名ブランドだとか、大手自動車会社なんかが一緒にやりたいと。だけどちょっと待てよと。そのために意に沿わないところに相手のロゴマークを付けられたりしたら、自分が欲しいものじゃなくなってしまう。儲けのために我慢してそういう仕事を受けたら、結局下請けの頃と何も変わらなくなってしまうわけですよ。ですから、何のためにエアロコンセプトを始めたのかという原点からは、決して離れないようにしています。
n覚悟というのはなかなかできないものだけれども、私は自分を信じる覚悟が定まったからブレようがない。世間でこれが主流だと言っているようなことに振り回されることもなくて、そこから新しく道がひらけてきたわけです。
6、常に心を積極的に保ち、人生を明るく前向きに好転させていくのか
当時不治の病といわれた肺結核を克服した体験から、心身ともに幸福で健康に生きる実践的方法「天風哲学」を大成させた哲人・中村天風。その門下には京セラ名誉会長・稲盛和夫氏や巨人軍終身名誉監督・長島茂雄氏など、各界の有力者が数多くいます。
上智大学名誉教授の渡部昇一氏に天風哲学の要諦を独自の切り口で語っています。
潜在意識を積極的な観念で満たす方法として天風氏は次のような方法を紹介します。
寝る前、鏡に映る自分に向かって「おまえは信念が強くなる」と命令する。
そして目覚めた直後、「私は、きょう信念が強くなった」と耳に聞こえるように言う。
天風氏はこのように、積極的な観念を信念にまで高めることを強調します。自分が念願することを頭の中でありありと映像化することを習慣化することで、その思いは現実のものとなっていくのです。このことを天風氏は「信念の魔術」と表現していますが、これは何も特別なことではありません。私たちの社会を見渡すと、高層ビルも飛行機もテレビも自動車も茶碗も、大自然以外はすべて人間が考えて現実化させたものです。
家を建てる人は、まずその全体をイメージします。それに基づいて設計し、実際の工事に入るわけですから、元となる出発点は“頭の中”ということになります。
私自身の経験と照らし合わせても、天風氏の考えは間違いではないと感じます。例えば、私の自宅には10万冊くらいの蔵書のある書庫があります。これは、高校の恩師・佐藤順太先生の本格的な書斎を見せていただいた時に「このような書斎を持ちたい」と大きな衝撃を受けた経験が大きかったと思います。自分のなりたい理想をイメージし、それを手にする願望を入眠時に思い描いていた。それがいつのまにか私の潜在意識を動かしていったのでしょう。
7、「勝利を掴む鍵」
無名だった佐久長聖高校の男子駅伝部を名だたる強豪へと導き、箱根駅伝で活躍する数多くの名選手を育て上げた両角速(もろずみ・はやし)氏。
部員も練習場もない状況下で部を立ち上げ、全国制覇を成し遂げる過程で得たとは。
駅伝は孤独なスポーツですから、自分で考え、走りを調整しなくてはいけません。それだけに人間力が勝敗を左右するんです。私は監督としての一番の仕事は人づくりだと思っています。それができれば、結果はおのずとついてくる。駅伝を通して、その子が社会の荒波を乗り越える強い精神力を身につけ、社会貢献できる子に育ってくれることが最終的な教育の目的です。いま時の高校生からしたらちょっと時代遅れのような印象を持たれるでしょうが、人間的な耐性を身につけるために、例えば携帯電話は一切禁止です。
走っていて足が上がらない、息がゼエゼエ言う、もうこれ以上動けない。そういう状態に追い込まれた時、求められるのはどれだけその状態に耐えられるかです。そこをさらに踏み込んだ選手が勝利を手にできる。日々の練習も確かに我慢を強いられます。だけど選手たちはもともと走るのが好きなわけだから、日常生活の苦手な部分でいかに耐性を身につけさせるかが大切になります。
駅伝は勝負事ですから、相手より自分が劣っていると思ってしまうと勝てません。心が挫けそうになる時、そこでいかに心が奮起するか。たとえ思い込みでも「自分は絶対にやれるんだ」という自信がなければ、前には進むことはできません。
これはスポーツだけでなく、すべてに言えることなんですね。
8、ナチスの強制収容所を生き抜いたことで知られる精神科医、V・E・フランクル博士。
その直弟子である永田勝太郎氏と博士に大きな影響を受けられた鎌田實氏による対談記事が掲載されています。極限状況を乗り越えたフランクルの名言を交えながら、人生の荒波を渡っていくヒントを学びます。
フランクル先生は、
「たとえいかなる極限状況に置かれても、人間の心は自由だ。目をつむれば精神は花園に遊ぶことができる」
と述べておられます。
最後の瞬間まで諦めず希望にしがみつくことが大事だと思うんです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・永田勝太郎(フランクル博士の直弟子)
僕が大事にしてきたフランクル先生の言葉があるんです。
「可能なら運命を変える。不可能なら運命を引き受ける」
何もかも運命だ宿命だと言って済ませてしまっては人生はおもしろくない。
やっぱりその運命を変えようと努力することも大事だし、時には引き受けるという覚悟が大事ではないでしょうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鎌田實(諏訪中央病院名誉院長)
9、禍(わざわい)を福と為す(なす)ための心得
昇地三郎氏、105歳。日本初の養護学校「しいのみ学園」を設立し、いまも理事長・園長
脳性小児まひの我が子を抱え、障がい児教育に尽力してきた歩みとともに語っていただきました。
「禍を試錬と受け止めて前進せよ」の言葉どおり、大切なのは自分の思考を転換し、生き方を変革することです。
降りかかってきた禍を「困った、困った」と逃げ回っていると、どこまでも追い掛けてくる。
それを、試錬と捉えて「来るなら来い」と立ち向かっていけば、禍が逆に幸福の種になるのです。
しいのみ学園でも、園児の親が、
「この子は何も悪いことをしておらんのに、こういう学園に連れてこなけりゃならんのはなぜですか」と涙ながらに訴えてこられることがよくありました。
私はそんな時、「そうじゃありません。昔から“障がい児がいる家は分限者(お金持ち)になる”という言葉もあるほどです。つまり、親がこの子のためにと思って一所懸命働くからですよ。私自身がそうでした」
と励ましの言葉を送ってきました。
いくら愚痴をこぼしても事態が改善するわけではなし、言うだけ野暮というものです。
禍でも不幸でも何でもこい、徹底的に抵抗してやるぞという気概を持てば、人間が一段強くなるのです。
私は自分との決め事で、「愚痴を言わない」「悲しさ、苦しさを踏みつけ、明るい太陽を目指して生きていく」の二つをどんな時も守り通すようにしてきました。
人から見て苦しいと思われるようなことでも、私はその苦しみを踏みつけてその上で踊っている。
これが禍を転じて福と為す、あらゆる禍を踏み台にして次の段階に進むということです。
要するに自分の心一つの置きどころによって、禍は不幸の種にも、幸福への踏み台にもなるのです。
10、人は逆境と出遭った時、いかなる心構えでそれを乗り越えていけばよいのか。
公文公(くもん・とおる)氏が創設した日本の「公文式」は現在、アメリカ、イギリス、インド、ブラジル、南アフリカ共和国など世界46か国に広まり、生徒数は400万人を超えています。
海外進出第一号となった台湾で、公文式の導入に尽力された蔡雪泥(さい・せつれい)さん。
現在、台湾全土で1000教室にまで拡大していますが、創業当時は苦難の連続だったといいます。
台湾での設立に当たっては、日本の公文が半分、私が半分の出資という契約でした。公文は企業ですし、ある程度日本で成功していましたから出資はすぐに準備できたでしょう。しかし、私は個人です。当時、貯蓄もほとんどありません。そこで、頼母子講(構成員が掛け金を出し、一定の金額を給付する民間互助システム)をして、必要なお金を集めました。毎月なんとかお金を返していましたが、ある時裏切られ、それが返せなくなってしまったことがありました。そうしたら、出資者が功文(台湾での公文の名称)の教室や家に来て、机をひっくり返し「私の出したお金を返せ」って……。私は返さないんじゃなくて、いまはまだお金がないんだといくらお願いしても待ってくれない。だから、それから1、2か月は働いて、働いて、お給料なしで返しました。
創業当初の資金難を乗り越え、事業が軌道に乗るまでには20年近くかかりました。とてもつらい思いをしましたが、いまも出資者の皆さんに年3回の御礼を欠かしたことはありません。「あなたにあんなことを言われた」と恨みに思わず、「おかげ様で、こうなれました」と頭を下げることが大切だと思います。
やはり人生で大切なことは、いつでも楽しい顔をしていることです。自分がどんなに苦しくても口にも顔にも出さない。どんなにいじめられても、絶対喧嘩をしないこと。だから、顔に唾をかけられたら、かけ返してはいけないということです。拭ってもいけません。乾くまでじっと待つのです。
そういう人が、最後には人生の勝利者となると思います。
11、『銀の匙(さじ)』
県立校不合格者の受け皿だった神戸の灘中学・高校を、東大合格者数日本一に導いた伝説の国語教師・橋本武氏。
1冊を教材にしたユニークな授業が出来上がるまでのエピソード。伝説の国語教師が語った教育の要諦とは。
自分が生徒だった頃を振り返ってみると、先生に対する親しみはあってもどんな教材でどんな授業だったか、思い出そうとしても浮かんでこない。自分が苦労して教えていることも、卒業すれば皆消えてしまうんだなぁと思うと、その空しさに耐えられなくなった。何か、生涯頭に残るような教材で授業をしたい。そう思った時に思い浮かんだのが『銀の匙』でした。
これは夏目漱石の推奨を受け、長さも教材として扱いやすい。ひ弱な子供が立派な青年に育っていく過程が描かれているから、生徒が作中人物と自分とを重ね合わせて見ていくことができる。授業は普通、教師が自分で教材を調べていった結果を生徒に注入していくものです。
例えば「ここの章には何も題がついていないが、つけるとすればこんなものがいいだろう」というふうに教師が自分の考えを伝える。でもそうではなく、自分が考えたことを生徒にも考えさせたらいい。そうすれば、自分が作者になったようなつもりで読むことができるでしょう。言葉の意味でも、先生の言ったとおりに書かなければならないことはない。自分がその言葉をどう説明すればよいか、思うように書きなさい。書けなかったら、辞書を引いたり、人に聞いたりすればいい。要するに「遊び」の感覚ですよ。人が遊んでるのを見ているだけじゃおもしろくない。自分も一緒に仲間になって遊びに加わらせる。
遊ぶ感覚で学ぶということが重要です。
12、「20代をどう生きるか」
著書『働く君に贈る25の言葉』が35万部を超えるベストセラーになっている東レ経営研究所特別顧問・佐々木常夫氏
『私はこれまで多くの部下の仕事ぶりを見てきましたが、成長していく人に共通しているのは「志」があるということです。ところが最近は、その志を持つことのできない若い人が多いように見受けられます。そういう人はどうすればよいのでしょうか。
まずは「自分を大切にしよう」ということです。
自分を大切にするとは、自分を愛するとか、自分が幸せになるということ。幸せを手にしようとすれば、困難なことにチャレンジするなどして自らの成長を求めなければなりません。それを怠ってしまう人は、結局のところ原点に立ち返って自分の人生を考えていないということでしょう。自分を幸せにしようと本気で考えていないから、漫然と時を過ごしてしまう。そしてそれが楽な生き方だと思い込んでいる人もいるようですが、これはとんでもない誤解です。そんな生活をしていれば、いずれ人間関係に困り、経済的にも苦しくなる。己は何者であるか、どういう生き方や働き方をしたいのか、といったことを自分で決めなければいけない。
人生には決意と覚悟というものが必要です。
13、10月の言葉
細かいことに干渉せず、ひとつのことを一心に打ち込む
・・・・・・・・・・・・・・・・・山彦節子(92歳の現役浄瑠璃語り・人間国宝)
どうすればみんなが喜んでくれるかという視点を常に持つ
・・・・・・・・・・・・・・・・山海嘉之(ロボットスーツHAL開発者・筑波大学大学院教授)
目先の損得を考えず
皆に喜んでもらえることをやっていれば
世の中は回っていく
・・・・・・・・・・・・・・・・大塚宣夫(青梅慶友病院理事長)
いつ死ぬか分からないから、今日のことは今日やる
・・・・・・・・・・・・・・・・大野勝彦(やまびこ塾塾長)
辛さを抱いてじっと耐えることによって人間は心棒ができる
・・・・・・・・・・・・・・・・蔵谷浩司(知心学舎主宰)
愛がなければ人を癒すことはできない
・・・・・・・・・・・・・・・・新倉勝美(綾空会主宰)
小さな実践が人を変え、地域を変える
現実を受け入れ、愚痴らず、精一杯生きていると、そこに道がひらけてくる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・塩沼亮潤(慈眼寺住職)
息絶えるその日まで、倦まず弛まず一所懸命生きていく
人生における労苦は己の人間性を鍛えるための絶好のチャンス
働くことは生きる喜びに繋がる…………………
心に抱く思いによって人生が決まる
与えられた仕事を天職と考える
一所懸命に働くことが、人生を素晴らしいものに導いてくれる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・稲盛和夫(日本航空会長/京セラ名誉会長)
どん底の時こそ人生を開花させるチャンス
・・・・・・・・・・・・・・・・土田和歌子(車椅子マラソン選手/アテネパラリンピック金メダリスト)
勝つためには心が8割、技が2割、体はゼロ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・白鵬翔(第69代横綱)
自分の信じることを貫いて生きる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・菅野敬一(世界の一流人に愛される鞄ブランド・エアロコンセプト創始者)
どんな不幸でも、不幸だと思う前に、もっといい幸せが来るために今の不幸があるのだと思いなさい
・・・・・・・・・・・・・・・・・渡部昇一(上智大学名誉教授)
たとえ思い込みでも「自分は絶対にできる」という自信がなければ前には進めない
・・・・・・・・・・・・・・・・・両角速(佐久長聖高校駅伝部を全国制覇に導いた監督)
報いを求めず徳を積めば自ずと事は成る
・・・・・・・・・・・・・・・・・安岡正篤(東洋思想家/昭和歴代首相の指南役)
あなたが人生に絶望しても
人生はあなたに絶望していない
・・・・・・・・・・・・・・・・・V・E・フランクル(ナチスの強制収容所を生き抜いた精神科医)
人生は自分自身との戦いである
・・・・・・・・・・・・・・・・・昇地三郎(しいのみ学園理事長/脅威の105歳現役園長)
できないと言ってはいけない
・・・・・・・・・・・・・・・・・松下むめの(経営の神様・松下幸之助の妻)
苦しみにじっと耐え抜いた人が最後には人生の勝利者となる
・・・・・・・・・・・・・・・・・蔡雪泥(功文文教機構総裁/台湾に公文式を導入・普及させた指導者)
人生には決意と覚悟が必要
・・・・・・・・・・・・・・・・・佐々木常夫(東レ経営研究所特別顧問)
人生は心一つの置きどころ
・・・・・・・・・・・・・・・・・中村天風(哲人)
心は温かく、肝は太く、頭は常に冷静で、技はスピーディーに
・・・・・・・・・・・・・・・・・大橋洋治(全日空会長)
「今日より明日、明日より明後日」と、いつも過去最高の自分を目指していく
・・・・・・・・・・・・・・・・・塩沼亮潤(慈眼寺住職)