2011/09/01
当社グループは9月が新年度になります。
今回より各社社長からも経営方針などの説明などする事になり、厳しい時代に立ち向かいます。
9月の経営方針共有勉強会
・・・・・・・・・・・・・・・・・・2,011年9月1日
・・・・・・・・・・・・・・・・・・有賀泰治
1、我が国の進むべき道を石原慎太郎氏・安倍晋三氏・中條高徳氏を語っています。
その中から安倍氏の言葉を紹介します。
クリントン政権の時、駐日大使のモンデールが「尖閣は安保条約の対象外」と発言して、その後辞めていきました。
いまは奥さんのヒラリー・クリントンが国務長官になって尖閣も対象内と発言していますが、
これは南シナ海や東シナ海での中国の挙動を見てそう言わざるを得なかったのでしょう。
ここで我々が覚悟をしなくてはいけないのは、尖閣の無人の小さな島に中国が攻め入ってきた時、
総理大臣がアメリカにただ頼んでも、誰も命懸けで守る人間はいないということです。
当然ながら、まずは日本が守るんです。
日本が自分の島を命懸けで守り、その上で中国と事を構えざるを得ないという時にアメリカは初めて日本の側に立つ。
これが日米同盟ですよ。
大切なのは一国のリーダーが絶対に上陸を阻止するという強い決意を示すことなんです。
2、「日本精神(リップンチェンシン)」を心の支えとして、困難を極める改革を成し遂げた氏の人生観。
戦後、台湾を民主化へと導いた元総統の李登輝氏。氏は88年の人生を振り返り、「日本統治下で受けた教育があったからこそ、己の生命と魂を救うバックボーンを得た」と語ります。
リーダー観に迫りました。
人生はまず自分の手近にある義務を果たすことです。
そうすれば自ずから先が見えてくる。
人間や人生の意義は、何よりもやってみること、実践躬行(きゅうこう)するところにある。
そして人間、死んだ気になってやり通せば、どんなことでも成し遂げられないことはない。
3、メダル獲得の秘訣
昨年の世界選手権で32年ぶりに日本のバレーボール界にメダルをもたらした火の鳥ニッポン。チームを牽引した眞鍋監督に、ロンドン五輪に懸ける想い。
その片鱗をご紹介します
チームを強化するために、最初は選手たちの声によく耳を傾けました。
例えば、試合前のミーティングで監督の思いが一方通行になっている。
「こうしろ、ああしろ」と言われて選手たちが「はいはい」と言っているだけ。こういうチームはやはり勝てません。
反対に選手が自分たちの問題点を自分たちで考えて分析し、スタッフと思いを同じくして試合をしているチームは強いですね。
そうすると、昨年から自分の成績に関心を持つ選手が増えて頻繁にスタッフの部屋に行っては映像を見て、
自分で分析するようになったんですね。私はこの差は大きいと思います。
4、『老いの才覚』国家や他者に依存せず、自ら生気を湧出して生きるための心得
100万部を超えるベストセラーになっている作家・曽野綾子さん、ノンフィクション作家のクライン孝子さんと、対談。
一部ご紹介します。
これだけの天災と事故が起きた後で、まだ「安心して暮らせる状況」があると思っているとしたら、あの不幸な事態から、我々は何も学ばなかったことになる。
非常事態になれば、国家が水や食糧を支給してくれる。そんなことは信じちゃいけないんですよ。
私は人生の後半に差し掛かった頃から自分はどういう年寄りになりたいかを折に触れて考えてきましたが、
「老人であろうと、若者であろうと、原則はあくまで自立すること」という根本はいまも変わりません。
いまの若い人には自分の殻から出るのを嫌がる傾向が強いようですけど、それじゃ人生おもしろくない。
私の場合はこれまでずっと小さな危険を担保にして生きてきたと思ってます。
5、震災後の日本において新たな道を切り拓くための要諦が語られています。
ウシオ電機会長・牛尾治朗氏。
経済界のトップを走る牛尾氏の言葉は、経営者のみならず、多くの方々に示唆を与えるものです。
今回の大震災は、決断の難しい時代に入った我々に、追い討ちをかけるような試練をもたらしました。
しかし我々の先人は、自然を克服しようとする西洋文明と異なり、
自然を受け入れ、たとえ災害で家を倒されても、天を恨むことなくその度に立ち上がってきました。
「天を恨まず、苦に耐え、そして明日に向かって働く」
この心がけをもとに、新しい時代を切り拓いてゆきたいものです。
6、ロマンを追い続ける男の中の男に、その生きざま
青森県大間町に、43年間マグロ漁一筋に生きるマグロ一本釣りの達人がいます。山崎倉氏、61歳。直径僅か1ミリの釣り糸で、100キロ、200キロ、時に300キロを超えるマグロを釣り上げる。
並外れた体力、気力、情熱なくしては為し得ない仕事です。
マグロ漁は毎回が格闘だよ。この前は240キロを釣り上げるのに4時間格闘しました。
300キロを超えたヤツを釣るのがマグロ漁師の誉れなんだけれど、これまで3度その幸運に恵まれました。
そうして46歳の時、初競りで日本トップ。そして翌年もトップになりました。
ところが、その年の9月8日を最後にピタリと獲れなくなりました。9月が終わり、10月が終わり、11月も終わった。
そうして12月27日、111日目にしてやっとマグロ様が餌を選んでくれた。しかも200キロを超える大物です。
(どんなに苦しくとも、この仕事を続けてこられたのは?)
でもさ、逆にその苦労を発散させるには釣るしかないんだよね。
大間の海からマグロが消えた時期、そして110日間釣れなかった時期のことは忘れないもの。
もちろん他のことをやっても一時的には気が紛れるけれど、基本的には釣るしかないんです。
だから、とにかくおっかない商売。だけど好きなんです。
どんなに家族に苦労をかけても、マグロを追いかけたい。それは仕方ないじゃない。
7、「自分の魅力を磨く真髄探究」
ビジネスに「喜びと感動」をもたらす経営指導で高い評価を受ける矢部廣重氏が、“一度しかない人生で大輪の花を咲かせる要訣”を示しています
数か月前にラジオで、「一番よく知っているもの、誰にも負けないほど熟知しているものは何か」というクイズ番組があった。
その中で、ある女優の答えが印象的だった。彼女は、「自分自身」と回答したのだ。これには誰もが同意した。
しかし女優はすぐに、「本当でしょうか?」と皆に問いかけた。
「自分の体の構造図を書いてください」「骨の数と筋肉の種類を教えてください」「臓器の種類、機能、形をご存じですか」……。
誰も答えられない。皆言葉を失っていた。女優は言葉を継いだ。
「自分について知っているのはわずか数パーセントに過ぎません。90パーセント以上は知らないのです。知らない自分とはいったい誰のものでしょうか?」
確かに自分の体でありながら自分の意のままにならないものが多い。心臓は自分が意識して動かしているものではない。
肝臓、腎臓などの他の基幹臓器もしかりだ。誰の命令によって80年も正確に働き続けるのか。
2000年前の古い哲学書には、人生を見事に生き抜く鍵は、自分を知ることだと記してある。
自分を知るとは自分の価値を発見することである。自分という稀有な宝に誇りを持って生きることに尽きる。
「たった一回の人生だ。自分という偉大な花を見事に開かせるぞ」
私は叫んだ。
8、夏の甲子園大会。
① 甲子園常連校で、今大会もベスト16まで進出した智辯和歌山高校も、創部当時は弱小チームだったといいます。創部以来、30年以上にわたって同校を率い、強豪校に育て上げ、甲子園での通算勝利数最多を誇る高嶋仁監督が、強さの秘訣。
目標を達成するには、必死になって毎日練習をするしかないです。練習は嘘をつきませんからね。
きっちりやればそれなりの答えを出してくれます。サボればそれだけの答えしか出ないですよ。
それと“慣れ”ですね。
うちは毎日腹筋を2千回、3千回とやります。皆さん驚かれますが、そんなものはえらいこと何もないんですよ。
慣れたら一緒なんです。「100本走れ」とか「200本走れ」というのも慣れです。
慣れれば、大変なことも超えられるんです。
それから甲子園という目標を遠くに見ない。手を伸ばしたら掴めるものと考えてやっていかないといけません。
目標を遥か彼方に置いたら、やる気が出ないですよ。
だから僕は普段から「甲子園」という言葉をしょっちゅう使うんです。
「そんなんじゃ、甲子園で恥をかくやろ」「そんなんじゃ、甲子園のお客さんが怒るぞ」とね。
僕は「甲子園というものを身近なものにして、手を伸ばして掴め」と言っているのですが、
目標は身近なものにしていくからこそ実現できるのでしょう。
② 被災地となった岩手県代表の花巻東高校は強豪・帝京高校との激闘に競り負けるも、「東北のために」決して諦めない全力プレーは、被災地のみならず全国に大きな感動を与えました。同校を率いる佐々木洋監督がの記事から、その感動の裏側にあったものとは何かを探ります。
※対談相手は、古川商業高校女子バレー部を12回もの全国優勝に導いた国分秀男氏
【国分】40歳を過ぎて、あぁ結局勝敗を分けるのは人間力の差だと気がつきました。
じゃあその人間力はどうやって磨けるのかというと、いまを笑顔で精いっぱいに生きる。
愚痴をこぼさず、仕事に一所懸命に取り組んでいく。そうすると自然と人間力は磨かれていくのではないかと感じますね。
【佐々木】我々はもちろん日本一を目指しているのですが、取り組み方も日本一を目指そうという目標を掲げています。
だから日本一を目指すなら、日本一の全力疾走をしよう、日本一のカバーリングをしよう、日本一の元気を出そうと意識しています。
人間は誰しも程度の差はあっても人生で苦しみや困難に出遭うことがあります。
その時に挫けずに人生をまっとうできる人、自分に打ち克つことができる人。
そういう人が本当の意味での人生の勝利者であり、そういう人間を数多く育てていきたいというのが私の願いです。
そのため、うちのモットーは「野球選手を育てるのではなく、野球ができる立派な人間を育てる」です。
【国分】やっぱり佐々木先生は野球だけをやっているんじゃなくて、そういう人間学の勉強を深められているんだなということと、
ご自身がこういう境地を目指して鍛錬されていることが伝わってきましてね。
だからこそ花巻東は人を感動させる野球ができるんだと思います。
9、諦めない大切さ
宇宙開発を通して多くの人々に夢と希望を与えています。東大阪の町工場でありながら人工衛星の開発を成功させたアオキ社長・青木豊彦氏と、本業の傍ら子供たちに諦めない大切さを伝えるためロケット開発に挑み続ける植松電機専務・植松努氏の対談記事
【青木】よく夢とロマンという言い方をするんだけと、僕は「夢とは実現すること、ロマンとは継続」と思っています。
【植松】夢というのは自分で大好きなことをやってみたいという思いでしょうね。だったらやったらいい。それだけの話です。
大好きなことをしっかり持つには感動が一番です。「やってみたい」「すごい」という心があれば、夢はいくらでも見つかると思いますよ。
でも、その時にできない理由をいくつも思いついてしまうんですね。そして、そのできない理由すら考えなくなる最悪の言葉が「どうせ無理」なんです。
この言葉が人間の脳波を止めてしまう。思考が止まると楽ですが、それだと何も始まらない。
【青木】当たり前やけど、何事も前向きで明るくなかったら物事はうまく運ばないと思いますね。諦めてしまったらおしまいなんですよ。
第一、「どうせ無理」と塞ぎ込んでばかりいたら元気なんか出えしまへんがな。
皆が明るい言葉を使えば、必ず元気になるし、国内に生気が漲ってくる。
その意味でも大阪人の明るさ、情熱といったものを全国に伝えたいと思っているんです。
【植松】僕は「どうせ無理」という言葉が大嫌いです。
この言葉が人の可能性を奪い、その連鎖が正しくて優しくて弱い子供たちに向かうと知っていますからね。
「どうせ無理」という言葉をこの世からなくしたい一念で宇宙開発をしています。
10、「私心」のない生き方
坂本龍馬記念館の館長・森健志郎氏が、坂本龍馬の隠れた魅力について語っています。
坂本龍馬という人物が、当時も、そしていまなお多くの人々から愛されるのは、「私心」のない生き方が感動を与えるからだと思います。
当時、強烈な身分社会の中にあって、多くの志士が「自分は薩摩の西郷隆盛」「長州の桂小五郎」と名乗っていたところ、「俺は日本の龍馬」と言ったのが坂本龍馬でした。
国内で争っていたら外国にやられてしまう。だから、薩摩も長州も幕府も皆で一緒になって新しい国をつくろうと呼びかけ、大政奉還まで漕ぎ着けました。
最近あちこちで「平成の龍馬、出でよ」という声が聞かれます。
しかし、考えてみてください。龍馬だってもともとは地方の一下級武士でした。
その彼が私心をなくし、天下国家のために命懸けで動いた時、日本は大きく変わったのです。
日本を変えるのは政治家でも大企業の社長でもない。いまを生きる誰もが平成の坂本龍馬になれるのです。
11、8月の言葉
悲しみを耐えた人だけに力を与えられる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・松本明慶(大佛師)
必死に取り組んでいれば手を差し伸べてくれる人がいる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・羽中田 昌(スポーツエッセイスト)
変わらぬ理念と、変わりゆく方途
・・・・・・・・・・・・・・・・・・森下洋一(松下電器産業会長)
かなしみはわたしたちを美しくする花
・・・・・・・・・・・・・・・・・・坂村真民(仏教詩人)
心のゆとりとちょっとしたユーモア
・・・・・・・・・・・・・・・・・三宮麻由子(エッセイスト)
リーダーシップとは影響力である
・・・・・・・・・・・・・・・・・井深大(ソニー創業者)
形は心なり
・・・・・・・・・・・・・・・・・岩倉信弥(本田技研工業元常務)
とことん徹底して、事が成るまでやめない
そういう「魔」としか言いようのない情熱、狂気
・・・・・・・・・・・・・・・・・城山三郎(作家)
商売は真剣勝負
首をはねたり、はねられたりするうちに勝つということはあり得ない
・・・・・・・・・・・・・・・・・松下幸之助(パナソニック創業者)
すぐやる、必ずやる、出来るまでやる
・・・・・・・・・・・・・・・・・永守重信(日本電産社長)
新しいものを取り入れるためには
まず古いものを捨てなければならない
・・・・・・・・・・・・・・・・・・松井道夫(松井証券社長)
積極的な生き方をする人が運を掴む
・・・・・・・・・・・・・・・・・・塚越寛(伊那食品工業社長)
遠きをはかる者は富み
近くをはかる者は貧す
・・・・・・・・・・・・・・・・・・二宮尊徳(篤農家)
長たる者は決断が一番大事である
・・・・・・・・・・・・・・・・・・石橋信夫(大和ハウス工業創業者)
準備、実行、後始末
・・・・・・・・・・・・・・・・・・桜井章一(雀鬼)
想いを高くしなければよい製品は生まれない
・・・・・・・・・・・・・・・・・本田宗一郎(本田技研工業創業者)
準備をするのは言い訳を最小限にするためだ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・イチロー(シアトル・マリナーズ)
プロとは全人生を賭けた負けず嫌いのこと
・・・・・・・・・・・・・・・・・張栩(囲碁棋士)
心がないと人は動かない
・・・・・・・・・・・・・・・・・・樋口武男(大和ハウス工業CEO
物事を実現するか否かは、まずそれをやろうとした人が
出来ると信じることから始まる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・永守重信(日本電産社長)
リーダーは時速150キロで全力疾走せよ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・安藤忠雄(建築家)
命懸けの勝負をしているか
・・・・・・・・・・・・・・・・・・王貞治(福岡ソフトバンクホークス球団会長)
「時計」と競争し、「時計」に勝つ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・大場松魚(人間国宝)
努力の上に辛抱という棒を立てろ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・桂小金治(タレント)
信用というブランドを構築するには10年かかる
しかしそのブランドを失うのはたった10秒
・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤居寛(帝国ホテル顧問)
人生は自分に与えられた時間をどう生かすか
・・・・・・・・・・・・・・・・・・牛尾治朗(ウシオ電機会長)
負けてたまるかと静かに自分に言いなさい
・・・・・・・・・・・・・・・・・・松平康隆(日本バレーボール協会名誉会長)8/31/11
今回より各社社長からも経営方針などの説明などする事になり、厳しい時代に立ち向かいます。
9月の経営方針共有勉強会
・・・・・・・・・・・・・・・・・・2,011年9月1日
・・・・・・・・・・・・・・・・・・有賀泰治
1、我が国の進むべき道を石原慎太郎氏・安倍晋三氏・中條高徳氏を語っています。
その中から安倍氏の言葉を紹介します。
クリントン政権の時、駐日大使のモンデールが「尖閣は安保条約の対象外」と発言して、その後辞めていきました。
いまは奥さんのヒラリー・クリントンが国務長官になって尖閣も対象内と発言していますが、
これは南シナ海や東シナ海での中国の挙動を見てそう言わざるを得なかったのでしょう。
ここで我々が覚悟をしなくてはいけないのは、尖閣の無人の小さな島に中国が攻め入ってきた時、
総理大臣がアメリカにただ頼んでも、誰も命懸けで守る人間はいないということです。
当然ながら、まずは日本が守るんです。
日本が自分の島を命懸けで守り、その上で中国と事を構えざるを得ないという時にアメリカは初めて日本の側に立つ。
これが日米同盟ですよ。
大切なのは一国のリーダーが絶対に上陸を阻止するという強い決意を示すことなんです。
2、「日本精神(リップンチェンシン)」を心の支えとして、困難を極める改革を成し遂げた氏の人生観。
戦後、台湾を民主化へと導いた元総統の李登輝氏。氏は88年の人生を振り返り、「日本統治下で受けた教育があったからこそ、己の生命と魂を救うバックボーンを得た」と語ります。
リーダー観に迫りました。
人生はまず自分の手近にある義務を果たすことです。
そうすれば自ずから先が見えてくる。
人間や人生の意義は、何よりもやってみること、実践躬行(きゅうこう)するところにある。
そして人間、死んだ気になってやり通せば、どんなことでも成し遂げられないことはない。
3、メダル獲得の秘訣
昨年の世界選手権で32年ぶりに日本のバレーボール界にメダルをもたらした火の鳥ニッポン。チームを牽引した眞鍋監督に、ロンドン五輪に懸ける想い。
その片鱗をご紹介します
チームを強化するために、最初は選手たちの声によく耳を傾けました。
例えば、試合前のミーティングで監督の思いが一方通行になっている。
「こうしろ、ああしろ」と言われて選手たちが「はいはい」と言っているだけ。こういうチームはやはり勝てません。
反対に選手が自分たちの問題点を自分たちで考えて分析し、スタッフと思いを同じくして試合をしているチームは強いですね。
そうすると、昨年から自分の成績に関心を持つ選手が増えて頻繁にスタッフの部屋に行っては映像を見て、
自分で分析するようになったんですね。私はこの差は大きいと思います。
4、『老いの才覚』国家や他者に依存せず、自ら生気を湧出して生きるための心得
100万部を超えるベストセラーになっている作家・曽野綾子さん、ノンフィクション作家のクライン孝子さんと、対談。
一部ご紹介します。
これだけの天災と事故が起きた後で、まだ「安心して暮らせる状況」があると思っているとしたら、あの不幸な事態から、我々は何も学ばなかったことになる。
非常事態になれば、国家が水や食糧を支給してくれる。そんなことは信じちゃいけないんですよ。
私は人生の後半に差し掛かった頃から自分はどういう年寄りになりたいかを折に触れて考えてきましたが、
「老人であろうと、若者であろうと、原則はあくまで自立すること」という根本はいまも変わりません。
いまの若い人には自分の殻から出るのを嫌がる傾向が強いようですけど、それじゃ人生おもしろくない。
私の場合はこれまでずっと小さな危険を担保にして生きてきたと思ってます。
5、震災後の日本において新たな道を切り拓くための要諦が語られています。
ウシオ電機会長・牛尾治朗氏。
経済界のトップを走る牛尾氏の言葉は、経営者のみならず、多くの方々に示唆を与えるものです。
今回の大震災は、決断の難しい時代に入った我々に、追い討ちをかけるような試練をもたらしました。
しかし我々の先人は、自然を克服しようとする西洋文明と異なり、
自然を受け入れ、たとえ災害で家を倒されても、天を恨むことなくその度に立ち上がってきました。
「天を恨まず、苦に耐え、そして明日に向かって働く」
この心がけをもとに、新しい時代を切り拓いてゆきたいものです。
6、ロマンを追い続ける男の中の男に、その生きざま
青森県大間町に、43年間マグロ漁一筋に生きるマグロ一本釣りの達人がいます。山崎倉氏、61歳。直径僅か1ミリの釣り糸で、100キロ、200キロ、時に300キロを超えるマグロを釣り上げる。
並外れた体力、気力、情熱なくしては為し得ない仕事です。
マグロ漁は毎回が格闘だよ。この前は240キロを釣り上げるのに4時間格闘しました。
300キロを超えたヤツを釣るのがマグロ漁師の誉れなんだけれど、これまで3度その幸運に恵まれました。
そうして46歳の時、初競りで日本トップ。そして翌年もトップになりました。
ところが、その年の9月8日を最後にピタリと獲れなくなりました。9月が終わり、10月が終わり、11月も終わった。
そうして12月27日、111日目にしてやっとマグロ様が餌を選んでくれた。しかも200キロを超える大物です。
(どんなに苦しくとも、この仕事を続けてこられたのは?)
でもさ、逆にその苦労を発散させるには釣るしかないんだよね。
大間の海からマグロが消えた時期、そして110日間釣れなかった時期のことは忘れないもの。
もちろん他のことをやっても一時的には気が紛れるけれど、基本的には釣るしかないんです。
だから、とにかくおっかない商売。だけど好きなんです。
どんなに家族に苦労をかけても、マグロを追いかけたい。それは仕方ないじゃない。
7、「自分の魅力を磨く真髄探究」
ビジネスに「喜びと感動」をもたらす経営指導で高い評価を受ける矢部廣重氏が、“一度しかない人生で大輪の花を咲かせる要訣”を示しています
数か月前にラジオで、「一番よく知っているもの、誰にも負けないほど熟知しているものは何か」というクイズ番組があった。
その中で、ある女優の答えが印象的だった。彼女は、「自分自身」と回答したのだ。これには誰もが同意した。
しかし女優はすぐに、「本当でしょうか?」と皆に問いかけた。
「自分の体の構造図を書いてください」「骨の数と筋肉の種類を教えてください」「臓器の種類、機能、形をご存じですか」……。
誰も答えられない。皆言葉を失っていた。女優は言葉を継いだ。
「自分について知っているのはわずか数パーセントに過ぎません。90パーセント以上は知らないのです。知らない自分とはいったい誰のものでしょうか?」
確かに自分の体でありながら自分の意のままにならないものが多い。心臓は自分が意識して動かしているものではない。
肝臓、腎臓などの他の基幹臓器もしかりだ。誰の命令によって80年も正確に働き続けるのか。
2000年前の古い哲学書には、人生を見事に生き抜く鍵は、自分を知ることだと記してある。
自分を知るとは自分の価値を発見することである。自分という稀有な宝に誇りを持って生きることに尽きる。
「たった一回の人生だ。自分という偉大な花を見事に開かせるぞ」
私は叫んだ。
8、夏の甲子園大会。
① 甲子園常連校で、今大会もベスト16まで進出した智辯和歌山高校も、創部当時は弱小チームだったといいます。創部以来、30年以上にわたって同校を率い、強豪校に育て上げ、甲子園での通算勝利数最多を誇る高嶋仁監督が、強さの秘訣。
目標を達成するには、必死になって毎日練習をするしかないです。練習は嘘をつきませんからね。
きっちりやればそれなりの答えを出してくれます。サボればそれだけの答えしか出ないですよ。
それと“慣れ”ですね。
うちは毎日腹筋を2千回、3千回とやります。皆さん驚かれますが、そんなものはえらいこと何もないんですよ。
慣れたら一緒なんです。「100本走れ」とか「200本走れ」というのも慣れです。
慣れれば、大変なことも超えられるんです。
それから甲子園という目標を遠くに見ない。手を伸ばしたら掴めるものと考えてやっていかないといけません。
目標を遥か彼方に置いたら、やる気が出ないですよ。
だから僕は普段から「甲子園」という言葉をしょっちゅう使うんです。
「そんなんじゃ、甲子園で恥をかくやろ」「そんなんじゃ、甲子園のお客さんが怒るぞ」とね。
僕は「甲子園というものを身近なものにして、手を伸ばして掴め」と言っているのですが、
目標は身近なものにしていくからこそ実現できるのでしょう。
② 被災地となった岩手県代表の花巻東高校は強豪・帝京高校との激闘に競り負けるも、「東北のために」決して諦めない全力プレーは、被災地のみならず全国に大きな感動を与えました。同校を率いる佐々木洋監督がの記事から、その感動の裏側にあったものとは何かを探ります。
※対談相手は、古川商業高校女子バレー部を12回もの全国優勝に導いた国分秀男氏
【国分】40歳を過ぎて、あぁ結局勝敗を分けるのは人間力の差だと気がつきました。
じゃあその人間力はどうやって磨けるのかというと、いまを笑顔で精いっぱいに生きる。
愚痴をこぼさず、仕事に一所懸命に取り組んでいく。そうすると自然と人間力は磨かれていくのではないかと感じますね。
【佐々木】我々はもちろん日本一を目指しているのですが、取り組み方も日本一を目指そうという目標を掲げています。
だから日本一を目指すなら、日本一の全力疾走をしよう、日本一のカバーリングをしよう、日本一の元気を出そうと意識しています。
人間は誰しも程度の差はあっても人生で苦しみや困難に出遭うことがあります。
その時に挫けずに人生をまっとうできる人、自分に打ち克つことができる人。
そういう人が本当の意味での人生の勝利者であり、そういう人間を数多く育てていきたいというのが私の願いです。
そのため、うちのモットーは「野球選手を育てるのではなく、野球ができる立派な人間を育てる」です。
【国分】やっぱり佐々木先生は野球だけをやっているんじゃなくて、そういう人間学の勉強を深められているんだなということと、
ご自身がこういう境地を目指して鍛錬されていることが伝わってきましてね。
だからこそ花巻東は人を感動させる野球ができるんだと思います。
9、諦めない大切さ
宇宙開発を通して多くの人々に夢と希望を与えています。東大阪の町工場でありながら人工衛星の開発を成功させたアオキ社長・青木豊彦氏と、本業の傍ら子供たちに諦めない大切さを伝えるためロケット開発に挑み続ける植松電機専務・植松努氏の対談記事
【青木】よく夢とロマンという言い方をするんだけと、僕は「夢とは実現すること、ロマンとは継続」と思っています。
【植松】夢というのは自分で大好きなことをやってみたいという思いでしょうね。だったらやったらいい。それだけの話です。
大好きなことをしっかり持つには感動が一番です。「やってみたい」「すごい」という心があれば、夢はいくらでも見つかると思いますよ。
でも、その時にできない理由をいくつも思いついてしまうんですね。そして、そのできない理由すら考えなくなる最悪の言葉が「どうせ無理」なんです。
この言葉が人間の脳波を止めてしまう。思考が止まると楽ですが、それだと何も始まらない。
【青木】当たり前やけど、何事も前向きで明るくなかったら物事はうまく運ばないと思いますね。諦めてしまったらおしまいなんですよ。
第一、「どうせ無理」と塞ぎ込んでばかりいたら元気なんか出えしまへんがな。
皆が明るい言葉を使えば、必ず元気になるし、国内に生気が漲ってくる。
その意味でも大阪人の明るさ、情熱といったものを全国に伝えたいと思っているんです。
【植松】僕は「どうせ無理」という言葉が大嫌いです。
この言葉が人の可能性を奪い、その連鎖が正しくて優しくて弱い子供たちに向かうと知っていますからね。
「どうせ無理」という言葉をこの世からなくしたい一念で宇宙開発をしています。
10、「私心」のない生き方
坂本龍馬記念館の館長・森健志郎氏が、坂本龍馬の隠れた魅力について語っています。
坂本龍馬という人物が、当時も、そしていまなお多くの人々から愛されるのは、「私心」のない生き方が感動を与えるからだと思います。
当時、強烈な身分社会の中にあって、多くの志士が「自分は薩摩の西郷隆盛」「長州の桂小五郎」と名乗っていたところ、「俺は日本の龍馬」と言ったのが坂本龍馬でした。
国内で争っていたら外国にやられてしまう。だから、薩摩も長州も幕府も皆で一緒になって新しい国をつくろうと呼びかけ、大政奉還まで漕ぎ着けました。
最近あちこちで「平成の龍馬、出でよ」という声が聞かれます。
しかし、考えてみてください。龍馬だってもともとは地方の一下級武士でした。
その彼が私心をなくし、天下国家のために命懸けで動いた時、日本は大きく変わったのです。
日本を変えるのは政治家でも大企業の社長でもない。いまを生きる誰もが平成の坂本龍馬になれるのです。
11、8月の言葉
悲しみを耐えた人だけに力を与えられる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・松本明慶(大佛師)
必死に取り組んでいれば手を差し伸べてくれる人がいる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・羽中田 昌(スポーツエッセイスト)
変わらぬ理念と、変わりゆく方途
・・・・・・・・・・・・・・・・・・森下洋一(松下電器産業会長)
かなしみはわたしたちを美しくする花
・・・・・・・・・・・・・・・・・・坂村真民(仏教詩人)
心のゆとりとちょっとしたユーモア
・・・・・・・・・・・・・・・・・三宮麻由子(エッセイスト)
リーダーシップとは影響力である
・・・・・・・・・・・・・・・・・井深大(ソニー創業者)
形は心なり
・・・・・・・・・・・・・・・・・岩倉信弥(本田技研工業元常務)
とことん徹底して、事が成るまでやめない
そういう「魔」としか言いようのない情熱、狂気
・・・・・・・・・・・・・・・・・城山三郎(作家)
商売は真剣勝負
首をはねたり、はねられたりするうちに勝つということはあり得ない
・・・・・・・・・・・・・・・・・松下幸之助(パナソニック創業者)
すぐやる、必ずやる、出来るまでやる
・・・・・・・・・・・・・・・・・永守重信(日本電産社長)
新しいものを取り入れるためには
まず古いものを捨てなければならない
・・・・・・・・・・・・・・・・・・松井道夫(松井証券社長)
積極的な生き方をする人が運を掴む
・・・・・・・・・・・・・・・・・・塚越寛(伊那食品工業社長)
遠きをはかる者は富み
近くをはかる者は貧す
・・・・・・・・・・・・・・・・・・二宮尊徳(篤農家)
長たる者は決断が一番大事である
・・・・・・・・・・・・・・・・・・石橋信夫(大和ハウス工業創業者)
準備、実行、後始末
・・・・・・・・・・・・・・・・・・桜井章一(雀鬼)
想いを高くしなければよい製品は生まれない
・・・・・・・・・・・・・・・・・本田宗一郎(本田技研工業創業者)
準備をするのは言い訳を最小限にするためだ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・イチロー(シアトル・マリナーズ)
プロとは全人生を賭けた負けず嫌いのこと
・・・・・・・・・・・・・・・・・張栩(囲碁棋士)
心がないと人は動かない
・・・・・・・・・・・・・・・・・・樋口武男(大和ハウス工業CEO
物事を実現するか否かは、まずそれをやろうとした人が
出来ると信じることから始まる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・永守重信(日本電産社長)
リーダーは時速150キロで全力疾走せよ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・安藤忠雄(建築家)
命懸けの勝負をしているか
・・・・・・・・・・・・・・・・・・王貞治(福岡ソフトバンクホークス球団会長)
「時計」と競争し、「時計」に勝つ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・大場松魚(人間国宝)
努力の上に辛抱という棒を立てろ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・桂小金治(タレント)
信用というブランドを構築するには10年かかる
しかしそのブランドを失うのはたった10秒
・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤居寛(帝国ホテル顧問)
人生は自分に与えられた時間をどう生かすか
・・・・・・・・・・・・・・・・・・牛尾治朗(ウシオ電機会長)
負けてたまるかと静かに自分に言いなさい
・・・・・・・・・・・・・・・・・・松平康隆(日本バレーボール協会名誉会長)8/31/11
2011/09/01
5時7分日の出、15分くらいに雲の上からお日様が出てきました。
秩父山系のあたりからの日の出です。
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宝剣岳に朝日があたりだしました。
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秩父山系のあたりからの日の出です。
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宝剣岳に朝日があたりだしました。
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