有賀泰治の公式ブログです。日々の行動や情報、会社での出来事などを更新しております。

2011/10/29
北アルプスは槍ヶ岳までくっきりみえます。

快晴ですが・・・

安曇野は霧がかかり雲海のようになっています。

最高の秋晴れの一日になりそうです。


2011/10/24
空港を冠の全国空港RCフォーラムが大町、くろよんロイヤルホテルで開催されました。

旭川、東京羽田、名古屋、豊中、広島、佐賀、松本など約130人が集まりました。

今回は環境や水資源をテーマにして、元石原プロのカメラマン金宇満司さんの講師で、映画『黒部の太陽』の撮影秘話など、黒四ダム建設のエピソードも交えお話しがありました。

『黒部の太陽』は、私の小学生時代、学校の推薦映画で皆で映画館に行き、みた覚えがあります。

子供心に黒四ダムの凄さに驚いたことや、映画『黒部の太陽』の面白さは、40年以上たっているいまも、強く印象に残っています。




この『黒部の太陽』は石原裕次郎の遺言でビデオやDVDで今まで販売されていないそうですが、金宇さんの話では来年以降には、何らかの形で販売されるようになりそうだと言うことです。


楽しみです。






2011/10/23
《龍勢》

広島空港RCからのお土産

2007年 IWC で最優秀賞を獲得した世界ナンバー1の日本酒をいただきました。

全国空港RCフォーラムが大町の黒四ロイヤルで開催されました。
広島をはじめ、
旭川
東京羽田、
名古屋
豊中
佐賀
松本

の空港ロータリアンが集まりました。




ところで、このお酒 !

お味は !


う〜ん !

個性的な大吟醸でした!

2011/10/18
能登島でイルカウォッチング

RCツーリングクラブ《エスカルゴ》のメンバー Iさんが企画しました。
Iさんは、最近ダイビングのライセンスを取得、その中のダイビングスポットに能登島のイルカウォッチングがあったとか!
皆をさそって今日はガイド役です。


私はお見送りで途中でUターン。

楽しんできて下さい。

2011/10/16
予定では、再び奥穂高岳に登り、前穂高岳を登頂後、岳沢小屋より上高地へ下山予定でしたが、昨日の皆の登山状況を判断すると、涸沢を経て横尾山荘、徳沢、上高地へと下山することに変更。

午前6:48 天候 快晴
穂高山荘 出発
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涸沢のテント村をバックに、涸沢小屋より。
ソフトクリームを食べ、昨日とはうって変わる、余裕の下山。

点に色が付いているように見えるのがテント群です。
       ↓

この直後、N副隊長が足をつる・・・!
2ヶ月近く前より、筋トレなど準備をするよう皆に通達してありましたが、今回の西穂高から奥穂高の縦走は予想以上に厳しかったです。

奥穂高岳斜面や涸沢岳、北穂高岳をバックに・・・


明神池の奥穂高神社前にて、平地では健脚のO隊員、W隊員は上高地のバス停で車の交渉のため、一足先にいきました。



午後1:00
お昼は、政揮社長の同級生上條さんが経営する徳沢園にて、山小屋創業以来の人の入りで今年は大忙しの中、家族の皆さんで大歓迎していただきました。

他のお客さんの目もありますので、特別室にてカレーランチとビールをオーダー・・・、
自家製の野沢菜漬けもいただきました。

この特別室はO隊員の製作した部屋でなかなかおしゃれです。

しかし食後、精算にあたり、お金を受け取ってもらえず、ご馳走になり恐縮・・・ありがとうございました。
午後1:40
徳沢園 出発


明神からみた西穂高岳・・・


午後3:40
上高地 着
上高地にて、先発隊のO、W隊員がジャンボタクシーと交渉、全員で1台のタクシーにて、室山荘まで・・・
(2人は2時間コースを1時間で走破したとか!!??・・・ほんとに平地使用の足でした。)

温泉で汗を流し疲れをとり・・・乾杯


無事、生還に感謝
2011/10/15
朝4時30分 天候 快晴
西穂高山荘の別館レストで昨日山小屋から作っておいてもらったおにぎりで朝食・・味噌汁は自前
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午前4:55
西穂高山荘出発
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午前5:15
西穂丸山 登頂
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午前5:40
日の出
明神岳に太陽のダイヤモンドリング
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午前6:25
西穂独標 登頂
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午前7:13
ピラミッドピーク 登頂  後方に西穂高岳
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O隊員、持病の膝痛発症・・・ロキソニンを服用して少し復活

午前8:10
西穂高岳 登頂
ホットココアで乾杯
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午前10:10
間の岳 登頂

午前11:30
天狗のコル
おにぎり弁当に味噌汁
午後12:30
出発
コルを下りる、O隊員・・・下で皆が待ってます。
       ↓


O隊員、急斜面をトラバース、足元の白いものは最近降った雪です。
写真上部切り立った稜線を点のようにM、W、N 隊員・・・見えますか!?  山のゴツゴツと同化しています。
       ↓




午後2:25
アルピニストの憧れ・・・
ジャンダルム 登頂 私、N副隊長、W隊員、M隊員
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その頃、ジャンダルム直下にいた、O隊員、N隊員は、火花散る落石・・登山者の危機一髪を目撃・・固まる!!!
       ↓

       ↑
岐阜県側の西斜面、北斜面は今年の雪が冠雪。
かなり危険!

馬の背・ナイフエッジ
       ↓




午後5:8
奥穂高岳 登頂
       ↓







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後方はジャンダルム

もうすぐ日没
午後5:15
奥穂高岳 出発

午後5:29
日没・・・・・!!!
       ↓


最期に残った、穂高山荘直前の下りは垂直な崖状態・・・雪もあり心配するが何とか穂高山荘にたどり着く、N副隊長が山荘でチェックインにて、言葉は静であるがものすごく叱られる
『計画的な登山をして、3時には山荘に入ってください。ここは50mでも捜索や救助が必要になります・・・』


ともあれ・・・無事穂高山荘にたどり着く・・・乾杯!

夕食時、名古屋のスーパー山女に出会う。一人で我々の来た二日分のコースを本日だけで走破・・!
我々の事については
『皆さんゆっくりでしたので、ジャンダルムのあたりでビバークするんだと思った・・・!』

昨日知り合った大阪のベテラン登山家に、・・・『皆さん方、今日のコースよくザイルを使わずに走破できましたね・・・!』
ザイルは持っていきませんでした。



我々の隊員構成
O隊員・・初登山
W隊員・・登山歴2回目
M隊員・・登山歴3回目
N隊員・・自称、山女 (今回の登山で山ガールに降格)
N副隊長・・自称、世界の登山家
私でした。

アルピニストの憧れの《ジャンダルム》を踏破するには、かなり無理な構成員でしたが、事故もなく無事登山ができました。

しかし、一生の友と一生の思い出ができました。

2011/10/14
西穂高岳より奥穂高岳の縦走

二日目の縦走予定

西穂丸山・・→独標・・→ピラミットピーク・・→西穂高岳・・→間の岳・・→天狗のコル・・→ジャンダルム・・→奥穂高岳・・→穂高山荘

三日目の縦走予定
穂高山荘・・→奥穂高岳・・→前穂高岳・・→上高地


一日目は天候快晴・・・

午前11:05
松本バスターミナルをスタートして高山新穂高ロープウェイを利用、いっきに2,156m西穂高口駅まで!
午後2:20登山開始
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途中、山岳ガイドのT氏がガイドする一行と遭遇!!!




午後3:30 
西穂高山荘へ到着
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山小屋にて地酒で乾杯、明日のために呑みすぎないこと!

72歳を筆頭にした関西のベテラン登山家3人に出会い、意気投合!

《布団1枚に2人》西穂高山荘の混みよう!!!
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      ↑
ここまでは、みんなニコヤカ!!!でした!!!


2011/10/04










経営方針共有勉強会 資料
・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011年10月01日
・・・・・・・・・・・・・・・・・・有賀 泰治

1、偶然と必然

 運のよい人はいいことがあったとき、「偶然です」とか「たまたま運がよくて・・」と謙虚にこたえます。でも、その陰には、人に知られることのない懸命な努力が隠されているのです。「偶然」は、努力を続けることによって、限りなく「必然」に近づきます。
 夢を描きながら努力せずに「幸運の女神が舞い降りる」のを待ていても夢はかないません。
 野球でも、豪速球がバットに偶然当たり、打てるかもしれませんが、その確立は限りなくひくいのです。豪速球が打てるようになるには、努力をして訓練するより他はないのです。
 人生でも一緒で、良い人生を目差すならば、良い行動を習慣づけして続ける必要があります。人生の終盤になって「しまった!」と思ってもおそいのです。
 誰しも今が一番若いのです。気づいた時にすぐに足を一歩踏み出し、良い行動をしましょう。そうすれば「偶然」は「必然」となり、幸せな人生はこちらに向かって歩いてきます。
 まずは「仕事に夢中になる」ことです。夢中になれば、仕事が面白くなり疲れないのです。仕事三昧、我を忘れて仕事に浸りきることで一流になれるのです。
 仕事で一流になった人のほとんどが幸せを掴みとっています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・ 松岡 浩 一人当りの利益率、トヨタをしのぐタニサケ社長

2、「人物を創る」

 あらゆる仕事・事業は人物に尽きる。担当する人間の人物いかんが仕事・事業の盛衰を決める。

事業は人業(じんぎょう)といわれる所以である。私たちが人物を創らねばならぬ必要もここにある。

人物を創るにはどうしたらいいのか。

まず、人物になろうと立志することだ、と多くの先哲が教えている。

人物になろうと思わなくては人物になれない。

第二は時処位(じしょい)の自己限定である。

人は誰でも一つの時代に一つの処(ところ)で一つの位置・立場を得て生きている。

その時処位で他を願わず精一杯の努力をすることである。

第三は自反(じはん)である。他責の人ではなく、自責の人たれ。

他のせいにしている限り、知恵は湧いてこない。人物は磨かれない。

最近、ある人の話を聞いて大きな感銘を受けた。

塙昭彦(はなわ・あきひこ)氏セブン&アイ・フードシステムズ社長

3、営業の極意、人生の極意

伝説の営業マン不動産、学習図書など17社で営業を経験し、そのすべてでトップを記録、伝説の営業マンと呼ばれた加賀田晃氏。

氏が自ら体得した営業の極意を惜しげなく語った。インタビューの一部。
 

(記者:加賀田さんは世間では「契約率99%」といわれています)

私は現役時代、17種類の営業をしましたが、扉を開けたら契約、会えば契約。

1社あたり勤めた期間は平均3か月ですが、入って辞めるまでの3か月、ほとんどノーミス、パーフェクトでした。

(記者:たとえ断られても、諦めずに何度も通って必ず相手を落とすということですか)

いいえ、私、生まれてこのかた、一回も再訪したことがありません。再訪したらそれは営業ではない。

買うか買わないかを決めるのはお客様じゃないんです。営業マンなんです。

この商品を使えばこんなふうに便利ですよ、快適ですよと教えてあげる。

それでもなおかつお客様は迷われる。その時は最後の踏ん切りを営業マンがつけさせてあげる。

そうやって我々が誘導するんです。「いかがでしたでしょう?」と聞きに行くのはただの御用聞きです。

私、自分の売り上げがどこの会社でも一番になったということはそんなに自慢じゃないんですが、

新人ばかりを預かろうが落ちこぼればかりを預かろうが、どこの会社に行っても、その日から自分の課が一番だったこと。

これは自分の胸に秘めた誇りだったと思っています。

4、日本一の歓楽街・新宿歌舞伎町。この地で営業する有名ホテルグループで、業界未経験ながら支配人となった三輪康子さんが着任早々見たもの。
それは、館内を我が物顔で闊歩するヤクザたちでした。

同ホテルの運営に力を尽くしてきた女性支配人は、いかにして常識を超える困難を乗り越えたのか。

私は、ヤクザの皆さんがやってきた時には辛抱強くお引き取りいただく交渉をしました。

もちろん相手が相手ですから、簡単なことではありません。

彼らに注意するたびに、大変な剣幕で恫喝(どうかつ)されました。

カネを払えばいいんだろうって財布を投げつけられたり、唾を吐きかけられたりもしました。

何時間も怒鳴られて、ようやく去って行ったと思ったら、別の数人が来て、また私を囲んで初めから恫喝が始まるんです。

宿泊を断ったヤクザから、胸を突かれて骨にひびが入ったり、日本刀を振り上げられたこともあるんですよ。

(記者:そんなことまで……。極限ともいえる状況を、よく耐え抜かれましたね)

私の頭の中には、どんな人だって話せば分かるという思いが常にあるんです。

父がいつも言っていたのが、「怒っている人に怒り返してはいけない。怒っている人には、余計にやさしい言葉でお返ししなさい」ということでした。

私がヤクザの恫喝にも耐え続けられたのは、やさしさは怒鳴り声よりも強いんだ。

正しいことは、貫かれなければいけないんだ、というお守りのような信念が、私の中にあったからだと思います。

5、森信三氏の教えの真髄
森信三氏の教えを心の糧にしてきたという小宮コンサルタンツ社長・小宮一慶氏と伊藤忠経済研究所長・三輪裕範氏に語り合い

【小宮】森先生の言葉には、勉強になることがいろいろありましたが、私がよく引用させてもらうのは次の言葉です。

「人生は、ただ一回のマラソン競走みたいなものです。勝敗の決は一生にただ一回、人生の終わりにあるだけです。

しかしマラソン競走と考えている間は、まだ心にゆるみが出ます。人生が、五十メートルの短距離競走だと分かってくると、人間も凄味が加わってくる」

人生は長丁場でマラソンと似たところがありますが、しかしマラソンだとばかり思っていては、ここぞという時に全力を出し損ねることがある。

普段からこれ以上はできないというくらい全力でぶつかっていると、能力は僅かずつでも上がっていくもので、特に若いうちにその習慣を身につけた人は強いと私は思います。

【三輪】マラソンだと思うと、まぁ明日でもいいか、という甘えが出てしまいますからね。

【小宮】三輪さんはどういった言葉が印象に残っておられます?

【三輪】一つには、「人生を深く生きるということは、自分の苦しみ、すなわち色々な不平や不満(ふまん)煩悶(はんもん)などを、ぐっと噛みしめていくことによって、

始めのうちは、こんな不幸な目に出合うのは自分だけだと思い、そこでそのことに関連のある人々に対して、怒りや怨みごころを抱いていたが、

しだいにそうした苦悩を噛みしめていくことによって、かような悩みや苦しみを持っているのは、決して自分一人ではないということが分かり出して来るのです」

という言葉です。苦しみや悩みは自分一人ではなく、他の皆も同じように抱えていることを自覚すること。

そして、自己中心性を減らして、それを少しでも他者への共感に向けるということですね。

【小宮】それがその人の人生の深さであると。

6、「継続の秘訣」
全国に「靴下屋」を展開するタビオ会長の越智直正氏

私がまだ松下幸之助商学院の学院長をしていた頃、

「日本一大きな靴下会社の社長の講演がある」と聞いて、越智さんのご講演を聴きに行ったんですよ。

講演が終わって質疑応答の時、聴衆の一人が「継続の秘訣は何ですか?」と質問されました。

そうしたら、越智さんはすかさず「『朝』と書いてみてください」と。

そして、「どう読みますか」と質問を返された。

その方が「あさ」とか「ちょう」と答えたら、「他にもあります。十月十日です」とおっしゃった。

十月十日は人間が生まれるまでにかかる日数です。

だから、人間は毎朝新しい命をもらって生まれているんだと。そして夜眠りにつく。

そのまま目覚めないかもしれないところ、翌朝また新しい一日をもらう。

明日があると思わず、きょうこの一日を大事に過ごそうと思ったら、いつの間にか継続できますとおっしゃったのです。

よし、きょうの講演でこれだけは自分のものにしようと思いましてね。

というのも、松下商学院は20歳前後の子が中心で、煙草を吸う子と吸わない子がいます。学院としては禁煙をしたいところでしたが、学院長である私が一日に40本吸うヘビースモーカーでした。

そうすると、学院生たちに吸うなと言いづらいから、できれば煙草をやめてほしいと他の先生たちに言われていたのです。

だからご講演をお聞きして、「よし、きょうだけは煙草を止めよう」と灰皿を裏返したわけです。そうして10年が経ちました。

7、「運とツキの法則」
先日、女子サッカーワールドカップで見事世界一に輝いたなでしこジャパン。
なでしこジャパンのスポンサーを務められたクレディセゾン社長・林野宏氏と、書道家の武田双雲氏に、それぞれの人生観、仕事観を交えながら「運とツキの法則」についての話し。

なでしこジャパンはなぜ世界一になれたのか、それには「運とツキ」が関係していると両者は語ります。

【林野】運やツキは、例えばサッカーの試合を見ていてもよく分かります。

あんな厳しい場面であんなふうにして点が入るものなのか、って思うことはありませんか。
     
【武田】でも偶然ではない気がしますね。先日のなでしこジャパンのW杯優勝の試合を見ても、彼女たちが運を引き寄せているとしか思えませんでした。

【林野】そう。彼女たちが努力して努力して、最後まで諦めないで戦っていたから、最後に運が味方をして勝利に繋がったと思うんですね。
    
相手の油断と、こちらの絶対に諦めないという思いがシナジーになって、まるでシーソーが傾くように一気にムードが変わりました。
     
【武田】日本では話題にならなかったけれども、海外のメディアが澤穂希選手にインタビューをしたんです。

日本語訳がツイッターで流れたのを読んで僕は涙が止まりませんでした。感心したのは彼女の思いのすごさです。こう言っていました。
    
「日本は東日本大震災で被災した人、生活苦を強いられている人、生きるのが辛い人がたくさんいる。
     
その人たちに勇気を与えることだけを考え、私が頑張って世界一を取れば、弱い人、苦しんでいる人たちに光を与えられるかもしれない」

僕は彼女のそういうビジョンがなければ優勝していなかったと思います。

【林野】そうですね。チームが団結して勝利したと言っているんだけど、もちろんそれも大きかったでしょう。

しかしあれは澤という一選手が他の選手たちを自分のビジョンに巻き込んで成し遂げた奇跡だと思います。

【武田】事業でも、自分の会社だけが成功すればいいと思っている社長が成功するわけがない。

社会に価値を提供し、よりよい社会をつくりたいと心から思っている人しか成功は手にできない気がします。

【林野】一時的に成功は手にしても永続性はありませんしね。

私たちも一緒です。世界のクレジットカードを変えよう、より便利な世の中にしようという思いがあったから、ここまでやってこられたと思っています。

8、レーシング界に旋風を巻き起こしている井原慶子氏

何のハンデもなく並み居る男たちを相手に激戦を繰り広げている生きざまは、私たちが生きる上で大きな心の糧となるでしょう。

(記者:レースを志したきのは20歳になってからと伺いましたが、そのきっかけは?)

【井原】大学生の時、たまたまレースクィーンのお仕事にご縁があったのですが、

ハイレグ水着とハイヒール姿で初めて立ったサーキットのことはいまも忘れられません。

会場にこだまするエンジン音やレースでのスピード感、そして生死を懸けたレーサーたちが放つ緊迫感。

鳥肌が全身を駆け抜けると、私の心はもうすっかりレーシングカーの虜になっていました。

いざデビューとなると、周囲からはレースクイーンだからと軽く見られたり、

どこかの社長をたぶらかしてフェラーリを手に入れたんだろうとか憶測が飛び交って…。

本当に傷つくような言葉を投げ掛けられて落ち込むこともありましたけど、志が揺らぐことはありませんでした。

逆に、女性であるとかアジア人であるとかいろいろなハンデがあっても、それを言い訳にせず、生きている以上は自分が持ち合わせるすべての力を出し切ろうと覚悟が定まった。

その後は、憧れだったマカオGPで3位に食い込み、女性として大会史上初の表彰台に立つなど、目標とするイギリスF3に向けて経験を積んでいきました。

ただ、どんなに体を鍛えても男性には敵いませんから、それを補うために自分の力を最大限に発揮できる「ゾーン」に入って、最高の緊張状態でレースに臨めるよう努力を重ねていきました。

(記者:一流のレーサーの条件とはなんでしょうか)

【井原】どんな環境をも自分のものにすることだと思いますね。

いかなる環境においてもベストを尽くすことはプロとして当たり前で、

どんな人と仕事をしても、またマシーンがしっくりこなかったり、サーキットとの相性が悪くても、

すべての環境を自分のものにすることができる、それが一流ですね。

9、「20代をどう生きるか」
日本郵政公社初代総裁として、郵政民営化の基盤を築いた商船三井最高顧問・生田正治氏

私が新入社員によく言って聞かせるのは「できるだけ失敗をしろ」ということである。

ただし失敗をするにも二つの条件が要る。

一つ目は、同じ失敗をするなということ。

二つ目は、失敗をした時には直ちに報告すると同時に極力自分で解決する努力をしろということである。

失敗したことをいつまでも後悔している必要はないが、反省をしてこれを繰り返さないようにしなければならない。

また、失敗したことを自分で修復しようと努力すべきだが、一人ではどうしても手に負えない時がある。

だが新人が取り返しのつかない失敗をやらかしたと思ったことでも、上司に相談すると、いとも簡単に解決するということが往々にしてあるのだ。

私自身も、お客様からお預かりした貨物をアメリカのヒューストンへ送らなければならないところを、ニューヨーク向けに手配してしまったことがあった。

どうしていいかわからず暗澹(あんたん)たる気持ちになっていたが、上司に事の次第を伝えたところ、「何をしている」と一言怒られたのみで、すぐに手を打ってくださった。

結果的にはその後ニューヨークの責任者へ指示が飛び、飛行機で即座に移送する手筈(てはず)が整えられた。

ヒューストンで貨物を待っていらしたお客様も「よくすぐに運んでくれた」と逆に大変喜んでくださったという。

私にとっては手痛い教訓だったが、若い頃に何の失敗もしないようでは、学習効果が少ないという言い方もできるだろう。

10、9月の言葉

素直な人は、過去も未来もない
いまの自分でどう勝負するかに集中できる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・林成之(脳神経外科医)

プロというのは絶対にミスをしてはいけない
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・王貞治(福岡ソフトバンクホークス球団会長)

自ら“出来る”と信じた時に、その仕事の半分は完了している
・・・・・・・・・・・・・・・・・・永守重信(日本電産社長)

生きているということのまばゆいばかりの輝き

二度とない人生
二度とない今日ただ今…………………

人間にくずはない
人生にむだはない

教育とは子どもを自分の脚で歩けるようにしていやること

太陽は夜が明けるのを待って昇るのではない
>太陽が昇るから夜が明けるのだ

他人の欠点は誰にでも見える
しかし自分の欠点が見える人は少ない

もう少し
多くの人に喜んでもらえることに
一生懸命になろうじゃないか
地球だって
自転といっしょに
公転もやっている

生きている
この当たり前のことの中に
ただごとでない
しあわせがある

まっすぐに天に向かって
つつましく力づよく
確かに人生の年輪を刻んでいく

失敗は私に、私の一番いけないところを
教えにきてくれた大切なお使い

根を養えば樹はおのずから育つ

ほんものはつづく
つづけるとほんものになる

“させられる仕事”から“する仕事”に変わるとき、
苦しみは喜びに変わり、生きがいに眼を輝かせる。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・東井義雄(教育者)

「人生二度なし」
これ人生における最大最深の真理なり

幸福とは求めるものでなくて、与えられるもの。
自己の為すべきことをした人に対し、
天からこの世において与えられるものである。

五分の時間を生かせぬ程度の人間に、
大したことは出来ぬと考えてよい。

人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。
しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・森信三(哲学者)


この仕事が俺の天職だと惚れ込んでやれば必ず上手くいく
・・・・・・・・・・・・・・・・・・永守重信(日本電産社長)

人間は60兆個もの細胞からできている。
細胞1個は、1億円の宝くじが100万回連続で当たるくらいの確立で誕生する。
我々人間は生きているだけで奇跡の結晶。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・村上和雄(遺伝子工学の第一人者・筑波大学名誉教授)


人間須らく正道を歩け
・・・・・・・・・・・・・・・・・・石坂泰三(元東芝社長・第2代経団連会長)

その人の心がすべて音に表れる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・屋比久勲(吹奏楽の神様・鹿児島情報高校教諭)

理想が人間を磨き、器を大きくしてくれる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・牛尾治朗(ウシオ電機会長)

2011/10/02
空港のスカイフェスティバルにボランティア参加


私は『エコカー試乗』の担当

2011/10/02
長野県の東信、北信、中信、南信の対抗戦です。

それぞれの段位毎に選手を選考して15人の対抗試合をします。



2011/10/02
早朝より 田川沿いの草刈り


今年は雨が多かったので草の勢いもすごいです。

2011/10/01
六日目はドイツ・フランクフルト で トランジェット

フランクフルトのホテルでチェックイン
真剣な顔で何か交渉しています。
      ↓



夜はドイツビールを味わいに!!
      ↓







ゲーテ ハウス
     ↓


七日目、日本に帰ります。

午前中は時間がありましたので、観光ツアーに申し込み、バスでフランクフルトの観光です。



フランクフルト駅
     ↓


フランクフルトの街はヨーロッパでは珍しく高層ビル街があります。
     ↓


レーマ広場周辺の建物
     ↓














2011/10/01
モンテネグロ ⇒ クロアチア への再入国は 多くの車が厳しくチェックされ、大渋滞でした。

入国時は朝が早かったので、さほどでもないかなと反対車線を見ながら入国しましたが、時間が経つにつれ車両の数が増えたのでしょう。

入国に・・・2時間30分近くかかりました。

また、ロスタイムのイレギラーでした。

今日なるべく北上して、ザグレグの近くに行くか、内陸部を視察するか、と予定していましたが、視察は時間的に無理になりました。



若者達が車から降りて日光浴です。
       ↓     


今回、5箇所ほどの国境検問所を通過しましたが、ここが一番大きな検問所でした。
       ↓


RC大先輩!、車のウインドウを洗車!!、運転手は私 !!!
       ↓


高速のSSで一休み
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空港まで200キロを残し 《 Z a d a r 》という街に宿を予約
街の郊外に位置するホテルはそこもリゾート施設になっていています。
アドリア海を中心に観光産業に特化、社会主義、内戦からの長い国の低迷を豊かな自然や歴史ある世界遺産で活気づかせるクロアチアの復興の力強さに驚きを感じました。

一般税・・十数% 他にホテルなどの観光税・・・30%  日本人なら驚きの税金が観光客には課せられています。

《 Z a d a r 》でクロアチア最期の記念撮影
      ↓


自動車走行・・・・2000キロ走破!!!

明日は ドイツ フランクフルトに行きます。

2011/10/01
ドブロヴニクより海沿いを更に南下、クロアチアの国境を越え、モンテネグロの《 k o t o r 》 へ

アドリア海の深い湾 《ボカ・コトルスカ湾》に入ります。

WiH i がクロアチアだけで使える契約のためグーグルナビは使えません。
ナビゲーターは地図を見ながら行き先を指示します。

この《ボカ・コトルスカ湾》に入ってだいぶ走りました。対岸は手が届きそうに見えるほどですが橋がありません。
深い入り江のため海が穏やかなのか、小さな島は海面すれすれに建築物が建っています。
       ↓







ボカ・コトルスカ湾の中の更に小さなコトル湾に入り、やっとの思いでコトルつきました。

海は穏やかな風景ですが、陸側は断崖のように背後に迫る山並み、その険しい山頂まで延々と張り巡らされ街を囲むような城壁の古都が現れました。
城壁の全長は4,5キロ、頂上には要塞が建っています。
ここコトルも、近隣の国々を占領したオスマントルコから街を防衛するため1400年以降より城壁を補強や修繕が続けられたということだそうです。

城壁の内部は中世の雰囲気をそのままの旧市内が広がり、教会などが多くありました。広場などはカフェテラスが軒を連ねる明るい街並みでした。


       ↓


       ↑
写真では分りにくいですが、左側の断崖斜面に城壁が山頂に向かって立ち上がっています。

ローマ・カトリック教会と東方正教会の双方の教会があります。
双方の宗教はコトルのあたりが境界線に位置しているようです。
       ↓

       ↑
教会の前はカフェテラスになっています。




城壁前は朝市がひらかれ活気があります。
      ↓












2011/10/01
D u b r o v n i k h o t e l  このホテル!なかなか見つかりませんでした。

ネット予約したホテルの住所が違っていました。

ホテルの住所に近いドブロヴニク市内を車でぐるぐる回ること、約1時間・・・ホテルが見当たりません・・・!
最期はタクシーを捕まえ、二人がタクシーに乗りホテルまで案内してもらい、その後を車で追いかける。
これも大変、外国の見知らぬ土地・・・、左ハンドル・・・右側通行・・・、はぐれたり・・・、待ち合わせしたり・・・

ようやくホテルに入ったのはドブロヴニク市内に着いて2時間ほどが経過

これも、旅のイレギラー、旅の思い出となりました!

ホテルは海岸に向かって、歩行者専用道路になっていて、両脇に小さいがお洒落なホテルが何件も建ち並ぶリゾート通りにありました。
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ドブロヴニク旧市内、細い通りは、ショップやオーップンカフェ・・・
素敵な街で乾杯!!



乗客3,000人
乗員1,000人
全長300メートル 規模の豪華客船が至るところに停泊 5隻はいました。

ドブロヴニクのアドリア海からの眺めが最高だということを物語っています。
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クロアチア 五日目

最終日が近くなりました。
昨夜のミーティングでドブロヴニクを最期に南下をやめ、首都ザグレブに戻るか、更に南下して、モンテネグロの《 k o t o r 》まで足を延ばすか・・・!

ザグレブから離れるが、ここまで来たら・・・行きましょう!!!!
と言うことになり、また国境を越えモンテネグロまで行くことに決定!!!
ドブロヴニクを後にいます。
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プロフィール

有賀泰治

車検の『アップル車検』
自動車販売の『カーベル』
キズ、へこみの『キズナース』
中古タイヤ、カー用品の『ガレージ・オプション』
事故・故障対応の『レッカーサービス』
自動車をはじめとしたすべての損害保険・生命保険の『保険部門』

上質なカーメンテナンスを自社で全て提供する自動車会社
㈱アルガオートサービスは自動車関連の事業を営んでいます。

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